04 きっかけ
僕は初めて、夢中になれる何かを見つけたような気がした。
なんせ何の取り柄もない僕だから、特技はおろか、趣味と言えるものも何一つ持っていなかった。
僕が会いに行くと、ソラは尻尾を振って、僕を迎えてくれた。
他の子よりも小さいソラは、その見た目も相まって、僕を必要としてくれているように思えた。僕がいないとダメだと言っているようだった。母性が何なのかはわからないし、僕に母性があるかどうかもわからないけれど、もしあるとするなら、こういう気持ちのことを言うんだろうな、と思った。
「ソラ、今日は何をして遊ぼうか。ここから出ると、魔女が怒るから、できることは限られるもんなぁ」
僕がぼやくようにそう呟くと、そんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに、ソラは僕に遊んで、と訴えかける。
そりゃそうか。僕が言っていることなんてわかんないよな。
何度ソラに話しかけては、同じことを思うのだろうか。僕は無邪気に周りをうろつくソラの頭を撫でた。
最初こそ、その扱いがわからなくて、僕はソラを撫でる時に、その言葉通り頭を目掛けていた。けれど、ソラはその度に少し体をびくつかせた。
その理由がわからなくて、それでもソラが怖がっていることは理解できたから、今度は恐る恐る下の方から攻めてみた。そしたら、すんなり怯えられることもなく頭を撫でさせてくれたので、僕はもう手慣れたようにソラに触れていた。
ソラの世話をするにあたって、魔女からいくつか約束事を取り付けられていた。
それは全て、ソラと他の子たちを触れ合わすな、というような内容のものだった。
ソラはどういうわけか、一人だけ囲いがある場所にいた。その場所が少しだけ離れているところにあるからなのか、まるでそこだけ見えない壁でもあるかのように、誰もそこに近づこうとしなかった。
魔女はこうも言った。他の子たちに聞こえるように名前を呼ぶな、と。
その意味も、理由も僕にはわからなかった。けれど、難しいことを言われているわけではなかったので、その取り決めに僕は頷いた。
「そういえば、ソラは自分の親って知ってるの? 犬って子育てしないのかな?」
ソラはまたしても何を言われているのかわからないかのように、首を傾げて見せた。
動物って、人間とは違って生まれてわりとすぐに歩けるようになる。昔テレビか何かで見たことがある。
それは、自然界では、自らが歩いていけないと、すぐに襲われてしまうからなのだろう。生態系の中で、天敵がいる生き物はそれから逃れる足を持っていなければいけない。それがなければ食べられて終わりだ。
だからこそ、人間とは違って、早くに自立するのかもしれない。
でもそれにしたって、こんな小さなソラを一人にしたままというのは、一体どういうことなのか。
それに関しては、魔女に対しても同じ気持ちを抱いていた。
魔女は頑なに二十歳であることを主張していたけれど、あの見た目ではそんなの信じろという方が難しい。
そんな彼女が一人、こんな山奥で生活していることが、僕にはまだ信じられなかった。
「でも本当に、ソラは素直でいい子なのにな」
「なんだ、また独り言か」
その声に僕は心臓が跳ねた。
またしても、魔女がいつの間にか僕たちのそばまでやってきていた。
魔女はいつだって神出鬼没なのだ。
もういっそ、何人かいるんじゃないかと思うほどだった。
もちろん、何人もいられては僕の精神が保たないので、一人で十分なのだけれど。
「ねぇ、ソラって親はいないの?」
「………産んだ親という意味なら、いるだろうさ」
「その親犬は、子育てしないの?」
「そういう意味で親になってないからな。ここにいる犬たちの親は」
時々、魔女は歯切れの悪い回答をする。
まるで、自分自身もそう聞かされているかのように、僕に説明しているようだった。
「? それってどういう意味?」
「そんなことより、」
魔女は僕の質問攻めに飽きたのか、無理矢理話を中断する。
「お前がここに来ていることは、家の人間は知っているのか?」
「知らないよ。父さんには会わないように出てきてるからね」
「祖母は?」
「………」
魔女のその言葉に、僕は説明しなかっただろうか、と頭を傾げた。
僕は口を閉ざし、記憶を遡る。
おばあちゃんの話はしたはずだ。僕がおばあちゃん子だったことも、確かに喋っている。
あとは何を話していただろうか。
母さんが僕が物心つく前に病気で亡くなっていることも話している。父さんとの仲が良くないことも言っていたはずだ。
僕の記憶の中では、魔女に説明した内容はここまでだった。おばあちゃんがもうこの世には存在しないことを、僕は魔女に伝えていなかった。
もちろん、話さないといけないことではないので、問題はないのだけれど…でもだからこそ、魔女はこんなことを聞いてきたのだ。
「……おばあちゃんは、もういない」
「いない? それはどういう意味だ?」
「死んじゃったんだ。……もう会えなんだよ」
僕はそう自分で言葉にして、自分自身にその言葉を突きつけていた。今まで認めないようにして、見ないようにしていた現実を、僕はまたここで自分自身に突き刺していた。
この前は耐えられたのにな。何だか急に、それが現実味を帯びて、僕はとうとう泣き出してしまった。
泣きたくなんてないのに。それは一人の時でも嫌なのに、よりにもよって魔女が見ているところで溢れさせてしまうなんて、僕は穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。
僕は顔を見られたくなくて、腕で隠して、
この行動も恥ずかしいことだとは理解している。それでも、顔を見られるよりはよっぽどマシだった。
すると、顔を隠すのに使っている僕の腕に何かが触れた。なんだろう、と僕は腕の隙間から触れているものの正体を確認する。
その “何か” は腕をつつくように触れ続けていたから、どこを見ればいいのかはすぐにわかった。
僕の腕に触れていた “何か” は、ソラだった。ソラがなんだか心配そうに、僕の腕に鼻を触れさせて、様子を伺っているようだった。
「……心配、してくれるの?」
くぅん、とソラは鳴いた。
僕は止めようとしていた涙が、また瞼に溜まっていくのを感じた。
無性にソラを抱きしめたくなった。僕を、僕なんかを心配してくれるソラが愛おしくてたまらなかった。
僕はこんな小さいソラに心配をかけてるのかと思うと、余計に恥ずかしくなって、急いで涙を拭った。
「大丈夫だよ。ありがとな、ソラ」
こんなに小さなソラでも、言葉が通わないソラでも、僕の感情を読み取ることができるのに。
優しさを示すことができるのに。
どうして、どうして…
「お前にはまだ、父親がいるじゃないか」
僕が感傷に浸っていると、魔女が言葉を投げかけた。
大切な時間を邪魔されたようで、しかも、その言葉も僕の癇に障り、僕は少しムッとした。
「……いれば、いいってことじゃないんだ。それに、父さんは僕のこと嫌ってるから…」
「どういう意味だ?」
珍しく、魔女が僕の話に食いついた。
けれど、この発言をしてしまったことは、僕としても不本意なものだった。つい口から出てしまったものだったから、どちらかと言うと、いつものように流してくれた方が正直助かった。
そんな僕の心情など知る由もなく、魔女は僕の答えを待っている。
「意味なんて、一つしかないよ。僕は父さんに嫌われてる」
「お前の父親がお前にそう言ったのか?」
魔女の言葉を聞いて、僕は前にも同じようなことがあった気がした。
だから、僕が次に返す言葉を、魔女がバカにすることもわかっていた。
バカにされることがわかっていて、その言葉を敢えて口にするほど、僕もアホじゃない。
でもだからといって、それに代わる返事を持ち合わせてはいなくて、僕はただ黙って、答えを探していた。
「どうして、嫌われていると思ったんだ?」
魔女は僕が答えに窮していると、いつもとは違い、優しい声色で質問を変えた。
それはまるで魔法でも使ったかのように、僕の口から言葉を引き出す。
「……僕が、父さんの夢を奪ったから………」
「どういうことだ?」
「……」
本当に、今日の魔女はどうしたというのだろう。
僕が魔女に質問攻めを仕掛けることはあっても、その逆は今までに一度もなかった。
明日は、嵐か?
