12 真意と嘘

「どこに行ってたんだ」


 家に着くと、何やら血相を変えた父さんが僕の帰りを待っていた。

 おまけに大男も一緒で、二人揃って何事だ、と僕は呑気にもそう思った。


「どうしたの? そんなに慌てて」


「例の犯人、捕まったんだ」


「え…」


 僕は目を見開いた。


 例の犯人…

 父さんは “例の” とだけ言ったので、その詳細はわからない。けれど、おそらく僕が思っていることで間違いないだろう。その証拠に、父さんたちの話す内容は、僕の頭にあるものと一致する。

 さらに父さんが説明してくれた話によると、犯人が捕まった場所は、なんとあの森の近くだと言うのだ。


 僕は寒気がした。

 逮捕劇なんて、テレビドラマとかでしか見たことがないけれど、そんなに静かなものじゃないだろう。それでも、その騒ぎを僕は知らない。

 考えられることとすれば、僕がとして使っているとは別の方向だったということぐらいか。僕は、に行ったことがなかったので、向こう側がどうなっているのか知らない。


 そんなことより、犯人はすぐそばまで来ていたという事実が、僕の頭を強く刺激した。

 ある前に捕まったからよかったものの、いつ何が起きてもおかしくない状況だったのだ。


 何もなかったよね…

 まさかの帰り道だったんじゃないだろうな…


 僕は最悪の事態が頭によぎり、鳥肌がおさまらない。


「ねぇ、その持ち出されたものって、もし犬の体に取り込まれたら、どのくらいで影響するものなの?」


「ん? あぁ、一概には言えないけどな。即効性があると言えばあるたぐいのものだから、投与されたらすぐに死ぬものもいるんじゃねぇか」


「…」


 大男の言葉を聞いて、僕は息を呑んだ。

 胸がドキドキしていた。いつもより速くなった心拍数を感じながら、落ち着きなく騒ぎ立てるその部分を、僕はT-シャツの上から押さえ込んだ。


 大丈夫。大丈夫————

 僕はその言葉を心の中で繰り返す。

 いつも通り元気に走り回っていたを思い浮かべて、僕は自分自身に言い聞かせた。

 大男の話だと、それが全てではないということもわかってはいたけれど、それでも今は、とりあえずでもいいから安心したかった。




 父さんたちはというと、僕がどこにいるかは知らなかったはずだ。

 けれどだからこそ、心配だったのだろう。

 いくら人に害がないとは言え、身近なところで事件が起きたという事実だけで、気が気でなかったのかもしれない。

 大の大人が僕の顔を見るなり、ほっとする顔を見て、僕は何だか申し訳ない気持ちに駆られた。


 そんな二人は、僕の安否を確認できて満足したのか、僕のことなど蚊帳の外のように話を進めていた。

 聞けば、テレビで報道されていたことについて、二人で話し合っているようだった。

 僕はそれを見たわけじゃないし、その事件も結局のところ、詳しくは知らないので、二人の話の全てを理解はできなかった。けれど、要所要所、聞き取れた会話から、僕はふと気になることを見つけてしまった。


 それは、犯人が捕まった時間だ。


 僕は携帯電話を持っていない。なぜなら、それを所持する必要性を感じなかったからだ。けれどその代わりといってはなんだが、魔女のところに行くようになってから、腕時計を身に付けるようになっていた。

