#2 アウェイクニング・エンジェル Act.3

 燈とグレチェールの邂逅から一夜明けて翌日。事務所にいつも通り出勤したストレイキャッツの面々は、いつもと明らかに違う一人の様子を目の当たりにした。

「……なあ準。お前……何やってんだ……?」

 思わず瞬は問い掛ける。

 普段なら準は最後に事務所入りした挙句来客用ソファーに陣取って寝転がっている筈だ。だが彼は……"まともに働こうとしていた"。

「あ?仕事探しだよ。悪いか」

 誰よりも、隣に家がある瞬やフランシスよりも早く出勤し、仕事用のパソコンでストレイキャッツ宛てや不特定に宛てられた依頼を漁っている。

「とかいってゲーム……してない、だと?嘘だろ……?」

「どっかの猫女と一緒にするんじゃねえ、こちとら割かし真面目にやろうとしてんだ」

 準のパソコンに注ぐ視線は真剣そのものである。

「ちょっと、アタシのは立派なライフワークよ!」

「弥生?通信料は貴女持ちで請求飛ばすわよ?」

 反論する弥生の背後でフランシスが般若のオーラを放っている。

 朝からコントめいたやり取りをしている傍で、燈は一人昨夜の事を思い出していた。


△△△


 午前一時。

 アパート『星海荘』、二階端の一部屋。

「……まだ起きてたんですか、準さん」

 眠りの浅かった燈が、準がリビングで開いているホロディスプレイのぼんやりと明るい蒼い光に気付き、起きて来る。

 準が弄っているのは魔法作成用の特殊魔法で『エディタ』と呼ばれているものだ。本人の魔力を分析し、固有の魔法術式の形成を支援する機能やオープンソース、所謂"店売り"魔法の編集等の機能を備えている。

 慣れた者であれば数値や構文を弄ることで魔力の効率であったり威力の変化、追加効果の付与など幅広く改造が可能だ。

「起こしちゃったか、ごめんな」

 準は手を止め、燈の方を見る。

「わたしは良いんですが、準さんが……」

「寝ずに作業したいだけの理由もあるんだよ。……今の力で何とか出来るってさ、少なからず思ってたんだ、俺」

「……準さんは、十分強いと思います」

 嘘はついていない。事実、フィジカルな戦闘に関して言えば準の実力は高い部類にある。だが、この『世界』の中では―――。

「ありがとな、燈ちゃん。でも、身体強化だけじゃ限界が来る。そいつはこの前の牡丹だけじゃねえ、恐らくあのおねーさんでも思い知らされただろうさ」

 牡丹の怪力と硬化魔法によってナイフも心もへし折られ尽くした、雪道陽一派との戦い。瞬達の活躍で戦いには勝ったものの、準個人としては惨敗もいい処だ。

「まあいい加減頃合いと思ってな、俺も魔法らしい魔法を作ってみようと思ったのさ。……そう、思ったんだけどなぁ……」

「?」

 エディタを見るに、使用可能属性は"風"と"鋼"。しかしサンプル代わりのオープンソースも何故かエラーを起こし、そもそも自分で取り敢えず風を起こそうと思っても全く反応がないのだ。そよ風一つ起こせないのである。もう一つの"鋼"にしても此方についてはいよいよ意味が分からない。

「書いてあるのに……使えない、と?」

「そうなんだよ……意味が分からねえ」

 若干苛立ちが募り始め、髪をぐしゃぐしゃと掻く。

「……あの、じゃあ『銀閃斬魔』って何の魔力で使ってるんですか?」

 ナイフが銀色に光り、身体も淡い銀の魔力光を放つ。恐らく何らかの属性を持っていると燈は予想したのだが。

「あれか……実は俺自身あんまり分かってねえんだ。昔ブチ切れた時に偶然発動して、銀色に光ってたって言うからそういう名前にしただけで」

「もしかして、コード化すらされてないんですか?」

 術式コード化されていれば無駄な魔力が大幅にカットされ、威力も上がる。残りの魔力全て使って発動、時間終了で気絶と言うのは話を聞いて以来ずっと燈が疑問に思っていた点だ。

