第6話:正しい後輩の育て方

「なぁ、天野さんって美術部こんなとこじゃなくて、もっとこう、ちゃんとした絵画教室に行った方がいいんじゃないか?」


 二度目のヌードデッサンを終えた翌日の放課後、また嬉々としてイーゼルにキャンバスを乗せてつい立てを作る天野さんに勇気を出して話しかけた。

 

「え?」

 

 キョトンとした表情を浮かべる天野さん。心なしかアホ毛がはてなマークを形どっているようにも見える。

 

「どうしてですか? まさかもう私の身体に飽きちゃったんですか!?」


 が、すぐに眉を顰めて悲しげな顔になると、猛烈に抗議し始めた。


「ちょっ! 言い方!」

「だって先輩がいきなり酷いことを言うから」

「誤解だ! 俺は別に天野さんの身体を見飽きたとかは思ってない!」


 むしろもっと見たい。あわよくば触ってみたいと、心の奥底から思っている。

 

「だったら」

「でも、昨日から考えてたんだ。天野さんの成長を思えば、こんなド素人の俺しかいないダメな美術部じゃなくて、ちゃんとした絵の先生に教えてもらえるところのほうが絶対にいい!」


 正直、天野さんの絵はそんなに上手いわけじゃない。

 だけど、俺の裸を描く時の集中力は超一流だ。

 あの集中力があって、ちゃんとした指導者がいれば、天野さんはきっととんでもなく上手くなる。天野さんの裸を……思わずむしゃぶりつきたくなる、あの大きな生おっぱいをもう拝めないのはすごく残念だけど、彼女のことを思えばこれが最良だろう。

 

 天から与えられた天野さんの才能を、俺ひとりの劣情でみすみす無駄になんかしちゃダメなんだ。

 

「ほら、街のちゃんとした絵画教室だったら、ヌードデッサンとかもやってそうだろ? まぁほとんどは女の人がモデルだとは思うんだけど、たまには男の人の場合も」

「それじゃあダメですよ!」

「うっ。だ、だったらちゃんと調べて男の人のヌードデッサンを多くやっているところを見つけ出して」

「だから、それじゃあ意味がないんですっ!」

「おいおい、あまり無理を言――」

「だって私は先輩の裸を描きたいんですっ! 他の男の人の裸なんか描きたくないんですっ!」


 次々と言葉を遮られた挙句、最後に天野さんがとんでもないことを言ってきた。

 マジかよ? その可能性はあるのかなと考える度に「いや、無いな」と勝手に結論付けてきた『天野さんは俺のことが好き』説が、まさかまさかの真実なのか?

 てことはなに、もしかしてあのおっぱいを俺の好きなようにしても良いんですか? マジで!?

 

「私、部活紹介で先輩を見た時、一瞬にして目を奪われたんです」


 突然のことでドギマギしてしまう俺に、天野さんの告白が続く。

 

「だって先輩、すごく輝いて見えたから。今までそんなふうに見えたのは先輩が初めてだったから」


 天野さんの瞳がトロンと蕩けるように潤んだ。

 スゲェ。恋する女の子の瞳にハートマークが浮かぶってマジだったんだ。てっきり漫画だけの誇張表現だとばかり思ってた。

 

 でも俺、あの部活紹介でそんなに輝いていたかな?

 つまらないギャグでダダ滑りしただけなんだが。

 

「それで私、先輩のことがすごく気になって。そうしたら美術部では部員同士のヌードデッサンをやっているって先輩が言うから」


 ああ、だからお互いに裸の付き合いをしようと決意したのか、天野さん。

 大胆だ。大胆すぎる。だけど恋する女の子は大胆になるとも言う。その恋心は否定できない。

 もっともいきなり脱ぎだした時はびっくりしたけどな。

 

「だから私、先輩の裸を見たい、描いてみたいって思ったんです」


 でも気持ちはもう分かった。俺も男だ。覚悟は決めた。

 これからはもうヌードデッサンなんてまどろっこしいことはやめて、少しずつふたりで大人の階段を一緒に……って、あれ?

