第7話:揺れる未来とおっぱいの幻想

 2006年11月22日。

 その日、スコットランド・グラスゴーのセルティック・パークにて、長年に渡って語り継がれる伝説が生まれた。

 

 主役は遥か東の小さな島国からやって来たファンタジスタ・中村俊輔なかむら・しゅんすけ

 イングランドが世界に誇る強豪マンチェスター・ユナイテッドを相手に、スコットランドの名門・セルティックFCは粘り強く戦い、後半の35分に敵の陣地にてFKフリーキックを得る。

 距離はある。が、この男ならばきっとやってくれるとサポーターが固唾を飲んで見守る中、中村俊輔の左足が繰り出されたフリーキックは美しい軌跡を放ち、完璧なスピード、完璧なコースでもって、当時世界最高のGKゴールキーパーと呼ばれたエドウィン・ファン・デル・サールの壁をぶち抜いた。

 

 瞬間、スタジアムがまるで大地震に見舞われたかの如く揺れる。

 サポーターたちのある者は拳を何度も天高く突き上げ、ある者はセルティックFCのフラッグを無我夢中で振り回し、ある者は隣に座る数時間前に初めて出会った同志と抱き合い、その誰もが歓喜の声を上げ、フィールド上で誇らしげに胸のチームエンブレムを引っ張って見せる英雄へ惜しみない賞賛を送った。

 

 そんなサポーターの中に俺の親父もいた。

 親父は世界中を飛び回るビジネスマンで、大のサッカー好きだ。今もほとんど日本には帰らず、やれスペインだ、イングランドだ、イタリアだと日々忙しくあちらこちらを飛び回っている。

 まぁ、それが本当に仕事なのか、それとも単にサッカーの試合を見て回っているだけなのかは分からない。けれど俺たち家族を養ってくれているのは間違いない事実なので、羨ましくはあろうとも文句などあるはずもなかった。

 

 それはともかく、親父はこの日もサッカーを現地で観戦していた。

 試合はこの1点を守り抜いたセルティックの勝利。世界の強豪チームを倒したばかりか、クラブ初となるUEFAチャンピオンズカップ決勝トーナメントへの進出も決め、勝利に酔いしれるグラスゴーの街へと親父も繰り出した。


 そしてパブで大勢のサポーターたちと歓喜の歌を唄っている時に電話で知ったんだ。

 遠く離れた故郷の地で、俺が産まれたことを。

 

「んで、その場の勢いで俺の名前を『俊輔にする』って仲間たちに言ったんだとさ」


 それは6月のある日の事。

 1週間ぶりのヌードデッサンに意気揚々の天野さんから「サッカーボールを蹴るシーンを描いてみたいです」とリクエストがあった。

 ちなみに「1週間ぶり」とはヌードデッサンなんて危険な行為を毎日してたらバレる可能性が高すぎるということで、渋る天野さんを何とか説得して設定したものだ。

 本音を言えば俺だって天野さんの裸を毎日見たい。辛いのはお互い様だぞ?

 

 で、だったらと俺はスマホを取り出すと、ユーチューブで「中村俊輔 マンチェスター・ユナイテッド」と検索して出てきた動画を見せ、ついでに中林俊輔誕生秘話をお披露目したわけである。

 

「そんなふざけた理由で付けられた名前だけど、でも、俺はとても気に入っている。それぐらい中村俊輔ってのは凄いサッカー選手なんだ」


 物心ついた頃からそのプレイを何度も見て、毎日毎日、それこそ日が暮れるまで練習をした。

 もともと利き足は右だったけれど、左足に矯正したのも中村俊輔への憧れからだ。


「中村俊輔ってよく天才って言われるんだけど、実際は努力の天才でもあるんだ。特にその代名詞でもあるフリーキックは毎日練習を欠かさなかったらしい。だから俺も現役時代は雨が降ろうと雪が降ろうと、それこそ小学校の修学旅行にもボールを持って行って、フリーキックを練習したんだ」


 その練習時に思い浮かべるのは、いつだってあのマンチェスター・ユナイテッドを沈めたセルティック・パークでのフリーキック。

 おかげで

 

