第16話:後輩は漣の如く

 夏休みが終わると、あっという間に時間が流れた。

 そして明日はついに学園祭。

 今から美術部展示の設営をするべく、俺はを前に途方に暮れ、もとい、気合を貯めようと立っている。

 

 思い返せばここに来るまで色々あった。

 これまで夏休みと言えばサッカー漬けの毎日で、それはそれで忙しかった。

 が、さすがは中三の夏休み。その忙しさたるや、これまでの比ではなかったんだ。


       ☆


「なんや。まだこれだけしか描けてないんか?」


 南の島から戻った数日後。

 真面目に部活動をしている俺たちのところへぶらりと顧問の先生がやってきた(いや、ホント、ヌードデッサンしてる時じゃなくて良かった!)。

 そして学園祭に出す予定の絵を見せろと言うので、描きためておいたものを差し出すと眉間に皺を寄せて、そう言いやがったんだ。

 

「え? でもいつもの二倍近くありますよね、これ」

「そやけど、質が悪いわぁ、質が。鑑賞に堪えられるのはそやな、そこの海の合作ぐらいなもんやろ」


 先生が窓際に置いた二枚のパネルへ首をクイっと動かす。

 あのビーチでの屈辱的なヌードデッサンの後、一つの風景を俺が右側、天野さんが左側でそれぞれ描き上げた奴だ。

 

「とは言うても今から急激な質の向上は期待でけん。そやから出品数を増やす。そうすればちょっとはマシな展示になるやろ。質より量作戦や」

「えー!?」

「そやな、最低でもあと十枚は増やそか」

「げっ、マジですか!?」

「マジやでー。じゃよろしゅうなー」


 そんなわけで俺たちは夏休みの残りを全部部活動に捧げなくてはならなくなってしまった。


       ☆


「えへー、大変でしたねー」

「いやマジできつかった」

「先輩が『そんな風に言われて出来の悪いモン描けるかっ! 量も増やしながら、質も上げたらぁ!』なんて言っちゃうからですよ?」

「だって仕方ないだろ。でも、おかげで先生の奴、『よっし、よう頑張った。これなら展示は旧美術室やのうて新校舎の美術室を貸してやろやないか』って言ってきやがったからな」

「まんまと乗せられただけなんじゃないですか?」

「それを言うな、天野さん……ってオイ! なんで君が美術室ここにいる!?」

「はい、私も手伝おうと思いまして」

「それは俺ひとりでやるって言ったろ! それよりも君は早く部室に戻って、絵を描いてきてくれよ」


 そして学園祭は明日だと言うのに、天野さんはいまだ絵を描き上げていなかった。

 てか天野さん、なかなか絵が描けないのを逆手に取って、恐ろしいことにあのスケッチブックを学園祭に出すという、奥の手どころか禁断の策をぶち上げてきた。


 勿論、悩んだよ。とてもそうは見えないけれど、あれは間違いなく俺のヌードを描いたものだし、見る人が見ればそう分かってしまうのかもしれない。

 が、かと言ってこのままでは先生の指示した数を用意できない。もうやけくそだ、なんとでもなれと顧問の先生に見せてみた。

 

「なんじゃこりゃ?」って顔をしてたな、先生。


 それでも何とかOKが出た。タイトルはまぁ『素描』でいいよな、うん。

 

「ほら、早く部室に行った行った。スケッチの展示は許可が出たけど、それでもあと一枚、天野さんの絵が足りてないんだから」

「分かりましたー。その代わり先輩、私のスケッチは展示の一番目立つところにしてくださいね」

「その自信は一体どこから来るのやら」

「そんなの決まってるじゃないですか。先輩の凄さを見に来てくれた人たちにも知ってほしいからですよー」


 そう言うと天野さんはすれ違う野郎どもが思わず顔を赤らめるほどおっぱいを揺らしながら、廊下を駈けていく。

 あー、なんだ、その言葉は嬉しいけれど、裏返せば俺の絵自体はどれも大したことないと言われているようにも聞こえてちょっぴり傷ついたぞ。

 

 


「ふぅ。とりあえずこんな感じでいいか」


 の机や椅子を廊下に運び出し、窓や壁には暗幕を張り、部屋のところどころにはイーゼルを立てたところで一息ついた。

 一時間以上にも渡る、結構な重労働。ほんの十分程度で終わったこれまでとは大違いだ。 

 なんせ去年まではどうせ見に来る人もいない旧校舎・旧美術室での展示だったから設置もいい加減なもので、とりあえず適当に物をどけてイーゼルに作品を乗せておけばよかった。

 実際ほとんど人は来なかったし、さらに言えば顧問の先生すら姿を現さなかった。

 

 が、今回は新校舎・新美術室。おまけに春先のスキャンダルの影響で美術部の認知度も上がっているし、結構な数の人が見に来るかもしれない。

 顧問の先生もさすがに顔を出すぐらいはするだろう。

 となれば、それなりにしっかりしたものにしないと格好がつかないし、なにより先生から怒られるかもしれないとちょっと頑張ってみた。まだ作品を並べていないにもかかわらずなかなかの出来ぶりだ。

 

 おまけにあれこれ重いものを運んだりしたのに、それが苦にならず、さらにはさほど体力を消耗した感じでもないのが嬉しいじゃないか。

 天野さんに言われて自分の可能性を探す運動を……いや、そうは言いつつなんだかんだで結局サッカーのトレーニングになってしまうんだけど、とにかく続けていて、特に最近は南の島で爺さんやサンマリーさんから教えてもらったものを重点的に鍛えている。

 

 サンマリーさんのすり足、あれはフェイントや裏への飛び出しでめちゃくちゃ武器になる。

 加えて爺さんからは海の男になる為の身体作りを無理矢理教えられ、これっぽっちも海の男になるつもりのない俺にとっては一見余計に思えたけれども、試してみたら下半身の強化に最適でこれはこれで役に立った。


 まぁ、それでも今更サッカーの試合に出れるわけでもなければ、やっぱり海の男にはなるつもりはない(特にあんな暴走漁船を操るなんて、俺にはどう考えても無理だ。帰りはあやうく死にかけたぞ)。

 なのであんまり意味がないトレーニングなのかもしれないけど……まぁ新しい可能性が見つかるまで身体を鍛えておくのは悪いことじゃないよな。

 

「さて、じゃあ作品を展示していくか」


 休憩もそこそこに、俺は大きく伸びをした。


「先輩、これはこっちですか?」

「いや、それはあっちでって……ちょ、天野さん、どうしてまたこんなところにいるんだよっ!?」

「えへへ、だってひとりだと暇で」

「暇なわけないだろ! 早く戻って絵を描いてこい!」


 体力の余裕はあるけれど、心の余裕はない。

 いつもよりかなり厳しめの口調で言うと、天野さんはぴゅーと走っていった。

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