第14話:パワーアンド姉御

「わっはっは! 行くぞ、小僧ぉぉぉぉぉ!」


 ネットの向こうで怒声を上げた爺さんが、ボールを天高くへ放り投げる。

 と同時にビーチの砂が全て吹き飛ばされんばかりの爆風が起き、砂嵐が発生した。それが爺さんの尋常ならざる踏み込みによる跳躍のせいだと分かったのは、砂嵐がようやく収まって視界が戻り、ジャンピングサーブで叩き込まれたボールが俺たちのコートに深々と突き刺さっている様を見せつけられた後のことだった。

 

「ちょっと、お爺ちゃん! 本気出しすぎー!」

「もう、舞い上がった砂で髪の毛がじゃりじゃりするやんー」


 陽葵さんたちが抗議するも爺さんは「がっはっはっ! すまんすまん」と一笑に付す。

 そして俺の隣では天野さんが「お爺ちゃんの必殺技・サテライトキャノンサーブ、久しぶりに見ました」と、多少驚いた様子ではあるものの、いたって冷静に言ってのけた。

 

 え、うそ? 腰抜かしてるの、俺だけ?

 

「サテライトキャノンサーブは見て反応していては遅すぎます。軌道を感じて先回りしないと」

「いやいやいや! あんなロべカルのフリーキックみたいなの、レシーブなんて出来るか!」

「大丈夫ですよ、先輩なら出来ます。自信をもってください」

「過大評価もほどがあるぞ、天野さん!?」


 あんなの直撃したら死ぬわ! 良くても手首がぽっきり逝っちゃうぅ!

 

「先輩、次きますよ!」

「え、ボールをまだ掘り起こしてないのに……なっ!?」


 顔を上げるとまさにボールが俺の顔面目掛けて飛んでくるところだった。

 コートの向こうから爺さんの「死ねぇぇぇぇぇぇ!」って雄たけびが聞こえてくる。

 死んでたまるかっ! てか爺さん、俺のことを許したんじゃねぇのかよ!?

 

 躱そう。この角度、このスピードなら躱せば絶対コートアウトになる。

 でも逃げたと思われるのも癪だ。爺さんから「所詮はそれだけの男か」と見下され、陽葵さんたちから「つまらない男」とがっかりされ、天野さんから「先輩、見損ないました」と白い目で見られるのが嫌だ。

  

 ええい、こうなったらこれしかねぇ! 

 俺は地面を踏みしめる足に力を入れて、向かってくるボールをしっかりと見つめた。男は度胸だぁぁぁぁぁ!!

 

 ズドゥゥゥゥゥゥンンンンッッ!!!

 

「ちょっ! 何やってんの! なんで逃げないのよっ!?」

「あー、顔面直撃……死んでもうたかなぁ?」

 

 とてもボールに当たったとは思えない衝撃に、身体ごと吹き飛ばされる。

 

「あなた……」

「ふむ。ワシのSCSサテライトキャノンサーブから逃げぬとは、しずくの奴、面白い男を連れてきよったもんじゃわい」

「ええ。しかも今の一撃にあの子、自分から頭を当てに行きましたわね。ってことは」


 身体が一回転、二回転と砂浜を転がり、三回転半したところでようやく足が地面を掴んだ。

 そしてすかさずコートへ向かって猛ダッシュ。


 そう、手首がダメなら頭がある。凄まじいスピードで迫ってくるボールをしっかりと見極め、額に当たる直前に出来るだけ勢いを殺し、打つのではなくトラップするヘディングでボールを受け止めてやった。

 まぁ強烈過ぎて踏ん張りがきかずに吹き飛ばされたけど大丈夫、意識はあるし、身体もちゃんと動く。

 

「先輩、行きますよー!」


 俺が無事なことに驚くギャラリーたちをよそに、天野さんが当然とばかりにトスを上げる。

 凄いよな、天野さん。だって吹っ飛ばされる俺なんか見もしないで、上げたボールの方ばかり見てたもん。


 まぁそれだけ信用されてるってことか。

 だったらここで一発決めないとな。

 

「今度はこっちの番だ! 食らえ、タイガードライブシュートゥゥ!!」


 ダッシュしながら右足で地面を蹴り上げジャンプ。続けて落ちてくるボールに完璧なタイミングで左足を叩き込む。

 ボールはネットを掠めるように越え、誰もいないコートの右奥へ強烈なドライブで急降下。よし、これは後衛のサンマリーさんが必死に飛び込んだとしても取れないだろう。

 

 まぁ、代わりに水着が取れるかもしれないけど。うへへ。

 

「あらあら、なかなかいいボールを蹴るのね、俊輔くん」


 ところがそのボールをサンマリーさんがでレシーブした!

 お、おい、ウソだろ? だってさっきまでサンマリーさんは逆サイドにいたじゃないか。それが何故真正面で受け止める? いつ移動したのか見えなかったぞ!

 てか、あの強烈なシュートアタックを受けてもポロリしないってどういうことだよ!? 


