#1 エスケープ、フロム... Act.5

―――圧倒的だった。

俺は対人戦には自信があったんだ。最速で、相手の急所を突いて、殺す。

これは殺しで、餓鬼の喧嘩じゃねえんだ。故に手加減は要らない。

今回も…同じ様にやれると、そう思ってた。


………ああ、昨夜から負け続きだ。


△▼△▼


「よぉ…手前、マジで人間か…?」

 準は右腕をだらりと垂らし、あちこちに痣や切り傷を作っていた。自慢の紅いコートも所々裂け、赤黒く染み着いていた。

「残念ながら人間なんだよなァ…。ただの硬化魔法だぜ、こんなモン」

 ぶん、と巨大な斧を一振りして血を払う。

「ま、テメェのその貧相なナイフじゃ傷一つ付かねえってこった! 分かったらとっととそいつを寄越しなァ!!」

「準さん、もうやめてください……わたし…!」燈は震える声を振り絞る。

 目の前で自分の為に準が傷付けられていると云うのに、手が出せない自分が嫌になっていた。

「黙ってろ…! 良いか…燈ちゃんさえ事務所に着けばゲームクリアだ…。俺が次の魔法を使ったら真っ直ぐ向こうまで走れ!」

「…はい!!」

「はっ、させねえよォッ!!」

 今度は向こうから距離を詰めて来た。

「銀、閃……」準の両手両足が、薄く銀色に光る。

「オラァァッ!!」

「斬魔ッ!!」

 瞬間、準の姿が消え、牡丹の服が次々に裂け始める。そして作戦通りに燈は事務所へ向けて走り出した。

「チッ…待てや、クソがァッ!! テメェもチョロチョロと…!?」

 感触も痛みも無かった為に気付かなかったが、魔法で硬化させていたはずの身体に傷が出来ていた。

 準の発動した『銀閃斬魔』は、極限まで身体能力を強化し、更にナイフにも魔力の刃を纏わせることでその切れ味を増す魔法なのだ!

 現状彼の扱う事の出来る最大の魔法であり、終了時に動けなくなるほどの魔力を消費するもののそれに見合うだけの威力をこれまで出してきた、謂わば準の切り札である!

(―――時間内に可能な限り削る! 悔しいが、俺に出来るのは其処までだ…!)


▽▽▽


 事務所内に、突如アラート音が鳴り響く。

「外で魔力反応! これ…準が交戦してる!」

 パソコンで記録を取っていた弥生が、画面に現れたポップを見て叫ぶ。彼女のパソコンは事務所の内外に設置されているセンサーと繋がっており、何か起こればまず彼女に報せられる仕組みになっている。

「やばい、アイツ自分の敵がちゃんと見えてない!」

 弥生の声から相当な焦りが聞き取れた。

「どうした弥生、あいつ何と戦って…」

 瞬がディスプレイを覗き込むと、其処には。

「…フラン、急ごう。急がねえとあいつが死ぬ」

「あら、意外と早い到着かしら?」

「魔力量的に多分そうだと思う。三戦花…って言ってたか」

「三戦花…奴らが来たか…!」東藤が慄く。

 彼は七瀬と共に、同胞が三戦花によって殺される様を嫌と云う程見せつけられている。

「弥生は此処を頼む。周りに隠れてないとも限らねえからな」

「りょーかい、お迎えは任せたわよ」

「ああ」

 弥生の言葉を背に受け、瞬とフランシスは事務所から駆け出す―――!


△△△


 オープンソースのナイフでは耐え切れる筈も無く、次々と刃が弾け飛ぶ音が聞こえる。

 自分の為に、準が傷ついている…。否、準だけでは無い。此処に至るまでにも何人犠牲になったか分からない。

(―――わたしはいつもそうだ…自分じゃ何もしないで、周りの血ばかり流させて…!)

 …怖いのだろうか。そう、怖いのだ。

 あの日、妹を襲った男を刺した時の感覚がフラッシュバックする。敵の拳を紙一重で躱し、心臓に深々とナイフを突き立て、貫いたあの時。

 自分は…何を感じた?

「わたし…わたしは…っ!」

 ふと視界に入る人影。瞬達か。…違う!