 それは、あの森の家には時間を確認する手段がないから。太陽の位置でしかそれを測れないから。

 自ら何かを持って行かなければ、正確な時間はわからなかった。


 僕が森に到着した時。気が動転していて、僕がしゃがみ込んでいたあの時間。

 僕は意識していたわけではないけれど、息を整えている間、僕は俯いていた。目線は下に向いていた。

 その視界には時計も入っていて、ぼんやりだけど数字だって見えていた。時間もちゃんと覚えている。


 その事実に、全身に鳥肌が立った。

 僕は寒くもないのに、腕をさする。

 僕が森にいた時間、到着したその時間は、犯人が捕まったとされる時刻の少し前だったのだ。


「…ねぇ、その犯人って女の人?」


 僕は恐る恐る口を開いた。もしや、と思うと、またしても鳥肌が全身を駆け抜ける。


「いや、男だぞ」


 大男が僕の方を向いて、飄々と答える。

 どうしてそんなことを聞くんだ? というような表情を浮かべていた。


 僕はそんな大男から目線を外して、下を向いた。大男の言葉に心底安堵していた。

 目撃したと思しき女性は、この件とは無関係だったらしい。


 でもそれじゃあ、あの人影はなんだったのだろう。

 僕はやはり、とうとう霊感でも身につけてしまったのだろうか。

 暑さによるものなのか、冷や汗なのかわからないそれを、僕は腕で拭った。


「しかし、救助犬がどうだの、創りものがどうだの、ってのはなんだったんだろうな」


「え…」


 大男がなんとなしに呟いた言葉に、僕は心臓がはねた。

 鎮まりかけていた脈拍が、またその鼓動を速める。


 僕の焦ったように出た声を、大男はその大きな耳でしっかりと拾っていたようだった。


「どうした、坊主」


「いや…その、救助犬とかがどうしたのかなって」


「あぁ、何かその犯人が捕まった時に叫んでたんだと。

 人間を救うためという、を翳せば、なんでも許されると思っているのか、とか。動物は人間のエゴで生きてるんじゃないんだ、って」


 よくわからんよな、と大男は最後に付け加えた。

 その口調は、僕に意見を求めるわけでもなく、大男はただ事実として、その犯人が言っていたであろうことを述べているだけのようだった。


 人間を救うため

 人間のエゴ

 正義…


 その言葉は、僕の頭がその意味を分解する前に、どこかに引っかかった。途中で止まったまま、脳までたどりつかないもんだから、僕はその言葉を理解できない。


 僕の中で、カチッという音が聞こえた。

 その音が何かはわからない。ただ、今まで聞こえていたはずの大男の声が聞こえなくなった。父さんの声も聞こえない。周りの音という音すべてが聞こえなくなった。

 僕は、僕の声しか届かないところへと入っていく。


 その犯人は、の秘密を知っていたのか。どこでその情報を手に入れたのか。どこまで知っていたのだろうか。

 いや、そもそも秘密だったのか?

 魔女は、を隠すことなく、僕に話してくれた。だから、秘密にすることでもないのかもしれない。


 その事実を知って、起こした行動がこれか? 犯人は犯罪を犯してまで、を殺そうとしていたのだろうか。


 救助犬が気に入らないのか? それともクローンつくりものだから?

 もしくは、その両方だろうか…


 の真意はわからない。正直わかりたくもない。

 僕は救助犬の大変さを知らない。他にも盲導犬とかもいるし、そのほかの動物にだって助けられていることもある。彼らには何の見返りもないのに。

 そのことが彼らにとってどうなのかは、誰にもわからないはずだ。


 クローンで生命をつくり出すことについても、僕はその是非についてはわからない。それを考えて答えを出せるほど、僕に知識はない。僕はどこまでも無知だ。


 でもこれだけはわかる。これだけは断言できる。

 この世に生まれてきて、それがどんな理由であろうと、殺される権利なんてにはないはずだ。

 人間のエゴで生まれたから、そんなの可哀想だって? 可哀想だから殺すの?

