邂逅 ――慎二に市長選の裏側を聞き、選挙活動に参加することを決意
「患者さんの家族用の面談室があるから、そこで話をしようか」
面談室は平日の昼間は、休日や夜に比べて比較的空いている。二人で缶コーヒーを買ってそこに向かった。
「で、丈晶の何が聞きたいの?」
ソファに座るなり、慎二先生は本題を切り出した。
「実は昨日慎蔵先生に東さんのことを訊いたら、あいつも苦労したと言われ、何とも微妙な空気が漂いました。結局何があったのかそれ以上聞けなかったので、慎二先生にお訊きしたいと思って来ました」
「うーん」
やはり深刻な話なのか慎二先生は少しためらいを見せた。ストレートな物言いの慎二先生にしては珍しかった。
その様子を見て少し迷った。知りたい気持ちは大きいが、そこにはうかつに漏らせない重大な秘密があるのかもしれない。
「あの、聞いてはまずい話でしたら、けっこうです。すいません変なことを訊いて」
いかにも話しにくそうな慎二先生に恐縮して、慌てて要求を撤回した。そこまでして聞いてはいけないと思った
「いや、話して拙い話じゃないんだ。親父にとって柊さんは息子のように思えるから、こういう泥臭い話はしたくなかったんだろう」
こんな身元の分からない自分を、息子だなんてありがたい話だ。身が引き締まる思いで次の慎二先生の言葉を待った。
「富士沢市は数年前に財政破綻を起こしたんだ」
「財政破綻ですか」
マイクロチップがすぐに意味を検索してくれた。市の財政破綻とは、公共工事や福祉などの支出が税収などの収入を上回り、財務状況が赤字に陥ることだ。
この時代の日本の地方都市はだいたいがその状態なのだが、地方債や国からの交付金で何とか赤字を埋めている。
しかしここで慎二先生の言う財政破綻とは、それでも赤字の状態を言うのだ。
「ここは地方都市には珍しく医療施設の発達した街だ。東京の慶新大学の附属病院も誘致されている。大きな病院も人口に比べて多く、東京からわざわざ療養で来る患者も多い」
確かに気候も温暖で、北には富士山、南には駿河湾を擁した風光明媚な場所だ。病気になった人が癒しを求めてここで治療をするのも分かる気がする。
「それは全部前市長の丸山徳道の功績だ。辣腕だった丸山は、政治力を駆使して大病院の誘致を次々に成功させた。大きな病院があるとそれに連動して、製薬会社や医療機器メーカーの大きな営業所ができて人も集まって来る。小さな地方都市だった富士沢市は、一変して静岡でも有数の大都市に生まれ変わったんだ」
大したもんだ。現実にそれだけの手配を調整していくためには、どれほどの精力的な活動が必要なのか想像もつかない。
「それ程の成功を収めてなぜ財政破綻が生じたんですか」
「やりすぎたのさ。医療都市として有名になった後で、今度は都会の金持ちたちの余生を送る街として、大々的に住宅開発に乗り出した。ところが、これが大失敗だ。病院の近くに大開発を行ったのはいいが、移住希望者がほとんど集まらなかった。その結果財政破綻した自治体として一挙にクローズアップされた」
「どうして無茶な開発に乗り出したんだろう」
「私権に走ったのさ。医療都市として全国的に有名になっていく中で、入院優先権などの口利きで賄賂を受け取った。分譲する住宅の土地取得にも黒い噂があった」
「それで失脚したんですか?」
「いや、再生も自分の手で行うと、禊をスローガンに丸山は市長に居座ろうとした」
「どうしてそんなことができるんですか?」
「そこが政治の不思議なところで、丸山に対抗できる人がいなかったんだ。当時の有力な政治家はみんな丸山の息がかかっているし、他の候補者も批判だけで具体的な再生へのコンセプトが無かった」
人間のする政治の不思議さだと思った。AIの行う政治にはそうしためんどくさい問題は生じない。
「そこで立ったのが丈晶だった。丸山が相変わらず都会の金のある老人を引き込んで、富士沢を老人の街にしようとするのに対して、子育てしやすい街をコンセプトにして対抗した」
「子供多いじゃないですか、大成功ですね」
「ああ、だがあいつが立候補したのは二十代のときだ。実績も何もない若造が、妖怪のような有力者を押しのけて市長になるまでは、たいへんな苦労があった」
「そうなんですか」
「ああ、政治はやはり豊富な人脈による調整力が大きな力と成る。老人が有利にできているんだ」
もしかすると、今慎二先生の言った調整力は、魔法の一つかもしれない。
「それでどうやって打開したんですか」
「老人の中にも心ある人は多かった。うちの親父なんかも加わって、強力な支援団体を作ったんだ。これが選挙で効いた。なんとか選挙戦を勝ち抜いて今がある」
「すごく、いい話ですね」
「ああ、いい話ばかりではないが」
「そうなんですか」
「選挙後に丸山の不正が暴かれそうになって、秘書が自殺したり、地元の建設会社の役員が事故死したりした」
「なんでそんなことになったんですか?」
「責任を感じてと言う話だが、殺されたって言う人もいる」