「牡丹様一人だと思ったか? 残念だが此処までだ」

 潜んでいた牡丹の部下に取り囲まれる。その数、五人。一直線に突っ切るというのは難しい。

「っ…準さんが…折角道を作ってくれたのに…!」

「大人しく来るというのなら、此処で痛めつける事は―――」

 不意に背筋にぞわりと走る、嫌な感覚。背に肩に、冷たい手がへばりつく様な。…あの時も感じた感覚だ。

『―――ちょろい獲物ですねえ…こいつら、どんな声上げて死ぬんでしょう? 気にならないですかあ?』

 一番聞き覚えのある声で、耳元に囁かれる。嫌な汗が一滴、首筋を伝う。

 近付いてくる部下達。その手にはそれぞれ武器が。

『―――ほらほら、来ますよお? こんな処で死にたくないでしょう? ほら、早く。はやく』

 時間は刻一刻と迫る。身体ががくがくと震え出すのが分かる。

(…嫌だ。怖い。それでも、あの感覚は二度と、味わいたくは、な)

『―――あの人にも戦わせるだけ戦わせて、自分は手を汚さない心算ですか? いや、違いますよねえ。本当はそんな綺麗事じゃないですよねえ?』


『独 り 占 め さ れ る の は 、 嫌 な ん じ ゃ な い ん で す か あ ?』


 両刃のナイフが三本ずつ、だぼだぼの袖口から不意に飛び出た。

「………も、もう、に、逃げなくて、いいんですね…?」

 口から出た声は酷く震えていた。だが、トーンが先程とは何処か違った。例えるなら、喜色を帯びている様な。

「何だ…?」

『―――逃げるとか何言ってるんですかあ? あなたはとっくに野兎なんかじゃないんですよお。分かってるでしょう、狼さん?』

「ぜえんぶ、殺して良いんですねえ?」

 開かれた眼は据わっており、口元は酷く歪んでいた。

 其処にはもう狩られる側の恐怖も戦慄も無く、列記とした―――狩る側の狂喜だけがあった。

「待たせてしまいましたねえ、〈シルバーウルフ〉。やっと楽しい楽しい、狩りの時間ですよおッ!!」

 水色の両袖が閃き、前方の二人が短い悲鳴を上げて倒れた。それぞれ首と胴にシルバーウルフの刃が刺さっている。

「ふふっ!」

 倒れた二人の心臓に深々と刃を突き立てて回る。ついでに刺さっていた四本も回収し、三本一対のスタイルを構える。

「こッ、こいつ―――!」

 急いで武器を振り上げるも、既に懐に燈が。

「遅いんですよお!!」

 三本握り込んだまま、拳を真っ直ぐに突き出す!

