#2 アウェイクニング・エンジェル Act.5

 逆ハック被害を受け、ボロボロになりながらも憤慨し反撃を企てる弥生。幸い場所は概ね特定出来たものの、肝心の彼女自身がとても戦える様な状態ではない。

「魔法は心で撃つモンよ! その気があれば例え体がどんだけ傷付こうが戦えるのよ!!」

 豪語する弥生。しかし魔法使いの根幹を成す精神部分にダメージを負った彼女の顔には、明らかな疲労が見えている。

「正しいことは言ってるがお前のそれはただの空元気って奴だ。取り敢えず落ち着け」

 至って冷静に抑えようとする瞬。彼としても、調査の時の奇襲に加え事務所にまで押し掛けられた事に対して思うところは幾らでもある。

「どの道喧嘩売ってきた以上買ってやるのは確定してんだ。ただ引っ掛かるのは、向こうからあんまり殺る気を感じねえ、って処なんだよ」

「……どういう事よ。悪戯にしたって派手すぎるでしょあんなん」

「確かに人形自体はそれなりに武装してた……が、そもそも何で人形なんだろうな?」

「は? ……それって連中が奇術師とかってやつだからじゃないの?」

「それはそうなんだが……なぁ弥生。あの人形から出た痕跡、"何人分"だ?」

 弥生は細い目を僅かに見開き、逆ハック前の検証結果を思い出す。

「……一人、だったわ」

「一人であれだけの数を制御出来る奴が居るのは分かったな。そしてもうひとつ、他に雪道の様に小飼の魔法使いは居ないのかって話だが……」

「それに関してはオレから話そうか」

 ヴィーネが口を開いた。

「俺ら天宮や五景の話は完全に切っちまってるからな」

「割と最近の話だし知らなくても無理はねえ。先週…じゃねえ、先々週だっけか? とにかくなんかその辺で唐突に表れた得体の知れない化物に、屋敷の人間がまるっとぶっ殺されちまったんだと」

 魔法使いの名家たる五景で一家丸々壊滅したとあれば、敵は恐らく迅の語っていた"魔物"の一体だろうと瞬は当たりを付ける。

「でもカラクリ遣いが一人生きてた、と」

「ああ。たださっきの弥生の話だと見えてたのは多分化物さんの方だな……他に何か見えた物は無かったか?」

「んん……あー、何か一人居たかも知れないわね」

 酷く曖昧な返事に肩を落とすヴィーネ。だが。

「着物……そう、着物の女。存在感薄そうな感じ」

「歳の目星は付きそうか?」

「んっと…そうね……アタシ達とそう変わらない、かな」

「だとしたら雲隠忍かも知れねえな……ああ成程、そいつ一人だけ生き残るなら合点が行く」

「何者なんだ、そいつは」

 合点の行っていない瞬は問う。

「次の当主になる筈だった女だよ。あんまりにもカラクリ遣いとして優秀過ぎたんで気持ち悪がられた挙げ句幽閉生活させられてたって話だぜ」

「雲隠さんも変わったのが残っちまったな…そしてそいつも自殺願望が強い様で」

「可哀想になぁ」

 殺す気満々の瞬を止める者は居ない。物騒だが、此処では日常茶飯事だ。

「さて、と。私はその雲隠さん家の座標でも見ておこうかしら。さっきのうちに調べは付いたのよね?」

 フランシスのような空間魔法の使い手は、空間転移の為に行き先の位置座標を把握している必要がある。

 カラクリの襲撃こそ入ったが、調査結果自体はディスプレイに映されていた。周辺も含めて位置を確認したフランシスは、率直な疑問を口にした。

「月見市郊外の竹林のまた更に奥……ねえ、この人達どうやって生活してたのかしら」

「買い出しにでも行ってた……か? 流石にタケノコだけじゃ食っていけないだろ」

「ふふ、色々足りないわね。でもそうすると変ね……その屋敷、普通ならもう機能していないわよね?」

「確かにそうなるな。でも忍とやらが生きてるのは確定。……一体どうやって生きてんだろうな」

「バグが人間を生かすってケースはオレも幾らか聞いたことあるぜ。まあ、大抵は餌とかいい様にされるのがオチらしいが」

 苦い顔で語るヴィーネ。

「悪趣味な奴も居たもんだ」

 同じく悪趣味だと思いながらも、フランシスは推察を続けていた。

「…………その、バグにとって忍さんが生きてなきゃいけない理由って何かしら」

「……うん?」

「態々一人だけ殺さなかったって事は何かしら理由があるからだって思うでしょう? 例えば、"殺さなかった"んじゃなくて"殺せなかった"…とか」

「それだけ強かったのか」

「或いは……これはバグ自体を見てないからあくまで例えなのだけど、バグが人間に愛着を持ってしまった……なんてのも最近じゃ強ち否定しきれないわ」

 実際、人型バグと人間の交遊関係は近年メジャーなものになりつつあった。大抵の人型は白目部分が黒く染まっておりすぐ分かるが、ある程度の力を持った人型であれば人と遜色無い姿を取ることが出来る為、気付かないまま交際に至るという事態も起こり得る。


「……あのさあ。それは何、アタシ達が反撃に行くのが間違いだって言いたい訳?」


 推察を黙って聞いていた弥生であったが、やられたのでやり返しに行きたいだけの彼女にとって然程重要な内容では無い様に思えてしまったのだ。

「いやねえ、ただの与太話じゃない。貴女の回復待ちがてら、ちょっと頭を働かせようと思ってただけよ」

 冗談の通じない子ね、とまでは口に出さない。

「余計なこと考えてたら肝心な時に剣が鈍るわよ? 大体一家皆殺しの犯人だって言うなら遠慮なくぶっ殺していい訳でしょ? アタシなら何とでもなるわ、だから早く行かせて頂戴!」

「……だとさ」

 半ば諦めた様子で、飄々と肩を竦める瞬。

「其処まで言うなら仕方ないわね。ただひとつ注意させて貰うけどね、頭に血上らせて貴女が何かやらかしたら誰がカバーに入るのかしらね?」

「それは……ッ」

「私"達"で行く以上、どうにか出来る理由で誰かの足を引っ張るのは止めて頂戴。うちは個々が強いと言っても小数だから、負傷とかなら仕方ないとして愚か者をカバーしてる余裕は無いの。それが分からない様なら一人で行って貰うわ」

「わ……悪かったわよ」

 畳み掛けるフランシスの勢いに気圧され引き下がる弥生。流石に彼女にまで喧嘩を売るのは得策ではない、と本能が警鐘を叩き鳴らすのだ。

「ふふ、これでもまだ噛み付く様な馬鹿は一人だけ敵陣ど真ん中に放り投げてあげようかと思っていた処よ。良かったわね」

 微笑んではいるが目が笑っていない。

「ヒューッ、おっかねえ……どうなっちまうかと思ったぜ」

 ヴィーネが一部始終を見て冷や汗を浮かべていた。

「姉御が此処までキレんのも珍しいよな」

「別に怒っては居ないわ。面倒事を未然に防ぎたかっただけよ」

 何食わぬ顔のフランシス。信頼したい人間で固めたチームだからこそ、メンバーには信頼に足る状態で居て貰わなければ困るのだ。

「さ、弥生も大丈夫そうなのでさっさと行くとしましょうか! 皆、準備はいいわね?」


 意気込んだ処で、フランシスの携帯が鳴った。


「何つータイミング……誰からだ?」

「燈だわ。……もしもし、私よ。どうしたの?」

『フランさん…すみません…っ。準さんもわたしも……全く歯が立ちませんでした……っ!』

 電話の向こうの声はすすり泣いている様で、所々嗚咽が混じって聞こえた。

「落ち着いて。どんなバグだったのか聞かせて貰える?」

「あちこち、鉄の装甲のついた巨人、って言えば伝わりますか……?」

「"鉄"? ちゃんと鉄って確定してるのね?」

「資材置き場の鉄筋とかを食べて……自分の一部にしてたんです……!」

 巨人型ではないものの、似た性質のバグはフランシスも何度か出会っている。

「"鉄喰い"ね。アイアンイーターとも言われてるタイプよ。…成程、準の刃も通らなさそうね」

 ほぼ全身鋼鉄である鉄喰いに有効な攻撃と言えば、装甲の薄い関節を狙うか、振動などの物体を通るエネルギーで内部にダメージを与えると云った処か。勿論、非常識的な力でぶち抜いても良いが出来る人間は限られる。

 ちら、と此処に居る面子を見渡す。

(割と誰でも行けそうだわ。ただ弥生が行っちゃうと大火災になっちゃいそうね……)

 大体弥生本人も行きたがらないだろう。此処は―――。

「オレが行って来ようか? 五景のひとつを叩こうってんだ、瞬や姉御を割く訳にも行かねえだろ。弥生もこれだしな」

「悪かったわね」

「いや、いいぜ。オレとしても雨森なんかに恩売っとくのもアリだと思ってな」

「……燈、聞こえる? 今救援を送るわ。強力な助っ人の筈よ」

『筈…!?』

「大丈夫、腕は確かだから!」

『じゃ、じゃあ…お待ちしてます……』

「と言う訳だからヴィーネ、うちの子達を頼むわね」

「おう、任された」

 事務所の扉に「外出中」の札をかけ、まずヴィーネを準と燈の下へ送ると、ストレイキャッツの面々は空間のゲートの向こうへ消えた。


 △△△


 雪道屋敷跡の調査から戻った迅は、身体に妙な違和感を覚えていた。

 まるでもう一人分、別の魔力が身体にある様な感覚……否、"気配"。


(―――何だ、これは?)


 何かを心待ちにしている様なざわつき。自分の物ではないのに、自分の胸に去来する知らない誰かの感情。

 憑いているのが意思のある存在なのであれば或いは、と迅は内なる何者かに問い掛ける。


(―――お前は誰だ)


 ……答えは返って来ない。

 しかし迅は問い続けた。


(―――答えてくれ。お前は、何者なんだ)


 暫く待ってもやはり返答は無く、気配は徐々に薄れていった。

 一応誰かに相談してみるべきか……そう思いながらぼんやりと歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「何をしている、迅」

 低く乾いた、落ち着いたトーンの声。

「…父さん…」

 天宮家現当主、天宮アマミヤ刻夜トキヤそれが彼の名である。

 やや色褪せた蒼黒の髪を伸ばし、黒い着流しを纏う長身。重ねた年月を感じさせる威厳と併せ持つ陰鬱な気が表情から見てとれる。

「何やら浮かない顔だな。どうした」

「……実は――――」


 ▽▽▽


「……あら、来客ですこと」

 来訪者の気配を感じたアルシナは、忍を撫でる手を止める。

「天宮さん達ですか」

「忍は此処で待って居なさいな」

 立ち上がるアルシナ。しかし重い腰を上げ、忍もまた続いた。

「……忍?」

「私も行きましょう。貴女が目の前で惨たらしく死ぬのは見逃したくありませんので」

 露骨な悪い笑みでそう告げる。

「お前……妾が手を上げないことを良いことに……」

「ちょっと趣向を変えてみました。まあ唐突に今一人にされても暇で寝そうなのでそれよりは後ろで野次飛ばす方がマシかと」

「……色々と問題ですが良いでしょう、妾も忍の前の方が昂りましょう。……くれぐれも怪我をしませんよう」

「死にたいとは言っても痛くされて死ぬのは嫌ですので」

 忍が歩むごとに、屋敷中に潜むカラクリ達が目覚め始める。

 二人は一瞬視線を交わすと、来客をもてなすべく歩き出した。


 ▼▼▼


「さて、今回はどうやって入ろうか」

 扉の前で瞬は呟く。前回の雪道突入の際はドアを思い切り蹴飛ばしたが。

「流石にこうも立派なお屋敷だと壊すのは可哀想ねえ……」

 ううんと柔らかく唸るフランシス。

「綺麗に取っておいた方が有効活用出来るわ」

「其処な訳ね。でもアタシが居る以上、戦い始めたらこの家燃えるわよ?」

"鬼神遣い"である弥生の契約している鬼神は"炎"と"猫"の二つ。つまり木造建築の敵である。

「……"出来れば"燃やさないで頂戴」

 イギリス生まれのフランシスは日本の木造建築が密かに好きだったのだが。

「"出来れば"ね……」

 仮にも敵のホームグラウンドだと言うのに呑気なものである。

 そして結論が出た瞬は、勢いよく扉を開く!

「たのもーッ!!」


「うふふ、此処は道場ではありませんことよ? 愉快なお客人方」


 入って視界に映ったのは、開けた大広間に立つきつい桃色の着物と落ち着いた青紫の着物の女性二人。

「アンタね、アタシに入り込もうとしてきたのは」

 桃色の女の背に生えた翅を睨む弥生。

「あら、先に探りを入れてきたのは貴女方ではありませんこと?」

「おいおい、散々カラクリ寄越してきたの忘れたとは言わせないぜ?」

 なに食わぬ顔で返す桃色に瞬も即座に打ち返す。

「おや、言い負かされてしまいましたわ、忍」

「私達が悪いのは分かっていたでしょう」

「ほー、あんたが雲隠忍さん、か」

 忍者のような風貌を想像していた瞬だが、其処に居たのは伸ばしっ放しの艶めいた黒髪の和服美人だった。忍者というよりは幽閉された姫君と、事実からそう遠くないそのままの印象を受けた。

「思ってたより若々しい……が」

 全く肌荒れなどもなく、髪で大分隠れてしまっているのが勿体無い美人だと評価した。

 だが瞬が見ていたのは其処ばかりではない。

「紫の眼……か」

 魔法使いの眼の色は、本人の魔力の性質や心の形を表すと言われている。

 赤は"攻撃性"を示し、青は"防御性"を示すなど様々な謂れがあるが、中でも紫系はどの説であっても"心の闇"や"深い絶望"、"悪意"などネガティブな性質を示すとされており、実際殆どのケースで当てはまっているのが現状だ。

「良い色でしょう? 私、この眼だけは唯一気に入っているのです」

 少しやつれた様な微笑みが自嘲げにも見えたが、声色からすると本当に気に入っているらしかった。

「それで、あなた方は一体何をしにはるばるこんな処まで?」

「其処のどピンクをぶっ殺しに来たのよ」

 吐き捨てる様に言い放つ弥生。

「それは良かった。私もこのひとには大変苦労させられていたのです。なるべく惨たらしく殺してあげてください」

「おのれ忍!」

「ンじゃあとっとと殺らせて貰いましょうかッ!!」

 即座に札を三枚ずつ取り出し、桃色目掛けて放射状に投げ放つ。中空で燃え上がったそれは、炎の波となって襲い掛かる!

「随分血気盛んな娘ですこと」

 右袖で薙ぎ払っただけで突風が起き、炎を掻き消す。だが晴れた視界に弥生の姿は無い。

「全く、戦いの作法がなっていませんわね……。いくさの前には名乗りを挙げろとは習いませんの?」

「殺す相手の名前なんかどうだっていいわよ!」

 死角を突き、弥生が短刀を片手に急速接近する!

「名乗れと」

 一切弥生の方を見ずに短刀を払い飛ばし、

「言っているでしょう」

 腕を絡めとり関節を極める。

「この……ッ!!」

「名乗る名も持ち合わせて居ない、下等な人間ということで宜しくて?」


「―――ソニック・ショック!」


 いい様に捕まってしまった悔しさに歯噛みしていたその時、銃声と共に魔力の弾丸が飛来する!

「おっと」

 牽制の二発で弥生を解放させると、悠然と歩きながら瞬が朗々と話し始める。

「いやあ失礼、失礼。うちの脳筋がとんだ無礼を働いてしまった事は御詫びしよう。俺は天宮瞬、まあ天宮でも瞬でも好きな様に覚えて貰えば結構」

 芝居掛かった様子で一礼すると、各々続いて名乗った。

「忍さんは分かったから、今度はあんたの番だぜ」

「妾はアルシナ。人呼んで"眩惑げんわくの蝶"……ということにしておいてくださいまし」

 おほほ、と誤魔化すように笑うアルシナ。

「多分あんた、雲霞の魔女って伝わってるぞ。そんな話を前に聞いた」

 迅の話と忍の苗字から、彼女が件の魔女のことだろうと予想した。

 一方ですぐ傍の忍が自称"蝶"について物凄く言及したかったが、此処で言ってしまうと彼等が無惨な死に様を晒すと思い、踏み留まった。

「ああ……そう言えばそんな風にも名乗っていたこともあった様な…」

「案外適当なんだな……ま、五十年もありゃ気も変わるか」

 どうも人間臭い魔物に調子が狂う。だが脅威的な力を持っていることには変わりない。

「……弥生、貴女は"全体"をよく見ておいて」

 情けなく戻ってきた弥生にフランシスが耳打ちする。

「どういうことよ」

「あの女が本当に何もしてこないとは限らないわ。瞬はアルシナに突っ込む気満々でしょうから、いざとなったら貴女が頼りよ」

「こう言うときばっか持ち上げんじゃないわよ。……でもま、実際それが最良かしら」

「勿論支援もして貰うわよ」

「分かってるわ」

 札を起点として炎を放つことが出来るという能力上、トラップとして上手く設置すれば戦場を掌握することも可能なのだ。

「さあ、おいでなさいな。久々のいくさ、楽しませて貰いますわよ? おほほ」

 開戦に伴い忍がすっと後方に下がる。

 そしてアルシナが翅を大きく開き羽ばたくと、チカチカと光る鱗粉の嵐が吹き荒れ、翅に描かれた巨大な"目"が瞬達を捉える!

 何かやばい、と漠然ながら直感が叫び袖で口を押さえる三人。

(―――何だこれ、目眩……!?)

 視界が赤や黄、緑などが混沌と混ざったサイケデリックな色合いでグネグネと歪む。頭痛に眩暈、吐き気などの合わさった劇毒めいた症状に襲われ物凄い速度で体力が削られていく!

 まともに立つ事も困難になり、膝をつく瞬。撃とうにも狙いが定まらず、かと言って闇雲に撃てば味方を撃ちかねない。

「ッ……!!」

 眼を閉じ息を止め、足元に向けて両手の銃から近距離用拡散弾『バースト・ショック』を放つ。

 木製の床は耐えられる筈もなく爆散し、巻き起こった塵で瞬の姿が消える。

「……ほほ、よくちゃんと下を狙えましたこと」

 着弾の爆発によって瞬自身だけでなくフランシスと弥生の方にも風を起こし、鱗粉を吹き飛ばす!

「そういう殺し方はずるいんじゃねえの…!」

 よろめきながら立ち上がる瞬。自爆によって掛かる反動は決して小さくはない。

「妾の性質上こういうことしか出来ませんのよ」

「瞬!」

「大丈夫……つっても、あんまり時間掛ける訳にも行かなそうだ」

 これは一対一の決闘ではない。強大な力を持ったバグの討伐戦だ。意識を切り替えた瞬の周囲に、黒い火の粉が舞い始める。

「……やるのね」

「ああ」

 力を込めるのではなく、限り無く心を無にする。


 イメージするのは、暗闇の世界にただ一人立つ己の姿。握り締めた右手から、光が溢れ出し―――


「―――《黒天コクテン》!!!」


 瞬を中心に吹き荒れる暴風! コートをはためかせる彼の背から広がるのは、黒く揺らめく炎の翼!

 一瞬にして爆発的に増加した魔力を、この場に居る誰もが肌でビリビリと感じていた。

「どうやら見掛け倒しでは無さそうですことね」

「分かるかい? ……ま、分かるよな」

 ―――『音響脳波ノイジー・ウェーブ』起動。

 アルシナと言葉を交わす一方、瞬はフランシスと弥生に向けてテレパシー回線を開く。

『フラン、弥生、聞こえるか』

『ええ、ばっちり』

『良好よ』

『俺が全力で突っ込む。フランは防御に徹してくれ。弥生は一撃で焼き払えるよう備えろ』

『了解したわ』

『あい』

 端的に通信を済ませ、回線を切る。

「さて……厄介そうなのはその翅かな?」

「多少切った程度ではまた生えてきましてよ」

「じゃあ根本からごっそりと頂こうか―――〈幻想ファンタズム〉!」

 両手の銃を魔力に戻し、代わりに"黒"のエネルギーで形成された剣を二振り精製。そして揺らめいていた黒い翼が、ブースターめいて激しく噴き出す炎に変わる!

「近付けるものなら、やって見せよ!」

 再び翅を羽ばたかせるアルシナ。劇毒鱗粉の嵐が瞬を襲う―――だが!

空間爆砕ディメンション・ブラストッ!!」

 瞬の前に躍り出たフランシスが剣を突き出し、数メートル先の空間を爆破! 亜空間へ至るブラックホールめいた穴が空き、鱗粉が吸い込まれて行く!

「行って、瞬!」

「ああ!」

 短い爆発音と共に瞬は急加速、『世界』から肉体への補正があって尚相殺し切れないGを受けながらも翔ぶ!

 黒天の速度と幻想の持つ力があれば斬れない事は無い筈―――瞬は壁を蹴り天井を蹴り、眼前に迫るアルシナの翅目掛け一撃を繰り出す!

「ぬうっ……!」

 飛ばそうとした鱗粉諸共焼き斬られた翅がぼとりと落ち、たちまち灰になって消える。

 しかし失ったのは翅の中程から先。再生が始まるのを見た瞬は、即座に次の行動に移る。

「させねえよッ!」

 距離を取ろうとするアルシナ目掛け急加速、すれ違い様に一閃!

「ッ……!」

 身体を捻りながら、弥生の炎を払った時と同じ様に右袖で薙ぐ。だが翅の代わりに袖が千切れ飛んだに過ぎず、瞬は再び翔ぶ!


 その傍ら、ただ観戦に徹する忍は"魔物"を防戦一方に追い込む瞬に感動しながらも、言い得ない感情を覚えていた。

(―――あの毒蛾が情けない様を晒してくれるのは嬉しい筈なのに)

 アルシナと過ごした時間が楽しかったのかと言われれば当然否だ。自分は死にたくて仕方がなかったのに生かされて、胸糞悪いことこの上無い。

 だが、このまま彼女が死んだとしたら。

(―――私は、餓え死にを待つのか? 或いは人形に介錯でもさせるか?)

 幽閉されていた頃も、決して食事が無かった訳ではない。彼女の知らない、彼女を思う誰かによって生かされていたのだ。故に飢えの苦しみを知らない。

 痛め付けられる訳でもなく、早くに暗い部屋へ押し込められた彼女が経験する痛みなど精々針で刺す程度。当然人形の武装がもたらす痛みも知らない。

 恐らく彼等は私を殺さないだろう。


 では、どうなる?


 良くてこの誰も居ない屋敷に放置、悪ければ管理局の保護下だろう。

 冷静に考えれば考えるほど、別段希望こそ無いのに嫌なことばかり見えてくる。

 見よ。先程まで天使に思えていた黒翼の悪魔は、自分を生かしていた者を今にも殺す勢いで蹂躙している。

 彼女は、アルシナはそれでも自分に助けを求めることはしないだろう。あの変に律儀な女は、愛した相手だろうとそれに甘えすがり付く様な真似はしない。自分の前で、雲隠忍ただ一人の為に戦った事を誇りに散っていくだろう。

 愛も情けも知らない忍だが、望むと望まないと来てしまう"この先"の事を思えば取るべき行動はそう難しくない。


 翅の断面が黒く焼け付き、再生が追い付かなくなりつつあるアルシナ。しかしその顔は苦痛に歪むよりも先に、含みを持たせた笑みを浮かべていた。

「ふふ……成程、大した力よ。だがお前のその使いぶりからするに、その力の意味……分かっていない訳ではあるまいな?」

「まあ、な。実際あんたみたいなのと戦うなら、それくらいのリスクは要るさ」

「面白い人間よ……。そうまでして、お前は一体何がしたいのだ? それが妾達を殺める事に繋がるのか?」

 命乞いではない。純粋な疑問だ。

「仲間やフランを脅かす連中と戦うこと、くらいかね。戦うの自体は大好きなんでな」

「まるで本能に生きる獣だな」

「俺もそう思ってる」

「瞬、準備出来たわよ!」

 弥生が叫ぶ。見れば、瞬が再生する翅を延々斬っている間に彼女の持つ最大の火力を発揮できる符陣が完成していた。

「……そう言う訳だ、悪く思うなよ」

 敵は敵。情が移らない様に、全力で決める。

 瞬の心に呼応し、幻想がうねる黒い炎となって両腕で渦巻く!

「ブラック―――インパクトッ!!」

 本来銃で制御する衝撃魔法に黒の力を加え、燃える腕で暴力的な威力の一撃を放つ!

「ぐあ……ッ!!」

 全身に襲い掛かる絶大な衝撃。符陣目掛け、アルシナの身体が真っ直ぐに吹き飛ぶ!

「ブライト・バインド!」

 フランシスの放つ光の輪が陣の中央でアルシナを拘束。そして弥生の詠唱をトリガーに、必殺の一撃が発動する!

「彼の地より来たれ、紅蓮の鬼ッ! 契約者、木皿儀弥生の名の下に……汝の憤怒を解き放て!!」

 弥生の足元に紅い紋様が浮かび、頬の紋様と敷かれた符陣が呼応するかの様に紅く光る! そして背後に現れる紅蓮の巨人、焔の鬼神"ヒノカグツチ"!

『今回に限って言えば俺じゃなくてお前の個人的な怒りだと思うがな―――まあいい、一緒に焼き払ってやろうじゃねぇの』

「頼むわね、カグツチ」

『俺ァお前の鬼神だ、良識の範囲内でとことん遣え』

「ありがと。それじゃあ行くわよ―――!」

『応!』

 遣い手と鬼神の共鳴。二者が強く響き合えば、術の威力は何処までも上がる!

「『業火、絢爛ッ!!!』」

 床に展開された四重の十二角形から更に壁へ天井へと拡散して配置された札が一斉に起動! 一斉に超高熱の爆発を引き起こし、辺りを真っ白く染め上げる!!

 彼女が幾度とゲームに見た超新星爆発をこの限られた空間の中で再現する、夢と報復が混ざりあった局地高等術である!


 ――――


 フランシスの想像を遥かに越えた弥生達の術は、彼女の空間制御を以てしてもこの部屋一帯を焦土に変えた。

「……瞬、弥生、生きてるわね?」

「ああ……なんとかな……」

「その、何というか……毎度手間掛けるわね」

 辛うじて原形を留めていた残骸の中から立ち上がる。

 しかし弥生達は、衝撃的な光景を目にする。


 無数の人形が、アルシナを包み込む様に守っていた。


「何よこれ……人形!?」

 屋敷と同じく木製の筈の人形が残っている事に驚きを隠せない。

「御免なさい。止まらないと思ったので、こうさせて貰いました」

 人形の主―――忍の声が響く。

「何で止めんのよ。散々殺して欲しがってたじゃない」

「ええ。ですが気が変わりました。止めは私の手で刺させてください」

 淡々と告げる忍に苛立つが、弥生としても彼女の言い分が分からない訳ではない。

「……仕方無いわね」

「ありがとうございます」

 アルシナを守っていた人形が、今度は彼女が逃げられない様に円陣を組む。その内側に入っていく忍を見ながら、瞬は密かに二挺拳銃〈ブラックストーム〉を精製した。

「フラン、あれがまともに殺すと思うか」

「どうかしらね」


「そうか……妾は、お前の手で死ぬのだな……」

 翅は根本を僅かだけ残して焼け焦げ、着物もボロボロになり息も絶え絶えのアルシナ。

「は、ハハ……殺さば殺せ……。お前の手に掛かって死ぬのなら、妾も本望……」

「…………」

 彼女をただ黙って見つめる忍。

「……どうした。そんなに無様な妾が愉快か」

「ええ」

「ハ、つくづくお前は……食えぬ娘よ……」

「でももっと愉快なのは」

「……?」

「貴女に恩を売れることです。―――《秘術・舞台装置》!!」

 人形達が隣の人形と手を繋ぎ、奇妙な光と共に防壁を築く!


「そう来たか……ッ!」

「任せて! ―――空間穿槍ペネトレイター!」

 どんな物質をも抉り貫く歪曲空間の槍を精製し、一直線に放つ! だが人形の一体が消滅したのみで、肝心のアルシナまで届かない。

「嘘……まさかあれも空間魔法だと言うの…!?」

「だとしたら撃って通るとも思えねえな……くそッ」

「―――天宮さん。出来れば私達を追ってくださいませんよう。私達もまた、二度とお会いせず済むように致しますので」

「……もしまた会っちまったらどうするよ」

「その時は……その時です、ふふ。―――それでは」

 最後に可愛らしく笑って見せ、人形の集団ごと彼女らは何処かへと消えた。


「……どーすんのよこれ。アタシ達完全に徒労だったじゃない」

 大技を放った反動で、鼻や口元から僅かながら血の筋が垂れている。

「まあそういうこともあるって事で……」

「適当にも程が―――!?」

 弥生が反論しようとしたその時、不意に瞬が振り向き、翼で防御体勢を取った!

 そのコンマ数秒後、流星群めいた無数の光の弾が瞬目掛けて降り注ぐ!


「よく予知したねぇ、凄い凄い」


 気の抜けた拍手と共に、派手な司祭じみた格好の男がゆっくりと降り立った。

 その傍にはよく知った男もおり―――。


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