 

「え、描きたい?」

「はい。先輩の輝きをなんとか形にしたいと思ったんです、私」

「俺の輝き? え、一緒に輝こう、とかじゃなくて?」

「とんでもない。私なんかに先輩みたいな輝きはありませんよぅ」


 いやいやいや、君のその胸の膨らみを見てみ? めっちゃ輝いてるから! そりゃあもう夜の自動販売機に群がる虫みたいに男たちを呼び寄せる輝きだから!

 

「だからお願いですっ。私を美術部にいさせてください。もっと先輩の裸を描かせて欲しいんです!」

「えー……うん、分かった」


 いや、分かったと言うか、なんにも分からんと言うか。

 つまりなんだ、天野さんは俺のことが好きだからというわけじゃなくて、なんかよく知らんが俺の輝きとやらに引き寄せられて、それを描きたいがために美術部にやって来た、と?


 俺の輝き?

 なんだそれ全然分からん!

 

「ちなみに訊くけど、俺ってそんなに輝いてるの?」

「はい、そりゃあもう! 全身から凄いオーラが!」

「オーラって漫画みたいだね」

「私もびっくりしました」


 俺もびっくりだよ。

 

「初めて先輩の裸を描いた時のこと、覚えてますか? 私、その輝きのオーラも描きたくてあんな絵になったんですよ」

「ああ。あの夢に出そうな絵ってそういう訳だったんだ」


 言われてみれば確かにあの絵は、全身にオーラっぽいものを身に纏っていたように見えなくもない。

 あの時はなんだこれと思ったし、天野さんの目にはどんな風に俺が見えているんだと訝しんだけれど、本当にあのように見えていたとは思ってもいなかった。

 

「裸になってもらって分かったんですけど、先輩って特に足が凄いんです」

「足?」

「はい! まるで足から大きな翼が生えているみたいでした!」


 足から翼……。

 

「先輩ってサッカーをやってたって言ってましたよね。多分、だからだと思います。でもサッカー部の人を見ても、先輩みたいなのはいなかった。きっと先輩にはサッカーの凄い才能が」

「やめてくれ、天野さん」


 出来るだけ優しく言ったつもりだった。

 だけど急に閉ざしてしまった天野さんの口が、その表情が、さっきまでぴょんぴょん泳いでいたアホ毛がしゅんとうな垂れるのを見て、俺の言葉に感情が零れ出てしまったのを雄弁に語っている。

 

「ごめん、天野さん。でも俺、サッカーはもう辞めたんだ」

「だけど先輩には……」

「才能はある、かもしれない。けれど俺の身体ではサッカーはもう諦めなきゃいけないんだよ」


 今までこんな話は誰にもしなかった。

 話したところで何かが変わるわけでもなければ、聞かされた相手だって何が出来るわけでもない。結局は自分でなんとか折り合いを見つけるしかないことだ。

 

「俺、確かにサッカーが上手いんだ」


 だけど気が付けば俺は天野さんに話していた。

 

 俺の力でチームを引っ張り、小学6年生の時は地元のチームを全国ベスト8に導いたこと。

 そこでの活躍が認められて、地元のJリーグクラブのジュニアユースにスカウトされたこと。

 そしてジュニアユースでも1年生の頃からAチームの一員だったこと。

 

「まぁAチームって言っても控えだったけれどな。でも1年生の頃からAチームに入れたのは俺だけだったんだぜ」


 それだけ力が認められていた、そして期待もされていたってことだと思う。

 そう、順調に育っていけば2年生、遅くても3年生でチームの絶対的エースになる、はずだった。


「だけどさ、周りがどんどん大きくなるのに、どうしてか俺だけは小学生の時から成長が止まったままだった。まぁ1年の頃から身体の大きさが一回りも二回りも大きい先輩たちとやってきたんだ、それでもなんとかなると思ってた。それにメッシだってバルセロナのテストに合格した時は、身長が140センチぐらいしかなかったんだぜ。チビでも頑張れば出来るんだと信じてた」