「か…ッ」

 男の背中を、紅く染まった刃が三つ貫いた。そして果敢にも一人攻撃を繰り出すも、

「おっと」

 たった今刺し殺した男を盾にする様に、自分の前に突き出す。嫌な音と共に刃が肉を裂くも、その裏側に燈はもう居ない。

「なっ…何処……が、は」

 その男は最期に、自分の胸から紅いなにかが生えているのを見た。

「にッ、逃げ…」

「逃げてもいいですよお、出来るならねえ! ―――アイシクル・ロック!!」

 地面に掌を付けて一秒。逃げようとして躓き転んだ最後の一人の左足が凍結する。氷は徐々に侵蝕して行き、膝から下までを覆った。

「頼む! もう一切関わらないから! たッ、助けてくれぇぇっ!!」

「……わたしを庇ってそう言った人たちを、あなた達は助けたんですか?」

 ゆっくりと歩み寄り、一瞬落ち着いた調子に戻って燈が問う。

「そ、それは…ッ」

 男は言葉に詰まる。そう、彼等もまた同じ状況下に於いては一人も助けることなく、殺したのだ。

「はは。―――ですよねえ!!」

 ふっ、と鼻で笑い容赦なく六本全てを男の胸に突き刺す。

「あーあ、傑作ですよお」

 浴びた血を洗浄魔法で消し飛ばしながら、一人呟く。

「……遅かったですね」

 後ろから来た二人に、彼らの方を見ることなく語りかける。

「燈…」

 瞬は地に転がる男達の死体よりも、彼女の姿を見て止まる。

「これを見てもあなた達は…わたしの味方ですか」

 振り返る燈。二人が見たのは丁度最後の一人を殺した瞬間だけだが、死体を見ただけでもどんな殺し方をしたのか大体想像はつく。

 素性を知って尚、それでも。

「当然だ。"お前を守る"…それが俺達の今回の仕事だからな」

「私達はあくまでも依頼者の味方なのよ。燈がどんな人間であろうと、それに変わりはないわ」

「…よかっ、た」

 ふらりと倒れそうになる燈をフランシスが抱き留める。

「すみません…ちょっと、疲れちゃいました…」

「貴女はよく頑張ったわ。…瞬、準の方を頼んで良いかしら」

「それが良さそうだ」

 瞬は既に音の止んだ、商店街に至る道を睨んだ。


△△△


 目の前の女子は今、何と言った? 一緒に逃げる? 雪道の幹部だと思っていたが違ったのか。

「…ちょっと、言っている意味がよく分からないんですが」

「そのまんまだよ。もう私、殺すのも殺されるのも御免なんだよね」

 あはは、と笑うもそれは何処か空虚だった。

「それはまあ…分かっても良いですが。貴女だってそれ相応に力はあるのでは? 別に一人でも逃げるくらいなら余裕なのでは」

「違うんだよ、私は…私は、幽ちゃんを奴らから守りたくて」

「…? 貴女が私を守りたがる理由が分からないのですが」

「幽ちゃんは本来関係の無い人間だった。それが巻き込まれて今、よりによって鈴蘭の標的にされてるんだよ。だからせめてもの罪滅ぼしに、貴女だけでも…!」

 杏の口調は真剣そのものだった。これは恐らく信頼に足るだろう。幽としてもそう思えてはいた。だが―――

「結構です。逃げるなら一人で逃げてください」

「どうして…!!」

 最早彼女は涙ぐんでいた。それでも幽には逃げ出せない理由があった。

「私は兄さんの、天宮瞬の妹です。それが敵前逃亡など許されるはずがありません。ましてそれが、倒せる敵であるならば尚更」

 自分の信じて来た瞬に敵前逃亡は一度として無かった。どんな困難な敵であろうと勇んで挑み、撃ち砕いて行く。それが幽の想う瞬の姿の一つだ。

 兄がそう在るならば私もそう在りたい、そう願いながら戦い続けてきた。ならばこの戦いにも、逃げるなどと云う選択肢は無い。

「幽ちゃん…っ」

 泣きながらくずおれる杏。

 どうして。何故。そんな感情が延々と渦巻いて混乱していた。

「…どうして幽ちゃんは…そんなに強いの…?」

「そう在りたいから、ですよ」

 それでは、と言い残して幽はその場から去ろうとしたが―――その時。


「無様だな、桔梗。貴様は本気で我々から逃げる心算だったのか?」


 貯水タンクの上から、鈴蘭が投げ掛ける。

「……鈴蘭…!」

 鈴蘭は音も無く飛び降り、幽の方へと歩く。

「尤も、お前などどうでも良い。用があるのは貴様だ、天宮幽」

 小手から伸びた刃を幽へと向ける。

「この間の借りを返しに来た」

「随分と執念深いと言いますか…」

 呆れ返った素振りで言い放った幽だが、頭はどうやって場所を移すかで回っていた。一応校内では普通の女子生徒として扱われている為に、本来のバグとしての力が使いにくい。

「…場所を変えましょうか。こんな処ではやりづらいでしょう」

「貴様が"ゴースト"である事は既に知っている。別に逃げても良いが、その場合は此処の生徒を殺す事になるぞ」

「ちッ…」

 舌打ちしながら逆刃の双剣〈デュアルクライム〉を精製し、逆手に持つ。

「そうだ、それでいい。一対一の剣技に於いて、私に負けは無い…参る!!」

 剣と剣を撃ち合う音が、昼前の屋上に響く。


――――


「……幽ちゃん?」

 三限の授業が始まっても尚、幽の席は空いたままだった。確か彼女は、見知らぬ女子生徒に連れられて何処かへ行った筈。

 ただ、殆ど見た記憶の無い生徒だったのが気に掛かる。

「お? 珍しいな、幽が欠席…。おいお前ら、誰か幽が何処行ったか知らんか?」

 丁度授業に来ていた漆間先生が生徒を一通り見渡すと最後に悠を見た。

「悠、お前ちょっと呼んで来い」『屋上で得体の知れない奴と交戦中だ。急げ』

 口で喋りながら『音響脳波ノイジー・ウェーブ』による思念を送るという器用な技で悠に幽の現況を知らせる。

「はーい」席を立ち、教室を出ながら思念通話を返す。

『先生どっちかにしてくださいよ、あたし先生ほどキャパ広くないんですって!』

 流石に悠には真似出来なかったので言葉と思念を別々に送る。

『済まんな、これが一番効率が良いんだ。敵は一人だが敷地の周りに複数潜んでいる…が、そっちは既に瑞葉が動いている。安心して大元を叩け』

『りょーかい!』

 人知れず戦っている大事な妹の為に、悠もまた走る。


▽▽▽


「ちょいと傷になったが…此処までだな」

 準の首を掴み上げる牡丹。

 折れたナイフが其処彼処に散乱し、準本人もまたボロ切れと見紛う程に痛めつけられていた。

(―――意外と時間喰っちまった。今から俺だけ行った処で大した戦果は上がらねえだろう。下手すりゃくたびれ儲けだ)

