#2 アウェイクニング・エンジェル Act.2


 体育館近くの薄暗い一角。

 痩せた男子生徒一人を柄の悪い生徒が囲んでいる。その数四人。

 体格的に見ても、彼らにとっては一対一でも恐らく負ける要素は無いだろう。魔法さえ使われなければの話だが。

 実際魔法で反撃すれば勝てたであろう。しかし哀しきかな、心まで細い彼は恐怖に怯え既に戦意喪失しており、このまま彼らの要求通りなけなしの残金を搾り取られてしまうのだろう。

 魔法という新しい概念が人々にもたらされて早五十余年。それでも尚、 所詮人は人だったのだ。確かに新たな可能性を見出だし大きく変革を遂げた者も数多く居る。しかしながら、その一方で衰退している者達もまた存在していると言うのが現実だ。

 彼を取り囲む不良生徒達も、いや彼自身さえもこの世界に於いて悪い意味で旧い存在なのだ。

 ―――では、魔法の存在で変革を遂げた人間とは何か?

 ザッ、と明確な存在感を誇示する足音がこの蛮行の現場に響いた。

「随分と古臭い真似してるのね、あんた達」

 刃の様に冷たく鋭い声で"彼女"は言い放つ。見れば、美しい白銀の髪に瑠璃色の眼。若干浮世離れしたその風貌の女子生徒は一振りの刀を携え、そして静かに手をかける。

「古臭いあんた達にはやっぱり、古臭いやり方が一番よね?」

 にやりと口元を吊り上げ、挑発的な笑みを浮かべる。当然眼は笑っていない。

「手前、一人で俺ら四人に勝てると―――」

 一閃。

 女子生徒は躊躇なく抜刀し、挑発しようとしていた一人を斬り伏せる。

「校内では魔法で外傷を付けることは不可能。でも…痛みはちゃんと通るのよね?」

 左手に握られているのは純白の刃を持った一振りの刀。

「こいつ…!!」

「やめとけ、とっとと逃げるぞ!」

 逆上しそうになった一人を聡明なもう一人が抑え、残りの一人が斬られた男を担いで一斉に逃走する。

「なんだ、意外とお利口さんだったわね」

 ふう、と女子生徒は一息ついて納刀する。実際、あのまま彼等が向かって来ていたら屍を四つに増やす心算で居た。

「あ、あの…すみません…」

 おどおどした様子で襲われていた男子が詫びる。

「貴方も黙って言いなりになっている様じゃ駄目よ。もっと強くならないと」

「でも…僕、殆ど実戦経験も無くて」

 今一つ自信の付かない彼に、彼女は言った。

「今すぐ強くなるのは無理よ。強くなろうとする意思を持ち続けることが大事なの。分かる?」

「意思……」

「そう、諦めなければきっと強くなれるわ。その時は、また他の人を助けてあげて」

「……出来るかな、僕に…」

「見たところ貴方は十分な魔力は持っているわ。後は経験を積むだけよ」

「…頑張ってみます…!」

 ふふ、と小さく笑うと女子生徒は去る。彼はきっと大丈夫だろう。例え今は駄目でも、いつかはきっと。


△▼△▼


 三年A組教室。今は二時間目、現代社会の授業だ。

「―――現代でも引き続き問題になっていることと言えば、やはり人権問題だろう。人権と言っても、人間同士の話ではない。あれをまだ引きずってる人間は相手にするな。今は"人間じゃないもの"に対する話だ」

 眼鏡ですらっとした体型、一見厳しそうだが漆間先生に近い大雑把さのある社会科担当の咲橋サキハシ先生が語る。

 人間じゃないもの?と生徒達の一部が首を傾げる。彼等は戦いとは余り縁がなく、平凡に暮らすことの出来ている人種だ。こと魔法教育についてはかなりのレベルを行く絵草学園でも、そういう人間は居る。

