第26話:答えは絶対「シュート!」だぜ
「全然先輩が出てこないんですけど……」
後半からは先輩が出てくるはず。そう思った私の期待は見事に裏切られた。
それどころか試合がどんどん進んでも、先輩はずっとベンチに座っていたままだった。
チームの他の人たちはみんなピッチの端でダッシュしたり、柔軟体操をしていたりして身体を温めているのに、一体どうしたんだろう?
「まさか試合に出ないってことはないですよね?」
思わず不安になって大滝さんに尋ねる。
「さぁ。私は監督さんに俊輔君を見てみたいとは言ったけど、実際に彼を使うかどうかまでは決められないからね」
「そんなぁ。今からでも遅くないですから先輩を試合に出すよう言ってきてくださいよぅ」
「天野さん、君、結構無茶苦茶なことを言うね」
大滝さんは苦笑するものの、私は笑う気持ちにはなれない。
だってこの試合には先輩の未来が……そして私のもかかっているんだもん。
「ただそろそろ試合が動きそうだ。そうすればきっと天野さんの期待通りになると思うよ」
そう言われても、サッカー素人の私には相変わらずどちらのチームもチャンスらしいチャンスを作れないでいるように見えた。
今もほら、先輩のチームの背が高いFWの人が窪塚さんに当たり負けてボールを奪われ……。
「あ!」
その直後、窪塚さんからまるで光の矢のようなロングパスが前線のフォワードへ蹴り出された。
試合も後半残り10分となって集中力が落ちてきていたんだろう。先輩のチームの守備陣が少し反応が遅れた。
対して相手チームはまるでこれを待っていたかのように、一気に前線へ駆け上がる。
「あ、ダメ! これ、ダメですよ!」
私は「守ってー!」と絶叫する。
「残念だけど、それは無理だね。寛治のロングパスの精度はプロ顔負けな上に、チームもこの戦術を完璧にものにしている」
隣で大滝さんが呟く中、ボールは相手チームのFWの足元へしっかりと収まり、ドリブルを開始。先輩チームのDFを揺さぶって中へ切り込む様子を見せながら駆け上がってきたサイドの選手へ絶妙なパスを出し、それをダイレクトでゴール前に放り込んだ先にはこれまた相手の選手がフリーで待ち受けていて……。
「ああっ! 取られちゃった……」
絶対勝たなきゃいけない試合なのに、先に点を取ったのは窪塚さんのチームの方だった。
★ ★ ★
どれだけ頭の中でシミュレートしたのかは覚えていない。
とにかく気が付けば試合はいつの間にか後半20分(中学生は前半・後半30分)を少し超えていて、窪塚寛治が仲間たちと抱き合って喜んでいた。
「あ、
「お、中林。ようやく意識が戻ったみたいだな」
「え?」
「お前、さっきから俺が何度名前を呼んでもピクリとも反応しなかったんだぞ」
試合中に監督の声を無視する、そんなこれまたゲンコツものなミスをしでかしたのに何故か監督は目を細めて笑っただけだった。
「で、どうだ、窪塚寛治をやり返すアイデアは思いついたか?」
「……はい!」
「よし、だったら大急ぎでアップしろ! 5分後に交代だ。ぼやぼやすんな!」
笑顔なのも束の間、監督はすぐに厳しい顔に戻って俺へ指示を出した。
慌ててベンチから駆け出していく。
と、不意に足がこれまでにもないぐらい軽いのに気が付いた。
なんだこれ、まるで足から翼が生えているみたいだ。
一瞬、天野さんが書いた俺のヌードスケッチが脳裏をよぎった。
☆ ☆ ☆
「ついに先輩の出番ですよ!!」
誰よりも遅くベンチを飛び出した先輩が、誰よりも早くアップを終えてビブスを脱いだ。
試合は後半25分。交代は先輩と同じ三年生のFWの人とだった。
「ようやく出てきたね。でも時間は残り僅か5分。それであの寛治に勝つのは至難の技だが」