僕がそんなことを考えている間も、魔女は変わらず僕の答えを待っているようだった。
これまで誰にも、大好きなおばあちゃんにさえ打ち明けたことのない話を、よりにもよって魔女に話すことになろうとは、とため息をついた。
今日は魔女に、僕の醜態を晒す日なのだろうか。
「僕の父さんは元々、遺伝子学者? だったらしいんだ。わかる? 遺伝子の研究をしている人だよ」
魔女は黙って頷き、僕の話を聞いていた。
僕の父さんは、遺伝子について研究している研究所で働いていた。
詳しくはわからないけれど、上の方のポジションで、一つのプロジェクトリーダーを任せられるくらいの人だったらしい。
家にもたくさん、難しそうな本とか、山積みにされた論文があった。
部屋にいるところをたまたま覗いてしまった時に、父さんはいつもは見せないような難しい顔をして、それらに向かっていることがあった。
そのくらい、まだその分野のインプットを怠らないのに、母さんが死んですぐ、父さんはその仕事を辞めた。
母さんが死んだのは、僕が物心つく前だったから、どうして辞めたのか、父さんがどんな仕事をしていたのか、その詳細は僕にはわからない。
でも僕にだって、おかしいということだけはわかる。
だって、父さんは今、一日中家にいて、家で農家紛いのことをやっているんだから。
「どうして、おかしいと思うんだ?」
「だって、変じゃないか! それまで何の
「お前と一緒にいたかったんじゃないのか?」
「……」
魔女の言葉に、僕はまた言葉を窮した。
魔女が言ったことは、僕だって考えた。
いくらおばあちゃんがいてくれるとは言っても、母さんを失った悲しみの
おばあちゃんから聞いた話では、父さんはかなりのめり込むタイプだということだった。
研究に打ち込んで、帰りが遅くなることもよくあったそうだ。
僕はそんな父さんを見たことがない。
ずっと家にいる。朝も、夜も、僕が学校から帰ると父さんがいない日はなかった。
だから少し期待していた。そうだったら嬉しいな、とは思った。
けれど、成長するにつれ、父さんが僕に見せなかった部分を知る機会が増えた。見えるようになった。
それに触れる度、僕が父さんの夢を奪ってしまったんじゃないか、そう思うようになった。
僕がいなければ、父さんは研究の道に残り、進み続けていたのに。夢を追い続けていたのに。
僕が、僕さえいなければ——————
「僕が、父さんから夢を奪ったんだ…」
僕は消え入るような、小さな声で呟いた。
「例えば、」
その声に、僕は顔を上げる。
魔女はまるで僕の話など聞いていなかったかのように、僕じゃなく、ソラの方を向いていた。
「例えば、この子に何かがあって、お前の何かを犠牲にしないといけない状況になったら、お前はどうする?」
「?」
「難しいか? そうだな…例えば、今この子が足を悪くして歩けなくなったとする。そうなると、お前は今以上にこの子の面倒をみないといけないし、今よりもっと大変になる。その時、お前はどう思う?」
僕が頭を傾げたから、僕にもわかるように魔女は言葉を砕いて説明してくれた。その言葉を僕はさらに咀嚼した。
その意味を考えながら、僕なりに一生懸命考えてみた。
けれど、それは考えるまでもなかった。
僕の中に、すぐに答えは見つかった。
「どうもしないよ。今と何も変わらないさ。ソラが歩けなくなったら、僕がソラの足になってどこへでも連れて行くし、今まで通りソラのそばにいるよ」
「それは、面倒をみると言った責任か? 義務感か?」
「違うよ。ただ、僕がそうしたいだけさ。それだけじゃだめなの?」
僕がそう言うと、魔女は鼻で笑った。
鼻で笑ったと言っても、それはこの前のような
「お前はもう十分わかっているじゃないか。答えを持っているじゃないか」
「何? どういうこと?」
「とりあえず、お前はもっと父親と話をしろ。それができないなら、ここに来るのは禁止にするぞ」
「え! それは困るよ! 何でそうなるのさ」
「じゃあ、話をするんだな。そう難しいことじゃないだろ。お前がソラを想う気持ちがあるなら、きっとお前も、お前の父親も大丈夫だ」
「……もし、ダメだったら?」
「その時は………ソラが慰めてくれるそうだ」
魔女はソラを抱きかかえ、僕の顔の前に持ってきた。
ソラはまるで了解したとでも言うように、僕の顔を舐めていた。
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