第23話:後輩が望めば、勝利は俺の手の中に

 学園祭に突如としてU-17日本代表の監督を務める大滝克己が現れて、俺がまだクラブチームに籍を残していること、そして次の日曜日の試合に出ろと告げられてから一週間。

 普通ならどう考えても無茶な話で、相手の実力を知れば知るほど絶望的な戦力差を感じさせられたけれど、なんとかギリギリになって準備が整った。

 

 とは言っても特訓ばかり力を入れすぎて、チーム練習は何もしていない。

 そもそも天野さんやみんなの協力を得て生み出した秘策も、イメージトレーニングの窪塚寛治には通用してくれたが、ホンモノにはどうなるかはまさに神のみぞ知る、だ。

 

 それでも今はもうやれることは全てやったと自分を信じ、明日の試合に向けて体調を整えるのがベストだろう。

 飯を食い、風呂に入って、軽いストレッチの後、早めにベッドへ。

 後は何も考えずに眠ればいい……んだけど。

 

 ボスッ!

 

 気が付けば家を抜け出して、いつもの河川敷でボールを蹴る俺がいた。

 ポツリと立つ照明灯に照らされた土手をゴールに見立て、ひたすらフリーキックの練習をする。

 昔からの癖だ。何か大きな試合があって眠れないと、ついここに来て心が落ち着くまでフリーキックを蹴り続ける。

 当然無駄な疲れが溜まるし、下手したら足を挫くなどの怪我をする危険性だってあるのは重々承知。それでもこれが一番リラックス出来るんだから、改めて自分のサッカー馬鹿ぶりに呆れてしまう。

 

 ボスッ!

 

 明日の試合、勝てるんだろうか……。

 

 ボスッ!

 

 あれだけ練習したんだ、勝ちたいよな……。

 

 ボスッ!

 

 なんだかんだ言いつつ練習に付き合ってくれた矢上の為にも……。

 

 ボスッ!

 

 そして何より俺を信じてくれた天野さんの為に……。

 

 いつもならボールを蹴っていると無心になっていくのに、今日に限って蹴れば蹴るほど勝ちたいって気持ちが強くなっていく。 

 無謀なのは分かっているんだ。この一年間で俺は試合に出ていないどころかちゃんとした練習すらしていないのに、あいつはみっちり練習をして、試合で経験を積み、サッカーととことん向き合ってきた。そんな相手にちょっと一週間練習しただけの俺が……一度はサッカーから逃げ出した俺が勝ちたいと願うのはあまりに虫が良すぎる話だろう。

 

 でも、勝ちたいんだ!

 最初は俺の持っている力を全て出し切ればそれでいいなんて思っていたけれど、やっぱり勝ちたいんだよ、俺は!

 

 そんなことを考えていると、フリーキックを蹴る俺の前に脳内スケッチが生み出した窪塚寛治が現れた。

 どうやら壁に入るらしい。

 

 面白い。お前をぶち破ってゴールネットを揺らしてやらぁ。


 と意気込んだのはいいものの、それ以降、俺の蹴ったボールがゴールに吸い込まれることはない。

 

「ああ、もうっ!」 


 何度目のボールかもはや数えてはいないけれど、また蹴ったボールが頭の中に思い描くゴールの右上に外れていった。 

 まいったな。勝ちたいという気持ちが強すぎて焦りまくりじゃねぇか、俺。

 これじゃあ心落ち着かせるどころか、かえって――

 

「先輩、さっきから肩に力が入りすぎてます」

「うおっ!? あ、天野さん?」

「はい。こんばんは、先輩」

「ああ、こんばんは……って、どうしてここに?」

「先輩にどうしても今夜中に渡したいものがあって、お家に行ったんですよ。そしたら先輩のお母さんから『うちのバカ息子なら河川敷でまたボールを蹴ってやがるよ』って教えてもらって」


 まったく親子揃ってボールの蹴りあいがそんなに面白いかねぇってお母さんが言っておられましたよと天野さんがクスクス笑った。

 

「いやいや、笑ってる場合じゃないぞ、天野さん。女の子ひとりでこんな夜遅くに出歩いちゃ危ないじゃねぇか」


 特に君の場合、年齢に相応しくない立派なものをお持ちなんだから。


「あ、それなら大丈夫です。実はお爺ちゃんが昨日からうちに遊びに来てて、さっきも一緒についてきてくれたんですよー」

「うえっ!? あの爺さんが!?」

「はい。先輩の姿を見つけたらどこかに行っちゃいましたけどね。お爺ちゃん、本当なら先輩に『海の男になれ』と説得するつもりだったらしいんですけど……」


 ……いや、あの爺さんの場合、説得じゃなくて脅迫だろ。何がどうして心変わりしたのかは知らないけど、助かった。

 

「で、私が話しかけても先輩全然反応しないからしばらく黙って見てたんです」

「そうだったのか……ところでどれぐらい前から見てたの?」

「そうですね、先輩が矢上先輩や私の為に勝ちたいと呟いていたあたりからです」


 え、あれ、俺の心情描写じゃなくて口に出してたの!? 


