The Stranger In This Town
死が教えてくれた味 1
「大丈夫?」
遠くから声がして、次に身体が揺すぶられた。
少しずつ意識が戻って来る。太陽の光が眩しい。
――ああ、そう言えばゴルフ場に来ていたんだ。
頭がしっかりと働き始め、視界が開く。目の前で小さな女の子が屈み込んで、私を見ている。
「子供……」
最後に子供を見たのはいつだったか。いやそれよりもなぜここに子供がいる。驚いて身体を起こして周囲を見渡すと、そこはゴルフ場ではなかった。緑色の芝生ではなく、雑草が生えた地面に倒れていた。
手にはしっかりと七番アイアンが握られている。ゴルフ場にいたことは間違いない。
「ここはどこ?」
思わず目の前の子供に訊いた。
「公園だよ」
「公園……」
しばらく聞いたことのない高い声で、女の子が教えてくれる。
「君は誰?」
「秋永
木乃美はにこっと笑った。
「木乃美、ちゃん?」
「うん」
木乃美は名前を呼ばれて嬉しそうに頷く。
「私はなぜここにいる?」
「分かんない。公園に来たら倒れてた。おじさんの名前は?」
「
「柊一君?」
「そうだよ」
起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。今朝充電した電力で、マイクロチップは無事動いているのだが、昼に飲んだドリンクの効果がもう切れようとしている。通常なら八時間は持つはずだが、身体全体に長い距離を走り続けたような疲労が残っていた。
「どうしたの? どこか痛いの?」
起き上がれない私を見て、木乃美が心配そうに小首を傾げる。
「大丈夫、どこも痛くない。ただ力が入らないんだ」
「お腹空いたの?」
脳のマイクロチップがすぐに意味を返してくれた。
「ああ、そうだね。お腹が空いて力が入らないんだ」
「私、お母さんにもらったドーナツがあるから一つ上げる」
木乃美は手に持った紙袋から、食べ物らしい丸い固形物を取り出した。
「はい、これ食べて」
「ありがとう」
礼を言って受け取ったが生まれてから、こんな固形物を口に入れたことがない。戸惑ってじっと見ていると、木乃美がまじめな顔をして言った。
「うちのお父さんも甘いものは嫌いだけど、ここのドーナツは大人も食べれるって言うよ」
甘い、またもやマイクロチップが教えてくれる。味覚の一つのようだ。
身体がエネルギーを欲しているので、思い切って口にすると食感は悪くなかった。
夢中になって貪り食うと、あっという間にドーナツは姿を消した。
不思議なもので腹に食べ物が入ると少し力が出た。
落ち着いて周囲を観察すると、そこは不思議な空間だった。四方を狭い庭のある家に囲まれている。空き地のところどころには、使い方の分からない建造物が置いてある。マイクロチップに照会すると、それはブランコ、滑り台、ジャングルジムという、子供が遊ぶのに使われた大昔の器具だと分かった。
「木乃美ちゃん、ここはどこなの?」
「うーん、うちの近くだよ」
「行政区って分かる?」
「分からない」
どうやら気絶している間に、とんでもないところに連れて来られたようだ。AI政府が何か危険を察知して、緊急避難をかけたのか。さっきまでプレイしていたゴルフ場でないことは確かだった。
四方を取り囲む家も何だかおかしい。どうもイミテーションではなく、本物の木でできた家のようだ。屋根が三角形など不思議な形をしている。とんでもない未開の地に避難したのかもしれない。
それにしてもなぜ自分だけこんな場所で倒れていたのか不思議だった。
――避難途中に、事故が起きて自分だけここに放り出されたのか?
悪い予感が脳内を駆け巡るが、周囲には事故の痕跡らしきものは何もなかった。
「柊一君はまだお腹空いてる? 何か買いに行こうか?」
買う? マイクロチップがすぐに解析してくれた。近世の貨幣制度における、物品を入手する行為のようだ。
「お金を持ってないんだ」
持ってないどころか見たこともない。
「柊一君は貧乏なんだ。分かった、じゃあうちにおいで。お母さんが何か食べ物をくれるよ」
ここにいても何も進展しないから、木乃美についていくことにした。
立ち上がって歩き出すが、足に力が入らずフラフラする。あんなに大きな固形食物にしてはエネルギー変換率は低いようだ。それにしてもここまでエネルギーが無くなるのは、生まれて初めてだった。
力を振り絞って木乃美について歩いていると、大通りに出た。そこにはコンクリートで造られた大きなビルがたくさんあった。
ビルはレトロなデザインで、七百年ぐらい昔の街並みに見えたが、ビル自体は老朽化してないから築は新しいようだ。
――わざとこういうデザインにしているのか? 何のために?
道には車がたくさん走っていたが、驚くことに人が運転している。AI制御されていない車の流れは、恐ろしいほど不規則で非効率だった。何よりも走行スピードが遅い。
それにしても何という空気の悪さだ。車は恐ろしいほど大きな音をたてて、車体の後部からガスを巻き散らしている。五百年前に姿を消したはずの、内燃機関を搭載しているのだろう。
人が運転していることに不安を覚えながら、車に注意して歩いていると、一台の車が変な加速をして交差点に入って来た。前の車は減速しているから当然衝突する。ものすごい音がして衝突された車が、柊一の方にはじき飛ばされて来た。
「危ない」
マイクロチップが即座に反応し、全身の筋肉に指示が出る。私は木乃美を抱き上げ後方に飛び退いたが、突っ込んで来た車のボディの一部分と身体が接触した。
右足に激痛が走る。
そのまま地面に倒れこむが、ここでもマイクロチップが的確な指示を筋肉に与え、木乃美に衝撃が来ないように全身でカバーできた。
その代償として、背中には激痛が走る。
車はそのまま歩道を超えてショップらしき建物に衝突して止まった。
「大丈夫?」
腕の中で木乃美が心配そうに聞いてくる。
「ああ、木乃美ちゃんは?」
「大丈夫だよ」
――そうか、よかった。
木乃美の無事を確認すると、また身体に激痛が走る。しかも今の動作で完全にエネルギーが切れたようだ。
けたたましいサイレンの音がして白い車が到着する。車体には富士沢消防署と記されている。車の中から青い作業服にヘルメットを被った男たちが降りてきた。
「大丈夫ですか?」
「はい、この子を頼みます」
木乃美の保護を頼んだが、肝心の木乃美が離れようとしない。
「お名前を聞いてもいいですか?」
「三上柊一です」
「三上さん、どこか痛いところが有りますか?」
「右足と背中が痛いです」
白い車から降りた男は丁寧に私の身体を調べだした。
「被害者は二十代と思われる男性、右足と背中に痛み、緊急搬送します」
――おいおい、二十代なんて今どきいないだろう。
私の身体を調べた男は、わざわざ老け顔に施している男に報告している。木乃美のような子供の存在と言い、ここはどこかおかしい。
隣では救急隊員が木乃美に質問していた。
「パパはお医者さんだよ。慶新大学病院にいるよ」
「お嬢ちゃんの名前は?」
「秋永木乃美」
「分かりました。お父さんの病院に連絡してみます」
タンカに載せられてそのまま白い車に乗りこんだ。驚くことに担架はロボットではなく人が運んだ。木乃美もそのまま乗り込む。
車は二十分程走って病院に着いた。走行中はサイレンを鳴らしっぱなしでけたたましい。なんだか、猛烈に眠気が襲ってくる。完全にエネルギーが切れたらしい。深い闇の中に落ちた。
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