 彼はよく外見や口調から単純で考えなしに突っ込むタイプに思われがちだが、実際は三戦花の中で最も状況を正しく捉えることの出来る人間である。

「……土産って体で頼むぜ、雨森の兄ちゃんよ」

 準の身体を肩に担ぐと、白いキューブをその場に残して去って行った。


 瞬が其処に着いたのは、それから間もなくのことである。

 激しい戦闘があったことを臭わせる、夥(おびただ)しい数の折れたナイフ、血痕。しかしそれらの主の姿は何処にも見当たらない。

「おいおい…これはまずいんじゃないのか…?」

 落ちていたキューブを慎重に拾い上げ、解凍する。その中にあった情報を要約すると、『準は預かった、助けたくば屋敷まで来い』と云う事であった。

「はぁ……対人なら負けねえって言ってたじゃねえかよ、馬鹿が…」

 準の窮地にも瞬は慌てるどころか溜息をついていた。意図が丸見えだったからである。或いは隠す気すら無いのかもしれない。

 恐らく彼を助ける為なら燈も出てくるだろうというのが向こうの予想であろう。仮に燈だけ置いて行ったとして、守りが手薄になった処を突いてくる。

「あの雪道の奴らに任せても多分駄目だろうしなぁ…仕方ねえ、行くか」

 選択する余地はもう、無い。


――――


 事務所に戻った瞬はキューブの情報を報告する。

「やっぱり、わたしがあそこで一緒に戦っていれば…っ」自分の判断を悔やみ、俯く燈。

 そんな彼女の頭を撫で、弥生は言った。

「アンタは間違ってないわ。あのバカが捕まったのはアイツ自身の判断ミスよ。別にキリのいいとこでこっちに逃げ込むことだって出来たでしょうに」

「まあ良いじゃない、どの道屋敷まで行く心算だったんでしょう、瞬?」

 フランシスの手元ではティースプーンが紅茶に円を描いていた。

「その内行くことになりそうだとは思ってたけどな…こっちから殴り込むのは好きだがお呼ばれするのはあんまり好かないな」

 ソファに深く腰掛け、情報の入っていたキューブを放り投げている。

「撃って、助けて、終わり。簡単でしょう?」優雅に一口啜る。

「うだうだ考えても結局決まってる事だしな。弥生、ルート割り出してくれ」

「あいよー。因みにいつ突入する気?」

 弥生の問いに対して瞬は「あ?」とさも当然の如く答える。

「そんなの準備出来次第すぐに決まってんだろ。後で覚えとけよとか流行らねえ、時代はすぐやり返すのさ…!」

 誰の目から見ても、瞬はふつふつと燃えていた。詰まる所、彼は最初からこうしたくて仕方が無かったのだ。

 何だかよく分からない動機で姉を家から追い出した挙句追撃しようという少女には最早何を云っても通じるまい。ならば答えは一つ、力で分からせるのみである!

「正面突破する気? 幾らなんでも非効率過ぎると思うんだけど」

「後からぞろぞろ追って来られるくらいなら軒並みぶっ倒した方が早いだろ」

「まーた頭の悪そうな事言うわねー…ま、分かり易くていっか」カタカタとタイプ音を響かせ、作業に入る。

「何だかんだ言って弥生も大分染まってるわよね、うふふ」

 フランシスが瓶からクッキーを取り出し、少しずつ齧って行く。自分のお茶菓子にと定期的に焼いては瓶に入れて保存しているのである。

「ほっといて頂戴。んーと、これに色々入ってる訳ね」

 キューブには屋敷の位置情報が入っていた。これとフランシスが管理局から盗み出したデータにある屋敷の内部構造を組み合わせて簡単なマップを作る。そしてフランシスの空間魔法で屋敷まで転移すれば作戦開始だ。

「…ふうん……オッケー、それじゃ皆にメールしとくわよ」

「よしよし。俺達に手ェ出したことを後悔させに行こうか!」

 立ち上がり、掌に拳を打ち付けて気合を入れる。

「あ…あの…瞬さん」

 燈は若干気圧された弱々しげな声で願う。

「その…陽だけは、わたしに任せて貰えませんか…?」

「…自分で蹴りを付けたいって事か?」

「はい」

 声とは裏腹に、その蒼い眼は真っ直ぐと瞬の目を見ていた。

「分かった。お前の妹だ、生かすも殺すも好きにしろ」

「ありがとうございます…!」

「その歳で姉妹で殺し合いとかさ、幾らなんでも酷だったよな…。でも、ちゃんとお前の手で終わらせるんだ。お前が何を選んでも、余計な後始末は俺達が引き受けるから」

 燈と同じ目線になるまで屈み、深く深くその髪を撫でた。

「わたし…嬉しかったんです。こんなわたしでも助けてくれる人達が居て。逃げる事も許してくれて。助けられるだけ助けて貰って、逃げるだけ逃げたから…あとは、ちゃんと戦おうと思うんです。此処まで守ってくれた皆さんに…準さんに、応える為に」

