第27話:俺の左足は神の足

 窪塚寛治に勝ちたい。

 それは鮮やかなステップで奴を華麗に抜き去ったり、あるいは完璧に背後を取ったりして、とにかく誰の目から見ても「勝った」と分かる状況を俺は思い描いていた。

 

 だけどそれは間違いだった。

 俺はFWフォワードで、あいつはDFディフェンダー。そのふたりの勝敗を決めるのは、ゴールという形でしかありえない。

 たとえ俺がフェイントであいつに尻餅をつかせても、たとえ背後を取ってあいつを置き去りにしても、それでもゴールを決めれなければ何の意味もないんだ。

 

 ってことは。

 逆に言えばあいつに九分九厘押さえ込まれていたとしても、一厘だけのほんのちょっとした隙を作りだし、そこでゴールを奪うことが出来れば俺の勝ちということ!

 

 そのことに気付かせてくれたのは天野さんだった。

 鮮やかに勝とうとしていた俺に、泥臭くてもいいからゴールというFW本来の仕事を思い出させてくれたんだ。

 

 そこからベルカンプターンを囮に使ったシュートパターンを思いつき、生まれたほんのわずかな隙に出来るだけ早くて強いシュートを打てるよう特訓をした。

 結果としてそのパターンには対応されたものの、どういう形でもいいからゴールを決めるという考えがロナウジーニョのトリックシュートを思い出させ、さらにはまたそれを応用したシュートパターンを事前に導き出すことが出来た。

 

 俺が選択した、突然のあり得ない方向への突破にも、窪塚はしっかり対応してくる。

 代わりに俺の左足への警戒が弱まった。

 当たり前だ。だって俺は今、右へ抜けようと身体は極端なまでに前傾姿勢となっていて、左足ではまともなシュートが打てない状態なのだから。

 

 でもな、これがアドリブならばまだしも、最初からこうなることを予想していてのプレイなら打てるんだよ、強いシュートが。

 ロナウジーニョのトリックシュートを真似しようと繰り出したフェイントは、膝の動きしか使わなかった。

 そして右に抜けようと加速したのも膝のバネによるもの。腰の回転は使っていない。使うわけにはいかなかった。何故ならまともなシュート姿勢を取れない今、ボールに勢いをつけるのは蹴り足の振り幅じゃなく、その時まで極端にまで引き絞って開放の時を今か今かと待ち受ける腰の回転力だったからだ。

 

 多分、窪塚には俺がまた何かフェイントを――それこそ元フランス代表のレジェンド、ジヌディーヌ・ジダンばりのマルセイユルーレットを仕掛けたように見えたと思う。

 だけどその回転が実は腰の動きを解放したもので、ボールを蹴ると言うよりボールに左足をぶち当てた形で俺がシュートを放ったんだと窪塚が気付いた頃には。

 

 ボールはネットに深く突き刺さっていた。

 

 

    ☆ ☆ ☆


「やったー!」


 それはまるで大きな翼の羽ばたきのように私には見えた。

 先輩が身体を回転させて放ったシュートは、幾つもの羽を大空へ舞い上がらせてゴールネットを揺らした。

 信じてはいたけれど。

 先輩は凄い才能の持ち主だって知ってはいたけれど。

 いざそのシーンを目の当たりにすると、なんだかじんわりと目もとに熱いものがこみあげてきた。

 

「凄いな。今のはさすがの寛治でも予測出来ないシュートだ」


 先輩と窪塚さんの攻防を立ち上がって見ていた大滝さんが、大きな身体を再び椅子に沈みこませて感嘆の声をあげる。

 自分が鍛え上げた自慢の甥っ子がしてやられたと言う割には、何故かどこか嬉しそうだった。

 

「天野さんの目は確かだったようだね。彼は……俊輔君には大きな翼が生えている」

「はい!」

「寛治にやられてサッカーを辞めてしまったと半ば諦めていたが……やはりあの学園祭を見に行ってよかった」


 そう言って大滝さんは満足げに微笑む。それはやっぱり負け惜しみには見えなかった。

 