 命って、一体何なのさ…


「おい、坊主! 大丈夫か?」


 僕の潜伏は、大男の大きな声と、その大きな手で身体を揺すられていたことで覚醒してしまった。

 掴まれている肩にはものすごい力が加えられていて、痛みを感じる。

 ジンジンとその痛みに触れながら、僕は目の前で心配そうに見つめる二人の顔を交互に眺めた。


「…な、に。どうしたの?」


「どうしたのじゃねぇよ。立ったまま、急に意識失ったみたいになってよ。声かけても反応もないし」


 驚かせるなよ、大男は最後にぼやきを加える。

 父さんの方に目を向けると、ため息をついていた。


「ごめん、なさい…」


「いや、俺こそ大声出して悪かったな。

身近なところで事件があったんだ。気が動転してたんだろ。もう今日は休め」


「はい…」


「あ」


 大男の言葉に甘え、僕が玄関へ向かおうと足を踏み出した矢先、再び大男が口を開いた。

 僕は突然の声に、転びそうになる足を何とか踏ん張った。


「あ、いや今日じゃなくてもいいんだがな。ほら、父さんから話は聞いてるかと思うが、お前の検査」


「検査…」


 検査とは何のことだろう。僕の思考はいつも以上にポンコツだったので、大男の言葉の真意がわからない。

 父さんから聞いていること…はて、何だっただろうか。僕は何か聞いていただろうか。

 僕はほんの少し残った力を振り絞り、記憶を辿る。


「ほら、遺伝子の」


 僕が思い出すのを待てなかったのか、大男は記憶に言葉を挟んだ。

 ずいぶんせっかちだな。そう思いながらも、その言葉のおかげで僕はのことを思い出すことができた。


 そのことを思い出すと同時に、僕は今日はということにも気付いてしまった。

 完全に忘れていた。

 いや、をするべきではないということだろうか。

 もうここは大人しくを提供するしかないのか…


 僕は俯いた。落ち込んでいる、というよりは考えるためにと言った方が、この場合適当だ。

 今日は気分じゃないと言って、後日にしてもらう手もある。

 その間に…


 僕は、僕よりも大きな二人の大人たちの視線を感じていた。その視線を気にしていないかのように、僕の目は違うところに向かっていった。

 僕は自分が着ているT-シャツを見た。それは今日何度も僕の汗を吸い、完全に乾くことなく、次から次へと湧き出る汗を受け止めていた。

 白の無地。特にロゴも何もないそれに、何やら線が入っている。ゴミかな、と思ってそれを手に取ると、それは一本の髪の毛だった。

 いつの間についたのか。でもよく見ると、僕のものにしては長い。

 色は黒で、僕のそれと遜色ないけれど、僕の髪はこんなに長くないし、細くもない。


 他に髪の毛がつくなんてことあるだろうか。と僕は考えた。

 今日は誰にも会っていないし…と思って、僕は魔女に会っていたことを思い出す。

 忘れていたのか、と笑ってしまうかもしれないけれど、それほどまでに僕の思考はあまり働いていないのだ。


 僕はさらに記憶を遡り、今日魔女に会ってからのことを思い出した。

 基本的に僕はあまり人に近づかないし、魔女もパーソナルスペースは広めだ。

 だから、僕たちが接触することはほとんどないし、魔女の髪の毛が僕につくなんてこと考えられないんだけど…


 そこで僕はハッとした。


 そうだ。あったよ。あったじゃないか。

 今日は、どうにもいろいろありすぎて、心も体もクタクタだったから。僕は、僕の体を制御できなくて、勢いよく立ち上がったあの時、思った以上に魔女に近づいてしまった。

 きっとあれだ。あの時だ。


 僕は嬉々としてを見ると、彼らに見えないように短くそれを引きちぎった。


「今渡してもいいですか?」


「あぁ。ちょっと待てよ」


 大男はそういうと、玄関に向かった。

 どうしたのだろうか、と僕たちもその方向へ歩みを進めると、大男は鞄を手にして戻ってきた。その中から、蓋のついた細長い容器を取り出す。


「これに入れろ」


 僕は言われた通り、蓋が開けられたそれに髪の毛を入れる。


「あ、これ汗とかもついてるんだけど、大丈夫かな?」


「サンプル抽出の前に、洗いの作業があるから大丈夫だぞ。って言っても、汗もお前のだろ」


 大男がいつものようにがはがはと笑う笑みに、僕は同じものを少しも返せなかった。

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