そこが謎であることに驚く。謎であることを当然のように受け止めている慎二先生にも驚く。
「東さんは今度の選挙も立候補するんですか?」
「今年四年間の任期が終わり、あいつは再選を目指して立候補する。だが予想では再選はかなり厳しい」
「なぜですか? だってこの四年間で十分な結果を出した実績があるじゃないですか」
「柊さんは会社が赤字に成ったらまず何をすると思う」
経営学か、マイクロチップがすかさず答えをくれる。
「無駄な支出を減らしますね」
「その通りだ。あいつも同じ考えだった。だから無駄な公共工事は止めたし、公共施設の掃除は市役所の職員が直接行うようにした」
「なるほど。それはすごい」
「だが、それで旨味が無くなる人間が思いの他多かったのさ。あいつのやり方は無駄な金を没収して、意味のある所に再配分する。それを徹底してやる。それまで既得権益で収入を得ていた人間は大打撃さ。だから今回、彼らは一斉に反対者に回ったわけだ」
「多いんですか」
「こんなにたくさんの人間が、市政にぶら下がっていたんだと思ったよ。そういう連中は中央につながっているやつも多い」
「中央?」
「例えば静岡二区選出の国会議員である
「それは意味があるんですか?」
「もちろんあるさ。まず実弾が豊富になる」
「実弾?」
「選挙に使う裏金のことさ」
「お金が必要なんですか?」
今日は驚くことばかりだった。
「ああ、選挙ってのは意外と金がかかるんだ。票のとりまとめをお願いする企業幹部や自治会関係者などの接待、選挙の手伝いに来てくれた方たちへの差し入れや弁当代、公選法では報酬を渡せない人たちへのお礼、これは報酬といっても、現金を渡すのでなく、飲食代を事務所で負担するとか、野球やコンサートのチケットなどにして渡すとかしている。これらは公式には計上されない裏金だ」
「それは違反じゃないんですか?」
「もちろんそうだが、ちょっとやそっとではばれない仕組みになっていて、摘発される者はごく一部だ」
「完全に本質とズレちゃってますね」
「それが人間なんだろうな。とにかく前回は前市長の不正追及があったから、手弁当で人が集まったが今回はそういうのがない。普通の選挙に成れば、東は圧倒的に不利だ。人間ってのは喉元過ぎれば熱さ忘れるだからな」
慎二先生は語り疲れたのか、ふーっと溜息をついた。
「なんだか、がぜん興味が湧いてきました」
疲れて目を伏せていた慎二先生は、おやっという顔をした。
「慎二先生は今回も東さんを支援するんですか?」
「当たり前だ。親父も俺も丈晶をとことん支援する」
「分かりました。じゃあ、私も混ぜてください。東さんの支援者の一員に成ります」
私の申し出に、慎二先生は心配そうに顔を曇らせた。
「いいのかい? 俺たちへの義理なら気にしなくていいんだぜ」
「いえ、義理ではありません。ただ恩は感じてますし、慎蔵さんや慎二さんと一緒に何かしたいんです。それに政治の世界について何も知らないだけに、興味が湧きます。この際、少しだけ未知の世界を覗いてみようかと思っています」
「思いっきりどろどろした世界だぜ」
「ええ、そのぐらい人間臭い方が、記憶を取り戻すきっかけになると思うんです」
「なるほど、それは一理あるな」
慎二先生は私のでまかせをすっかり信じたようだった。
「じゃあ、俺から丈晶に柊さんが手伝ってくれると連絡しておくよ」
「ありがとうございます」
この世界に来て、初めて、いや生まれて初めて、目標を持って何かを成し遂げたい気持ちになった。
「ところで慎二先生、もう一つだけ訊いてもいいですか?」
「もちろんだ」
「皆さん、候補者のことをどうやって知るんですか?」
「どうやってと言ってもなぁ。名前と顔以外はよく知らない人がほとんどだろうな」
「それでどうやって投票するんですか?」
慎二先生はクククと笑い始めた。
「柊さんは痛いとこ突くなぁ」
私は笑いの意味が分からずポカンとした。
「市長に成りますと公に言えるのは、投票日の一週間前からなんだ。だから住民は候補者のことをほとんど知らないし、投票率は低くなる。それでも市長は選ばれて、投票を放棄した人も含めて皆が選んだのだから、市政の責任は市民にあるなんて言われる」
「どうしてもっと知られる努力をしないんですかねぇ」
「一つは公職選挙法に縛られていろいろ発言ができないことがある。そしてもう一つは投票率が低い方が助かる奴らがいるからさ」
「どういうことですか?」
「それは柊さんが選挙を手伝ううちにおいおい分かって来るさ」
忙しい慎二先生をあまり拘束するのは申し訳ない。
「では戻ります。長い時間ありがとうございました」
「いや、こちらこそ、柊さん、無理はしないでくれよな」
「できることをやります」
なんだかやる気が溢れてきた。帰り道も何から始めるかずっと考えていた。そして家に着くまでにあることを思いついた。
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