第25話:ヒーローは眠れなかった

 天野さんのおっぱい。

 年頃の男なら誰もが一度は拝んでみたいと思うその生おっぱいを、俺はこれまで何度も見てきた。

 

 まだ中学一年生なのにあの大きさ。身体を動かす度にたぷんと揺れるその重量感。おしりデッサンの時に見た床に落ち潰された様子はまるでつきたてのお餅のように柔らかく、膨らみの頂点に鎮座する桜色のぽっちは頭がくらくらしてくるほどに愛おしい。

 まさに神の与えし奇跡の賜物だと見る度に感心しきりだった。

 

 そんな天野さんの生おっぱいを、触りたいと思ったことは正直何度もある。当たり前だろ、手を伸ばせば触れるところにお宝があるっていうのに見るだけで、満足する馬鹿なんているもんか。

 でも見ると触るというふたつの言葉の間にはふたつの言葉の間には、俺たちの場合、とんでもなく大きな壁があった。

 

『おっぱいを揉まれた男と結婚しなくちゃいけない』


 天野家に伝わる掟……というか、おそらくは爺さんとサンマリーさんが作り出したこの家訓がそれだ。

 馬鹿げた話だとは思う。それでもこの掟は天野家では絶対らしく、どこぞの馬の骨に揉ませるぐらいならと天野さんのお母さんである羽音さんからは「しずくちゃんのおっぱいを早く揉んじゃいなさい」なんて言われてもいる。

 だけど、やっぱりこういうのはお互いの気持ちが大切だろ。

 そういう覚悟も出来ていないのに揉むのも、揉まれるのもダメでしょ。

 そして俺たちはまだ中学生だ。結婚を考えるにはあまりにも早すぎる。


 なのに昨夜、天野さんが覚悟を決めてしまった。

 あろうことか窪塚寛治との因縁のリベンジマッチ、これに勝てば揉ませてくれると言うのだ。

 

 断っておくが、こんな早急なエロ展開はまったくもって本意じゃない。

 だって考えてみろ。俺は天野さんのとの関係をとても大切なものだと思っているし、確かにお互いの裸を見まくった間ではあるけれどもやはり年相応のお付き合いをしてから段階を踏んでと考えてたし、そもそも俺の今後のサッカー人生を左右する大切な試合にこういう余計な要素を付け加えるのはどうかと頭を捻るし。

 

 で、なによりも厄介なのは、今の俺は脳内スケッチした飯塚寛治のイメージを他人にも鮮明に見せることが出来るほどの空想創造者イメージクリエイターなわけで、それってつまり

 

「はぁ、天野さんのおっぱい、めっちゃやわらけー」


 どうしても作っちゃうよね、天野さんのすっぽんぽんイメージ。

 そしてイメージが出来上がっちゃったら、一睡も出来るわけもなく試合当日のミューティングを迎えちゃうよね。

 

「おい、中林! お前、話を聞いていたかっ!?」

「……うふふ、おっぱい……天野さんのおっぱ……はっ、すみません、ちゃんと聞いてました!」

「聞いていたわけないだろ! なんだ、さっきからぼんやりしやがって!」

 

 そんでもって当然の如く、監督からゲンコツを落とされるよな……。

 

「あー、とにかくそんなわけでこの試合から中林が復帰する。とはいえ、いきなりスタメンというわけにもいかん。連携も何もあったもんじゃないからな」


 監督がメンバーに俺の復帰を説明した後、今日の試合のスターティングメンバーを発表していく。

 フォーメーションは前線二人、中盤四人、守備陣4人のいわゆる2-4-4。俺の担当する前線には3年で俺の同期だった奴と、1年生のくせにやたらと身長が高い長髪野郎が入った。

 

「監督ゥ、その人って窪塚にボロクソにされてサッカー辞めたんじゃなかったんスか?」


 その長髪野郎がみんなが言いたくても言えないことをずかずかと口にしてきた。

 見ればニヤニヤと厭らしい目つきで俺を見下ろしていやがる。

 なるほど、会ったばかりだけどこいつのキャラクター完璧に把握したわ。

 

「いや中林は辞めてないぞ。ちょっと怪我をしていただけだ」

「怪我って言ってもメンタル的なアレっしょ、うひゃひゃひゃ」


 汚ねぇ顔をさらに歪ませて嗤う長髪野郎。

 それでも誰もこいつに注意しようとしないってことは、よっぽど出来る奴なのか、それともちょっとでも気分を害するとプレイの質が落ちる奴なのか。まぁそれは試合を見て判断することにしよう。

 

「なぁ、中林さん。悪いけどこの試合、あんたの見せ場なんてないんだわ」

「へぇ。その馬鹿デカい背丈から見るに、お前が窪塚とマッチアップするんだろうけど大丈夫か? あいつの実力は正直、中学生レベルを遥かに超えてるぜ?」

「はん、それがどうした? 俺なんかまだ中一なのに現在リーグの得点王だ」


 ほう。そいつはスゲェ。こいつ、口だけじゃないみたいだな。

 

「今日の試合には大滝克己も見に来てやがる。お目当ては窪塚だと思われてるみたいだけどまぁ見てな、試合が終わった後にはこの俺様、神生命かみ・いのちにU-17日本代表になってほしいと言わせてみせるからよ」


 え、マジでそんな名前なの、お前?


