愛と死 ――死を覚悟した佐川の思いを聞き、大いに悩む私
それでも次の日は忙しかったので、佐川さんのところに行くのは二日後になった。
病室の佐川さんは二日前に会ったときよりも、気のせいかやつれているように見えた。
「ああ、三上さんちゃんと会いに来てくれるなんて、やっぱりあなたは誠実な人だ」
「買い被りですよ、物のついでですから」
「あれから紀香について何か木乃美ちゃんから聞いていますか?」
やはり普段の下条先生の様子が聞きたいようだ。
「いつもと同じように明るくて元気な姿を、子供たちには見せているようですよ」
少し緊張していた佐川さんの顔がスーっと緩んで笑顔になった。
「良かった。彼女の仕事に影響が出なくて……」
佐川さんは自分が生死の狭間にいて、危うい状態であることを、忘れたかのように安心していた。
「ご自分の状態よりも彼女の心配ですか?」
「もちろんです。僕の身体は成るようにしかならないし、治らなければ子供たちを教えることもない。でも彼女は違う。僕のことに気を奪われなければ、とてもいい先生であることは間違いない」
佐川さんは顔を真っ直ぐに私の方に向け、濁りのない眼で射抜くように私を見た。
「彼女はとてもいい教師なんですよ。よく勉強しているし、何より情熱がある。現場にきちんと向き合って、子供だけではなくその子の家庭についても分かろうとしている。まさに理想的な教師だ」
「そこに共感できるのは、佐川さんも同じようにいい教師だからじゃないですか」
「僕はね、三上さん、教師って大変な重責とやりがいのある職業だと思っているんですよ。だから自分のことは二の次で、結婚だってしなくていいと思っていた。でも彼女と会って変わったんです」
「どんな風に変わったのですか?」
「
「なるほど」
それは一理あると思った。確かに子育ての苦労を実際に体験していない者に、とやかく言われたくない。慎蔵先生や満江さんを見ていると、子供をちゃんと育ててきた、威厳のようなものを感じる。
「だけど僕のような身体になってしまったら、それはとても難しい話になる。だからできれば僕のことなど忘れて、他の人と一緒に成って、ちゃんと理想の教師を目指して欲しいんです」
佐川の澄んだ目を見ると、彼が病気になって自暴自棄に成ってるのではなく、自分が果たせなかった教師の道を、彼女に代わりに歩いて欲しいと願っていることがよく分かる。
「だからね、三上さん、厚かましいお願いですが、紀香が変な情に流されて道を踏み外しそうになったら、僕の願ってることを伝えて欲しいんです」
佐川はこんな私に深々と頭を下げる。元より私にそんな芸当ができるわけはない。
「やめてください佐川さん、頭を上げてください。伝えます。もちろんあなたの考えは伝えます。でも私が話しても彼女に影響が与えられるとは思えませんよ」
佐川さんは頭を上げて私を見て、にっこりとほほ笑んだ。
「大丈夫です。三上さんは僕より若いけど、落ち着いていて大人の風がある。実際紀香もあなたと出会って、何でも包み込んでしまいそうな大きさがあると感心してました。だから僕もあなたを信じられるのです」
また誤解されている。実際の私は、他人とコミュニケーションのやり方も知らない、未熟な男なのだが。
「佐川さん、仕事があるのでそろそろお
私の懇願に佐川さんはただ優しく笑うだけだった。
佐川さんの病室を出てエレベーターに向かって歩いていると、ナースステーションから出てくる斎藤さんに出会った。
「あら、三上さん、お久しぶり、お元気ですか?」
相変わらず気持ちのいい愛らしい笑顔を向けてくる。
「はい、おかげさまで」
「今日はどなたかのお見舞いですか?」
「はい、佐川さんのお見舞いに来ました」
「佐川さん……」
斎藤さんの顔が気のせいか曇って見える。
「佐川さんがどうかしましたか?」
「ええ、佐川さん病気が重いことは確かなんですが、それ以上に生きようとする意欲を、あまり感じなくて心配なんです。ご自身が強く思わないと、治るものもダメになることがありますから」
そう言って、斎藤さんは悔しそうな顔をした。
「斎藤さんもそういう風に感じますか……」
「三上さんもそう感じているんですか?」
「ええ、気になることもおっしゃってたし」
「私、知りたいです。佐川さんの考えていること。今日、仕事が終わったら秋永医院に伺いますので、教えてくれませんか」
斎藤さんは情熱的な目で私に迫って来た。斎藤さんに教えてあげたいが、佐川さんから託された話をしていいものか迷った。
それでも誰かと話せば、佐川さんの話を聞いてから、心の中に引っかかってるものが分かるかもしれないと思って承諾した。
「では、夜の八時ごろ伺いますね」
そう言って斎藤さんは病室の方に去って行った。
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