21 創生

「でも、たかだか二つしか違わないのに、見た目にそんなに影響するの?」


 僕の言葉に、大男は頷いた。

 そんな僕の無知ともとれる質問を、二人は笑うことはなかった。その代わりに、大男は “一塩基多型” について説明してくれた。


 一塩基多型いちえんきたけい


 遺伝子には、いくつもその一塩基多型が存在するのだと教えてくれた。それは言葉のとおり、遺伝子の中の塩基の一つが異なる、という意味らしい。

 一つの遺伝子の中に、一塩基多型はいくつもあって……その違いによって、見た目や性質などが変わってくるのだとか。それがいわゆる個性にも繋がるのだとか。

 大男はもっと詳しく説明してくれたのだけれど、その専門的な言葉を理解するには、時間が足りない。


 魔女がクローンかもしれない


 僕は大男の言葉を、自分の頭の中で繰り返した。にわかには信じられないその言葉を、それでも一旦飲み込もうと努力した。

 もし、魔女が本当にクローンだったとして、あの結果が魔女のものだとすると……

 魔女は、僕とDNA配列が一緒だということになる。それはつまり、魔女のが、僕ということになるのだろうか。


 魔女が僕のクローン…

 僕の細胞を使ってつくられた、僕のクローン……


 頭の中でその言葉がふわふわと浮遊する。元々足を持たない言葉それらは、僕の脳内を自由に闊歩する。

 そこに、魔女の顔まで出てきて、それら全てを結びつける。


 僕は俯いた。

 下を向いたまま、思考は止まらない。


 魔女が僕の…


「奏多?」


 自分の世界にトリップしていると、遠くから声がした。父さんの声だということは認識できた。

 何だか心配しているような、申し訳なさそうな声色だ。

 僕はその声に、現実世界へと呼び戻されると、勢いよく顔を上げた。


「すごい!」


「え…?」


「すごいよ、父さん!

 魔女は僕だったんだ! 僕が魔女だったんだ!」


 驚きの色を見せる二人を置き去りに、僕は歓喜に満ち溢れた表情で、声高に叫んだ。


 僕は、魔女を…そうか、僕は自分のことを好きになれたんだ!

 僕は、自分のことを認めることができたんだ!


 僕は、心の中で叫んでいた。叫んだ言葉に、どうして魔女に生きていてほしかったのか、その理由にも行き着いた。どうして、遠くに行ってほしくなかったのかも。そばにいてほしかった理由も。まさか、こんなきっかけで自覚するなんて…


 僕はがまだ仮説段階の話であるということを、完全に忘れていた。頭の片隅にすら、その存在を残していなかった。


「父さんのおかげだ!」


「怒らないのか?」


 僕の興奮とは正反対に、父さんはどういうわけか、その表情を曇らせていた。

 何を怒ることがあるというのか。


「父さんのせいだ」


「何が?」


「父さんが、奏多のDNA検査をしようとしなければ…そんなことしなければ、サンプルを使われることなんてなかった」


「自分の細胞が使われたのかと思うと、気持ち悪いだろ?」と、やはり申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「何で? 僕、すごく感動してるんだよ! 僕は今、父さんの子どもでよかったって、本当に心から思ってるよ!」


 僕はきっと論点がずれているのだろう。

 でもそんなの知ったこっちゃない。だって、僕がそう感じてるんだから。僕が、僕自身が嬉しいって思えるんだから。


 魔女は僕で、僕のクローンで。

 ってことはつまり、魔女も実在したってことだ。やっぱりあれは、夢じゃなかったんだ!

 これを感動するなという方が無理な話だ。


 僕は、身体の表面全体でその喜びを表現していた。けれどそれとは反対に、心のどこかで冷静な自分もいた。そのが僕の体を使って言葉を発する。


「でも魔女その人は、自分の年齢を二十歳だって言ってたよ。僕の細胞を使ったって言うなら、僕より年上だなんておかしいよね」


 そう。魔女は頑なにそう言い張っていた。


『今は確か……二十歳だ』


『お前よりははるかにね』


 僕は魔女の言葉を思い出していた。こういうところで記憶力の良さを発揮するのは、何とも皮肉に思えた。

 頭に浮かんだその言葉に、僕は何だか違和感を覚えた。喉に魚の骨でも刺さったような、そんな違和感。

 、だろうか。でもそれは、年齢を思い出そうとして、考えている “時間” だと言えば納得できるものだ。でも、本当に? 本当にそれだけか?


「見た目は?」


「え…?」


「二十歳に見える見た目をしていたか?」


 確信があるかのように、強い口調で大男が言った。

 僕はその言葉に肩が跳ねた。まるで、見透かされているみたいだった。僕の考えも。その事実も。


「じゃあ、何で二十歳なんて言ったんですか?」


「その詳細はわからんが。身体の内部について、よく理解していたのかもしれないな。本当は、もっと上だという可能性もある」


 その言葉に、僕は目の辺りが痙攣した。

 言っていることがよくわからない。何をおかしなことを言っているのか。

 いくら僕でも知ってるぞ。体細胞を使ってクローンがつくられるようになったからと言って、母体を必要とするのは同じだってことくらい。それなら、クローンだって僕たちと同じ、生まれた時は0歳のはずじゃないか。

