08 表情-かお-

 魔女はお別れの場所に、家のそばのとある一角をくれた。

 それは、やはり片隅で、ほんのちょこっとだけのスペースだった。それでも、その “ちょこっと” というのが、なんだかソラみたいで、僕はそれで満足だった。


 僕は素手で可能な限り土を掘り起こし、山を作った。ここでも土を触ることになるとは、と僕は少しだけ笑った。

 その山のてっぺんに、ここに来る途中に見つけた石を置いた。森の入り口を通り過ぎたところで、大きさとか、形とか、とてもしっくりくるものを見つけていたのだ。それは墓石のような大層なものではないけれど、目印くらいにはなるだろう。


 僕が作業をしている間、もちろん魔女は手伝ってくれるわけはなく、こちらを見ようともしなかった。

 おそらくからは僕の姿は見えていないのだろう。やはり、他の犬たちに見せたくないということなのか。

 魔女は魔女のをこなしていた。


 僕は手を動かしながら、昨日、父さんが貸してくれた本の内容について思い出していた。

 それは、僕でも読むのに1時間もかからないほどのもので、クローンについて簡単にまとめられていた。

 その本によると、クローンは、人工的につくられた生命であるとのことだった。クローンをつくるには、になる核が必要である、とも書かれていた。

 核は細胞の中に含まれるものだから、になる “親” と呼ばれる細胞を必要とするらしい。


 早速わからないところが出現し、僕は恥ずかしさを感じながらも、父さんに助けを求めた。父さんは僕の質問に、詳しく説明してくれたけれど、僕の頭は一度に全てのことを理解してはくれなかった。

 それを感じとった父さんが、話の最後にこう言った。


「簡単に言うと、一卵性双生児を人工的につくっているようなものだよ」


 僕はわかったようなわからないような、そんな曖昧な状態で、その日の夜を閉じた。

 唯一理解できたように思えるのは、が一緒であれば、その見た目は同じだろうということだった。なんせ、一卵性双生児なのだから。


「ねぇ」


 僕は魔女のそばまで行くと、声をかけた。

 そんなに忙しそうにしていないタイミングを狙ったつもりだったのだけれど、魔女は僕の呼びかけに対して、目だけを動かした。

 そんな態度は一旦置いといて、反応があっただけ、聞くつもりがあるのだろうと僕は続けた。


「ここにいる子たちって、みんなクローンだって言ってたよね?」


「あぁ」


「じゃあ、ここにいる子たちのは一緒?」


「もと?」


 魔女はそこで僕の方に体を向けた。

 僕の説明が漠然としていたせいか、訝しげな表情を浮かべている。追加で言葉を足したいところだけれど、それ以上に出せるものを僕は持っていなかった。僕はいつもの他力本願精神で、魔女が理解してくれるのを待った。


「その、というのは細胞核のことか? それなら一緒だ」


「ソラも?」


 魔女は頷いた。

 魔女のその反応に、僕は心底驚いた。


「でも、ソラは他の子と目の色が違ったよ! が同じなら、も一緒になるんじゃないの?」


 魔女は、僕の目を見た。

 視線があった魔女の顔は、何だかとても面倒くさいと言っているような、そんな表情だった。


「何度も言ってるだろ。あれは “失敗作” だった、と」


 魔女は辟易するように言葉を発した。

 魔女が言うように、その言葉は確かに何度も聞いた。けれど、僕はその度に、その言葉の意味がわからなかった。それは、救助犬を目指す目的があるということを知っても、彼らがクローンであるということを知ってもなお、理解できずにいた。


