17 報道
僕は見慣れた天井を眺めていた。
何をするでもなく、ただぼんやりと、明かりの灯されていない照明だけが見下ろす壁を見つめていた。
相変わらず太陽はギラギラと、その熱を放出させ、遥か遠いはずの僕の部屋にまでそれを届かせていた。
日中はあまり冷房を入れるような家ではなく、僕は汗ばむ体に扇風機から送られる風を浴びていた。
僕は、あの森で起きたことについて再三思考を巡らせた。
考えられることを挙げて、僕なりに答えを導き出そうとした。とはいうものの、考えられることなんて、片手で数えられるほどだ。その中で一つ、有力な候補を見つけると、僕はため息をついた。
このため息の理由は、僕にも正直わからない。
安堵か。呆れか。
それはやはり、僕の中に答えはなかった。もういっそ、初めから全てなかったことにして、あのこと以外、元からそうだったのだと思えば、もう何も考えなくてもいい。考えないということは、とても楽だった。
僕の想像の産物にしよう。けれど、それにしては記憶が鮮明に残っている。
映像としての記憶も、何を話したかも、全て覚えていた。僕の頭の中には全部残っていた。
ぼんやりとした頭で、僕はその中でも記憶に新しい魔女の言葉を反芻した。
『何者でもないということは、何にでもなれるということだ。
誰かに引目を感じる必要もない。遠慮する必要もない。
お前が今、一番やりたいことは何だ?
夢を見つけろ』
弱々しい姿に反して、その言葉には力強さを感じた。
僕の耳にも、脳内にも、印象深く残る何かを帯びていた。
僕は魔女の質問を改めて考えてみる。
僕がやりたいこと。
何も気にせず、自分だけのことを考えて、思い浮かぶ答え。
それが一体何なのか、僕自身とても興味があった。
けれど、何度考えを巡らせても、行き着く答えはあの時と変わらなかった。
それは、もうどうしたって叶えられないのに。叶えることなんてできないのに。わかっていても、考えが変わらないなんて。もういっそ、夏バテにでもなって、思考能力が低下していると思うことにしよう。
何にせよ、どれにおいても、答えはすぐには出そうになかった。
それに何だか頭を使って、お腹も空いてきたので、僕は部屋を出て、食べ物を調達しに向かった。
『………とのことです』
『……でも………かね?』
何やら声が聞こえて、僕はその音に導かれるように部屋へと入っていった。
そこはリビングで、ちょうど父さんがテレビをつけたところらしく、リモコンを持ったまま固まっている姿が目に入った。
テレビは、昨日消した時のチャンネルのまま、映像を流す。今はちょうどワイドショーをやっているらしい。
『薬でもやっていたんですかね?』
『そう考えてもおかしくない供述ですなぁ』
スーツに身を包んで、お難く決め込んだおじさんたちが、何やら神妙な顔をして話している。
父さんはその番組を見たかったのか、他に見たいものがなかったのか、チャンネルを変えずにいた。
僕は特に興味もなかったので、本来の目的であるキッチンへと踵を返す。
『本件の容疑者の供述によると、逮捕されるべき人間は自分ではないとのことですね。他に捕まるべき人間がいる、と』
『 “彼らは生み出してはいけないものをつくってしまった。自分はそれを消し去りたい” とも言っているそうですね。でも、人を殺すことは自分の倫理に反する、とも言ってるそうじゃないですか』
何の話か、全くもって理解できませんな、とため息まじりにテレビの音が流れる。
テレビに背を向け、音だけが聞こえていた状態だったので、画面上のおじさんの言葉と同じく、その内容を全く理解できなかった。
その、あまりに意味深で理解不能な会話に、僕は足を止め、振り返る。
テレビの向こう側では、一連の流れと思しき内容が書かれたフリップをさしながら、説明する男性の姿が映し出されていた。その左上には、
ー動物殺害未遂の男! その実態に迫るー
と何だか仰々しいテロップが掲げられていた。
「ほら、あの研究所の。あの犯人のことだよ」
僕が眉を潜めてテレビを睨むように見つめていると、父さんがそう説明してくれた。
理解できていないことを感じたのだろう。
あの研究所
あの犯人
その言葉だけで、僕は納得した。
なぜなら、そんな言葉が出てくるのはあのことしかないからだ。
ある種、自分も関与しているとも言える事件の話をしているということで、僕は足を進め、テレビの近くまで歩み寄る。
僕がテレビの前まで来ると、画面が変わり、「容疑者」と書かれたテロップとともに、犯人と思しき男性の写真が表示される。
その人物が目に映った瞬間、僕は自分が息を呑む音を聞いた。
この人…
はっきりと見えたわけではないので、ぼんやりとした印象しか残っていない。