「…ふーん、アイツも仕事してたのねえ」

 普段のだらけた印象の方が強かった弥生としては、燈が此処まで準に入れ込んでいるのが意外であった。

「ふふ、これがもし燈が男の子だったりしたらまた違ったのかしら」愉快そうにフランシスが呟く。

 不意に瞬は、準の部屋で見た写真を思い出す。両親や妹と共に写っていた写真を。

「あいつ………」

 妹と燈を重ねて見ているのか、とは流石に彼女の前では言えなかった。仮に瞬の想像が事実だったとしても、燈を守ろうと戦い、傷を負ったのもまた事実なのだ。

(―――まあでも、そういう理由であいつが戦うのも悪くは無い、かね)

 独りふらふらと風に流されるように生きて来た準が他人の為に戦う様になったという事に関しては喜ぶべきだと思えた。だが人を庇って自分が重傷を負う、捕まるなどと言ったことを瞬は良しとしない。

「燈様、我々も微力ながら全力で貴女をお助け致します」

「道は私達が開きます。皆さんは陽様を」

 東藤、七瀬もまた戦う意思を見せる。

「ありがとう、二人とも…こんなわたしの為に」

「いいえ、燈様だからこそ、我々は此処まで来たのです。必ずや雪道を取り返しましょう!」

「…はい!」


△△△


 攻撃から攻撃へ、舞う様な動きで絶え間なく繰り出される連撃の中幽は一度も傷を負う事無く戦っていた。とはいえ、一度でも刃に触れれば今度はどんな毒を喰らうか分からない。

「流石は天宮と言った処か…だが、私もまだ一撃も受けてないぞ?」

「埒が明かない…クレセント―――」

 幽が魔法を使おうとしたその瞬間、鈴蘭が口元を歪める…!

毒刃どくじん蝕魔しょくま!」

 刺突剣〈棘剣・茨〉を幽目掛けて投げた!

 空を裂き一直線に飛んだそれは深々と幽の右肩に突き刺さり、毒が次第に広がって行く―――!

「ぐう…っ!」

 右腕の感覚が無くなって行く。否、それだけでは無い。剣に収束し掛けていた"虚無"が幽の制御を離れ、黒い水の如く飛散した!

「っ!?」

 実体に傷を付けず、魔力にのみダメージを与える"虚無"の性質をそのまま残している黒い水が幽の右半身に掛かり、急激に力の抜ける感覚を覚える。

「ぁ……ぁ…」

 言葉が出ず、口だけが僅かに動きながら幽はコンクリートに臥せる。

「幽ちゃん!!」

 杏が叫び、横たわる幽に駆け寄る。その間にも幽は弱り、魔力で出来た彼女の身体が傷口から分解され始めていた。黒く蝕まれた魔力の粒子が傷口から立ち昇っている。

「勝負は付いた。放って置いてもそいつは死ぬ…いや、もう死んでいるも同然か」

「幽ちゃん……だめ…そんな、私の所為で…!!」

 幽の身体に触れ、自分の魔力を供給する。だが分解の速度が想像以上に速く、回復が追いつかない。

「安心しろ、貴様も向こうへ送ってやる。この裏切り者め」

「鈴蘭……ッ」

 鈴蘭の小手の刃が杏の首筋に触れた瞬間、屋上の扉が力強く開かれた!


「はぁーい其処までぇ。なーにあたしの可愛い妹に手ェ出しちゃってくれてんのかなあ?」


「貴様は…」

 つかつかと歩いて来る悠は、物怖じせず言い放つ。

「あぁ、あたしの事は気にしなくていいよー、あんたの事もどうでもいい。どうせ此処でぶっ殺すからさ」

 悠の語調は普段よりも軽妙であったが、右腕は黒く変色しており、紫電を纏っていた。

「ねぇあんた、幽ちゃん…持って何分?」

 "あんた"の方は見向きもせず、ただ壊れゆく幽の痛ましい姿だけを目に映していた。

「五分と持たんだろうな」

「そっか…」

 バキバキと音を立て、右腕が巨大な爪を携えた、怪物のそれへと変貌する。

「じゃあ、大丈夫かな。―――行くよ、ノワール!!」

 悠の白眼は黒く染まり、瞳は金色に光っていた。今の彼女は人の身でありながらバグの力を発現させているのだ!


