Chapter 4 出発

X エピローグ

 慌ただしく走り回る。

 当の本人よりも落ち着きがないその姿に、僕は口元が上がる。


「忘れ物はないか? 向こうに着いたらすぐに連絡するんだぞ。……あ、いや長旅で疲れてるだろうから、」


「父さん、ちょっと落ち着いて」


 僕の言葉にやっと足を止めると、気まずそうに頭を掻いた。

 その顔を、シワを増やしたその顔を見ながら、僕は未来の自分を想像した。あの当時見ていた顔に、近づいた自分の顔を思い浮かべながら、僕は再び笑みを浮かべる。


 高校二年の夏に思い浮かべた夢を僕は実現させた。

 実現、とは言っても、まだスタートラインに立っただけなのだけれど。


 僕は、八年前に医師免許を取得した。それはもう血も滲むような努力をして、やっとのこと、というところで。

 大学受験も大変だったし、それこそ決意してからは勉強に明け暮れた。毎日、何時間かもう覚えていないくらいに机に向かっていた。

 受験が終わってからも、そこがゴールではなく、勉強の日々ということに変わりはなかった。


 それでも、そんな毎日が僕は楽しくて仕方なかった。もちろん、楽しいことばかりじゃないし、挫けそうになった時もあるけれど、やめようと思ったことはない。

 それが何だか、魔女が言っていた言葉通りになっているようで不服な気持ちもあったけれど。

 おかげで、ある意味することができたのだ。


 そんな僕はこの度、ドイツへの留学を決めた。

 約束を守るために。僕は様々な地へと赴ける道を選んだ。

 これもまた僕が勝手に約束したことなのだけれど、魔女にたくさんのものを見せたかった。いろんな場所へ連れて行きたかった。

 何とも強引で、傲慢な考えだけれど、僕はそれで満足だった。


「じゃあ、行ってくるけど。体調管理には十分気をつけるように」


「もう若くないんだからね」と皮肉を交えて言うと、父さんは目尻にシワを寄せていた。


 キャリーケースを手に、玄関のドアを開けようとした時。

 僕は思い出したかのように、振り返った。


「そういえば遅くなったけど、あの時の答え」


「あの時の答え?」


「生命を生み出すことについて」


 命は一つしかないはずなのに、それをあたかも複製しているような錯覚に陥る。そしたら、どうなると思う?


 僕は、十五年も経った時間も感じさせないほどの記憶力で、その言葉を思い出す。

 本当に時間が経ちすぎていて、父さんも忘れてしまっているかもしれない。それほどまでに、僕はのんびりとしてしまっていた。

 それでも、父さんは何かを思い出したかのように頷いた。


「それで? 奏多の答えは?」


「うん。どうなるか、ということについては、僕もまだ明言できないんだけど。でも、やっぱりの命も生命にはわかりないから。答えを出さないっていうのが僕の答え」


「何て言ったら呆れる?」と僕が顔を覗き込むように問うと、父さんは笑った。


「呆れないよ。奏多らしい答えだ」


「いいと思う」そう付け加えた。


「必死になって調べてくれている父さんたちには申し訳ないけどね。もう追い詰めてるんでしょ? 頑張って、犯人捕まえてね」


「あぁ」


「じゃあ、行ってくるね」


「気をつけてな」


 僕は軽く手を上げ、今度こそドアを開けた。




————————————————————

————————————




 家を出ると、タクシーに乗り込む。

 40分ほどのドライブだ。

 僕は、振動に揺られ、街並みを眺めながら、思い出に浸っていた。


 の真相は、やはり禁忌を犯した人間がいるとのことで捜査が開始された。

 その事実が発覚した時点で、すでに10数年は経っていたこともあり、犯人の用心深さ、用意周到さに、警察も、捜査に関わる人間全ての手をも煩わせた。


 それでも、僕が魔女に接触したことで、得られた情報もあるとのことで、父さんたちはそれをもとに捜査を前進させる。

 身内贔屓ということでもないのだけれど、僕の父さんの凄さを目の当たりにした一件でもあった。


 今となって思えば、あの時、どこか遠くに行こうとしていた理由がわかるような気がする。

 クローンの犬彼らを葬ろうとしていた犯人が、その存在を、そしてその場所を特定したことで、あの森にいることに危機感を感じていたのかもしれない。あの場所ももう潮時だと。


 じゃあ、どうして僕がいることが許されたのか。

 僕は害がないと思われたのか。

 それとも、魔女が僕のことを話さなかったか。


 その真相も、また闇の中だ。


 犯人が捕まれば、何かわかることがあるのかもしれない。

 それも今となっては、僕には関係ない。もういいんだ。僕はもう魔女の面影を追う必要はないのだから。


 とは言いつつも、出発前に森に赴き、挨拶を済ませていた。

 それとこれとは話が別である、という自分勝手なルールに、僕は思わず笑ってしまう。


 謎といえば、もう一つ不思議に思っていることがある。

 それは、どうして魔女が僕の名前を知っていたのか。それだけはどうしてもわからない。


 魔女曰く、幽霊が見える、とのことなので、もしかするとそういうことなのか。と非現実的なことも考えた。

 それこそ、その答えは闇の中。


「つきましたよ」と声がかかり、僕の回想は終了した。

 お金を支払い、トランクから荷物を取り出してもらうと、再度お礼を伝えた。


 透き通るような空に、あの夏ほどは強くない日差しが届けられる。

 その光を浴びながら、空港の入り口へと歩みを進める。


 同じ目的を持つ人々が、僕が向かっている方向へと吸い込まれていく。

 急ぐように進む人。のんびりと重たい荷物を運ぶ人。様々な人がいる中で、時間に余裕がある僕はゆったりとその足を動かす。

 あまりにゆっくりすぎるのか、入り口に到着するまでに何人もの人に追い抜かれる。


 ぼんやりとその人の流れを目で追う。

 その人たちの目的地はどこなのか。そんなことを考えていると、一人の女性が僕を追い越す。

 髪の長い女性に、僕は目を奪われたようにその姿を追う。


 見知った人のように思える。

 声をかけようか。しかし、はてさて誰だったか。


 ————奏多————


「?」


 不意に名前を呼ばれ、僕は辺りをキョロキョロ見渡す。

 しかし、声の主は見つからない。聞き間違いだろうか。


 僕は視線を前に戻し、先ほどの女性を探した。

 けれど、その女性の姿はもうなかった。


 僕は少し残念だと思う気持ちを感じながら、搭乗手続きのために、窓口へと向かう。


 ————奏多————


 再度聞こえた声は、以前にも聞いたことがあるような気がした。

 僕のことを名前で呼ぶ女性なんて、大学の友人にも、職場の同僚にもいない。


 魔女の声ではない。

 それだけは確かだった。



 まさか、ね。




 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の中の君の世界 小鳥遊 蒼 @sou532

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