 エディタを通しておきながらコストが"残り全ての魔力"など、設計ミス以外の何物でも無いからだ。

「出来るわけ無いだろ、その時の感覚思い出しながら使ってるだけだし」

 嫌な懸念が当たってしまった。いや、寧ろ幸運だったと言えるのだろうか。まだコード化されていないのであれば、改善の余地はある。

「ただまあ……見ての通り現状じゃ魔法作んのは無理くせえ。お手上げだよ」

「うーん……何でですかねえ……」

 準はエディタを閉じ立ち上がった。

「ま、考えても分かんねえから取り敢えずもっと戦って、バトル中に閃くのを期待しよう」

「現実はゲーム無いんですよ?もう……」

 とは言え、戦闘中に新たな魔法を思い付くのは実際無い話でもない。閃いた上それを実行出来るなら、の話だが。

「明日から真面目に依頼探すわ、そんで俺ソロで行く。瞬とか連れてったら全部持ってかれちまうからな。見てろったって聞かねえし」

「わたしも行きます!何かあったらどうするんですか!」

 この小さな体躯でも随分と逞しいところがある。それが今、準にとってはある意味悩みだった。

「……」

 実の処、一番コンプレックスを抱いているのは燈に対してだ。自分が燈を守るべき―――否、守りたいのに、総合力では完全に劣っている。それがどうしようもなく気に入らず、今に至っているのだから。

「……援護に徹するって約束してくれるか?」

「じゃあ……周辺を偵察してます。それなら良いですか?」

「まあ……良いとしよう」

 好意は嬉しいが、燈の為に頑張るのを本人見られたくないと言う気持ちの方がやはり強い。

「さてと、もう寝ろよ燈ちゃん。俺も寝るから。明日から忙しくなるぜ」

「はい!」


▽▽▽


「良い仕事……ありました?」

 恐る恐る、燈はパソコンを覗き込む。

「これとか良さそうだと思ってな」

 工場地帯に潜むバグの討伐。ターゲットは三体だが雑魚を従えている可能性アリとのこと。

「多くないですか……?一体の探した方が…」

「良いんだよ、まとめてぶっ殺して経験値ゲットさ」

「うーん……?」

「どれどれ、何やろうとしてんだ?」

 慢心する準を他所に、瞬も画面を見る。

(―――工場地帯に住み着いてるってことは電気か油か……。或いは鉄なんかの資材か?ちょっと情報が少なすぎるな……)

 瞬が行くのであれば多少のイレギュラーでも対応出来るだろうが、ナイフ一本のレベル上げなどと甘いことを言っていられる内容かと言われると……。

「なあ準、これ何処の工場だ?」

「月見第二工業区域ってあるな。あー……製鉄所とか鉄工所なんかが集まってるみたいだな」

「何日前から住み着いてる?」

「二日前だな」

(―――もし仮に鉄を食ってるとかだったとしても二日……二日ならまだこいつらでも行けるか?)

 喰らった物質を取り込み、自身を強化するバグはそう珍しい話ではない。ただの魔法物質だけでなく、物理的な物質と融合したバグは少々面倒な相手となる。

鉄を喰うバグと仮定すると、やはり準には相性が悪い相手であろう。燈でも苦戦する可能性が考えられる。

(―――それが、三体?)