「いえ、先輩なら絶対やってくれますよ」
「……まぁ天野さんの気持ちも分かるけれどね。それでもやはり厳し」
「いいえ、先輩は絶対に勝ちます。だって」
初めて先輩を見た、春の部活紹介を思い出す。
美術部の部長として出てきた先輩……その足から私は大きな翼が舞台いっぱいに広がるのを見たんだ。
そして今、ピッチへ小走りに走って入り、窪塚さんの隣に並ぶように立つ先輩の足からは――
「あんな大きくて立派な翼……先輩が負けるなんて考えられません!」
★ ★ ★
「は? てめぇが窪塚とマッチアップするだと?」
ピッチに入り、監督からの指示を伝えた俺に、長髪野郎の神はこれでもかとばかりに眉を顰めた。
てか、「お前」を通り越して「てめぇ」呼ばわりかよ。こいつ、一度殴りつけてやった方がいいのかもしれん。
「そ。監督の指示だぞ。従え」
「ちっ。監督め、こんな負け犬を窪塚とやらせるなんて何考えてやがる」
はい、ぶっ飛ばすの決定。でもそれは試合の後だ。
「ほらほら、ごちゃごちゃ言ってないでポジションを代われ。なに、安心しろ。リベンジついでにお前の仇も取ってやるから」
俺がぐいっと神の腰を肘で押しやると、奴は一瞬顔を真っ赤にするもさすがに試合中に喧嘩するほど馬鹿ではないようで、まだブツブツ言いながらもピッチの左側に移動していった。
これで前線の左に神で、右に俺。左利きの俺としては中に切れ込んでシュートがしやすくなる。
「……久しぶりだな、中林俊輔」
そして神が離れたのと同時に、後ろから声を掛けられた。
「おう。お前にこてんぱんにやられた一年ぶりだ」
振り返ることなく、いつ味方からボールが来てもいいように身構えながら答える。
「サッカー、辞めたと聞いたが?」
「そうだな。辞めた、つもりだった」
「つもり?」
「ああ。だけどな、サッカーの女神さまが俺に言うんだよ。先輩は世界一サッカーが上手いって」
「……女神様なのに、お前のことを先輩って呼ぶのか?」
「細かいことは気にすんな。ほら、ボールが来るぞ!」
俺の交代後、相手チームのスローインで再開した試合は頑張って味方がボールを奪ってくれて、こっちへ向かってみんなが走ってくる。
俺もその動きに合わせるように外へ流れながら、一瞬でギアを入れては中へ切れ込みボールを呼び込んだ。
「悪いが行かせない」
しかし、そこはさすがの窪塚寛治。しっかりこっちの動きについてきて、本来ならスルーパスとして抜け出したいところだけど、これではどうにもゴールと窪塚に背を向けながら足元に収めざるを得なくなる。
「おい、こっちだ!」
そこへスルスルと自分のマークの背後を取った神が、大声を出してきた。
うん、やっぱり悪くねぇぞ、お前。
俺は足元へ転がってくるボールを素早く、鋭く、そして小さく弧を描くように背後――ゴール前へとはたいた。
☆ ☆ ☆
「ベルカンプターンか!」
先輩のそのプレイに、大滝さんが腰を浮かして驚きの声をあげた。
そう、ベルカンプターン。
2002年3月2日、イングランドはプレミアリーグの名門アーセナルでプレイするデニス・ベルカンプがニューカッスル戦で見せたこのゴール前でのターンからのゴールは、サッカー史上最高のプレイのひとつと言われている。
私も先輩からユーチューブの動画を見せられた時は、その美しさ、そしてわけのわからなさに目を奪われた。
なんせゴール前で相手DFを背にしながらボールを左足で右側の背後へはたくと、ベルカンプは逆に左回転。そしてDFの背後に走りこんだベルカンプの足元へボールが魔法のように戻ってくると、これを冷静にコントロールしてゴールへ蹴りこむんだもん。わけわかんないよね?