「凄いです、先輩。さっき動画で見たのとまったく同じですよ!」


 地面へ強く踏み込んだ軸足。

 倒れこむんじゃないかと思うぐらいに付けられた身体の角度。

 まるで鞭の如くしなやかに蹴り上げれた左足の軌跡。

 そのどれもが今でも完璧に再現出来るようになった。

 

「……まぁ、かと言ってボールの軌道まで再現できるわけではないんだけどな」


 それが出来ていれば、今頃俺はチンチン丸出しでボールを蹴るポーズなんてしなくて良かったのだろうか。

 それとも小さな身体のせいで、やっぱり同じ運命にあったのだろうか。


 ああ、大きくなりたかったな……。

 

 でも今は俺の分身を大きくしない為、別のことを考えてるのに必死な俺であった。

 

    ☆

 

 サッカーを捨てた俺の可能性。

 先日の天野さんに言われたそんなものを、俺は真面目に探し始めていた。

 

 天野さんからは学校のサッカー部に入ったらどうですかと提案されたけれど、それは出来ない。

 だって俺は小学校から一緒にやってきたみんなではなく、クラブチームを選んだ裏切り者なんだ。

 だから中学に入ってから何だかみんなと関係がギクシャクしてしまい、いまや矢上くらいしか俺に話しかけてくれない。

 それにサッカーはもう辞めたんだ。クラブチームがダメだったから学校の部活でなんて、未練もいいところだろう。

 

 とは言え、一体何をすればいいのか?


 絵を描くのも悪くはないけれど、やっぱり俺は身体を動かす方が好きだ。

 でもそうなるとやっぱり身体の小ささは結構なハンデなわけで。

 まずバレーやバスケなどの身体の大きさがものをいうスポーツがダメ。野球やテニスあたりならなんとかなるかもしれないと思ったが、やはりここも俺ぐらい身体が小さいと厳しいらしい。

 結局、候補として残ったのが陸上(長距離)、ボクシング(ミニマム級)、自転車、乗馬あたり……うーん、なんだかどれもしっくりとこねぇ。

 

 まぁ、こういうのは焦っても仕方がない。これだと思えるものが見つかるまでは基礎体力を戻しておこうということで、とりあえずは朝のジョギングから始めた。

 サッカーをやめてからはサボっていたので最初はキツかったけれど、慣れてくると次第に距離を伸ばしていった。

 

 そして体力が戻ってくると、ただ走るだけでは物足りなくなってくる。

 何かもっと身体を動かすことをしたい。

 

 ジョギングをどれだけの時間で走れるか測ってみた。

 すぐに飽きた。

 

 走りながら時折シャドーボクシングをしてみた。

 よっぽど格好悪かったのか、通りすがりのお姉さんに笑われた。

 

 ジョギングの代わりに自転車に乗ってみた。

 ママチャリの限界を感じた。

 

 母親が以前に買ったものの、速攻で飽きて物置にしまわれた乗馬フィットネスマシンを引っ張りだしてみた。

 腰をへこへこして何だか変な気持ちになった。

 

 ダメだ。やっぱりどれもイマイチ。

 そんなこんなで最近は未練たらしいと思いながらもサッカーボールをリフティングしたり、ドリブルしたり、河原の土手をゴールに見立ててフリーキックを蹴ってみたりしている。実にしっくりときた……って当たり前か。

 俺は一体何がしたいんだ? 俺の新しい可能性は一体どこにあるのだろう?

 分からないまま、ただボールを蹴り続けた。

 

    ☆ 

 

「なんていうか、凄まじいな……」


 描き上がってきた天野さんの絵は、今や一切の遠慮がなかった。

 俺の身体の輝きとやらを描こうとしたのだろう。画面いっぱいに様々な線が縦横無尽に走り、もはや本体である俺がどこにいるのかすら分からない。これと比べたら初日の絵はまだ俺らしき藁人形がいただけ、まだ理解出来る。

 

「ちょっとやりすぎちゃいました?」

「うーん、けど天野さんの目にはこんな風に見えるんだろ? だったらいいんじゃないかな」


 先輩と言えど俺もど素人。だったら余計なことは言わず、天野さんの好きにさせた方がいいように思う。

 

「はい、ありがとうございますっ!」


 それに可愛い後輩のこんなとびきりの笑顔まで見れるんだ。放任主義万歳。

 

「ところで先輩、新しい可能性を見つけられたんですか?」

「え?」

「だって先輩の身体、これまでよりもずっと輝いてたから」


 は? 俺の輝きが増した?

