愛と死 ――佐川の病を知り、彼の願い通り話し相手になる
「これで二回目ですね。私は二小で教師をしている佐川です」
「あっ、ご挨拶が遅れました。三上と申します」
「下条先生の生徒さんの命を救ったとか」
「いえ、そんな大したことはしていません」
「そんなことはない。いざそういう場面に出くわしても、人はなかなか行動できないものです。ましてや自分の命もかかった場面では。あなたは勇気が有る人ですね」
「恐縮です」
本当に恐縮した。その時は死ぬということがまだ実感としてなかった時だ。恐怖もなく無意識で身体が動いたというのが本当のところだ。
「私などてんで意気地なしです。婚約者に、自分のことを伝えることができなくて、秋永先生に頼んでしまった」
「どういうことですか?」
思わず聞いてしまって後悔した。佐川が黙ってしまったからだ。ここは病院だ。実は、と気楽に話せることではないだろう。やっぱりいいです、と言おうとした矢先に佐川が話し始めた。
「実は私は癌なんです。それも三年前に一回胃癌を切除して、今日の検診で今度は膵臓に見つかったんです。できた場所が悪くて手術が難しいらしく、もう絶望して何が何だか分からなくなって、今は紀香にとてもじゃないですが、うまく説明できる自信が無いわけです。それで秋永先生にお願いしました」
命に係わる深刻な話だった。佐川さんがまだ下条先生と話し合ってもないのに、自分が聞いてしまったことを後悔した。
「すいません。こんな大事な話を気軽に聞いてしまって。ホントは話したくなかったんじゃないですか」
私が頭を下げると、佐川は首を横に振った。
「いえ、本当は誰かに聞いて欲しいんです。ただ紀香が心配したり落ち込む姿は、正直言って見たくない。だから三上さんに話せて嬉しいです」
「そんな、私なんかに」
「いえ、あなたはお若いのに泰然とした風がある。どこか安心させられます。私はしばらく入院することになります。厚かましいお願いですが、どうかしばらく私の話し相手になってもらえませんか」
「私でいいんですか?」
「まったく厚かましいお願いで申し訳ありません。でも誰かに聞いて欲しいんです」
佐川の気持ちはよく理解できなかったが、ここまで聞いて断ることはできなかった。
連絡先の交換をしてから、しばらくの間今の自分が置かれた状況などを話していると、下条先生が戻って来た。秋永先生から佐川さんの癌の説明を受けたはずだ。
「何落ち込んでるの。秋永先生は治る可能性がないわけじゃない言ってたわよ」
「君は僕がこんな状態になって、婚約したことを後悔したりしないのかい」
佐川は意外に落ち着いていた。
「何言ってんのよ。癌ぐらい二人で乗り切ろう」
下条先生は明るく励ました。
「ありがとう。でも僕は君を幸せにできない」
「あなたができなかったら、私があなたを幸せにしてあげる」
私は横に置かれて、ただ二人のやり取りを聞いているしかなかった。
「ねぇ慎蔵先生、癌に成ると恋人に知らせるのは嫌なもんなんですか?」
私の唐突な問いに慎蔵先生はふむと首を傾げた。
「それは個人差が大きいかもしれない。まあ、一般的には心配をかけるから躊躇するだろうな」
「そうなんですか。じゃあもし慎蔵先生が仮にですよ、癌に成ったら満江さんには言わないですか」
慎蔵先生はニヤリと笑った。
「それは言うだろうな」
あっさりと言われたので不思議に思って思わず問いを続けてしまった。
「どうしてですか? 満江さんが心配するじゃないですか」
「心配をかけるが、儂は満江の芯の強さを信頼している。それに言わなくて後で知ったときのあいつの怒りも恐ろしい」
そう言って慎蔵先生は首をすくめた。
「そうなんですね……」
まだ私が得心してないと思ったのか、慎蔵先生は言葉を続けた。
「まあ、儂らは夫婦として長いからな。柊さんが聞きたいのは恋人同士の場合だろう」
「そうです」
「それなら、話は違うと思うぞ。まだ結婚してないなら、健康に不安がある自分と一緒に成って不幸にさせたくないと思うかもしれないし、逆に相手が結婚するのが嫌になるのではと不安になるかもしれない。要はそれぞれの愛し方によるだろうな」
「ふーん、愛って難しいですね」
「で、それは誰の話なんだ。柊さんが聞くってことは実在するんだろう」
佐川さんに聞いた話をしていいか迷ったが、約束を守るにはしばしばここを抜け出さなくてはならない。慎蔵先生を信頼して話すことにした。
「実は木乃美ちゃんの担任の先生の恋人なんです」
「ほー、それはまた微妙な関係だな」
「土曜日に木乃美ちゃんとランチしたときに、たまたま出会って知り合ったのですが、今日慎二先生のところに行ったときにまた偶然会って、彼の方から話して来たんです」
「偶然が重なるもんだな。縁があるってことだ。それで恋人の先生に話せないと悩んでたのかい」
「はい、それで慎二先生に頼んで話してもらったそうです」
「何、慎二がそんな大役を任されたのか。あいつも偉くなったもんだな」
そこに拘るとは思わなかったので慌てた。
「慎二先生は誠実なんで患者さんから人気がありますよ」
「何、まだまだひよっこじゃよ。あいつが医者として人を語るのは十年早い」
なんとも厳しい慎蔵先生だったが、満江さんが現われると大人しくなった。
「それで先生、その恋人さんから話し相手を頼まれたんですけど、行ってもいいですか?」
慎蔵先生はさっきまでの勢いは少し失ったが、それでも威厳を込めて言った。
「行ってあげなさい。救いを求めている患者さんの力に成るのは大事なことだ」
満江さんは話の内容が分からなくて、きょとんとしていた。
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