第22話:もう一度やりたくて

 次の日は土曜日で学校はお休みだった。

 が、活動熱心な部活は午前中からいい汗を流している。

 グラウンドからは野球部の威勢のいい掛け声が、テニスコートからはリズミカルにボールを弾き返す音が旧校舎まで聞こえてくる。ここに来る途中に見た体育館ではキュッキュッとシューズがこすれる音をバスケ部員が響かせていた。

 

 この夏に三年生が卒業し、新しくなったチームでみんな心機一転頑張っているんだろう。

 もっともサッカー部は土日ともに完全休暇日だそうだ。まぁ矢上たちがサッカー部に入るずっと前からそうだったらしく、そんな古くから守られている伝統を今更破るのは難しいのだろう。それではいつまで経っても強くならないぞとは思うものの、部外者の俺が口を挟むわけにもいかない。

 

 それにまぁ、美術部だって文化祭前はともかく、土日は完全にお休みだったわ。

 ますます偉そうなことは言えないな。

 

 それにしてもサッカーの特訓なのに、どうして天野さんは旧美術室に俺を呼んだのだろう。

 実はサッカーの特訓というのはウソで、本当はただヌードデッサンをやりたいだけなんじゃないだろうな?

 天野さんは今時珍しい素直でいい子なんだけど、こと俺のヌードデッサンに関しては欲望のリミッターが外れているだけに案外マジでそういうこともありえる。

 

「いやいや、さすがにそれは……」


 階段を上がって三階の旧美術室に着いた俺は独り言ちながら扉を開ける。

 

「あ、先輩、おはようございます!」

「ああ、おはよう……って天野さん、どうして素っ裸なのっ!?」


 普通に挨拶してくるから一瞬思わず素で返しちゃったけど、その後すぐ世界が衣装消滅バグを起こしたのかと頭が混乱したわっ!

 てか、マジか!? マジでこの期に及んでヌードデッサンをやると言うのか、天野さん!?

 

「だって裸の方が先輩よく見えるでしょ」

「よく見えるというか、なんというか……」


 まぁ、はっきり言っていつもの如く立派に実ったおっぱいから、小ぶりなお尻や大切なところまで丸見えですよ、天野さん。

 

「じゃあいきますよ、よく見ていてください」

「いく? いくってどこにイクのっ!?」


 どうもさっきから会話が妙に成り立っていない。にもかかわらず、天野さんは子供のかけっこみたいなポーズを取ると、

 

「はっ!」


 掛け声と共に右足を鋭く蹴り上げた!(ぷるるんっ!!!)

 

「ふう。どうですか?」

「しゅ、しゅごいです、はい」

「分かってもらえましたか。じゃあ次は先輩も脱いでください」

「……え?」


 分かってもらえたも何も、「揺れるおっぱいは最高!」ってこと以外はこれっぽっちも全然分かってないよっ!

 いや、ホント何がしたいんだ、天野さん。俺、こんなことをしている場合じゃ……。

 

「……って、あれ? ごめん、天野さん。もう一度今のをやってみてくれねぇか?」

「いいですよ。はい!」


 俺のアンコールに応えて、天野さんは右足をもう一度蹴り上げる(ぷるるんっ!!!)。

 

 はっきり言って蹴る直前のフォームは、そういうのに慣れていない人そのものだ。

 だけどなんでだ?

 いざ蹴り上げた途端、どうしてそんなにサッカーボールを蹴る姿が様になってるんだ!?