 追求しようにも、魔女はこれ以上このことに関して話すつもりはないと言わんばかりに、また僕から視線を外した。

 気になって仕方ないことではあったけれど、さすがにこれ以上、魔女の機嫌を損ねるわけにもいかない。帰って勉強するしかないか。


 僕は空気を読んで、話題を変えることにした。

 ここで、話しかけないという選択肢がないところが、僕の残念なところなのかもしれない。でも仕方ないんだ。気になることは他にもある。


「そういえばさ、ここって他に誰か来ることある?」


「誰か?」


 まだ、会話をする気持ちは残っていたのか、魔女は僕の言葉に返事をくれた。

 そのことに、僕は心底安堵する。


「この犬たちを運ぶ人間くらいだ。あとは、お前以外にこんなところに来るやつはいない」


「そうか…」


 じゃあやっぱり、あの人影は僕の見間違いだったんだろう。

 確かに、わざわざこんな森の中にやってくる人なんて、相当な物好きだ。


 と、頭ではそんなことを考えながらも、僕はその疑念を捨てきれずにいた。

 幻にしては、その姿は鮮明にことができた。

 それに、今日ここに来る前にあの大男が言っていたじゃないか。「最近不審者が出ている」と。

 僕はそんなこと全く気にしていなかったけれど、ふと頭によぎったのだった。


 勘違いならそれはそれでいいけれど、もしそうじゃなかったら…


「僕、明日も来るよ」


 気づけば僕はそんなことを口にしていた。

 僕は何だか使命感のようなものを感じていたのかもしれない。僕の奥底に眠っていた正義感のようなものが、目覚めたのかもしれない。


 魔女を見ると、何を改まって言っているんだ、というような、やはり辟易したような呆れた表情を浮かべていた。



 ***



 セミの鳴き声に目が覚める。

 タイマーをつけていた扇風機はすでに止まっていて、僕の身体はじんわりと汗をかいていた。

 時計を見ると、夏休みの起床にしては早い。それでいて、ここ数日の起床時間からは数分の違いしかなかった。


 部屋を出て、階段を降りると、何やら話し声が聞こえてきた。

 こんな朝早くにお客さんだろうか。それも珍しいことなのだけれど、不思議なことに、声は一つしか聞こえてこない。

 それは、父さんのものでないということはわかった。父さんはあんなに大きな声で話さない。

 そして、その声は一人で話しているというような雰囲気でもなかった。


「おぅ、坊主早いな」


「、おはよう、ございます」


 リビングのドアを開けると、大男がその見た目通りに、ソファいっぱいに大きく座っていた。

 声の主は大男だったようだ。ということは、父さんと会話でもしていたのだろうか。けれど、肝心の父さんの姿が見当たらず、キョロキョロと顔を動かすと、大男がキッチンの方を指差した。


 なるほど、と納得しながら、僕は大男の方に視線を戻す。大男は、見るからに仕事に行くような格好をしていた。それなのに、こんな時間にこんなところでくつろいでいていいのだろうか。

 こんな朝から、しかも連日訪問してくるなんて、急用でもあったのだろうか。


「おじさんも早いですね」


「ミネさん、な」


「え?」


「おじさんじゃない。俺のことはミネさんと呼べ」


 大男は、口を大きく開けて、がはがはと笑った。

 この根っこから明るそうな大男のこの元気は、寝起きの僕には少々眩しすぎる。そして、彼の雰囲気はこの家には違和感を与えた。

 不快感というわけではない。それとは違う、何だか異質なものがそこに存在するように、まるで森の緑の中に赤が一点混ざっているかのように、すごく目立つのだった。

 それでももっとすごいのは、この大男がそれを全く気にしていないということ。まるで、その赤で緑を埋めつくさんと言わんばかりに、主張を続けるのだった。強制力ではなく、包容力でそれを包み込もうとしているみたいに。


「…ミネさん」


 僕がそう呼ぶと、大男は満足そうに笑った。

 僕は大男の本名も知らないまま、言われるままにそう呼ぶことになった。


「今日も何か用事ですか?」


「というか、もう隠さなくてよくなったからな」


「? どういうことですか?」


 大男の言葉に首を傾げると、そんな僕の表情がおかしかったのか、大男は少しだけ笑ったように見えた。


「お前の父さんは、まだの人間だってことだよ」


 自信満々といった風に、大男はそう言ってのけた。

 ドヤ顔を続ける大男とは対照的に、僕はさらに混乱が増すばかりだった。

 そんな僕の戸惑いを知ってか知らずか、大男は僕のわからない話を続ける。


「お前の父さんがこの分野から退くと言った時、みんな引き止めたんだ。あいつは必要な存在だった。なんせ研究リーダーだからな。あいつの頭、あいつの存在は、誰にも変えられない。


 それなのに、お前の父さんは頑固者でね。一度決めたら、人の話なんて聞きやしない。

 それでも、少しでいいからって説得して、ちょっとだけならって。やっとこさ折れてくれたってわけさ」


 大男の口調はこれまでと違い、柔らかい雰囲気を醸し出していた。父さんの話をしている大男は、ずっとそんな調子だった。父さんが慕われている存在なのだと、僕が感じられるほどに。


 父さんの昔の仕事とか、その時の父さんのこととか、そんな話を聞くのは初めてだった。

 大男の話はわからないことばかりだったけれど、これまでに職場の人たちに会ったこともなかったので、どれもがとても新鮮だった。


 けれど、疑問が残る。それは、僕がずっと思っていたこと。

 そんなに慕われていて、必要とされていたのに、どうして退くことを選択したのだろう。


「どうしてですか? どうして父さんは研究から離れたんですか? やめようって思ったんですか?」


 僕は大男に、疑問をそのままぶつけた。

 そんな僕の言葉に、大男はなぜか優しい笑顔を浮かべた。大男には不釣り合いなほどの、とても優しくて、温かい笑みだった。


「そんなの決まってるじゃないか」


「ミネ」


 大男に気を取られていた僕は、父さんが近づいてきていたことに気づかなかった。

 見ると、父さんはもうすぐそばまで来ていた。こんなところまで魔女そっくりじゃないか、と僕は胸の辺りを摩った。


 言葉を遮られた大男は、もうすっかり元どおりの雰囲気に戻り、面白そうに笑っていた。


「ストップがかかっちまった。この続きは父さんから聞きな」


 それだけ言うと、大男は立ち上がった。


 僕は、父さんにこの話の続きを求めるように視線を送った。けれど、父さんは困ったように笑うばかりで、口を開こうとしなかった。

 これは教えてくれない、ということだろうか。見た目だけじゃなく、口下手なところも大男とは正反対だ。僕も父さんのことを言えた立場じゃないけれど。


 僕たち親子が二人揃ってもじもじしていると、ダイニングの方から大男の大きな声が聞こえてきた。いい匂いと一緒に聞こえてきた言葉は、せっかくのご飯が冷めるぞ、というものだった。


 この大男は我が家で朝食にありつこうとしているのか。

 その大きな態度…というと言葉は悪いけれど、そんなところまで見た目と一緒なのかと思うとおかしくて、僕は父さんと顔を合わせて笑った。

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