10 向けられた脅威

 目が覚めると、家の中で声が聞こえるようになった。

 大男こと、ミネさんが毎日のように、顔を出すようになったからだ。やはり、出勤前のような格好で。


 先日、僕に隠さなくてよくなったとは言っていたけれど、それにしたって来すぎではないだろうか。

 それとも、僕が知らなかっただけで、二人はよく会っていたということか。


「これ、まだ犯人捕まってないんだろ」


「誰が持ち出したかはわかってるみたいだけどな」


「まぁ、時間の……おぅ、坊主起きたのか」


 テレビを注視しながら、繰り広げられていた会話は、大男が僕に気づいたところで中断された。

 話の腰を折ったようで申し訳なさを感じながらも、見つかってしまった手前、入っていかないわけにもいかない。


「おはようございます。……何の話してたんですか?」


「ん? あぁ、これだよこれ」


 大男は顎で示すように、テレビの方を指した。

 僕はその指示通りにテレビの方に視線を移動させ、建物が映し出された画面を見た。


「何? 事件?」


「研究所からモノが無くなったんだよ。研究段階のね」


「え、それって大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃないからニュースになってるんだろ。とは言っても、持ち出した人間はわかってるし、人に害を及ぼすモノじゃないから、そこまで大事おおごとになってないってのが現状かな。でもこの近くだし、坊主も気をつけるんだぞ」


 大男の説明は、大したことない話なのだというような雰囲気を持っていた。だから、僕もそれをそのまま受け取ったのだけれど、画面の向こう側では、少し緊迫感を帯びた空気が漂っているように見えた。

 それに、テレビで報道されている現場には見覚えがあった。先ほど大男も言っていたように、この付近なのだと知った時には、少しだけ寒気がした。


「有害なモノじゃないのに、ニュースにはなるんだね」


「有害にならないのは、に対してだからな」


「? どういうこと?」


「おっと、今日は早朝会議があるんだった。悪いな、坊主。続きは父さんにでも聞いてくれ」


 それだけ言うと、大男はその大きな体でズカズカと歩いて行った。

 少し家が揺れたように思ったのは、気のせいだろう。


 大男の話がいつも気になるところで止まるのは、これはもう運命さだめなのだろうか。

 僕は軽くため息を吐くと、父さんの方を見た。父さんは、僕の方でも、テレビでもなく、壁の方へと視線を走らせていた。

 何を見ているのだろう、と僕は気になり、そちらに顔ごと向けた。

 その視線の先にある壁には、カレンダーがかけられているだけで、それ以外は何もない。


「母さんの墓参りどうする? おばあちゃんの四十九日もあるし」


 カレンダーには、父さんの字でいくつか文字が書き込まれていた。その中でも一際目立つように、とある数字に印が付けられている。

 僕はその印を見て、そういえば母さんが亡くなったのも夏だったのだと、思い出した。おばあちゃんが亡くなった日と、一ヶ月も変わらない。


「ねぇ、どうして母さんは死んじゃったの?」


 僕は何とも今更な疑問を父さんにぶつける。

 実を言うと、僕は自分の母さんがどうして死んだのか、その理由を知らなかった。

 おばあちゃんに聞いても、“病気だった” としか教えてくれなかったから、その詳細については情報を持っていなかった。


「母さんは病気だったんだよね? 何の病気だったの?」


「母さんは……」


 父さんはそこで言葉をつまらせた。なぜか言い淀んでいた。

 言いにくいことなのだろうか。それとも、僕にわかるように言葉を選んでいるのか。ともかく僕は、父さんが説明してくれるのを待った。


「母さんは、遺伝性疾患で死んだんだ」


「遺伝性疾患?」


「元々遺伝子に…遺伝子はわかるな?」


 僕は頷いた。それを見た父さんは少しだけ口元に笑みを浮かべて、先を進める。


「元々遺伝子に異常があって、病気は先天的なものだったんだ。生まれた時には、余命を告げられていた」


「母さんは、自分がいつ死ぬのか知っていたってこと?」


「そうなんだけど、実際はその余命より長く生きられたんだ」


 先生も驚いてたよ、と父さんは言い加えた。


 自分の死期を知っているというのは、どんな感覚なのだろうか。

 僕はそれを自分に置き換えて考えてみた。脳内にそれを思い浮かべて、すぐに閉じた。とても怖かった。実際にそれを経験した母さんのことも、僕は想像しないようにした。想像できるはずがない。