 

「えっと、天野さんってサッカー経験者だったっけ?」

「いいえ。体育の授業でちょっとやったぐらいです」

「そんな馬鹿な。どう見ても今のはサッカー経験者のキックだぞ」


 しかも振り幅を小さく、それでいて強くシャープに振り抜く様子は、まさにDFのチャージをかいくぐり、わずかな隙からでもゴールを狙う点取り屋ストライカーのそれそのものだ。

 

「おばあちゃんが移動術を説明する時に言ってましたよね。腰と膝の屈伸と溜めを連動させて瞬間的な動きを実現させ、そこから変幻自在な足技を繰り出すって」

「え? ああ、そう言えば」

「つまり本来はただ移動するだけじゃなく、攻撃もするんです。私たち、おばあちゃんには『いざって時は自分の身は自分で守らなくちゃダメよ』って子供の頃から教わっていて。ね、先輩、ドリブルは無理でもシュートだけなら今からでも何とかなるんじゃないですか」


 その瞬間。

 これまで考えては却下され続けてきた窪塚とのマッチアップシミュレーションが、たちまち頭の中で再計算をし始めた。

 ほんの少し。本当にちょっとの隙でいい。

 それさえ作ることが出来れば、この小さく鋭いキックならば必ずゴールを奪うことが出来るかもしれない。

 

「このキックは膝の動きもそうですが腰の溜めがとても重要です。それをよく理解する為に裸でやってみました。だから先輩も裸に――」

「見えたっ!」


 突然俺が叫んだものだから、天野さんが驚きのあまり話の続きも忘れて目を白黒させた。

 そして「見えたって何が……あっ!?」と呟いたかと思うと、顔を真っ赤にして両手で股間を隠す。

 

「見えたぞ、天野さん!」

「ふふふふぁい!? そ、そうですよね、あんなに足を大きく上げたら、その……み、み、見えちゃいましたよ、ね?」

「ああ! ばっちり見えたぞ!」


 そう言って俺はすぐさま服を脱ぎ出した。

 珍しく天野さんが俺の裸から恥ずかしそうに後ろをむいてしまったけれど、そんなことはおかまいなしに俺は早速この秘策の取得に取り組む。

 

「こう? こうか? いや、なんかちょっと違うな。もっと腰を引き絞って。でも、そうなると動きがバレるような。天野さん、さっきみたいな蹴りを繰り出すにはどうするんだ? ちょっと教えてくれ」

「は、は、はいぃ。ちょ、ちょっと待ってください……」


 何だかよく分からないが天野さんが落ち着こうと深呼吸を繰り返す間も、俺は懸命にキックを試行錯誤し続けた。


「こうか? それともこう? あるいはこうしてみれば……あっ!」


 幾つかの試行錯誤をして、ようやくいい感じに振り抜けたと思った瞬間。

 天野さんが振り返る。

 

 ふみょん。

 

 その時、足のつま先が何か柔らかくもコリコリした何かを掠めた。

 

「はふん」


 途端に変な声を出してその場にしゃがみ込んでしまう天野さん。

 それでも俺は特訓に集中していて、自分のつま先が何を捉えたのかまったく気が付かなかったのだった。

 

 

 

 

「つい夢中になってしまいましたね!」


 旧美術室で天野さんと秘密の特訓を重ねること数時間。突然携帯が鳴ったかと思うと、電話の向こうから矢上が「おい、遅刻するとはいい度胸じゃねーか!」と怒鳴ってきた。

 見れば約束の時間をすでに10分も過ぎている。

 俺たちは慌てて服を着ると、ふたりしてグラウンドへと駆け足で急いだ。

 

「でもおかげでコツが掴めた。これなら勝てる。勝てるぞ、天野さん!」

「はい!」


 あの鋭い蹴り足なら窪塚のわずかな隙を突いてゴールを陥れることが出来る。

 あとはその隙を作るだけだ。すでに作戦は頭の中にある。

 

 欲を言えば昨日のうちにこの状態へ持っていきたかった。

 そうすれば今日はクラブチームの練習に合流し、実際の試合そのものの陣形の中で試すことが出来ただろう。

 だけどそれはいまさら考えても仕方のないこと。とにかく今は自分の脳内デッサンが生み出した窪塚のイメージを相手に、しっかり思い通りのプレイが出来るよう身体に覚えさせなくちゃいけない。

 

「あれ? 先輩、グラウンドではサッカー部の人たちが練習してますよ?」


 頭の中で作戦を再度シミュレートしつつ転ばないように視線をやや降ろして走っていたから、天野さんに言われるまで気が付かなかった。

 顔を上げて見れば、確かにグラウンドではサッカー部がミニゲームに興じている。

 週末は練習がないと聞いていたのに、どういった風の吹き回しだろう。新しいチームはこれまでと違ってやる気があるってことだろうか?

 

「いや、違うぞあれは……」


 訝しみながらもグラウンドへ駆け寄る俺の足が、その事に気付いた途端まるで地面に縫い付けられるようにして止まった。

 

「どうしたんですか、先輩? それに違うって一体?」

「あれはサッカー部の連中じゃない。あれは……」


 つつっーと背中に冷たい汗が落ちる。俄かに逃げ出したい気持ちに襲われた。

 でも。

 

「おーい、みんな! ようやく俊輔がやってきたぞ!」


 目ざとく俺を見つけた矢上が、グラウンドに集まる連中全員に聞こえるような大声をあげた。

 一斉にみんなの目が俺に向けられる。

 俺も、みんなも、お互いにこの三年間避け続けてきた視線が今、久しぶりに交わり、そして――。

 

「おーう、俊輔! 久しぶりにみんなでサッカーしようぜ!」


 思ってもいなかった言葉をかけられた。

 

「え? 『久しぶりに』ってことは、先輩もしかしてあの人たちって」

「……そうだ、小学校で一緒にサッカーしてた連中だよ」


 かつて一緒にサッカーをして、悔しい涙を流して、中学では今度こそ頂点を取ろうなと約束した連中。

 だけど俺はその約束を破ってクラブチームへと入ってしまった。

 それは決して許されない裏切り。みんなが俺を避けるようになったのも仕方のないこと。だからもう二度とみんなとはサッカーをすることなんてないと思っていた。

 思っていたのに……。

 

「俊輔、聞いたぜ。明日の試合でマッチアップするの、なんかとんでもない奴らしいな!」

「しょうがねぇなぁ。俺たちが力を貸してやるぜ」

「おう、俺たち早野少年キッカーズが力を合わせればなんとかなるさ!」


 みんなが次々とグラウンドから駆け寄ってきては、温かい声をかけてくれる。

 なんだこれ?

 なんだこれ?

 なんなんだ、これ?

 こんなこと、あっていいのか? だって俺、お前たちを裏切ったんだぞ?

 

「おいみんな、それぐらいでやめてやれよ。俊輔、泣きそうになってるぞ」


 みんなから少し遅れてやってきた矢上が、俺の肩に腕を回してからかってくる。

 

「なっ!? 泣きそうになんかなってねーよ!」

「ホントかぁ? 心の中では『裏切り者の俺のために』とか思って感極まってんじゃねーの?」

「そんなこと……あるかよ!」


 いや、まさにその通りで一瞬声に詰まる。

 

「まぁ確かにみんなもクラブチームに行っちまったお前とどう付き合っていいのかよく分からなかったこともある。おまけにお前も『自分、裏切り者ッス。すみません。ほっといてください』みたいな態度を取るから、なおさらだよな。だけどよ、昨日の夜にみんなに訊いたんだ。『俊輔とまたサッカーやってみたくなくね?』って。そうしたらさ、みんなの答えは同じだったよ」



『そんなもん、やりたいに決まってるだろ!』

 


「てことでサッカーしようぜ! 俊輔!」


 矢上が肩に回した腕をぐっと引き寄せ、ヘッドロックしたまま俺をズルズルと引っ張った。

 痛い痛い痛い! この馬鹿力野郎、もっと手加減しやがれ!

 だけど不思議とやめろとは言えなかった。

 むしろ顔をみんなに見られないよう自然に下を向けるのが、今はなによりもありがたかった。

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