 それを、否定すると言うのか。


「0歳で生まれてきたわけじゃないってこと? それとも、僕たちの時間感覚とは違うとでも言うの?」


 まるで、僕たちよりも早く老化していくみたいに


「その可能性も大いにあり得るよ」


「でも、父さん言ってたじゃないか! クローンの短命説は間違いだったって!」


 僕は叫ぶように大人たちにぶつかっていった。

 一体何に、憤っているのだろう。一体、何に対して怒りをぶつけているのだろう。


「普通は、な。でもミネも何度も言っているように、は普通じゃない。んだ。だから、何が起きるかわからないし、何が起こったって不思議じゃないんだよ」


については、何か考えられることはあるの?」


 指をさし、その指先を追うように僕たち三人は、再び平らなそれを見つめる。

 どうして、僕の細胞からとった、僕のDNAの中にそんなものが存在するのか。父さんたちはその答えにたどり着いているのだろうか。手掛かりでもいい。事実が知りたい。


「実は一つ考えていることがあって…」


「奇遇だな。俺も一つだけ思い当たる節がある」


 珍しく先陣を切った父さんの後に、すかさず大男も続く。

 やっぱり仲間外れは僕だけなわけで、僕はその輪に入れてもらおうと、言葉をかける。


「何? 僕にも教えて!」


 二人は何度目かのアイコンタクトをとった。それがまるで、言葉がなくても意思疎通ができる手段のようで、本当に話してなんかいないのに、が終了すると、二人は頷いていた。


「この前見たテレビのこと覚えてるか? あの記者会見の…」


「記者会見?」


「ほらあの、」


「あぁ! 確か……人工塩基の発表だっけ?」


「そう。それだ」


 父さんの言葉は、僕の疑問に答えてはいなかった。人工塩基が、一体何に関係すると言うのか。さっぱりわからない。

 次の言葉を待つ間、僕は記憶の箱を片っ端から開けた。あの日の、あの記者会見の記憶を入れた箱はどこに置いただろう。僕のことだから、その内容は大きな、目立つような箱には入れていない。きっと小さくて、片隅に追いやられているような…


 予想通りに、隅っこにポツリと置かれている箱を僕は手にとった。

 待ちきれないかのように、慌ててその箱を開けると、僕の中にあの日の記憶が蘇る。

 けれど、蘇ったところで、やはりそれが何に関与するのかまではわからなかった。

 

「その人工塩基が導入されている可能性がある」


「え…」


 父さんと大男に目をやると、二人とも何度も頷いている。


「何それ…どういうこと?」


「遺伝子導入という方法で、もとある遺伝子を切ったり貼ったりできるんだよ」


「いや、僕はそんな説明をしてほしいわけじゃなくて…」


「この “N” が人工塩基だとすれば、話は簡単なんだ」


 大男が口を挟む。もうすでに確信を持っているかのような口調だった。

 そのことが、余計に僕の混乱を助長する。


「え、ちょっと待ってよ。でも、それって最近発表されたことじゃないか。でも、魔女その人はそんな生まれたて、みたいな見た目じゃないんだよ。僕と普通に話せるくらいには…」


「研究っていうのはな、世間に発表できるまでに、とんでもない時間を要するんだ。仮説を立てて、それを証明していく。一つが明らかになると、また別の仮説が生まれる。仮説の通りにいかないことだってある。そしたら、考察して、それを証明して、の繰り返し。

 だから、発表できるということは…」


「それだけ、時間が経っているってこと?」


 大男の説明に僕はたまらず割り込んだ。

 そんな失礼とも言える僕の行為を、大男は嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに微笑んだ。


「そういうことだ。だから、全然おかしい話じゃないんだよ。それがじゃないならなおさら」


 その言葉がスッと心に落ちて、僕は何だか一人納得してしまった。

 いよいよ、現実味を帯びる。確証のない事実を、僕は受け入れる準備にとりかかっていた。

 そして僕は、これまでの話をつなげて、一つの可能性に気がついた。もしがなければ。さえなければ、というまたしても、何の確証もない憤りを感じていた。


 さえなければ、僕はまだ魔女のそばにいられたかもしれないのに————


 実際のところ、魔女が今も存在するのかどうかは、僕にはわからない。知りたくても、知る術がない。


 元気でいてくれればいい。

 どこかで、元気で…


「そのこと、生まれた時には知ってたのかな?」


「ん?」


「自分が生きられる時間」


 僕は、最後に魔女と話した時のことを思い出していた。

 魔女は、自分に対して “失敗作” だという言葉を使った。ソラのことをそう呼ぶのと同じように。


 自分がなものだということを知っていたのだろうか。

 だから、ソラのことをだと淡々と言うことができたのだろうか。

 自分も同類だと。だからこそ、同じであるからこそ、ソラ他者に対してもそんなことが言えたのだろうか。

 あくまで、それは想像でしかないけれど。


「生まれた時に、寿命は決まっちゃうの?」


 僕は言葉を変えて、問いかける。問いかける対象が、自分の中に明確なものがないかのように、僕の言葉は宙に浮く。 


「父さんは、そうは思いたくないな」


 期せずして返事をもらうことができた。僕は驚きと一緒に、その声の方に顔を向ける。

 声の主は、まるで僕の言葉を見つめるように、天を仰いでいた。


「だって、そんなの寂しいじゃないか」

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