「で、見てたらなんだかどんどん身体に無駄な力が入っちゃってきて。先輩、気負い過ぎなのです」

「うっ! で、でもそれは仕方ないだろ。明日の試合はそれぐらい重要なわけで」

「そんな重要な試合だからこそリラックスして挑むのが大切なんじゃないんですか?」


 ……ハイ、仰ル通リデス。

 

「そこでですね、先輩が改めて自信を深め、リラックスしてもらおうと思って私からプレゼントがあります」

「プレゼント?」

「はい。じゃじゃーん!」


 天野さんはそう言うと後ろ手に持っていたものを俺に差し出して……と思ったら、その手には何も握られてなくて一瞬わけが分からなかった。

 が、やがてその真意を悟り、頭の中が更なるパニックに陥る。

 え、これってつまりは天野さん自身がプレゼント、ってこと? 俺の自信を深めるって、それはまさか俺を立派な男に――

 

「あ、待ちくたびれてプレゼントを地面に置いてたんでした」


 ですよねー! うん、だと思った! そうだろうなと確信してたよ、いやマジで!


「はい、先輩。これを先輩にあげます」


 天野さんは腰を下ろしてそいつを拾い上げると、にこやかな笑顔を添えて俺に差し出してくる。


「え? これって……」


 だけど対照的に俺はそれを見て、さっき以上に戸惑ってしまった。

 だって、それは

 

「これ、天野さんのスケッチブック、だよね?」

「はい。先輩を描いたスケッチブックです。これを先輩に差し上げます。私にはもう必要ないと思うので」

「え? どういうこと?」

「私、美術部を辞めますから」


 …………はい?

 

「私、絵は下手ですけどそれでも頑張って先輩の凄い才能を完璧に描き写したつもりです。ですからこれを見てもらえれば、先輩はきっと自分にもっと自信が」

「いや、ちょっと待って! 美術部を辞めるってどういうことだよ!? 俺、なんかした? 天野さんが美術部を辞めるぐらい嫌なことをなんかしでかしてたのか?」


 いや、まぁ、普通はヌードデッサンの為に裸にされたら誰だって退部を考えるだろうけど、それはお互い様っていうか、そもそもは天野さんの方から俺の裸を描きたくて自分で服を脱いだわけだし、きっとこれは関係ないはず。てことはそれとは別に俺が何か天野さんが不快に思うことをしでかしていたわけで、これと言って見覚えは……あ、最近、美術部の活動そっちのけでサッカーばかりやってたからそれを内心不満に思っていたってことか? だったら今すぐここで全裸になるから! 天野さんの好きなだけ俺の裸を描いていいから! だから美術部を辞めるなんて、頼むからそんなこと言わ――。

 

「いえいえ。だって先輩、明日の試合に勝ったらまたクラブチームに戻るじゃないですか。そうしたら自然と部室には顔を出せなくなりますし、だったら私が美術部にいる意味はないなぁ、と思って」

「あ……」

「そもそも先輩が卒業したら、私も美術部を辞めるつもりでいましたから」


 言われて思い出したわ。そう言えば天野さん、俺の裸を描きたい一心で美術部に入ってきたんだっけ。

 

「実を言うと今回の試合の話が出る前までは、先輩が美術部を引退しても部室で受験勉強してもらうつもりだったんですよ」


 もちろんすっぽんぽんで、と付け足す天野さん。

 

「ですけど先輩がサッカーに戻るんでしたら、それが一番いいと思うので。だからもう先輩のヌードデッサンは終わりです」


 天野さんは笑顔のまま話すのを俺は黙って聞いていた。

 天野さんが美術部を辞めるということ。それはつまりふたりの秘密のヌードデッサンが終わるということで、俺はもう天野さんのあのたわわに実った(そして今もさらに成長を続ける)おっぱいや、彼女の秘密な部分をもう二度と見ることはないということでもある。


 だけど正直なところ、その事実に気付いたのはもう少し経ってからのことだ。

 この時の俺はただひたすら天野さんってスゲェなと感心していた。

 

 だって天野さん、俺が明日の試合で負けることなんてこれっぽっちも考えてないんだぜ。


 俺は絶対に勝つ。そう確信しているから美術部を辞める、そう言ってるんだ。

 すごい。いや、マジでスゲェよ。そこまで信じられたらもう、俺だって勝つのは当たり前なんだなって思えてきたよ。

 

 その証拠に見ろ、9メートルほど離れた場所に立つ、中学生離れした180センチ以上の大きな壁が、今では150センチもない俺以上に小さく感じらぁ。

 

 俺はやにわにボールを蹴った。

 イメージが生み出した窪塚寛治が懸命にジャンプする。その頭をギリギリかすめるように通り過ぎたボールは、まるで夜空に虹を掛けるような軌跡を描いて空想のゴール右隅へ吸い込まれていった。

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