けれど、その容姿、雰囲気には覚えがあった。
それは、あの森で見た影と同じ……
捕まった日以前に来ていたということか。
けれど、彼らには何も起きていなかったはずだ。
犯行前の下見ということだろうか。
僕は、頭にある考えを一蹴した。
目の前の犯人が、あの影の正体だという確信はない。
それに、あの森でのことだって……
「この人、人も殺そうとしてたの?」
僕は、思考の方向を変えようと、父さんに声をかけた。
「詳細はわからんけど、この容疑者が事件を起こそうと思ったきっかけはあるみたいだな。何でも、自分が今回の事件の引き金となったものを持ち出すより以前に、持ち出されたものがあるとか」
「持ち出されたもの?」
それって何? と僕が聞くと、「それはまだわかっていないそうだ」と父さんが答えた。
父さんはその答えをテレビ画面に求めたけれど、そこにいる誰もがそれを持ち合わせてはいないようだった。その件に関して、容疑者は黙秘を続けている、と言っていた。
『一番肝心なところを黙っているということは、やはり妄想か何かなんじゃないですかね』
『その可能性は大いにありますなぁ。この供述だけで推測するとなると、まるで人間でもつくったような話になりますからな』
『なるほど、確かに。それを、容疑者は消し去りたい、と』
なるほど、と再度繰り返すと、司会者らしき男性は何度も頷いていた。
そんなことを口にしながら、まるでそれが空想であるかのように向こう側にいる彼らは笑っていた。
その笑い方が、何だかとても
僕は理由もなく、この犯人を可哀想だと思った。
ここに映る彼らは、この人に会ったこともないのに。直接話したこともないのに、自分で見て聞いて得た知識でもないそれで、人を評価している。褒めるならまだしも、必要以上に陥れているような感じがした。
可哀想だとは思うけれど、同情はしない。
僕は、この犯人を許したわけではない。
それにしてもこの犯人は、“人工物” が嫌いなのだろうか。
人工的につくられたものを、受け入れることができないのだろうか。
「ねぇ、犬のクローンってつくっちゃダメなの?」
「え?」
僕の言葉に、面食らったような表情を浮かべた父さんは、「本当にクローンに興味があるんだな」と言って、考え込んだ。
「クローンがどうやってつくられるかは勉強したよな?」
「うん」
「クローンとは言っても、結局母体を必要として誕生する。それは、もう自然から生まれるものと同じ “生命” なんだよ。受精卵からすでに生命だと考えるのと同じように、それは一個の個体としてこの世に存在するものなんだ」
「それは、人間も他の動物も変わらない」と付け加えた後に、難しいかな? と言って苦笑した。
「新しい命を生み出すことが、ダメってこと?」
「そうじゃない」
僕の眉間にシワが寄るのを見て、父さんは笑った。今度は少し困ったような表情で。
「新しい命を生み出すこと自体が悪いわけじゃない。そうじゃなくて、生み出せるようになることで、今ある命が蔑ろにされることが問題なんだと、父さんは思うんだ。命は一つしかないはずなのに、それをあたかも複製しているような錯覚に陥る。そしたら、どうなると思う?」
「うーん、わかんないけど……わかんないけど…」
僕は頭がパンクしそうになりながら、自分の答えを見つけようとした。
新しい命を生み出すと、今あるものが蔑ろにされる…
一つしかないはずのものが、複製されているかのように錯覚する……
その言葉は頭の中をぐるぐる回るだけ回って、一向に定着しない。
だから、父さんからの質問の意味も、きちんと理解できているのかわからない中で、答えを探すのは無理な話だった。
「宿題だな」
「……わかった。あ、でもさ。一個聞いてもいい?」
「何だ?」
「例えば、自分の命のためじゃなくつくられた場合は、その答えは変わってくる?」
その質問が予想外だったのか、父さんは目を見開いた。
僕は変なことを聞いただろうか、と心配になったけれど、父さんはすぐに考える仕草へと移行した。
「そう、だな。どの種かにもよるのかもしれないけど、そうかもな。というより、答えは一つじゃないのかもしれないな」
横道に入りすぎなければ、答えはいくつあってもいい
そんなことを呟くように、父さんは言った。
それでは、答えを見つけるのに余計苦労するじゃないか、と僕は内心悪態をつく。
でも、父さんの表情があまりに真剣味を帯びていたから、僕はそれ以上つっこまないことにした。
「大人って大変だね」
僕の言葉の何がおかしいのかわからないけれど、父さんは笑っていた。
何とも形容し難い表情で、笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます