#1 エスケープ、フロム... Act.6

「空間座標確認……完了、空間連結コネクト・ゲート!」

 フランシスの前に、青く光るゲートが精製される。

「長く開けてると気付かれるわ、急いで!」

「それじゃあさっさと行きますか、あの馬鹿を助けに」

 二挺拳銃〈ブラックストーム〉を両手に構えた瞬が先陣を切って突入する。

「大丈夫よ、今のアンタにはアタシ達が居るわ」

 緊張が顔に出ていた燈の肩を叩き、弥生は小さく笑い掛ける。

「…はい!」


△▼△▼


 檻…いや、屋敷中が揺れた。

 壁にもたれて寝ていた準は不本意ながら目を覚まし、仲間の到着を悟った。

「来たか…。どうすっかなあ…出る努力か、少しでも休むか…」

 一応考えるだけ考えたが、有無を言わさず襲い掛かってきた睡魔に今の彼が勝てる筈も無く。

 悪いな、とだけ詫びると再びまどろみに沈んでいった。


▽▽▽


 屋敷は玄関前に広がる庭からして既に乱戦状態となっていた。雪道側の魔法使い数十名が次々に魔獣を放ち、普段のデバッグではおおよそ見ない様な物量で防衛している。

 だが…困惑したのは雪道の方であった。本来ならこの物量で臨めばものの五分で制圧が完了すると思っていたからだ。ところが五分以上経った現在の戦況は寧ろ劣勢とも取れた。

「お…おい! 攻撃の手を緩めるな!」

「すまん…だけどよ…!」

 魔獣の群れはある一定のラインで軒並み消滅している。そしてそのラインは徐々に屋敷へと近付いている。

 魔獣の消え方が一定の周期で切り替わっているのを見るに、恐らく戦っている魔法使いも変わっているのだろうが雪道側からは自分達の物量の所為で何が起きているのかよく見えていない。

 襲撃者達が見えるほどに防衛陣が薄くなってきた頃に彼等が目にしたのは…魔獣の消える瞬間の蒼白い残光と荒れ狂う炎とで神々しさも感じる様な眩い光景だった。

「ほ…炎だと!?」

 雪道の魔法術式で生み出される魔獣は、その名が表す様に氷系統のものになる。高熱の炎には滅法弱い。

「瞬、もうすぐ開けるわ! 一気に仕留めてよ!」

 目の下や頬に紅い紋様を描いたサイドテールの女―――弥生が、後ろに控えていた黒衣のアタッカーに呼び掛ける。

「さあ"カグツチ"…そろそろゴールよ!」

 弥生が両手を重ねて前に突き出す。

「やっちゃって!!」

 渦巻く炎は巨人の上半身を形作り、その巨腕で一気に残りの魔物を薙ぎ払った!

 圧倒的な炎の力。これが契約した鬼神を使役する特殊な魔法使い、通称"鬼神遣い"である木皿儀弥生の"力"、焔の鬼神『ヒノカグツチ』の一角だ。防衛ラインが完全に消滅したこの好機に、黒いコートを翻して瞬が駆ける!

「そらッ!」

 ムーンサルトの要領で宙へ舞うと通り掛かりに三人撃つ。敵陣営のど真ん中に着地すると真っ先に指揮官と思しき一人を両方の銃で沈黙させる。後は散り散りに向かって来る者、逃げ出す者に容赦無く引金を引く。

「ほらほら逃げろ! 精々手間取らせてみろよォ!」

 魔力由来の緑色のマズルフラッシュと共に、銃口から高密度の衝撃弾が迸る。

 すっかり高揚し、獣の様に獰猛な笑みを浮かべて瞬は叫ぶ。そんな中でも、自暴自棄になって斬り掛かってくる者も少なくはない。

「おっと!」

 武器を持つ手に銃口を押し当てて容赦なく引鉄を引き、無力化した処を蹴り飛ばして追撃にもう一発叩き込む。

「死に急ぐのは感心しないぜ?」

 最早狙わずとも適当に撃てば当たる様なボーナスステージさながらの状況。弾に使う魔力は最小限に抑えつつ、一人また一人と射線に捉えては撃ち抜いていく。

 涙目で震える最後の一人に銃口を突きつけ、あくまでも営業用のマイルドな表情で瞬は問う。

「よう、雪道陽は今此処に居るんだよな?」

「いッ、居るっ!! 居ますぅ!!」

 失禁寸前、空砲でも気絶しそうな彼に瞬は続ける。

「大体どの辺か分かる?」

「お、恐らく自室ですっ!!」

「おーサンキュー。あ、あと捕虜が一人居るだろ。そいつは何処だ」

「地下牢……地下牢にいッ、居る筈ですぅ!!」

「ほうほう。…大体想像通りだったな、どーも御苦労」

 パン、と軽めの銃声と共に彼へのインタビューを切り上げた。

「アンタも中々ゲスい真似するわねー。どっちが悪者か分かったもんじゃないわ」

 弥生が半ば呆れながら気絶させた魔法使い達の中を歩いて来る。

「先にやって来たのは向こうさ、奴等には人権も何も保証しないぜ。いいとこ管理局のブタ箱暮らしぐらいしか」

 所詮敵を撃ったに過ぎない、と何の感慨も無さそうな顔で瞬は答える。それに、と付け加える。

「別に殺しはしてねえし大丈夫だろ」

「…ぶっちゃけ雪道陽だけ仕留めれば済む話だとは思うけどね」

「まあその点は向こうさんが大人しくしてくれないのが悪いってことで一つ」

 喋っている間にフランシスや燈達が合流する。

「俺の事、嫌いになったか?」

 瞬は燈に問い掛ける。

「いえ…瞬さんは悪くないですから」

「そうか。ありがとな」

 じゃあ行くか、と屋敷の扉を開く。

 と、その瞬間!

「瞬、下がって!」

 フランシスの言葉を予測していたかの様なタイミングで瞬は後方へ飛び退き、代わりに前に出た彼女は右掌を突き出して魔法を発動する。

逆転防壁インバース・ウォール!」

 薄暗く澱んだ空間の壁が扉とフランシスの間に発生する。接触した魔法の性質を逆転させ維持不可能な状態にし、消滅させる防御魔法だ。

 発動からコンマ数秒後、無数の矢が壁に吸い込まれ、魔力の粒子となって消えた。

「余り長くは維持出来ないわ! 次が来る前に制圧して!」

「弓兵隊って処か…弥生、まだ行けるか?」

 弾を散弾『スプレッド・ショック』に変換しつつ、瞬が問う。

「猫を行かせるわ。―――出番よ! 獅呂シロ狗露クロ!」

 白と黒の札を宙に放り投げると、それぞれの色の炎から白い装束の少年と黒い装束の少女が現れた。

「いやぁたまには人型で活動したいねえ、ふふん」

 一見して性別の判別に困る、癖のある金髪にあどけなさを残した端麗な顔立ちの少年、獅呂。白装束が余計に眩く見え、お気楽な声も中性的な部類だ。

 一方で黒装束の少女、狗露は艶のある深い黒の長髪を肩の辺りで結い、獅呂とは対照的な細く鋭い目と武士然とした雰囲気を放っていた。

「弥生、あれをやれば良いの?」

 声は落ち着いてはいたが飛び抜けて低くは無く、こちらは女性的だ。

「そ。火の札は節約したいから、頼んだわよ」

「りょうかーい!」「了解…」

 獅呂は二本の小刀を、狗露は一振りの長刀を精製する。

「くろちゃん、鈍ってない?」

 小刀を振り、久し振りの人間体の筋肉を動かす。

「あんたこそどうなのよ、食うだけ食って太ったんじゃないの?」

 静かに刀を低く構え、臨戦態勢に入る。

「あーちょっと危ないかもねえ、あはは」

 能天気に笑うも、次の瞬間には狩人の顔に切り替わっている。

「それじゃあ瞬さん。適当に、なる様に、よろしくお願いしますね」

「ああ」

 瞬も彼等の力はよく知っている。素の状態での身体能力ではまず追い付けない。瞬達が魔法で強化してやっと実現していることを生身で出来てしまうのだ。

「フラン、こっち準備完了だ」

「了解、解くわよ!」

 構える三人。

「三、二、一―――お願い!」

 矢の嵐が弱まる一瞬を読み、フランシスは防壁を解除する!

電光石火フラッシュ・ステップッ!!」

 爆発的な加速でこの一瞬の間に距離を詰め、予めセットしておいた散弾をばら撒く!

 『スプレッド・ショック』は通常弾とあまり変わらない消費魔力で拡散性を高めた作りになっている為、拡散後の弾一つひとつの威力はあまり高くない。

 だがこの弾の本領はその範囲対燃費の安さにあり、狙うことなく乱射するだけでたちどころに弾幕を形成出来るのである。

 まさしく〈ブラックストーム〉の名に恥じない衝撃弾の嵐を巻き起こし、弓兵隊の攻撃を封じる。其処に間髪いれず獅呂と狗露が的確に一人ずつ仕留めて行き、短時間で制圧を完了する。


△△△


「鈴蘭…あんた、どうして其処まで…」

 杏は嘗て仲間だったモノに、複雑な感情を向ける。

 鈴蘭は幽や悠への復讐心や怨恨で暴走した魔力により黒いノイズで出来た怪物―――即ちバグと化していた。しかしバグとしても不完全で不安定なそれは、いつ狂乱状態になるとも、またいつ崩壊するとも分からなかった。

「ゴォォォォ……」

 唸っているとも呻いているとも取れる声。形成されて暫くは刺々しいフォルムだったのが、数分で少しずつボロボロに崩れ始めている。まだ毒性は強いだろうが、本体はもう叩けば砕けそうにも見えた。

「……来て―――〈朱羅シュラ〉!」

 旋風を巻き起こしながら杏の手に精製されたのは、彼女の身の丈を優に越える鮮やかな朱色の三叉槍だ。

「シャアァァァァッ!!」

 武器を精製した魔力に反応し、鈴蘭バグが杏目掛けて飛び掛かる。この距離なら、と敵の側面に回る様に回避して脇腹を突く。

 直撃を予感して繰り出した一撃だったが、鈴蘭バグはこれに反応し左腕の棘を犠牲にして防御する。案の定棘はバラバラに砕け散り、生えていた箇所はごっそりと抉れていた。

「まあ、明らか危なそうなそれを減らせれば上々かな…」

 攻撃力を殺ぐ事を最優先にシフトする。

(―――大丈夫、こんなこいつに負ける私じゃない…!)

 右腕を狙い一閃。深く刺さり、右腕が丸ごと砕ける。


 …だが。


 突いた槍が止まらない。一瞬そう錯覚したが―――違う。踏み込んで来ている!右腕は最初から捨てる気で本命は左の―――

「やば……!!」

 急いで身を捻るも、此方の右腕を爪が掠める。

「く…っ!」

 それはただの切り傷の痛みでは無かった。じわじわと広がり、まるで侵食されているような……侵食?

杏は恐る恐る、傷口を見る。それから間もなくそれを後悔し、目を疑った。

 爪に触れた個所からじわじわと、墨の様に融通の利かない黒が広がっていた。これは、これでも肌なのか。恐ろしくて触れる気にもならない。不思議と痛みは無いが、その分と言っていいのか感覚が無い。まだ何とか右手が動かせているのが分かるが、じきに動かなくなるだろうと予測できる。

「本ッ当に悪趣味だよね…あんたの毒さぁ」

 諦めと見下しの混じった溜息と共に呟く。

「でもまあ、あんたにはもうそんなもんしか残ってないんだね。元仲間のよしみに、容赦なくぶっ殺してあげる!」

 逃げる事を止めた彼女は、介錯を果たすべく走る―――。


▽▽▽


 陽は自室で窓の外を眺め、眼帯の奥の痛みを憂いていた。

「ふ、ふふ…やっとあいつを私の手で殺せるんだわ…!」

 コツ、と足音が響いた。

「…牡丹?」

「"陽ちゃん"」

 其処に居たのは三戦花のパワー担当としての牡丹では無く。雪道に仕え、当主から陽を任された付き人としての牡丹だった。

「久々ね、貴方がそう呼ぶの」

「単刀直入に言うぜ。この戦い、とっとと退いた方が良い」

「あらあら、貴方が弱気になるなんて。…そう言えば貴方、雨森を持ち帰った時も天宮崩れまでは相手にしなかったわね。あの人、貴方が尻尾を巻くほど強いの?」

 これだ。陽の一番の問題点は、知りもしない相手に対しても大いに慢心している点である。実際、当主の座を奪い取ったとはいえ陽は他の五景も、まして天宮についても殆ど正確に分かっていない。五景の間では瞬の事を"天宮崩れ"と揶揄しているが、星海町のみならずまともに活動している魔法使いならとてもそんな風には呼べない。

「あいつはマジモンの化け物だ。なァ、もう十分暴れたろ? 好き勝手やったろ? だからもう…どこか遠くで、一緒に」

「では、この屋敷はどうなるの? 私の城はどうなるの?」

 未だ余裕たっぷりと言った様子で問い返す陽。

「俺達だけの城なんて維持するだけ無駄だ。天宮なり管理局なり、どっかしらちゃんと始末してくれる筈だ。問題ない」

「ふうん…そうねえ、雪道の人間は貴方たちが殺して、天宮どもが殺して、皆居なくなっちゃったものねえ。みぃんな、居なくなっちゃった。ふうん」

「そうだ、もう俺達しか残っちゃいない。なァ…お願いだ。もうこんな戦い…終わりにしよう」

 どれ程懇願しようと、陽の余裕は全く揺るがなかった。寧ろ徐々に笑みが顕著になって行く様な…

「じゃあ聞かせて? 貴方は私と逃げてどうしたいの? どんな暮らしをしたいの?」

「普通の女の子らしく生きれる様にしてやる! 争う必要もねえ、怯える必要もねえ、ただ平和に平凡に暮らせれば、それで…!!」

 こればかりは本心だった。こればかりは。

「…成程、それは確かに魅力的ね。でもねえ…三文芝居はその辺にしたらどう?」

「は…?」

 列記とした、敵に向ける視線が牡丹を射抜いた。比喩でなく身体が動かない。…既に陽の術中か。

「そうね、私達が居なくなっても屋敷は問題無いわ、"雪道の人間が直してくれる"からね」

「…何言ってんだ、雪道の人間は全員」

 陽の口元がにやりと邪悪に歪む。

「ええ"殺した"わ、私が。一人残らず。直接、間接含めてね」

「……な」

「大したものよね、地下牢を更に下に拡張して燈派の人間を其処に保護しておくなんて。死体処理を貴方と桔梗に任せたのは失敗だったわ。まあでも安心して、死んだ人間はちゃあんと死体にしてあげたから、ねっ」

「お……お前…ッ」

 思わず拳を握る。否、握ろうとしたが動かない。

「私を殺してみる? 無理よねえ! 貴方はもう私の駒でしかないものねえ!!」

 品性も何も無い笑い声が部屋に響く。

 陽の子飼いの獣としての牡丹はあくまでブラフで、実際は彼女の手から燈派の人間を可能な限り保護していたのだ。鈴蘭だけは命令通り殺していたが、桔梗と牡丹は結託して気絶程度に抑え、死体処理と称して地下牢の奥深くに匿っていた…筈だった。これで陽を連れて遠くまで逃げればあとは燈や匿っていた人々が元通りにしてくれる…そう言った手筈だったのに。

 全て筒抜けだったとでも言うのだろうか。最早己の失策を呪う気力も残っていない。

「あら、そろそろ来たかしら? 精々足止めしておいて頂戴ね、賢しい手駒さん。あっはははははは!!!」


▼▼▼


 結構な人数撃って来た筈だが一向に追っ手の数が減らない。もう目的の扉が見えて来ているというのにこの状況はまずい。

「畜生…どうすんだこれ」

 出来ればこんな道中で消費はしたくない。だが…。

「…私達が引き受けます」そう言いだしたのは七瀬だった。

「七瀬…!」東藤も考えてはいたが、言い出せずにいた。

「燈様の為よ、東藤。貴方も居るでしょう?」

「…迷っている暇は無いな…」

 扉の前まで辿り着く。同時に追っ手も迫る。

「天宮、燈様を頼む」覚悟を決める東藤。

「燈様…どうか御無事で!」

 瞬達との間に分厚い氷の壁を作る。

「……行きましょう、必ず勝って帰ります」

「ああ、当然だ」

 盛大に扉を蹴飛ばして、瞬達は陽の部屋へと突入する。

「ストレイキャッツの御出ましだ!! 観念しな、雪道ひか……ん?」

 威勢よく咆えて入場を決める心算が、中には様子のおかしい男が一人居るだけで見事に肩透かしを食らう。

「…なあ、自室に居るんじゃなかったのか」解せない様子で振り返る瞬。

「それ以前にもう少し警戒と云うものを覚えなさい、瞬」額を押さえて呻くフランシス。

「…多分、そっちに居ます」

 燈の視線の先には半開きの小さな扉。中からは陽だけでなく、弱々しいもう一人の魔力も感じる。

「あの馬鹿の反応も感じるわね。でもあそこのアイツも無視出来無さそうよ、何かに憑かれたみたいになってる」

 弥生も鬼神遣いという役柄上、憑き物の類も何度か見たことがある。

「あいつは俺らがやる。お前は向こうに行ってやんな、燈」

「はい!」

 力強く頷き、燈が走る。

「ぐ……燈、ちゃん…」

 牡丹が血の涙を流しながら斧を構える。

「牡丹…」

 貴方だって、本当は優しい人の筈だったのに。

 瞬達に後を任せ、自分は陽の方へと走る。振り返らずに、走る!