 戦わなくて済む様にしてくれる、そう云った層が存在するからである。

「あたしとしてはそっちも十分時代遅れなんすけどね……」

 悠が窓際の席で頬杖を突きながら囁く。その隣では幽がくす、と笑う。

「人間じゃないもの…さて、具体的に何が言いたいか分かる奴は居るか?…鏡坂カガミザカ、どうだ?」

「俺っすか! えー…"人型"の事っすかね…?」

 鏡坂と呼ばれた茶髪の男子が答える。彼は鏡坂京也ケイヤ。璃玖の数少ない男友達である。

「正解だ。漆間先生には言わないでおいてやるからさっさとそれを仕舞うことだ」

 机の下でこっそりとやっていた携帯ゲームの事である。

「い、いやあ…昨日発売だったもんっすから…」

「最初は槍がいいぞ」

「先生買ってたんすか!しかもフラゲ―――」

「さて、鏡坂が言ってくれたがその通り、"人型"の話だ。人型バグ…最近のだとそうだな…アメリカの強盗のニュースは皆知っているかな?」

 京也の言葉を遮って話を進める。

 アメリカの強盗事件―――人型バグ三人組が銀行に押し入り暴れた…とだけ言えばよくある話なのだが、取り調べによって銀行側にとって良くない事実が発覚することになった。

「彼等が何故そんなことをしでかしたのか……柊、言ってみろ」

「その内の一人がバグだからって理由で就職させて貰えなくてキレた、んでしたっけ」

 瑞葉はグミを仕舞いながら答える。

「まあそういうことだ。実際彼は素行もよく真面目に働く意思もあったと云う。他の二人は変に仲間思いだった所為で犯行に至った…といった処だな。つまる処、人ではないが同じ様に生きようとしている彼らに対する扱いが、最近どの国でも問題になっていると云う訳だ」

 強力な人型がこの教室にも存在している事実は、案外知らない人間の方が多い。それだけ人間社会に馴染んでいると云う証明でもある。

 だが咲橋先生も露骨に"彼女"に話を振る様な真似はしない。

「人間に対して友好的な人型が増えてきたのが此処十数年の話でな。昔の連中は今ほど精巧に人間の姿をしていなかったと云うのもあるし、まだ情勢が荒れていた事もあってとても社会制度どころでは無かった」

『悠』

 退屈そうに聞いていた悠の脳内に、幽の声が響く。元々悠に"憑依"していた幽は、自分の肉体を得た後もこうして悠とだけ魔法を介さずテレパシーめいて交信することが出来る。

『なーに、幽ちゃん』

『いえ、暇そうだなあと思いまして』

『そりゃあ暇だよ…どうすりゃいいかなんて分かり切ってる話じゃんこれ』

『それが出来ないから戦争も起こるんです』

『急にスケール上がったねぇ、まあいいけどさ。…そういや幽ちゃんは人型の知り合いとか居ないの?』

『一応町に住んでる人は何人か会ったことがありますが…向こうから見ても私はイレギュラーな様で』

『ふうん…?こんな可愛いのにねぇ』

『あの…ほぼ貴女の顔ですよ?』

 そうは言いつつも、返す幽の声が若干照れているのが分かった。

 可愛いとは言われ慣れていないのだ、二人とも。

『じゃああたしもきっと可愛いんだねー。彼氏作る気無いけど』

『私も無いですが悠、あの人の事は良いんですか?』

『…どの人よ』

 声音が低くなっているのが面白くて、幽は更に踏み込んでいく。

玉堂ギョクドウ紅月クゲツ

『ちょっ!?』

 頬杖をつく手から頭が滑り落ちる。

 二年前、とある事件で刃を交えた同い年の魔法使い。二つ上―――つまり瞬達と同い年の姉がおり、兄弟ぐるみの付き合いが続いている。

『悠があれほど男子に好意的になったのは見たことがありませんよ。璃玖は脈なしでしょうし』

『紅月は…まあ、友達だよ。大体あたしがお兄ちゃん以外と仲良くしてるって想像つかないんだけど』

『でも最近ちゃんと兄さんが居なくてもしっかり生活してるじゃないですか。多分兄さんへの依存度は、私より低いと思います』

『そう…?』

『私にとって兄さんは謂わばマスターのようなもの。名前を貰ったのはやはり大きいんですよ』

 先に居たのはあたしなんだけどなあ。

 …とは、言えなかった。

 幽の事は嫌いじゃない。寧ろ自分の半身として頼りにしている。けれど、時折幸せそうな幽が少し妬ましく思えてしまう。

(―――でも上手く甘えられないのは、あたしの所為か)