 

「いや……まだ見つかってないんだけど」

「そうなんですか」

「まぁちょっとは走ったりして身体を動かしてるけどさ。それよりそんなに輝いてたの?」

「はい、まさに驚きの白さでした!」

「俺の身体は洗濯物か!?」


 まるで眩しいものを見るかのように目を細める天野さんに、俺は思わずツッコミを入れた。

 本音を言えば天野さんのおっぱいに軽く裏拳を決めて念願のパイタッチと行きたいところだけど、さすがにそれはマズいような気がするのでアホ毛がうみょんうみょんと跳ねる頭へ軽くグーパンを落とす。

 

「えへへ」


 会心のボケにちゃんとツッコミを入れられたのが嬉しかったのか、天野さんが満足げに笑った。あー、くそ、可愛いなぁ。

 

 それにしても大したことしてないのに輝いてしまうとは……俺ってマジで凄いヤツなのかもしんない。


「次は私がモデルの番ですね。どんなポーズがいいですか、先輩?」


 天野さんが服を脱ぎ始めながら、俺に問いかけてきた。

 いつもながら堂々とした脱ぎっぷりだ。それでいて恥じらいがないというわけでもなく、白磁を彷彿とさせる肌が興奮でほんわりと桜色に色づいていく。

 

「んー、そうだなぁ」


 素直に言えば、お願いしたいポーズはいくらでもある。

 例えばその重そうなおっぱいを両手で持ち抱えてみてくれ、とか。

 そのポーズのまま右腕だけを頭の上にあげてほしい、とか。

 あるいは女豹のポーズを真正面から描くのも悪くない。

 

「そうだ! スポーツ繋がりで、先輩も私が運動してるところを描くのはどうですか?」 

「なるほど、いいな。ところで天野さんは小学校の頃なんかやってたのか?」

「はい。ばれぇをやってました」

「ばれぇ?」

「なので今日はその代表的なポーズを取ってみますね」


 バレエの絵と言えばドガが有名だけど、さすがにすっぽんぽんな踊り子の絵なんて描いたことがないだろう。

 てか、ちょっと待って。バレエって片足をまっすぐ上にあげたりとか、色々過激なポーズが多すぎない?

 いや、天野さんがそれをしたいって言うなら止める必要はないけど……でも天野さんのことだから例によってあまり深く考えてなくてその時になって自爆していたことに気付いて顔を真っ赤にして、だったら今のうちに止めてやった方が……ああ、でも正直、さらなる天野さんの秘密を見たいか見たくないかって言われたらそりゃあもちろん見たいわけで。

 

「じゃあやりますね」

「え? ああ、ちょっと、天野――」


 やっぱり真っ裸の女の子にそんなことをさせちゃダメだとギリギリで理性が勝って呼び止めたのに、天野さんはそんな俺の苦悩なんてどこ吹く風とポーズを取る。

 両足を大きく開き、腰を落とす天野さん。股間辺りで重ね合わせている両手が、絶妙にその大事なところを隠している。

 

「はい、レシーブ!」


 くいっと両手を上下させると、すかさず落としていた腰を上げて、両手を頭の上に持っていく。

 

「トス、行きまーす」


 ぴょんと体全体が軽く揺れた。

 

「決めます! アターック!」


 そして膝を沈めると、バネの如く跳ね上がって、十分にしならせた右手で虚空を打ち抜いた。

 見えないボールが強烈にフロアへ叩きつけられた光景が脳裏をかすめ……ることなく、俺はただ目の前でまるでスライムのように揺れた天野さんのおっぱいから目を離せられずにいた。


「……どうですか、先輩?」

「しゅ、しゅごい!」

「えへへ。バレーはお爺ちゃんに鍛えられたんでちょっと自信があるんです」

「でも、ばれぇじゃなくてバレーボールって言おうな?」


 変な誤解と期待をしちゃうから。

 まぁ期待以上のものを見せられて大満足ですけれども。

 

「とりあえずアタックを何回かやってみせますから、イメージを掴んじゃってくださいね」


 そう言って天野さんがその場で何度も何度もジャンプし、まさに部活はおっぱい乱舞と言わざるをえない状況となった。

 デッサンは乳、もとい遅々として進まなかった。

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