とんでもない技術と創造性の生み出した、まさに神業。これならたとえ窪塚さんでも塞げるはずが――。
「が、残念。寛治はこのパターンも予想済みだ」
ボールをはたきながら素早く体を回転させて窪塚さんの背後に抜けようとする先輩。
普通の選手なら先輩の動きにつられて反応してしまうところだろう。
だけど窪塚さんは冷静だった。大滝さんの言うように、まるで最初からこうくると分かっていたかのように予め少し先輩と距離を離していた。すると先輩がはたいたボールがまさに窪塚さんの目の前に落ちてくる。
ボールが地面に落ちる直後を狙って、窪塚さんが足を振り上げた。
「えっ!?」
次の瞬間、さっき以上に大きな声を出して、中腰だった大滝さんが完全に立ち上がった。
窪塚さんに大きくクリアされるはずだったボール。
それが地面に落ちるやいなや、まるで映画を巻き戻すかのように元の位置へと跳ね返っていく。
そして再び落ちてくるその場所に待っていたのは……。
「どうして中林俊輔がそこにいる!」
窪塚さんの背後に走りこんだはずの先輩が、左足を振り上げて待ち構えていた。
★ ★ ★
ベルカンプターン……このサッカー史上最高のゴールのひとつを窪塚が知っているのは当然だった。
だからそのまんま真似をしただけでは敵うはずがない。さらに裏をかくアイデアが必要だ。
そこで思いついたのが、はたいたボールに強烈なバックスピンをかけ、自分は一度相手の背後に抜ける動きをしながらもすかさず再度身体を回転させ、元の位置に戻ってくるボールをシュートするという戦略だった。
これで俺の脳内スケッチが生み出した窪塚寛治のイメージを凌駕出来た。
そう、昨日までは。
「やっぱりこれにも対応してきたか、窪塚!」
昨日までの脳内スケッチの窪塚なら無様にもボールを空振りし、その股下を狙い済ましてゴールを決めれるはずだった。
が、今日の試合を見て、本物の窪塚ならこれにも食らいつくイメージが見えた。
そして実際、今俺の目の前に立ち塞がる窪塚もまた、態勢を崩しつつもしっかりとまだ俺のシュートコースを消してきている。
ホント、凄い奴だ。窪塚寛治、俺はお前を心の底から尊敬する。
「よし、窪塚が態勢を崩した、こっちへ出せ!」
俺の動きに騙されて一度はゴールへ突進した神が、再び動きをやり直してマーカーを振り切った。
おお、お前も大したもんだ。確かに今、お前にパスしたらさすがの窪塚でもどうしようもない。きっとゴールするだろうな。
でもよ、窪塚に勝つってのは……リベンジするってのはそういうことじゃないだろ。
俺は膝を素早く左右に動かしてフェイントをかます。
左へ抜ければシュートコースが広がる。
右へ抜ければシュートコースは狭まるものの、より確実にラストパスを出せる。
「馬鹿! なにやってる! 早く出せ!」
でもまぁ神が言うように、今なら別に抜かなくても単純に横パスするだけでゴールの可能性は高いんだよな。
だけど俺は自分がゴールを決めないと気が済まねぇんだよ。
さらにフェイントのスピードを上げた。さぁどっちへ行くと思うよ、窪塚?
「ふん。答えはこのままシュート、だろう?」
「おお、さすが。分かってたか」
「ロナウジーニョの真似なんてさせるか」
窪塚が振り上げた右足を急ストップして崩れた態勢を整えつつ、にやりと笑った。
ベルカンプターンの次は、やはり十数年前、当時バルセロナに所属していたロナウジーニョがUEFAチャンピオンリーグ決勝トーナメントでチェルシー相手に決めたフェイントシュート。見ていた誰もがそこでシュートはないと思ったタイミングで、トゥーキックでゴールを陥れたこのゴールもまたサッカーファンの記憶に深く残る。
「素直にパスを出していれば同点に出来たものを。欲を出しすぎたな、中林」
「そうかな? 勝ったつもりになるのはまだ早いぜ、窪塚」
窪塚の踏ん張りがきいて、本来のバランスを回復したのが分かった。
ロナウジーニョがシュートを放ったのは右足。が、俺は利き足が左。だから窪塚も俺の左足に全神経を集中させ、右足でのガードに意識がいっている。
「馬鹿野郎! もたもたしてるから準備が整っちまったじゃねぇか!」
神が吠える。
ああ、そうだ。
「完璧に準備が整った」
刹那、俺は窪塚の左脇を抜こうと、膝のバネを利せて上体を鋭く沈みこませた。
奴からしたら意外な選択だっただろう。
ここで左への突破を仕掛けてはシュートコースがかなり狭くなる。つまりはほぼ自分のシュートチャンスを捨てたことに等しい。
俺なら絶対ここで自分で決めようとすると窪塚は思っていたはずだ。
それでもやっぱり窪塚はさすがとしか言いようがない。
その可能性は少ないと予想しながらも、身体はちゃんと付いていけるよう準備していた。
俺の鋭い出足に遅れることなく、しっかりとスライドさせてブロックしてくる。
だからほんの少しだけ、俺の左足への意識がわずかに緩まった。
右足の蹴り上げだけで身体を加速させた俺の視界の端に、消されたはずのシュートコースが俄かに現れる。
待ちに待った絶好のシュートチャンス。
だけど俺の身体はほとんど地面に身体を投げ出さんばかりに前掛りになっていて、普通ならまともなシュートなんて打てる態勢じゃなかった。
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