「驚いた顔も素敵ねぇ。だけど今は試合中。そんな暇はないんじゃないかしら?」

「へ?」


 あ、と思った時には今度こそ遅かった。

 サンマリーさんが上げたボールを爺さんが「今度こそ死ねぇぇぇぇぇぇ!!!」と絶叫してダイレクトで打ち返してきやがったんだ。

 またしても俺の顔面目掛けて。


 頭は固く、意識して額で受け止めれば先のように完璧なガードとなる。

 が、ほぼ無意識な状態に打ち込まれたら脳が揺れ一瞬にして気を失うのは必然。

 

 かくして俺・天野さんペアvs爺さん・サンマリーさんの戦いは、ビーチバレーでは異例のKOという形で幕を閉じたのだった。

 

 

 

 その日の夜。

 

「わーはっはっは! あれは忘れもしない、ワシが二十歳の頃じゃった!」


 爺さんは集まった孫娘たちとの宴会にて大層ご機嫌だった。

 右手でワインのボトルを掴んではそのままがぶ飲みし、左腕はサンマリーさんの肩に回し時折そのおっぱいに手を伸ばしてはサンマリーさんにぺしっと叩かれている。

 

「ちょっとした漁に出たはずが、うっかり遠くは地中海にいたのじゃ」

「うっかりにもほどがあるだろ!」

「で、イタリアのある港町に船を止め、酒場に行ったのじゃ」

「俺のツッコミは無視かよっ!」

 

 どうやらみんなには耳にタコな話なようで、陽葵さんたちはいつの間にかさりげなく距離を取っていた。おかげで気が付けば爺さんの目の前に座っているのは俺と天野さんだけだ。

 

「その酒場である一団と喧嘩になっての。言葉は分からんが、サシで勝負を決めようってことになって外へ出たんじゃ。綺麗な満月の夜じゃった、こんな遠く離れた異国の地でも月は変わらず同じように見えるんじゃなと思ったのォ」


 武勇伝なのかロマンチックなんだかよく分からない話を聞きながら、俺は皿一杯へ豪快に盛られた刺身を口に運ぶ。

 む、美味い。何の魚かは知らんけど。

 

「そこでワシはお月さんよりも綺麗なものに出会ったんじゃ」

「それが若い頃のお婆ちゃんなんだよね!」


 天野さんの言葉に爺さんが目元を綻ばせてデレデレと頷く。

 

「俺に殺人スパイクを食らわした時の形相からは想像も出来ない変わりっぷりだな。ま、いいや。とにかくその時の喧嘩をサンマリーさんが見ていて、それで惚れられたって話でおけ?」

「いいや、サンマリーこそがサシの相手だったんじゃ!」

「ぶはっ!」


 思わず口に含んでいた刺身を噴き出した。

 は? サンマリーさんが喧嘩の相手? なんだそれ? いくらおっぱいが太陽並みに大きくても、サンマリーさんに喧嘩なんて出来るわけが……。

 

「喧嘩を売ってきた連中はスイスとの国境近くに住むイタリアの田舎者でのぉ。港町にはそこの領主の娘であり、連中からは姉御と呼ばれて親しまれておるサンマリーに引きつられて遊びに来ておったそうじゃ」

「姉御……」


 思わずサンマリーさんを見る。

 サンマリーさんは「あらあらまぁまぁ、そんな昔の話を。どうしましょう」と照れ笑いを浮かべていた。

 

「サシでの喧嘩じゃったが、一目惚れじゃった。じゃからワシは言ったのじゃ。『もしあんたのおっぱいをワシが揉むことが出来れば結婚してくれ!』と」

「は?」

「バリバリの日本語じゃったが、意味は通じたようじゃ。月明かりに照らされたサンマリーの顔が一瞬驚きに変わった後、赤く色づいたのが見えた」

「それ本当に意味が通じたのか? 『この日本人、何叫んでんだ?』って怒っただけじゃねぇの?」


 俺のツッコミにサンマリーさんはただ静かに微笑むと、代わりに爺さんの話を受け継いでいった。

 

「私の家には秘伝の格闘術があるの。昼にも見たでしょう。私が音もなく瞬時に移動するのを。腰と膝の屈伸と溜めの連動が瞬間的な動きを実現させ、そこから本来なら変幻自在の足技を繰り出すのよ」

「瞬間的な動き……変幻自在な足技……」

「そう。だからあの時もこの人にその技を使ったわ。いつものように一瞬で終わると思った。でも、この人は何度蹴っても立ち上がり、どんなに攻撃を加えても諦めなかった。そんな人、初めてだったわね」

「がっはっは。決して折れない魂こそが日本男子の真髄よ!」

「決して折れない魂……」

「そして月が落ち、朝日が昇ろうとした頃には、私たちの立ち合いはいつしか戦いから舞踏ダンスへと変わっていったわ。その円舞は時に激しく、時に可憐で、私たちはまるでずっと昔からお互い寄り添って生きてきたかのように息がぴったりだった。だからこの人のアルプスの山のように大きく、地中海からのそよ風のように温かい手が私の胸を優しく抱きしめた時、思ったの。この人と結婚しよう、って」

「…………」


 思えば色々とツッコミどころの多い話だ。

 特に爺さんの「おっぱい揉めたら結婚してくれ」発言といい、サンマリーさんの「おっぱい揉まれて結婚しようと思った」といい、天野さんちの例の掟はこの二人が起源の可能性がとても高い。なんてことをしてくれたんだ。いつだって迷惑を被るのは俺たち若者だよな、まったく。

 

 でも、この時の俺はそんなツッコミも忘れて、昼間見たサンマリーさんの移動術と、爺さんの言い放った言葉が頭の中をぐるぐると回り続けていた。

 

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