 ―――嘗て、悠は一体の"ゴースト"と称される人工バグをその身に宿していた。

 悠に取り憑いたゴーストは宿主の人格にある"影"の部分をトレースし、最終的には本来の人格を喰らい主人格になり替わるという実験の為に生み出されたものだった。そのゴーストは悠と共生していく内に様々なものを見て成長し、悠の別人格として彼女を度々救ってきた。

 実験は研究者の目論見とは違った結果に終わり、幽と云う存在が実体を得ただけであった…かに思われた。

 幽の持っていたバグとしての力の残滓が悠の魔力と感応し、新たな力を生み出していたのである。その一つが物理的な破壊の力、ノワールと名付けられた黒い腕だ。


 腕が巨大化した悠は鈍重になるどころか、湧き出す魔力により身体が活性化していた。

 屋上のコンクリートに罅が入るほどの力で蹴り出し、瞬時にトップスピードまで到達させ距離を詰める。鈴蘭の鋭敏な感覚を以ってしても反応するのがやっとの事で、小手を防御に回す…だが!

「幽ちゃんさ、肩やられたんだよね」

 巨大な手が鈴蘭の肩どころか胸辺りまでを覆う。

「―――倍じゃ済まさないからッ!!」

 破裂。

 握られた左上半身が、骨肉が、防ごうとした小手諸共爆散する。最早悲鳴すら上がらない凄惨な一撃。鈴蘭は左腕が転がるのを見る。だがそれでも尚一矢報いようと右腕を動かす。

「大した執念だね。でもねえ…こっちはあんた以上にブチ切れてんだ!!」

 上半身を捻り右腕を大きく後ろに引き、全魔力を集中させる。バリバリと激しく鳴る紫電を纏い、筋肉が禍々しく隆起する。

「だぁぁぁぁぁ――――デストロイ・クラッシュ!!!」

 力強い踏み込みと共に繰り出されるのは、言ってしまえばたった一撃の"平手"。

 だがただの平手も、巨大な腕による遠心力、質量などと云った物理的エネルギーに加え、並みの人間の扱えるレベルから大きく離れた魔力を伴った完全なる力任せの一撃ともなればまた別だ。

 肉が弾け、骨がひしゃげ、そしてその悉くが纏う雷によって灰と化す。まさしく爆発四散と表現するに相応しい、馬鹿げた死が鈴蘭に訪れる事となった。

 しゅうしゅうと蒸気を立てながら、黒い腕は魔力の光と共に元の肌色のそれへと戻って行く。

「幽ちゃんは!?」

「まだ…まだ身体繋がってる、けど…!」

 杏は震えながら答える。

「じゃあ大丈夫!」

 急いで幽の方へと駆け寄り、身体を抱き寄せる。

「幽ちゃん、もうちょっとだけ我慢してね…ルージュ!」

 今度は左腕が赤黒く変色し、規則的な紋様が光るだけと云うノワールよりは人間らしさを残した姿になる。

 ルージュが担うのは魔法的な破壊の力。あらゆる魔法を分解と云う形で破壊する。一歩間違えば幽自体を分解しかねないが、それでも悠に出来るのはこの手段だけなのだ。

「この黒い毒の部分だけを…壊す!」

 感染の酷かった部位が根こそぎ消滅し、幽の肩に穴が開く。その痛みで一瞬びくんと身体が跳ねる。

「後は魔力だけ戻れば、幽ちゃんなら直せるから」

 それだけ言うと、悠は幽の青ざめた唇に自分の唇を重ねる。

「え…えええ!? ちょっ、何やってんの!?」

 悠の何の前振りも無い突飛な行動に杏は両手で目を覆う。

「………は、っ…。…何って、魔力の供給だけど?」

「いやいやいやキスって、今キスしてませんでした…!?」

「これが一番早くて効率も良いんだって。別にやましいもんでも無いでしょー、姉妹なんだし」

 毒に見舞われ傷口に風穴空けられ散々だった幽を見遣ると、既に傷は塞がり掛けており、顔色も普段の淡い色に戻っている。

「まー元々顔色良い方でも無かったけどね、流石にさっきのはまずいって」

「すみません、悠…危うくただの魔力ですら無くなるところでした」

 幽が額を押さえながら上体を起こす。

「お礼なら先生にも後で言っとかないとね。幽ちゃんが此処にいるの、先生が教えてくれたから」

「貴女をけしかけて来る辺り何と云いますか…」

「先生にちゅーされたかった? 煙草臭そうだけど」

「それは御免ですが貴女にしたって別に良いとは…」

「嫌だった?」

「………必要だから許しているだけです」

 露骨な間に悠はにやりと笑う。

「まったくぅ、生き返らせて貰った人のセリフじゃないよねー。今度魔力足りなくなっても分けてあげないよ?」

「…そんなことしたら兄さんが悲しみますよ」

「お兄ちゃんには上手いこと言っておくさー、幽ちゃんは名誉の戦死を遂げましたとかなんとか」

「くっ……まあ、こうして生きていられることには感謝しましょう…」

「それでよろしい。……って、何あれ…」

 先程爆散させた鈴蘭の肉片が黒ずんで紫色の光を帯び、一カ所に集まって人型を形成しているのを悠は見た。勿論八割がた消滅した肉体では完全に復活することなど不可能。空いた分は黒いノイズで埋まり―――