「ただ…」


「? どうしたの?」


 僕が一人、鳥肌と戦っていると、父さんが再び言い淀んでいた。

 その不穏な空気に、自然と背筋が伸びる。


「いや…ともかく、母さんはお前のことを心配してたんだよ」


「心配?…もしかして、母さんが死んだのって、」


「いや、そうじゃないよ。言っただろ。母さんが死んだのは、病気が原因だって」


 父さんは僕が言おうとしていたことが分かったのか、ため息まじりにそう口にした。

 その表情は、何をバカなことを言っているんだ、と言っているかのようだった。呆れるのではなく、叱りつけるように。


「母さんが心配していたのは、お前にその異常な遺伝子が遺伝していないかということだよ」


「遺伝…?」


 その言葉に、僕は記憶の箱をつついた。

 遺伝の話ならきっと生物の授業だ。僕は脳内で、先生が授業で説明していたことを思い浮かべる。

 確か、染色体は一人に22本の対と、X、Y染色体を合わせて46本あるはずだ。それは、人なら父と母からそれぞれ一本ずつもらうことになるわけで。

 その染色体にのっている遺伝子に異常があれば、子供に遺伝するというのは不思議な話ではない。


 と、僕は勉強の成果がここで活かされていることに、少し喜びを感じた。


「それで、あまりに母さんが口うるさく言うもんだから、生まれてまもない頃に、検査したんだよ」


「検査? 僕の?」


「あぁ、遺伝子検査な。結果は、問題なし」


 父さんはまるで本当に安心したかのように、ほっと一息ついていた。

 その表情が、その当時と同じもののような気がして、僕まで何だか安心してしまった。


「そうだったんだ…母さんは? 母さんも嬉しそうだった?」


 僕がそう聞くと、父さんは何だか遠くを見るように、視線を宙に浮かせた。

 その表情は微笑んでいるような、悲しんでいるような、何とも形容し難い顔だった。


「安心、してたよ。自分と同じ苦しみを背負わせなくていいって。父さんにまでありがとうって言ってさ」


「…」


 僕は、その言葉に返す言葉を見つけられなかった。

 それ以上に、心が忙しなく動いて、自分が自分でないかのように、ソワソワしていた。

 何も悲しくなんかないのに、目頭が熱くなった。


 そいつをごまかすために、僕は少し話をそらす。


「じゃあ、これも母さんの病気と関係ある?」


 母さんの写真を飾ってある写真立ての横に、並べるように飾ってあるを指しながら、僕は聞いた。

 遺影というわけではないのだけれど、固定電話を置いている横に、母さんの写真が飾られていた。

 飾られている母さんの写真は、父さんが選んだものだ。それは時々入れ替えられているのだけれど、今その写真立てには、ふわふわとした長い髪をそのまま流し、満面の笑みを浮かべている母さんの写真が入れられていた。