「おいおい、まさかお前が行くとか言わないよな?頼むぜ瞬、これは俺の―――」

「いや別に止めねえよ。ただ油断はするなよ、って話だ。あと行くなら早めに行った方が良い」

「それは分かってるって。さあ行くぞ燈ちゃん!」

「は、はいっ!」

 立ち上がった準達に先駆けてフランシスが空間のゲートを開く。

「近くまで送ってあげるわ。無理はしないようにね?」

「あざっす!」

 準が飛び込んで行ったのを見ると、今度は燈に囁く。

「あの子の事、頼むわね。何かあったらすぐ私達に連絡頂戴ね」

「よろしくお願いします。……それでは」

 小さくお辞儀すると、燈もゲートの向こうに消える。

「……瞬」

「バグ詳細情報なし、鉄のやたら集まる位置。依頼者も慌ててたんだか知らねえが、それにしても奴等にはちょっときついと思うぜ」

「でも入り組んでる場所ならあの子達も戦い易いんじゃないかしら?」

「相手が"柔らかけりゃあ"な……。ま、やる気はあるみたいだから、いい経験になるんじゃないか。……それにこっちはこっちでやることがあるんだし」

 早速自分のパソコンを立ち上げた弥生に視線を送る。

「あのからくり人形ね。解析結果なら昨夜の内にまとめておいたわ」

 画面の前に三人が集まる。

「材質自体はただの魔法製の木ね。気になったのはやっぱり魔力の痕跡―――『フラグメント』ね。これがまーた厄介そうな結果でねえ」

 文字の多いレポートを読みながら、瞬も若干良くない予感を抱いていた。

「燈の幻覚なんかに近い魔力パターン、か……。早い話がまた"五景"のどっかの仕業と」

「そーいうことね」

「随分ガラの悪い人達なのかしらね、五景って」

 フランシスも実際彼らの全てを見たことはない。だが雪道との戦いから立て続けともなればあまり良い印象はない。

「あくまでも周囲の捜索だけしてたのが、不審者……つっても俺達の事だが、そいつらを見付けたので襲ってきただけ―――そう見ることも可能ではある」

「全くそうは思ってない言い方ね」

 弥生は頬杖をつき、厭らしい笑みを浮かべている。

「当然だろ。誰かが喧嘩売って来てるとしか思えねえ」

「と言っても……五景のからくり遣いなんて居るのかしら?」

 雪道と雨森がほぼ除外可能となった今、残るは"晴風"、"雲隠"、"星凪"の三家。

「えーと?薬の晴風、奇術の雲隠、武器職人星凪……あっ」

「居たな」

「居たわね」

 奇術。からくりを操作して遠隔攻撃を仕掛ける様な人間が奇術師に入らないとすれば何処に入ると云うのか。

「弥生、雲隠の所在は割り出せるか?」

「やってみる!」

「今回は管理局までハッキングする必要は無いかしら?」

 退屈半分、楽半分といった様子で笑うフランシスを見て瞬は苦笑を返す。

「だといいけどな。いい加減フランもお尋ね者扱いになっちまいそうで心配だよ」

「私が管理局如きに捕まるとでも思っていて?」

「まあ無理だろうさ。……っと、迅にも連絡入れといてやるか」

「あら、珍しいわね。貴方が迅の事思い出すなんて」

「しょうがねえだろあいつもその場に居たんだから……」

 渋々電話を掛ける瞬。別に好き好んで相手したい人間ではないが、それでも人形の解析を受け持った以上連絡はしておかねばと云うある種の道義だ。

「……ん……?」

 普段なら三コール以内で出てくるあの兄が、十秒以上経っても出て来ない。

「どうしたの?」

「いや……出ねえんだ、あいつが」

「……寝てるとか?」

「それで良いのかよ次期当主。そもそもあいつは至って健康的な生活してる筈だ」

(―――全くどいつもこいつもきな臭え……)

 色々と不明瞭過ぎて呆れと苛立ちが混じる。

「……取り敢えずメールでも残して、弥生が場所突き止め次第殴り込む」

「ちょっと短絡的過ぎんじゃないのー?」

「何言ってやがる、手ェ出されたのはこっちの方だぞ。ちょっとくらい―――」


 その時である。


 事務所前の広場に大量のからくり人形が突如として降って来た!

「!? フランッ!!」

逆転防壁インバース・ウォール!」

 フランシスが歪曲空間の壁を事務所全体に展開する!

 ほぼコンマ単位でのタイムラグを挟んでからくり人形達の指が一斉に火を噴き、鉛の嵐が吹き荒ぶ。

「ぶっ殺す気満々だな畜生!」

「今の内に裏から回って!」

「了解ッ!」

 裏口から飛び出して待ち伏せしていた二体を零距離射撃で粉砕すると、『電光石火フラッシュ・ステップ』で屋根上まで跳躍!

「おいおいこんなとこにまで居たか……ッと!」

 屋根上にも三体待機していた。

 だがそんなことはお構い無し、敵が構える前に数発ずつ撃ち込む。牽制した後は距離を詰めて直接蹴り飛ばし、広場を埋める奴等の中へ放り込む!

「ほうら、」

 もう一体蹴り飛ばす!

「もう一丁!」

 更にもう一体!三倍点!

 放り込まれた三体は軒並み味方の弾幕に晒され哀れ蜂の巣に!

 そして両手の銃を合わせて構えると、前方に巨大な黒い魔法陣が展開され、"黒"の魔力が充填される。三秒で必要な量のチャージは完了、詠唱して引鉄を引く!

「焼き払え、怒りの焔!―――《ブラック・オーバーフロー》!!」

 放たれた黒い弾丸が魔法陣を介し、巨大な黒い焔の奔流へと変わる!

 味方を撃っていた事に気付き、漸く異変を認識した人形達だが時既に遅し。屋根上より襲い掛かる"黒"の濁流に為す術無く呑み込まれ消滅!

 幸運にも射線から外れていた人形も居たが、弾切れの彼等に残されていたのは爪による近接攻撃のみ。次々と撤退しようとする人形達。だが突如として一体の首が飛び、明らかな"使い手"の動揺が彼等を通して浮かび上がった。

 残りの人形を次々と狩っていくのは、不可視の斬撃。一体、また一体と首が飛び最後の一体の時点で"本人"が直々に止めを刺す。

「おお?あいつは―――」

 瞬が見たのは遠巻きでも分かる、嘗ての戦友の姿。

 深緑のシャツに茶色のパンツとまるでファンタジーの盗人の様な格好、金髪に黒いバンダナを巻いた碧眼の女。

「よォ瞬!派手にぶっ放したじゃねえの!」

 男勝りな威勢の良い声が響く。

「ヴィーネ!帰って来てたのか!」

 屋根から飛び降り、彼女の元へと駆け寄る。

 ヴィーネ・エクラス、それが彼女の名である。高等部時代に知り合い、それから幾度と無く瞬達と共に戦った仲だ。此処半年近くの間、数人の仲間と共に星海町を離れてちょっとした仕事に出ていたのだが、今こうして目の前に居ると言うことは。

「おうよ、取り敢えず一段落着いたからお前らの顔見に帰って来たのさ。そしたらすげぇ久々にあの魔法を見たからすっ飛んで来てみりゃこの様だ」

「まあ……これには色々あってな…」

「まーた危ねえ橋渡ってんのかぁ?」

 にやにやと際どい距離まで瞬の顔を覗き込む。色々と距離の近い人間なのだ。色々と。

「難儀なことにな……立ち話も何だ、中行こうぜ」

 至っていつも通りに振る舞おうとするが、視線は明後日の方向に泳いでいる。それがヴィーネには堪らなく懐かしく、そして面白い。


「こうしてちゃんと話すのは久し振りね。ああ、砂糖は入れてたかしら」

 フランシスも一年だけだが彼女の先輩として同じ時間を過ごした経験がある。

「オレは無糖派なんだ。いやあ、こうして姉御のお茶がまた飲めるのは嬉しいぜ」

 概ね粗雑な印象を持たれる彼女だが、生まれはフランシスと同じくイギリスの名家だ。尤も、今の彼女に実家との繋がりは無いが。

「そうだ弥生、お前結局あいつとはどうなったんだ?」

「あー?相変わらず音信不通かと思ったらたまに連絡が来る、そんな感じよ……ったく」

 事務所内で唯一完全に独り身の彼女にも、学生時代から切れそうで続いている妙な関係がある。

「おやまあ、そいつは結構なこって」

 けけけ、と厭らしく笑う。

「アンタこそ良い男見付かんないわけ?」

「生憎と何でも出来る器用な嫁が居るもんでな。しかも巨乳だ、羨ましいだろ」

「嫁ってアンタも女じゃない」

「今更男も寄り付いて来ねえしなぁ。それに可愛い"妹"の世話もある」

 然程不満そうでも無い辺り、その点は本当に現状で満足しているのだろう。

「オレらの恋愛事情については割とどうでもいいんだ。それよりさっきのガラクタ共だよ。何なんだありゃ」

「"雲隠"の誰かの仕業、って処までは掴んでる……が、何故送り込んで来たのかが全く分からねえ。迷惑な話だ」

「ほー……雲隠ねぇ。五景が天下の天宮サマに何の用なんだかな。そんでお前らは、この後どうする気だったんだ?」

「直接ぶん殴る」

 至極単純にして一番分かりやすいやり方。我等の平和を乱すものにはそれ相応の報復を、それが瞬の流儀である。

「おったまげた、こりゃまた可哀想な奴の墓が建っちまうかもだ」

「考えてもみろ、自宅まで押し掛けられちゃあこれはもう熱烈な挑戦状と取って良いよなあ?」

 別段怒り散らすでも無く、ただ当然の事を語る。

「フランが優秀だったお陰で事務所はピンピンしてるだけの話であって、奴がやろうとしてたのは此処を丸ごと風通しの良い様に改築する事だろ?と、云うことは―――だ」

「焦土だな」

「焦土だよ」

 前回の雪道襲撃は燈を守ると云うそれなりの理由があったが、今回は最早単なる仕返しである。

「まー別に更地増やす分には良いけどよ、場所は分かってんのか?」

「それに関してはアタシが検索中よ」

「パソコンで出てくる情報なのかそれ……」

「アタシが"追ってる"のはネットの地図じゃなくてさっきの連中の魔力の出所よ」

「今のパソコンはそんなもん見れんのか」

「高い金出して魔力ターミナル付きの新世代機買ったのは正解だったわ。性能自体もデタラメだからゲームも快適だし」

 パソコンの本体に、旧世代のものにはない半球状でクリアグリーンのパーツが取り付けられている。これが魔力ターミナルで、一度触れることで認証・接続が完了し、同様にもう一度触れることで切断する。

 魔力ターミナル付きのパソコンは『世界』の情報を参照することが出来る為、ダイブによるリスクをまるで受けないと言う利点がある。唯一と言っていいデメリットとしてはやはり、ダイブよりアクセス速度は遅い処である。それでも使い手次第ではかなりの速度を叩き出すこともある。

「寧ろ貴女ゲームしかしてなかったものねえ。いざ仕事入っても使えない様だったら首切ってる処よ?」

「ヒューッ、おっかねえ」

「ちゃんとお給金通りの働きはして見せるわよ!もう!……集中するからアンタ達はもう暫くお茶してて頂戴」

 ヘッドフォンを付け、外部の音をシャットアウトする。弥生の"干渉無用"のサインである。大体ゲーム音声だけ発していたスピーカーが、集中時用のインストを流し始める。

「厄介な相手になるだろうし、俺からは手伝ってくれとは言えないが……」

「何言ってんだよ、オレ達の仲だろうが。お前の為なら管理局だってぶった斬るさ」

「悪いな、ヴィーネ」

「人手も今少ねえんだろ?あのバンダナ男も見当たらねえし」

 準と知り合ったのは去年の話で、バンダナに共通点を見出だした点と"面白い魔力を持っている"と感じた点だけで腕前に関しては全く歯牙に掛けなかった。

「準と燈……ああ、女の子が一人入ったんだけど、あいつらは別の仕事で出払っててな」

「やれそうなのかよ、そっちは」

「正直怪しい。まあ燈が居れば死ぬ前に連れて帰るくらいはしてくれそうだから、失敗しても他の魔法使いに期待するか、後は俺らが後で行くかだな」

「この件が終わったらちょっと見てやろうかな、その……準だっけか」

「良いのか?」

「暫くはこっち居られるだろうしな。それにあいつの魔力はオレもちょっと気になる処がある」

「あいつの魔法って言われてもそんなに思い付かねえんだよな……大体体術系ばっかだし」

 ゲーム感覚でよく模擬戦をしては五分五分程度の戦績になる様に相手しているが、火や水などの元素魔法も衝撃や空間の様な物理法則に干渉する魔法も見たことが無い。

「体術なんてなァ魔法のうちに入んねえんだよ。取り敢えず其処から叩き込まないといけねえ」

「ただの身体強化じゃ限界も近いしな。その辺はあいつも分かってんだろ」

「よっしゃ、掴めたッ!!」

 弥生がヘッドフォンを取り、ガッツポーズと共に叫ぶ―――が。

「!?…あッ、ぐ……やば……瞬っ……!!」

 魔力ターミナルに接続したままの弥生が悶え喘ぐ。

「弥生……!?」

「逆ハックよ!早く切断させて!!」

 いち早く事態を察知したフランの指示で、ヴィーネが弥生の手をターミナルに当てる。

「だ……駄目……向こう…力、強すぎ……ッ」

「ちッ……押し返せ、瞬!!」

 ターミナルを破壊する事で強制切断も可能だが、接続者に何らかの被害が出る可能性がある為可能なら撃退する方がいい。

「どうしろと!」

「お前が接続して思いっきり"黒"の魔力をぶつけろ!それで十分だ!」

「……やってやるさ!」

 一呼吸置いて神経を研ぎ澄まし、弥生の手を覆う様にターミナルに触れ接続。ターミナルが爆散しかねないレベルで魔力を流し込む。

(―――弥生だってそれなりにガードはしてた筈だ……それを破ったのか、こいつは……?)

 相手の魔力と衝突する感覚を覚える。―――確かに強い!

 瞬の額に脂汗が滲み、弥生の耳や鼻から血が流れる。

「瞬、助け……」

「必ず助ける!畜生、何なんだこいつは……!」

 瞬の力を感知してか、"敵"の力が一層強まる。

「こいつ遊んでやがる!!フランッ!!!」

「良いわ、向こうの誘いに乗ってあげようじゃない」

 ターミナルに三人目の手が触れ、事務所内の空間が揺らぎ始める。

「こりゃすっげえな……ビリビリしやがる」

 瞬とフランシスの魔力を感じ、本能的な畏怖をヴィーネは感じていた。

「本当はこんな無茶させちゃいけないんだけれどねえ」

 半球が悲鳴にも似た途徹もない光を放ち、フランシスの魔力が注がれる。

「悪いけど、力比べなら負ける気がしないわよ」

 敵の魔力が更に強まる気配がした……だが!

 フランシスが加わった事で弥生に干渉していた魔力がみるみる追い出されていく!

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

 弥生が呼吸を荒げる。だが敵の魔力が完全に消失したのを確認すると、即座にターミナルから切断!ストレイキャッツの貴重なエンジニアは見事事なきを得たのである!

「ふう……これっきりにして欲しいわね、こういうのは」

 額の汗をハンカチで拭うと、気だるげにフランシスはごちた。

「あれだけ圧倒しといてよく言うぜ……まさか"黒"で押し負けるとは思わなかった」

「直接斬ってやれないから勝った気が薄いのよ」

「……ファイアウォール……四つ張ってたの、一遍にぶち抜かれたわ……」

 息も絶え絶えに弥生が語る。

「"アイツ"……わざと痕跡残してたんだわ……誘い受けで、取り殺されるとこだった……」

「……姿とか見えたのか?」

「バッチリ見えたわ……。着物の女……若く見せてるけど多分相当のババアよ……。あと……」

 かなり偏見と怒りの籠った報告ではあるが、一応彼女なりに伝えようとしているのである。

「あと?」

「"翅"が見えた……」

「翅?って、蝶とかそういう……?」

「蝶……だったら良かったわ……。けどあれ絶対蛾だわ……鮮やか過ぎて目に痛かったくらいだからきっとそう。そうよ!弱点は炎に決まってるわ!!このアタシが負ける筈が無い!!ええいあのババア絶対焼き殺してやる!!!」

 先程まで血流しながらしおらしく助けを求めていたのと同一人物であることを疑いたくなる激昂具合。あまりの復活の早さに瞬達はただ驚くのみである。


△△△


「……悪趣味なことをするのですね」

 薄闇に溶け込む、伸ばしっ放しの黒髪。その隙間から吐かれた毒がふと零れる。彼女の名は雲隠クモガクレシノブ。現雲隠家当主だが、最早この屋敷に彼女以外の人間は居ない。

「あらあら、探りを入れてきたのは向こうですことよ?この妾の中に入ろうというならそれ相応の御返しをさせて貰わなくては釣り合いが取れなくてよ」

 そもそも先に仕掛けてしまったのは此方だ、とは言えない。

 隣の派手な着物の女は畳からやや浮いており、その背には……巨大な翅が。彼女の名はアルシナ。雲隠に伝わる魔力石"雲の白晶"に封じられていた"魔物"の一人である。グレチェールの目覚めに呼応し、この屋敷に顕現したのだ。

「もう私の必要は無い筈です。そろそろ解放して頂きたいのですが」

 黒髪の女性はしなやかな、しかし強かな声で請う。

「あらあら?この期に及んでまだ自分の立場が理解出来ておりませんこと?お前は妾の花。蝶は花の蜜を吸って糧とする。自然の摂理ですことよ」

 扇子で口元を隠し、うふふ、と笑う。

「随分と生臭い蜜ですね。血肉に塗れた蝶なんて居ない、貴女は何処まで行っても蛾なのです」

 その時忍の顎がぐい、と上げられ、唇が塞がる。僅かに上がる体温と、力の抜ける感覚。放された彼女はただくずおれる。

「妾を蛾などと呼ぶなと……何度言えば判る?花は動かぬ。花は何も云わぬ。妾はお前の蜜として以外の権利を一切認めぬ」

 浮かれたような表情から一転、支配者の冷たい視線が彼女を射抜く。

「…………」

 言葉を発するだけの力すら奪われた。上体を起こした体勢を維持するので精一杯なのだ。

「だが安心せよ。妾は何があっても、お前を枯れさせたりはせぬ。お前は妾の花。可愛い可愛い、妾の花よ……。妾はお前なしでは生きてゆけぬ」

 愛おしげに、頬から首筋へとゆっくり指先でなぞる。愛情自体は本物なのだろうが、その形に些か問題がある。

(―――この女は私を死なせてはくれないだろう。生きている方が都合がいいから。……いや、"都合の良い様に生かしておきたい"のだろう)

 餌が欲しいならこの屋敷に居た全員を支配下に置くことも出来た筈。しかしこの魔物は、この屋敷を態々二人だけの空間に仕立て上げたのだ。

「すまぬな、不穏の芽は早きに摘んでしまいたいのだ。何れ変わる世で、お前と生きる為に……」

「…………前に言っていた……人類の粛清、でしたか」

「そうだ。だがお前は殺さない。妾と共に永遠に生きるのだ。妾の望みは……最早それだけよ」

 忍の流れる様な黒髪を撫で、悦に浸る。アルシナは事あるごとに身体の何処かしらを愛でる様に触りたがる。触り方が上手いのか、果たして自分がそれを受け入れてしまっているのか、とにかく不思議と身体が火照ってしまう。

 しかしただひとつ確かなのは、彼女が洗脳や服従の魔法をこれまで一度も使って来て居ないこと。向こうがその気になれば、自分の魔力では到底太刀打ち出来ない事をお互い分かり切っているにも拘わらず、それをして来ないのは何故かと常々疑問に感じていた。

 近い内に彼等と相見える事になるだろう。その時自分は―――どう動いたら良いのか。

 彼女を生かすのか、殺すのか。きっとその選択は、自分に委ねられている。

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