「…鈴蘭の最後の魔法だ。あいつ…バグになってでも幽ちゃんを殺す気だったんだね…」

 最早人間であったことなど思い出せない、処々にノイズの掛かった人型の黒い怪物。元の鈴蘭の魔法を反映してか両腕は逆立った棘が並び、長く伸びた爪には毒液と思しき液体が滴り光っていた。

 態々そんな姿になってまで尚報復しようという、常軌を逸した執念に嫌悪感を示す杏。

「おーおー気に入られてんねぇ幽ちゃん。どうする? ノワールもルージュも暫く使えないんだけど」

「私がやるしかないでしょう…っ」

 幽は立ち上がろうとするも、まだ完治とは言えずふらつく。


「幽ちゃんは休んでて。此処は…私がやる」


 前に出たのは杏だった。幽に「共に逃げよう」と言った彼女の姿はもう無く、幽の為に戦う一人の魔法使いとして此処に立っていた。

「幽ちゃんが戦ってたんだもん、私だって戦うよ」

「本当、どうして其処まで私を気に掛けてくれるのか分かりませんが…素直に感謝しましょう」


▽▽▽


 準は全身の痛みで目を覚ます。辺りは薄暗く、床は随分と冷たい。

「う…あぁ…?」

 起き上がろうとするも、妙に体が不自由なのに気付く。両手首が痛い。手枷だ。

「何でこんなもん…って、此処は…?」

 三方は無骨な石壁、残る一方は…鉄格子。古典的な檻だった。まさか現代にこんなもんがあるとは、と準は逆に感心する。

「…燈ちゃんは…逃げ切れたんかな」

「おうよ、テメェの所為で見事に取り逃したさァ」

 忘れる筈がない。この口調は牡丹だ。丁度暇潰しに見張りも兼ねて此処まで歩いてきた処だった。

「流石に天宮共を一人で相手にするのは骨が折れるからなァ…つーか、普通に勝ち目ねェよ」

「その辺は意外と頭回んのか。ただのチンピラでもねえらしいな」

「フン…俺だってなァ、任務の遂行も大事だが生きて帰還する事の方がよっぽど大事な訳よ。俺はあの娘の処に帰らなきゃならねェ」

「雪道陽…か?」

「あァそうだ。三戦花とかご立派な名前貰った処で他の二人は結局どっか抜けてやがる。鈴蘭の野郎はすかしてやがるがあれで頭に血が上りやすい、桔梗に至っては完全にやる気ねェ。尤も、あいつの場合は分からんでもねェがな…」

 桔梗と云うのは見たことが無かったが、確かに鈴蘭はあまり頭脳派とも思えなかった。

「ともなると、あの娘の傍に付いていてやれるのはもう俺しかいねェ訳よ…」

「そっちの人事も大変だなぁ」

「…よォ雨森、お前が燈ちゃんに付いてる男だとすれば、俺は陽ちゃんに付いてる男な訳だが…役の似ちまったよしみだ、少し話聞いてけや。どうせ陽ちゃんの天下は長くねェからよ。そんときゃ恐らく俺も死ぬだろうから、もう今だけだ」

「……分かった」

 準の答えを聞くと牡丹は床に腰を下ろし、話し始めた。

「この戦いなァ、俺達はどう頑張っても勝てねえんだよ」

「…まあ、瞬達が来ちまえばもう終わりだろうな」

 多少は悔しかったが、しかし事実だと捉えていた。

「いや、そうじゃねェんだ。そのォ…何だ、所謂"勝ち"がもう無いって処か」

「何だそりゃ?」

「……あの子はな、本当は雪道の子じゃねェんだ」

「…は? ちょ、ちょっと待て、じゃあ何でこんなこと…」

「元々身元も分からねェ孤児でなァ…ある時雪道の親父さんが拾って来たんだよ。当然血なんか繋がっちゃいねェし、次期当主の資格もある筈がねェ。それでも親父さんは…陽ちゃんが居づらくない様に、あの子自身も含めた全員の認識を親父さんの雪道の力で書き換えた」