「く…ああああああッ!!」

 燈を追って牡丹が動き出す!

「行かせねえよッ! ―――ソニック・ショック!!」

 基本の高速弾に切り替えて両手で二発放ち、牽制する!

「天宮か…ッ! 身体が言う事を聞かねえんだ…頼む、止めてくれ…! 誰かを、殺しちまう、前に…!!」

(―――こりゃまた可哀想な術喰らったもんだ…)

 血の涙と「止めてくれ」と云う言葉、弥生の「何かに憑かれた様な」と云う考察から牡丹の状態を察する。

「ああ、分かった。殺さねえ程度に止めてやるさ。二人はバックアップ頼む」

「了解したわ」

「あいよ」

 二人が頷く。

「それじゃあ、パワーにはパワーって事で…ソニック・インパクト!」

 『ショック』型の威力を二倍近く増加させた衝撃系魔法の第二段階、『インパクト』型。反動も無効化し切れないレベルになって来るが、威力の増加分を考えれば安いものである。

真正面から両手の引鉄を引き、一際大きな銃声を響かせる。弾速はそのままに、弾自体の大きさは目に見えて増していた。

 牡丹は斧で防御するが、防御したもの自体にもダメージを与えるのが"衝撃"の魔法。柄が半ばで曲がり、刃が歪む!

「これが、衝撃弾…ッ」斧を貫通してきた分の衝撃で腕が痺れる。

「次はちっと痛いぜ…我慢してくれよ」

 『電光石火』の一歩で懐に潜り込んでいた瞬が、牡丹の腹を右手の銃で突き、更に引鉄を引く!

「ぐうッ!!」

 至近距離の一撃で、牡丹の身体は大きく吹き飛ぶ――――筈だった。

「……あ?」

 牡丹は立っている。何の気も無しに。無傷? そんな筈は無い。

「ゴボ、ッ…」

 彼の口元から血が流れる。

 『ソニック・インパクト』の接射は安いバグならば風穴が開き、魔法使いでも直撃すれば骨折程度はくだらない。

 幾ら硬化魔法を使っているからと言って、そんなものが無事で済む筈は…当然、無い。恐らく普段の彼でも吹っ飛んで終わり、それで済んだであろう。しかし陽の魔法の所為でそれも罷り通らないのである。

最早視界も覚束無いまま、牡丹の腕は斧を振りかざす。

「おいおい冗談だろ…」

 斧に両の銃口を向け、連続で引鉄を引く。

 硬く硬く握りしめられた柄は決して手から離れる事は無かったが、刃との接続部分が砕け、歪んだ鉄板と化した刃が宙を舞い、魔力の光と共に消えた。其処でやっと柄も同時に消える。

ふらふらの身でありながら、自動制御の身体は弾を受けながら瞬に掴み掛かって来る。

「く…バースト・インパクトッ!!」後ずさりながら両手で引鉄を引く。

 『ソニック・インパクト』複数発分の一斉発射を受けて、向かってくる牡丹の足が止まるも。

 まだ、迫ってくる。

 最早牡丹の目に光は無く、虚ろな目で身体だけが動いている。

「バラバラにでもしねえと止まらねえのか、こいつは…ッ」

 瞬は陽がおぞましくて仕方が無かった。ただでさえまだ若いと云うより幼いとさえ云える燈より更に若い身でありながら、部下を自律人形にして捨て駒とするこの邪悪さ。燈に任せるとは言ったが、正直な話自分で撃ち抜きたい処だ。

 尤も、目の前の哀れなゾンビをどうにかしてからの話だが。

(―――悠でも幽でも居たらこんなもん一発だったろうにな…)

 引鉄を引かなければ今度は自分の腕が握り潰される。だが衝撃弾で木端微塵にしてしまえば、可能性程度の生存率もゼロになる。だが、撃たなければ…撃たなければ!

(―――何で…何でこんな時ばかり甘いんだよ、俺は…ッ!!)


「―――下がりなさい、瞬」


 フランシスの冷徹な声が響く。反射レベルの反応で後ろに飛び退くと、今度は彼女が目の前で牡丹に剣を突き付け―――

「フラッシュ・バスター!!」

 純白の光が爆発し、彼女を除く全員の視界を奪う。


 ………。

 瞬達の視界が戻るのに、数十秒を要した。

 引鉄を引けなかった彼が見たのは、剣を下げたフランシスと、仰向けに倒れている牡丹。

「…殺した、のか…?」

「私の"光"は殺す為の魔法じゃないわ、守る為のものよ。貴方に分かり易い様に例えるならそうね、ヒットポイント1で気絶させたようなものかしら」

「悪い…俺、結局」

 俯き、銃を持つ手に視線を向けて己の甘さを呪う。

「大丈夫、謝る事じゃないわ。どの道こうなった時点で彼もただじゃ済まない事は覚悟して居た筈よ、望もうが望むまいが」

 それに、とフランシスは続ける。

「貴方ばかりに汚れ役を押し付けるのは嫌だもの。ね?」

 優しく抱き、包み込む様に諭す。

「…ありがとう」


△△△


「何日ぶりかしらねえ、御姉様?」

 準の居る牢を前にして、雪道姉妹が対峙する。

「さあ、自分で数えたらどうですか。生憎此方は時計も携帯も無いまま飛び出したんですから」

「ほぉんと可愛くないわ、私の姉とは思えない」

 うふふ、と嫌味らしく笑う陽。

「あなたは自分が可愛くて可愛くて仕方ないですからね。どうしてあの時あなたを守ろうとしたのか不思議なくらい」

「守ろうと? 面白い事言うのね。貴女はここぞとばかりに人を殺したかっただけでしょう? 貴女のそれは別に害意でも悪意でも無い、言うなればただの興味、下手すれば本能。自分に罪悪感は無いけれど、しかし社会のシステム上それはよくない事だと自覚していたばかりに、"正当化"出来る状況が欲しかった。その程度の事でしょう?」

 陽の考察に、燈はただ無言で肩を震わせていた。

「ふふ」

 両方の袖から三本ずつ、〈シルバーウルフ〉の刀身が伸びる。

「恐らくあなたの事を分かっていなかったのはわたしの方なんでしょうね」

「よく言うわ、分かろうとする気も無かったくせに」

「それもそうですね」

 疾い。とても年端も行かぬ少女とは思えぬ速度の踏み込みから繰り出される突き。そしてそれに反応し鉈を精製、突きを往なして胸目掛け大振りに斬り掛かる!

 反応速度、そしてそれを補う身体能力に於いては確かに陽もそこそこ恵まれている方ではある…が、余りにも経験不足過ぎた。常日頃無意識の内に状況をシミュレートし、そして遂に他でも無い陽自身の所為で経験を身に付けた燈にとってその動作は全くの無力!

「遅い!」

 左の突きが陽の鉈を持つ腕を突き刺し、手から鉈が飛ぶ。

「あぁッ、ぁあぁぁああぁぁッ!!!」

 使い物にならなくなった腕を押さえて陽は叫ぶ。

「私の、私の腕がぁぁっ!!」

「ふっ!」

 容赦なく右腕にもナイフを三本投げ、命中させる。

「ぎゃぁぁあぁぁぁぁ!! お前…お前ェェェッ!!」

 完全に血走った目で燈を睨みつける。とは言え、言ってしまえば最早それしか出来る事も無かった。

「あなたに一つだけ感謝しなくてはいけませんね、わたし」

 こつ、こつ、とただ無機質に響く足音が、陽には死神の足音めいて届いた。

「あなたのお陰で合法的に色々殺す事が出来ましたから」

「殺す…絶対殺してやる…!!」

「ええ、殺してあげます。一思いに、楽にしてあげましょう」

 両手で心臓を貫く。

「…?」

 刃先が陽の寸前で止まっている。

「……どうしたの? 一思いに殺すんじゃないの?」

「………」

 陽の表情が、段々と切迫した物から余裕のそれへと変わっていく。

「ねえねえ、殺すんじゃないの?」

「…目、ですか」

「よく分かったわね。そうよ、目を合わせた時点で貴女は私の術中。まあ腕はちょっと痛かったけど、別に私が手を下す必要は無いし?」

 シルバーウルフが五本床に落ち、一本だけ自分を向けて握っていた。

「成程…自刃させようという」

「そういう事。さあ…やりなさい!!」

「く……」

「燈ちゃん!!」

 準が叫ぶも、

「くう…っ!!」


 シルバーウルフが、主の心臓を貫いた。


「…おい…燈、ちゃん…?」

 ぐらりと燈の身体が傾き、そして、地に伏す。

「あ、はは、は……勝った。勝ったわ! あのバケモノに! 勝ったわ!! ぎゃははははは!!!」

 燈はぴくりとも動かず、ただ陽の笑いだけが響いた。

「ああ…この腕じゃ貴方を始末することも出来ませんね…」

「燈ちゃん…そんな…」

 また、守れなかった。

 後悔と自責が準の心を埋める。

「面倒なんで自分で死んでくださ……い…?」

 唐突に、息が止まる。

 陽は蒼銀の刃が六本、自分の胸から生えているのを見た。


「え…?」

「ふう…結構集中力使いましたよ。"自分の幻を身体の動きにぴったり同期させる"のは」

 陽の背後から、燈が両手で突き刺していた。見れば、倒れていた筈の処に燈の姿はない。

 幻覚、精神操作が自分の属性である陽に対し、燈の本来の属性は"氷"。それに加えて雪道の力として幻術を持っているに過ぎない。そんな彼女が戦闘中一度も氷の魔法を使っていないのは、陽を騙し返す事に全力を注いでいたからである。

「さあ、もういいでしょう。―――アイシクル・スピア!!」

 六角形の陣形で精製される六本の蒼い槍。それらが一斉に陽を突き刺す!!

「ア…ァ……」

 呆気無く偽りの城主は崩れ落ちた。警戒を解かないままで、燈は牢を開ける。

「ごめんなさい、準さん。お待たせしてしまいました。まだ陽が何か仕掛けている可能性もあるので、早く外へ。…立てますか?」

 袖から手を出し、準に差し出す。

「あ、ああ…ありがとう。多少は回復したよ」

 手を取り、足早に外へ出た。


▽▽▽


 燈と準が外に出たのは、瞬達が牡丹を倒して少し経ってからの事だった。

「……そうか、牡丹は…」最後に交わした会話を思い出し、やるせない感情を覚える準。

「それでも、俺達の中で欠けたのが居ないだけ…いや、待てよ」

 入口を塞いでいる氷の壁。その向こうには東藤と七瀬が居た筈だ。既に戦闘の音は聞こえないが…。

「…生きてんのか、あいつら」

「魔法って基本的には使い手が死んだら消えるから大丈夫じゃない?無事かどうかは別として」

 淡々と弥生が答える。

「それじゃあ回収してとっとと戻るか…」

 その時である。

「っ…向こうからかなりの魔力! これは…何…?」

 地下牢の方からフランシスが、否、全員が強大な魔力の存在を感じ取った。

「ビリビリするな…なぁ燈、こっからは俺らの領分って事で良いか?」

 歯を剥き出しにしてとても悪い笑みを浮かべながら、瞬は問う。

「…お願いしても、平気ですか」

「はッ、任せろ。これが俺達の仕事さ」

 ドカンドカンと階段を打ち壊しながら此方へ向かって来る音。

 壁を粉砕して飛び出してきたのは、流氷を連想させる巨体から氷山めいた四本の脚を生やした氷の怪物。これはバグでは無くその上位クラス、エラー級であろう。

 脚を振り上げ―――叩き付ける!

「よっ、と!」

 屋敷を揺らす、破壊的な一撃! 全員が思い思いに回避、散開する!

 瞬は中空に跳び上がり、『ソニック・インパクト』で氷の身体をゴリゴリと削る。

「へえ、硬えなこりゃ。フラン、コアは分かってるよな!」

 反動を活かして距離を取り、着地する。

「本体のど真ん中よ!」

 何メートルもある厚さの巨体、その中心にコアの影。コアと思しき部分は球体で、中に少女の姿が見える。

「陽…」

「あぁ? 陽ってこんなん作るほど魔力持ってたのか…?」

「例の魔力石よ、恐らくね」

 瞬の疑問にフランシスが簡潔に答える。

「肌身離さず持ってたって訳か…とすると空間魔法で一気にぶち抜くってのは駄目そうか」

「出来ればやりたかったわ」

「アンタ達! ちょっとぶっ放すから上手いこと避けて頂戴!」

 弥生が大雑把な指示を出すときは大抵広範囲の術を使う時の合図だ。

「行くわよ―――紅蓮ノ塔ッ!!」

 猫状態の式神二人を使って床に大量設置した札から、一斉に火柱が上がる!

「…ねえちょっと、氷に火が効くとか言ったの誰よ!」

 当たった個所が溶けはしたが、溶けた矢先から水が凍っている。

「アタシ大活躍だと思ったのに! 拍子抜けだわ!」

「当て続けなきゃ意味ねえに決まってんだろ! ゲームのやり過ぎた手前はッ!!」

「クソがッ!!」

 弥生を罵りつつ、瞬は衝撃弾を撃ち込みながらあるものを見ていた。そしてその結論が出る。

「フラン、こいつの修復速度―――」

「ええ、一立方メートル程度を三秒ぐらいで直しちゃうみたいね」

 何発も撃ち込んで確証を得た答えをしれっと述べられてやや凹む。

「ああやっぱり大体見当ついてましたか」

「当然よ。で? 貴方はこれにどう対処する気?」

 ニコニコと降りかかる氷の破片を切り払うフランシス。

「しょうがねえから"剣"だけ使う。飛び回るには瓦礫が邪魔だ」

 暴れ回る氷の怪物。それは所々天井に穴を空け、瓦礫を降らせ続けている。

「それもそうね、まあその辺は任せるわ。私はどう動いたらいい?」

「脚を落としてくれ、修復までの間に上から抉じ開ける」

「了解。もう始められる?」

「ああ――――〈幻想ファンタズム〉!!」

 瞬の手に、まるで"黒"が剣の形になった様な武器が生成される。

「あ…あれは…?」

 初めて見る異質な武器に、燈は絶句する。

「燈ちゃんは見るの初めてだったな…。あの剣が、瞬の普段隠してる爪の一つさ。見てな、あの二人に任せとけばあれくらいすぐに仕留めて帰ってくるぜ…」

「姉御の魔法に飲み込まれない様に気を付けた方が良いわよ、アンタ達」

「えっ!?」

 可能な限り退避する三人と、作戦を開始する二人。

次元裂断ディメンション・ディバイド!!」

 空間を斬り裂き次元の裂け目を作り出すことで、どんなものであろうと抉り取ることが出来る魔法。

 今の〈フェアリーライト〉はどんなものであろうと断ち斬る剣。幾ら脚自体は巨大でも関節部と云うのは往々にして弱い物、其処を狙いばっさばっさと斬り落として行く。

「瞬!」

「ああ!」

 既に跳躍していた瞬は平たい背部に着地、同時に〈幻想〉を突き立てる! 深く深く突き刺し! 抉り! 割る!!

 更にもう一本精製し、突き刺してから二本を以って力の限り抉じ開ける!!

「来い!〈ブラックストーム〉ッ!! ―――ソニック・インパクト!!」

 武器を銃に切り替え、亀裂に向けて全力の連射。この際銃口が多少ぶれようと全く関係ない。破片が跳ね返ってくるのも完全に無視し、ひたすらに撃つ!!

 コアが露見するほどの穴を完全なる力技で空けると、出力を上げた一本の〈幻想〉を精製、力の限り突き刺す!!

「この…野郎ォッ!!」

 魔力源である"雪の蒼玉"が障壁を展開しており、刃が中々通らない。防御に処理を割いているのか修復がかなり遅くなっているが、このままではいずれ巻き込まれ、自分まで氷の中だ!

 そんな中、弥生が氷塊エラーの前に躍り出る!


「ッたくしょうがないわねえ……契約者、木皿儀弥生の名の下に命ず! 彼の地より来たれ、紅蓮の鬼、万物を灼くかいな! 我に仇為す者共を灰燼に帰せ! ―――ヒノカグツチ!!」


 弥生の足元に紅い紋様が浮かび、顔に描かれた紋様と同時に光る。彼女の周囲を炎が舞い、目の前に筋骨隆々と言った姿の炎の巨人を形成する!

『へへっ、今日は随分呼ばれるじゃねえの』

「最近めっきり仕事無かった分、暴れさせてあげてんのよ。…お願い、アイツを助けてやって」

『よう弥生、知ってるか? 氷は解けると水になるんだぜ。なんと火は水に弱いんだぜ』

 引き攣った笑いを浮かべながら、目の前の鬼は動き出そうとしてくれない。

「一瞬で蒸発させるくらいアンタなら出来んでしょ! いや、やるのよ!」

『鬼使いが荒ぇなあお前は…まあいい、其処まで言うなら見せてやんぜ…』

 それは炎と云うよりも最早熱そのものである様な、紅を越えて黄、そして白まで光の色を変える。

『人には到底真似出来ねえ、鬼の力って奴をよ!!』

 近寄るだけで構成している氷が解け、水になり、蒸発する。

『ほうらデカブツ…おめーの身体が消えるぞォ!?』

 ドン、とボディビルダーや力士の数倍はくだらない巨大な掌をエラーの本体に押し当てる。物凄い蒸気と共にどんどん解かし、蒸発させていく!

『これでどうだ、黒のあんちゃん?』

「助かるぜ、これでこいつの処理も…限界だろッ!!」

 一際力を込め、遂に…障壁を打ち破る!!

 ガラスの割れる様な音と共に障壁が粉々に砕け、エラーもまた魔力の光となって消えて行く。

 陽の遺体は地に落ち、首に掛かっていた蒼玉も光を失った。戦いは、終わったのだ。

「流石に力技が過ぎたかな、今回は…っ」

 "衝撃"よりも消費の激しい"黒"の魔法を多用した所為で一瞬の眩暈に襲われる瞬。

「瞬!」

 フランシスが抱き留めようとする寸前で瞬に制される。

「大丈夫だ…さあ、とっとと帰ろ……ん?」

 何だか軋む様な音が所々から聞こえてくる。


 バキッ。


 天井から柱が一本、落ちた。

「……出口ならカグツチのお陰で開いてるわよ」

 肩を竦めて弥生が告げる。その間にもまた一本、落ちる。

 よし、と瞬は一息ついて。

「東藤達を回収して、最速で帰ろう」

 無言で頷く一同。

「……あっ。なぁ皆、こいつも連れて行っちゃくれねえか」

 牡丹の事を忘れていなかった準が、皆に訊く。

「一人くらい増えても大丈夫よ」フランが答え、それならばと皆も同意する。

「んじゃ、さっさとずらかるとしようか!」

 それぞれが脱出を始める中、燈は一度だけ崩れゆく屋敷を振り返り、祈る様に短く目を伏せた。

それから数分後、無事生存していた東藤と七瀬、そして牡丹を連れて、ストレイキャッツは事務所まで大急ぎで転移する。


△△△


 杏は、霞む目で空を見ていた。

 身体のあちこちが毒で黒く染まり、最早痛みも苦しみも感じなかった。

「幽…ちゃん…」

「…はい」

「私…幽ちゃんの、力、に…なれた…かな…」

「ええ。貴女は…頑張ってくれました」

「そっ、か……ふふっ…よか、っ………―――」

 続きはもう、無かった。

「……ねえ、幽ちゃん」

 悠が静寂を破る。

「はい」

「この子…どうして此処まで」

(ああは言っていましたが、恐らくは寧ろ助けて欲しかった、とか)

「…どうしてでしょうね」

「ねえ、本当に死んじゃったの、その子」

「取り敢えずさっき受けた毒を元に解毒魔法を組んでいます、脳内で」

「マジで、じゃあちょっと黙ってるね」

「貴女の相手程度なら片手間でも出来ますので問題ありませんよ」

「幽ちゃんのそういうとこ好きだよ」

「そういうことはもっと別の人に言ってあげてください、素敵な殿方とか」

「あたし別に好みの男子とか居ないしねえ、タイプも理想も無いし?」

 片手間で相手出来るとは言え若干鬱陶しい。

「……よし、これを後はエディタに突っ込んで」

 すっ、と人差し指を一直線に降ろして青いウィンドウを呼び出す。この画面上で魔法を構成するコードを打ち込むと『世界』の個人ストレージ領域にコードが保存され、魔法が効率的に発動出来る様になるのである。

 治療系の魔法は消費が大きく出来ているので少しでも抑えたいのだ。何より魔力を直接コントロールして発動するよりも安定して使用出来るのが売りだ。

「まあ…アンチ・ポイズンに追加と云う事で良いでしょうね」

「凄い便利だよねそれ」

「いずれは全ての毒を解ける様にしたいですね」

 保存を終えると、幽は杏の身体に手をかざす。

「アンチ・ポイズン!」

 黒かった肌が少しずつ、本当に少しずつではあるが元に戻り始めた。

「まあ、これで後は安静と言った処でしょうか。身体の損傷と魔力の損失は余り無視出来る状態ではありませんが」

「尋ちゃんのとこ連れてく?」

 尋ちゃんと云うのは雨嶋アメシマヒロと云う、この学園の校医である。瞬達の同級生であり、卒業と同時に此処で校医として働き始めたという経歴を持つ。

「いえ、下手に動かすと黒い部分が崩れる恐れがあるので暫くはこのまま私が見ています。悠は授業に戻ってください。ああ先生には何か…こう…適当にお願いします」

「ほいほい」


――――


 眩い夕日で目が覚める。

「…あれ…私、生きてる…?」

「ええ、その様ですね」

 聞こえて来たのは、愛しい人の声だった。

「幽、ちゃん…?」

「私ですが、何か」

 眼鏡の奥の冷たい光をたたえた紅い瞳。落ち着いた蒼の綺麗な髪。人形の様な白い肌。

 守りたかった、否、傷付いて欲しくなかったあの人の姿が其処にあった。

「私…っ!」

「動ける様な身体じゃないでしょうに…保健室まで連れて行きますよ」

「ま、待って…」

「?」

 動機など、至ってシンプルなものだった。

 三戦花の役目とは全く関係なく、高等部に入って早々の話である。ふとしたきっかけで魔法部としての幽の戦いを目にした事があった。その時の彼女の姿が、杏の目にはこれ以上なく美しく映り…早い話が惚れ込んだのである。

 それからと云うもの、幽のクラスの演習などを見掛ける度に無心で見入り、日常の姿の一挙一動に至るまで全てが美しく見えていた。羨望と同時にもっと近付きたいと言う欲に駆られながらもずっとアプローチを掛けられず、そうこうしている内にもう三年になり。

 鈴蘭の攻撃目標にされていると知った時は真っ青になった。任務か、個人か。どちらを優先すべきか迷った時、陽と幽では比べ様が無かった。尤も、結局こうして地に転がっている訳だが。

「幽ちゃん、あのね…その、おかしいと思われるかも知れないんだけど、私…」

「…はい」

「私、かっ、幽ちゃんの事が好きなの! それで、幽ちゃんが傷つけられるのが嫌で、それで…!!」

 流石の幽も女子から告白を受けるとは思っていなかったが、表面上は平静を装う。

「……そうですね…少々判断に困りますが、取り敢えず今は好意をありがたく受け取っておきましょう」

「…ごめんね…急にこんなこと…」

「残念ながら私は貴女の事を殆ど知りません。ですので…そうですね、友達から始めると云う事でどうでしょうか」

 その言葉を聞いて、一気に涙が溢れ出る。

「…うん…!」

 頬から零れ落ちた涙が、夕日に光る。


――――


 久し振りの先生の無茶振りの所為で疲れた。

 運動部のシャワー室を借りてさっぱりと身体を洗い流し、ついでに返り血塗れになってしまったパーカーも洗濯してブラウスだけ羽織る。

 幽達の戦いの裏で、瑞葉は学校の周りに潜んでいた鈴蘭の手の人間を軒並み撃ち殺し、一人残さず確実に殲滅していた。学校の外周ともなると中々面積が広く、逃がさない様に全員殺すのは中々骨が折れた。後処理は専用の仕事人が居る為気にしなくて良いが、授業は出られなくなるし疲れるしこうやって帰りも遅くなる。

「どうせこの時間なら誰も居な…」

「何処に行ったかと思えば…贅沢にシャワータイムかよ、柊」

「ひぃっ!?」

 どうしてあの馬鹿の声が。

 完全に気が抜けていた瑞葉は素っ頓狂な声を上げる。

「ど、何処!? 見ないでよ今私シャツ一枚だから!」

「ちゃんと外だっての、其処までは予測してなかったけど。…炭酸買って来たから早く出て来いよ」

「おっ、気が利くねっ! 私今日すっごくお疲れなんだよぉ…」

 いつもの"一般人向き"の口調で喋る。

「…何やってたんだよ、お前放課後課題手伝えって言った癖にいつまで経っても来ないし、そもそもお前課題手伝わなきゃいけない様なキャラじゃ」

「りっくん、ちょっと来て」

「は?」

「大丈夫スカート穿いたから」

「お、おう…おわっ!?」

 入ってすぐ、外からは見えない位置に連れ込まれ…背中から抱きつかれた。

「…おおおおおおおい何やってんだお前!? は!? ちょっ待っ胸当たっお前そんなにあったのってそんな事は」

「………」

 突然の出来事に取り乱した璃玖であったが、何やら様子のおかしい瑞葉の態度に思考が冷める。

「……また他人に言えない様な事してたのか、お前」

「…気付いてたの」

「何となく…だけどな。お前のパーカー、沢山の人を〝感じる〟んだよ。痕跡っつーか…何て言ったらいいんだろう」

「何も知らない癖に、勘だけは良いもんね…あんたは」

 取り繕っていた仮面は殆ど崩れ、素に戻っていた。

「でも…あんたにだけは、誰よりも知られたくない。知ってほしく、ないの」

「友達だからか。それとも俺が、平和ボケした一般人だからか。別にどっちでも怒らねえよ、俺。事実だし」

(…違うよ、馬鹿…)

「ふふ、そうね…あんたには、平和ボケしたままで居て欲しいんだ、璃玖」

「詮索しない方が多分、俺の為なんだろうなとは思うよ」

「うん…っ。お願い、あと一年だから…平和ボケした可愛らしいりっくんと瑞葉ちゃんで居させて…」

 普段けらけら笑っている瑞葉の声が、涙混じりになっているのが分かった。

「今年が終わったら、お前は」

「多分…二度とあんたとは関わることは無いと思う。関わるとしたら、あんたと…私も死ぬ時かな」

「何者なんだよ…お前」

「何者に見える?」

「校則ガン無視の、不思議なクラスメート」

「…そっか」

「流石にパーカーは校則違反だと思う」

「あは、だよね。でもこれが無いと…私、本当の自分がどっちか分からなくなりそうだから」

 笑いにも力が無い。

「…なあ、俺もお前の」

「あ、待った…」

「何だよ」

「多分続き言われたら私、本当にブレちゃうから、やめて。お願い」

「……分かったよ」

(―――折角俺なりに勇気振り絞ろうとしたのに)

「ね、ジュース飲も。ぬるくなっちゃう」

「もう落ち着いたか」

「落ち着きたいから」

「そうか。…お前の好きなオレンジだよ」

「ありがと」

 背中合わせに座って、計っても居ないのに同じタイミングで缶に口をつける。

「…おいしい」

「そうかい」

「ねえ、ちょっとあげよっか。散々あんたのお弁当パクってるし」

「俺のもやるよ」

「グレープ其処まで好きじゃない。…けど、あんたが好きなら」

「…そうかい」

 持っていた缶を交換し、そしてやはり同じタイミングで口をつける。

「……なあ、柊」

「んっ……あー…何かな?」

「空じゃねえかこれ!」

 ぽたりと甘い雫が一滴。ただそれだけという余りにも割に合わない量に対して璃玖は抗議する。

「一口分くらいはあったでしょ?」

「そんなにねえよ! 一滴だよ!」

「あははは! ごめんごめん!」

(直接行かなかっただけ勘弁してよ。だってあんたは幽ちゃんが好きなんでしょ?)


▽▽▽












 その夜、崩落した屋敷跡。

「…全く雑に扱ってくれたものだ。おかげで目を覚ますのに時間が掛かった」

 ただ一つ、澄んだ女性の声がぽつりと響く。

「さて…"彼"は起きて来ているだろうか」

 彼女の手には、煌々と蒼く光るペンダントが握られていた。




World End Protocol #1

「Escape, from...」End.


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