「たいした自信だな。まぁいいや。お前が活躍してチームが勝てるならそれに越したことはない」

「ああ。あんたはベンチで俺様の活躍を見てたらいいぜ」


 俺がそれ以上反論してこないのを見て勝ったと思ったのか、長髪野郎こと神は満足げに口元を歪ませると以降はそれまでの言動がウソみたく静かになって、監督の指示に耳を傾けた。

 きっと俺の存在が気になって、なかなか集中出来なかったのだろう。実に分かりやすい奴だ。

 

 まぁとにかく、俺はこいつの言う通りまずはじっくり試合を見せてもらう事にしよう。

 それが窪塚寛治のイメージを完璧に作り上げ、俺の勝利の確率を上げる。


 そして勝てば、その時は天野さんのおっぱいが俺のものに……。

 

 窪塚のイメージが消えうせ、代わりに裸の天野さんのイメージがまた出てきたので俺はぶんぶんと頭を振った。

 

 

 

    ☆ ☆ ☆

 

「あれ? 先輩、試合に出ないじゃないですか!?」

「あー、ホントだね」

「一体どういうことですか?」

「まぁ落ち着きなさい、天野さん」


 戸惑う私を隣に座っているおじさんが苦笑いを浮かべて宥める。

 俊輔先輩が言うには、なんでもとても偉い監督さんらしい。確か名前は大滝さんとか言ったっけ。


 先輩の試合を見ようとやって来た私は、偶然大滝さんと出会った。大滝さんは私のことを覚えてくれていて、良かったらとグラウンドの脇に用意された折り畳み椅子付きの特別席で一緒に見ませんかと誘ってくれた。

 やった、これならすぐ近くで先輩の活躍を見ることが出来る! と思っていたのに……。

 

「途中交代で出るんじゃないかな。なんせ俊輔君は一年間試合をしてなかったことだし」

「えー!? 最初から見たいのにー」

「まぁまぁ。それよりどうだい、俊輔君は寛治に勝てそうかな?」


 大滝さんが緑色のユニフォームを着た、先輩と対戦するチームのひとりを指差した。

 窪塚さんだ。

 他の人たちより頭二つ分ほど大きな身長をしていて、落ち着いた様子で試合前のボール回しをしている。

 

 その足からは周りを圧倒する立派な羽が生えていた……。

 

「だ、大丈夫です。きっと先輩は勝ちます! ……そしてその時は」

「ん? その時は?」

「い、いえ! なんでもありません!」


 とにかく先輩は勝つんです、と私は胡麻化すように大声をあげて胸の前で両手を祈るように合わせた。

 

 やっぱり、というか。当たり前、というか。

 胸元がどうにもすぅすぅして落ち着かなかった。

 

 

 

    ★ ★ ★

   

「へぇ、たいしたもんじゃないか」


 試合が始まり、幾つかのプレイを見終えた俺は、素直にあの長髪野郎の動きに感心していた。

 背が高いくせに足元の技術もしっかりしてるし、動きにキレがある。

 さらにはもっと我が儘なプレイをする奴だとばかり思っていたが、周りをよく見ていてポストプレーが上手いし、相手のボールになるやいなやすぐにチェックに行くなど守備の意識も申し分ない。なるほど、一年生なのにスタメンを勝ち取るほどの実力は十分にあるようだ。

 

「だけど、それでもあいつは慌てない、か」


 普通のDFが相手なら、ここまで何度かシュートチャンスもあったことだろう。

 しかし、相手はあの窪塚寛治だ。

 神が裏に抜けようにもすかさず危険を察知してパスコースを消しているし、ゴール前に放り込まれるクロスにも余裕を持って対処してマイボールにしている。何度も揺さぶりをかけられるもまるで動じず、神も抜くことはおろかボールロストしないよう気を付けるのが精いっぱいだ。

 ポストプレーだってよく見れば窪塚によってそこにしかボールを出せないように仕向けられている。

 

「やっぱすげぇな。さすがだ」


 ベンチに座るみんながチームメイトに声援を送る中、俺だけはぼそっと誰にも聞こえない声量で呟いて窪塚だけを見ていた。

 いや、ホント、マジでスゲェ。

 あれだけプレイ動画を見て、この直前の試合だって何度もチェックしたのに、それでも窪塚は俺が生み出したイメージを越えてきやがった。

 先発じゃなくて良かったと思う。これほどまでにギャップがあると試合中に修正するのは相当に難しかったことだろう。

 

「ちくしょう! こんなはずじゃなかったのに!」


 前半も残りわずかになってきたあたりで窪塚のチャージを受け、ノーファールで倒された神が悔しそうに声を上げた。

 その姿に一年前の俺の姿がダブる。

 あの時も俺は何をやっても通用せず、絶望感が飲み込んできそうになるのを必死になって抗った。

 ああ、分かる。分かるぞ、その気持ち!

 悔しいよな。辛いよな。声を上げて自分を奮い立たせることしか出来ないことが、とんでもなく惨めだよな。


 だけど安心しろ。

 お前の苦しみはきっと俺が拾ってやる。

 そして窪塚に倍返しだ。

 

 俺は目の前の試合からアップデートされた窪塚のイメージ相手に、用意していた秘策を懸命に改善し続ける。

 前半の試合終了の笛が鳴った。

 スコアは0対0。勝負は後半に持ち越された。

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