「あの、悔しくはないんですか? 大滝さんって窪塚さんの叔父なんですよね?」

「ああ。だけどそれ以前に私は日本の将来を託す選手を育てる使命を請け負った監督なんだ。育て甲斐のある選手の復活は素直に嬉しいね。それに寛治もきっと喜んでる」

「え?」

「ライバルってのは憎たらしい相手であると同時に、自分をさらに高めさせてくれるものさ。寛治の能力は、あの年代ではずば抜けている。でも、だからこそ成長出来ない。成長とは普段の練習だけでは駄目なんだ。時に自分の積み上げてきた自信すら揺るがすほどの衝撃を受けてこそ、人は飛躍的に成長出来るものなんだよ。もっとも今の寛治にそんなことを考えている余裕はないだろうけどね。おっと、そう言っているうちにほら」


 大滝さんに指差されて、私は再びピッチへと目を向けた。

 いつの間にか試合が再開していて、守備陣から丁寧に繋がれ続けてきたボールが先輩の足元へと渡る。

 背後にはぴったりと張り付くように窪塚さん。そのプレッシャーに気圧されたか、先輩のトラップが乱れてボールが先輩の足元からかすかに離れる。

 

 ボールを奪わとられる、私は一瞬そう思った。

 

「え? ええっ!?」


 だけど次の瞬間、先輩は伸ばした足でライバルよりも一瞬早くボールに触れ、まるで魔法のように窪塚さんの股の間を通したかと思うと、すかさずくるりと態勢を入れ替えてその背後に抜け出したんだ。

 

 おおおおおおおおおおおおっっっっっと湧き上がる大歓声の中、先輩がボールをドリブルして駆け出す。

 ゴールとの間にはもう相手のキーパーしかいなかった。


 

 

    ★ ★ ★   

 

 笛がフィールドに鳴り響く。


「おい審判! 今のは一発退場レッドカードだろう!」


 そして倒された俺に手を差し伸べることもなく、長髪の後輩が審判に詰め寄った。

 てか、こいつ、マジで怖いものなしかよ? 中一の分際で大人の審判に文句を言うか、普通?

 

 先ほどの失点で動揺している窪塚に、ミスを装ったトラップは見事にハマった。

 後は独走状態から落ち着いてゴールを決めるだけと思ったものの、窪塚の背後に回って加速しようとする俺のユニフォームを誰かに引っ張られ倒されてしまった。


 言うまでもない、引っ張った相手は窪塚だ。


 本来ならレッドカードが出されてもおかしくない反則だとは思う。だけど審判が出したのは警告のイエロー。

 そこで逆サイドに張っていた神が試合終了間際とは思えないダッシュで駆け寄ってきて、審判に抗議し始めた、というわけである。

 

 うん、その前に俺を労われよな。こう見えても先輩だぞ、俺は。

 

「やめとけ。それ以上余計なこと言ったらお前の方が退場になるぞ」


 とりあえずカッカしている神の長い髪を引っ張って、審判から引き離す。

 

「いてぇな! いくら先輩でも俺の髪を引っ張るんじゃねぇ!」

「だったら切れよ、こんなもん」

「やだね! これは俺様のアイデンティティーだ!」


 そしていかにその美しい長髪を大事にしているかを語り始める後輩。うん、どうでもいいからとにかく耳を貸せ。

 

「落ち着け。そしてよく聞け。いいか、このフリーキックで試合を決めるぞ。俺が蹴る直前に右手を上げたら、お前はゴール奥ファーサイドに走るんだ」

「は? 先輩が蹴るのかよ!?」

「声がでけぇよ。そうだ、俺が蹴る。そしてお前の頭に合わせてやる。ちゃんと決めろよ!」

「おう、任せろ! へへっ、先輩にしてはいいアイデアじゃねぇか!」

「そうだろうそうだろう」


 なんせ時間的にもこれがラストチャンス。ここでゴールを決めれば勝利のヒーロー間違いなしだ。

 

「いいか、ファーだぞ。ゴール手前ニアサイドじゃねぇからな!」

「間違えねぇよ、馬鹿にすんな! それより先輩こそ、ちゃんと俺の頭に合わせろよ!」


 お互いにしっかりやれよとばかりに目で合図して離れていく。

 ホント生意気だよな。でもまぁ、いつの間にか俺のことを「あんた」から「先輩」と呼ぶようになったことに免じて許してやろう。

  

 それはそうと、さて。

 俺はボールをセットして顔を上げる。

 位置は中央やや右より。ゴールまでの距離は約30メートル。

 この位置とこの距離を俺は知っている。

 

 そう、誰よりも詳しく俺は知っているんだ。

 

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