 その横に、不自然さを放ちながら、一緒に飾られているを、僕はずっと不思議に思っていたのだった。


「あぁ、それは母さんの好きな塩基配列だよ」


「好きな塩基配列?」


 僕が聞き返すと、父さんは笑って頷いた。


 母さんの写真の横に飾られたは、紙に書かれたアルファベットの羅列だった。

 線も引かれていないのに、真っ直ぐに並ぶ文字。母さんが書いたものだろうか。少なくとも父さんの字ではなかった。


 そこに書かれている文字はこうだ。



 AAAGCCAACGCCACCGCC




 確かに言われてみると、そこに書かれているアルファベットは塩基を表すのに用いられているものだった。

 どこか規則性があるようにも見えるけれど、その詳細はわからない。同じようなものがただ並べられているのだと言われると、それもそうか、という感じもした。


「好きな塩基配列って何? そんなことってあるの?」


「さぁ。母さんは不思議な人だったからなぁ。なんか語呂がいいとかそんなんじゃないのか」


「ふーん。変なの」


 たった四文字の組み合わせで、語呂がいいとかあるのだろうか。それに、よく見たらこの配列には “T” が含まれていない。だから実質、三文字の組み合わせだ。

 数えるとそれは十八文字で、三文字を十八文字にする組み合わせは3の18乗…


 僕はそんなことを考えながら、しばらくそれを眺めていたけれど、その同じような文字の並びに視界がぼやけてきて、見るのをやめた。


「それから、」


「?」


 立ち上がろうとしていた父さんが、何かを思い出したかのように振り返った。


「もし、遺伝子のことに興味があって、自分のDNAを調べたいならミネに頼んでやるぞ」


「え?」


「自分の目で確かめたくないか?」


 父さんの提案に僕は目を見開いた。

 僕が生まれて間もない頃に調べられたのだから、今だってそれは可能なわけで。

 それでも僕は、そんな簡単に言ってしまえるほど、容易にできるものなのか! と少し感動していた。


 けれどその時、僕はそれとは別に、違うことも頭によぎっていた。

 それは僕が勉強をして知り得た知識で。それと、少しの好奇心。


「それって髪の毛とかでも調べられたりする?」


「? あぁ、ちゃんと勉強してるんだな。調べられるぞ」


「じゃあ、僕調べたい! ミネさんが来たときに渡せばいいかな?」


「あぁ。明日にでも頼めばいいさ」


 明日、という言葉を聞いて僕は笑った。

 また明日も、あの大きな声が朝から響いているのか。





「あ、そういえば、さっきの続き」


「さっき?」


「ミネさんが言ってたじゃないか。人には有害にならないもの」


「?……あぁ、あれか」


 父さんはすぐにそれを思い出したようで、納得するかのように頷いていた。


「動物種によって、かかる病気があることを知っているか?」


 その言葉に、僕は何となく頷いた。


「ウイルスでも、細菌でも、病源になるものは、人にだけかかるもの。それぞれの動物種にしかかからないもの。そのどちらにも感染するものがある。他にもあるけど、今回、事件が起きている研究所からなくなったのは、犬に感染する細菌だ」


「え…」


「そこまで感染性も、致死性も高くないらしいんだが」


「どうして?!」


「?」


「どうして、そんなもの研究してるんだよ!」


 犬、と聞いて僕は頭の中で何かが切れるのを感じた。

 僕はぶつける相手を間違えていることを、頭の片隅では理解しながらも、それでもこの憤りを止めることができない。


「どうしたんだ? ちょっと落ち着け」


「答えてよ!」


 僕の叫びに、父さんは戸惑いながらも口を動かす。


「病原菌を研究するのには色んな意味がある。もちろん安全に配慮して行われているんだ」


「じゃあ、どうしてそんなものが持ち出されたんだよ!」


 落ち着けと言ったって、これが落ち着いていられるか。


 そんな表面上の怒りとは裏腹に、僕の思考は冷静さを保っていた。

 頭の中で、これまでに聞いたこと、見たこと、様々な言葉が僕の頭をループする。


「あ…」


「? どうした?」


「クローンは、一卵性双生児みたいなものだって言ってたよね」


「あぁ」


「一卵性双生児ってことは遺伝子は一緒なんだよね?!」


 僕の圧に押されるように、父さんはその言葉にただ頷くだけだった。


「クローンのもとが一緒なら、そのクローンたちはみんな同じ遺伝子を持つってこと?」


「そうなるな、」


「…大変だ!」


 僕は慌てて玄関へと向かった。

 父さんが何か声をかけていたようだったけれど、僕の耳には届かなかった。


 大変だ。何でもっと早く気づかなかったんだ。

 どうして、もっと早く聞かなかったんだ。


 急がなくちゃ。

 急げ。間に合ってくれ。



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