「すっげえな…そんな芸当が出来んのか、五景って」

 雨森準。五景の一つ、雨森家の嫡男。事実上、当主。

「…まァ、やってのけたんだよ」

「で、お前はその中に居なかったのか?」

「俺と数人は外されてた。どうやら陽ちゃんの付き人っつかまァ…面倒見て欲しかったらしくてな。三戦花なんてふざけたチームが組まれる以前から俺は陽ちゃんの傍に居たんだよ。他の二人は調子に乗ったあの子がその辺から連れて来ただけさ」

「あの鈴蘭って奴は随分忠実そうだったけど」

「ありゃァただのアホだ。言われたままにしか動かねェのは思考停止以外の何もんでもねェだろ。兵器としては優秀だろうがな。そんでまァ、こっからが本題だ。嘘ってのはいつかバレるもんでなァ…ふとした拍子にそれを知っちまった陽ちゃんはもう絶望なんてもんじゃ無かった。一体自分はこれまで何の為に燈ちゃんを越えようと頑張って来たのか。それが不可能だと、無意味な事だと分かっちまったからな。根底にあったのは"雪道を潰す"事。燈ちゃんを罪人に仕立て上げ、事実を知ったと知らない親父さんに次期当主の座を寄越せと迫るんだ」

「当主に拘る必要はあったのか?」

「大アリだ。何せ当主になりゃァその証として"雪の蒼玉そうぎょく"ってもんを渡されるんだ。五景の宝全般に言えることだが、そいつは魔力石の類でな。持ってる奴にやばい量の魔力を供給し続けるって代物なんだ。そんなアイテムが手に入るならそりゃァもうなるしかねェよな?」

「成程な…で、それは陽ちゃんに渡っちゃったのか?」

「………ひでェ話だよ。勿論親父さんが素直に渡す訳無かったさ。もしや気付いてしまったか。そう訊いたが最後、親父さんを不意討ちとは言え刺殺して念願の蒼玉ゲットさ」

 牡丹から語られる事実に、準は絶句した。彼が淡々と語れるのは最早後も先も無いと割り切ってしまってるからで、そうでない準としては理解出来なかった。

「で、でもよ…そんなんやらかして周りが黙ってる訳…」

「そりゃねェよ。だが陽ちゃんは黙らせた。何てったって、元々陽ちゃんの持ってる魔法が雪道の力と何ら変わらねェ"幻覚"系の魔法だったからな。蒼玉の力で増大させた魔法で屋敷中の人間の認識を改竄。ただ穴があったとすれば雪道の魔法使い全員を服従させるには至らなかったことと、俺達三戦花にまでは掛けなかった事くらいか。全く、運が良いんだか悪いんだか分かんねェなァ…」

「…知らない方がマシだったって、思うか?」

「こうなってみりゃァ、燈ちゃんの男にこうやって伝えられただけマシだと思うぜ」

「燈ちゃんの男って…他に言い方無かったのかよ」

「実際そうだろうよ。燈ちゃんがあんだけ野郎に懐くのは珍しいんだぞ? もっと喜んでいいことだぜ、あんな可愛らしい子に懐かれてんだ」

「お前、もしかして燈ちゃんの事…」

「…俺みてェな人間には勿体ねェよ、あの子は。それにあの子が抱えてる物も俺には耐えきれねェ。だから…俺よりも色々と近いお前だからこそ、あの子を頼む」

 いきなり現れ戦う羽目になった身としてはもっと粗暴な人間だと思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。

 諦めと疲れが見えるながらも真っ直ぐに準を見る目と大事な人を託す言葉を、準は疑いもしなかった。

「分かった。俺は…あの子と生きるよ」

 目を伏せて笑うと、牡丹は立ち上がった。

「はーあ、これで思い残すこともねェやな」

「牡丹…?」

「まァ多分無理だろうけどな。陽ちゃんを止めに行ってくるわ」

「…そんな風に死ぬ気かよ、お前」

「じゃあ連中に本当の事を喋ってのうのうと生き残るか? いや、生き残った処で管理局の世話になるだけだろうよ。強いて言うなら…陽ちゃんにもっとマシな人生をあげたかったってぐらいかね。あーあ、いっそ連れてどっか行っちまえば良かったなァ」

「………」

「そんな顔すんじゃねェよ。燈ちゃんを任せられる奴に出会えて満足だ。…じゃあな、雨森」

「なぁ、最後に教えてくれ!」

 歩き出そうとした処で牡丹は止まった。

「何だよ」

「お前…本当は何て名前なんだ?」

「…忘れちまった、ンなもん」

 ただそれだけ返し、牡丹は去って行った。

 魔法が解かれたのか手枷が外れた。とは言えこれからどうこう出来る身体でも無い事は承知している。冷たい壁にもたれ掛かり、溜息を一つ。

「なぁ…頼むから生きててくれよ…?」

 体力の限界を感じ、そっと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る