 でも、現実はそんなに甘くなかった。

 どんなに頑張っても、俺には体のハンデを克服することが出来なかったんだ。

 それまで通用していたことが通用しなくなり、何をやっても跳ね返されてしまう。

 次第に自分の力を信じることが出来なくなっていった。

 

「そんな時だ。あの試合があったのは」


 今でも夢に見る、半年ほど前に行われた3年生の先輩にとっては最後の大会であり、優勝がかかったその試合。

 チームのエースだった先輩が怪我、その相棒を務める先輩も累積警告で欠場だった為、2年生の俺に出番スタメンが回ってきた。

 

 相手はこの一年間で鎬を削りあってきたライバルチーム。

 こちらは本来のツートップを欠くものの、相手も守備の要でキャプテンのセンターバックが欠場となり、代わりにあちらも2年生の選手が先発となった。

 

「頼れる先輩はいないけれど、俺は名誉挽回のチャンスだと思ってた。なんせ相手のセンターバックに抜擢された奴は、俺が小学生の大会でチンチンにした奴だったからな。あの時は確か3点取ったんだ。だから今度は4点取ってやろうと思ったよ」


 だけど2年ぶりに対峙したそいつは、小学校の時とはまるで別人になっていた。

 驚いたことに中学2年にして身長が180センチを超え、体つきも先輩以上にがっしりしていやがった。

 そのくせこちらのスピードにも対応し、足元も上手い。

 俺は何度も味方にパスを要求し、その度に奴に潰された。

 足元で貰っても抜くことが出来ず、気が付けばゴールの匂いがしない方へと誘導され続けた。

 ならば裏へ抜けようとしても、巨大な身体に跳ねのけられた。


「4点どころか何も……何も出来なかった。フォワードなのにさ、シュートの一本すら打てなかった」


 試合は勿論負けた。1対0だったけれど、得点以上の差を俺たちは見せつけられたような気がした。

 だって、俺がまるで歯が立たなかったあいつは3年生なんかじゃない。俺と同じ2年、つまり来年もまた俺たちの前にあいつが立ち塞がるんだ。

 

「だから監督はこの試合である決断をしたんだ」

「決断、ですか?」

「ああ。監督は俺にBチームへの降格を命じたんだ」


 天野さんが目を大きく見開き、やがて泣き出してしまいそうに表情を曇らせた。

 一方、俺は誰にも言いたくなかった話なのに、何故か妙にすっきりした気持ちだった。

 

「つまり監督は全然身体が大きくならない俺に見切りをつけたのさ」

「そんな……」

「泣く必要はないぜ、天野さん。確かに残酷な話だけど、仕方がないんだ。ジュニアユースってのは、将来のクラブチームを、そしてこの国のサッカーを背負って立つ選手を育てる為にある。将来性のない選手にかまってなんかいられないんだ」

「でも先輩は……」

「そうだな。才能はあるかもしれない。さっき天野さんに輝いてると言われて嬉しかった。だけどそれでもこの身体じゃこれ以上は無理……無駄なんだ。それが分かっちまった。だから俺はサッカーを辞めた」


 泣くなって言ってるのに、とうとう天野さんの瞳から涙が溢れ出してきた。


「ごめんな。こんな話、聞かされても困るだけだよな」

「……そんなこと……ないです……」

「ごめん。だけどな、今まで誰にも言わずにいたんだけど、なんだか天野さんに聞いてもらえてこれまでずっと抱えていたものがすっと消えたような気がする。ありがとな、天野さん。これで俺、本当にサッカーとサヨナラできるような気がするよ」

「…………」

「そんな俺の裸なんて大したもんじゃないと思うけど……まぁ天野さんが描きたいって言うならこれからも描いてくれ」

「……はい。描きます。私……先輩の才能を描きます。だから先輩も……」

「うん?」

「先輩も……自分の可能性を信じてください」


 涙目で俺を見つめてくる天野さん。

 可能性……可能性、か。

 

「……分かったよ」


 こんな俺にまだ何か可能性が残されているのだろうか?

 分からないけれど、天野さんが願うのならそうすることにしよう。

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