――――


「なーんか悠ちゃん、難しい顔してるねぇ」

 昼休み、璃玖の弁当から唐揚げを引き抜きながら瑞葉は言う。

「……。…そうか?」

「一応隠そうとはしてるみたいだけどね。ありゃまた幽ちゃん相手に何か悩んでるなー」

「よく其処まで分かるなお前は…」

 盗られる前に卵焼きを仕留める。

「寧ろ何で分かんないかなー。好きな子…の元の方だよ?」

「…悠と幽は別物だ」

「そうだね。幽ちゃんの方があれで真っ直ぐな子だし。悠ちゃんああ見えて結構抱え込んじゃうタイプだから」

「そう思うなら助けてやったらどうだ」

「えー私? いいんじゃない別に、あの年頃は色々乗り越えて大人になるものだよ、少年」

 ふっふっふ、と大仰に笑いながら冷凍のグラタンに伸ばそうとした手を掴まれる。

「お前だって年頃だろ。あとそいつはやらん」

「りっくんのけちー」

五月蝿うるせえよ! お前いい加減普通に弁当買ってこい!」

「お二人さんは今日も仲の良いこって」

 馬鹿騒ぎしていた処にふらっと京也が現れる。

「いいでしょーうふふ」

 抱き付こうとして顔面を押し返され、無様な声を上げる瑞葉。

「お前も天宮さんより瑞葉ちゃんの方が良いんじゃねえの?」

「…放っとけ。それよりお前はどうなんだよ」

「ああ、すみれさんの事か? いやはやお陰様で……」

 璃玖と瑞葉が心の中でおっ、と思うも。

「進展ナシです」

「あちゃー」

「やっぱりか……」

「世間話で終わっちまうんだよ…助けてくれよぉ…」

「デートに誘おう! それが一番だよっ」

「んな事言われてもなぁ…ああ、この前美術館とか行きたいって言ってたっけ」

「それだよ!」

「美術館デートってどうなんだ…?」

 璃玖としては自分がそもそも何処に行きたいと言う希望も無いのでアドバイスのしようもない。

(―――俺だったら……? 俺だったら、天宮と…何処に)

「でも瑞葉ちゃん…美術館ってそういう雰囲気出るかなぁ…?」

「んー、女の子が行きたいとこ行っといて話弾ませるとこからじゃない?多分京也くんの考えはいきなりラブホ突撃する様なもんだと思うよ」

「うっ…それは」

「じっくりいけば良いのだよー少年」

「師匠ぉー!」

(こいつらはこいつらで何をしているんだ…。それに柊お前、そんな経験豊富な振りしても全く経験ないの知ってるんだぞ。お前が言ったんだから)

「じっくり、ねえ」

「あ、りっくんは早く諦めた方が良いと思うよっ!」

「俺には冷たいな!」

「いや、凄く正しいこと言ってると思うぞ…」

 しかしあいつはやめておけと言われてもすぐに納得が行かないのが哀しい処で。

「どうせ俺は見る目がねえよ……」


――――


 私の名前は岸間杏。本日も別棟から元気に幽ちゃんをウォッチ。この魔導超倍率望遠鏡があれば窓際の天宮姉妹を観察するなど造作も無いこと。ああ、あの深海の様に冷たく深い蒼の髪に一瞬でも触れられたら。あの血の様に紅い瞳に見つめて貰えたら。天使の歌う様な美声を間近で聴けたら。欲望だけが膨らんで留まることを知らない。ああ食欲は満たされど幽ちゃんへの渇望は全く満たされない。コンビニの唐揚げ弁当おいしい。

 放送部長の叉渡サワタリ君に三万で作って貰った改造ヘッドホン。これのお陰で幽ちゃんの声も聞こえるがやはり私だけを見て私だけに話し掛けて欲しい。私に「一緒にお弁当食べよっ♪」と言う勇気があれば。待っているだけでは駄目だ。それは分かっている。因みに叉渡君には「その行動力を別の方向に使った方が良いと思う」と言われた。全くその通りである。でも聴いているだけで、見ているだけでいいの。いいえそんなんじゃ駄目よ杏。勇気を出すのよ。

 処でさっきからちらほらと雑音が入る。誰だ私の神聖なる時間を妨害しようとするのは。この為に生きている様なものだと言うのに。

 …金属音?刀剣と…鈍器?音を拾う範囲をほぼ幽ちゃんの位置に絞っていた所為で気付かなかったがこれは思ったより近い。多分、この棟のすぐ近く。誰かが喧嘩でもしているのか。幽ちゃんの手間は増やさせない。私が出る!

 と、勇んで現場が見える位置に来たはいいが。

 何たる無様。私が行く前に、白くきらきらした髪の女子が片付けてしまっているではないか。…あの娘…幽ちゃんとはまた違った感じで神秘的…。いやそんなことはどうでもいい。誰だ彼女は。同じクラスにはあんな生徒は居なかった筈。幽ちゃんと同じクラスならそれも把握出来ている筈だ。ではB組かD組。…たった一人、刀一本で…剣道部の問題児三人組か、あれを薙ぎ倒すとは。

 携帯のサイレントカメラで写真を撮り、気付かれる前に定位置に帰ろう。あっ昼休みが終わってしまう。次は体育か。更衣室に急がなくては。

 合法で女子更衣室に入ることが出来る。それどころか着替えシーンを生で見ることが出来るのだ。私は顔の下半分を手で押さえ、この場を後にする。


△△△


 絵草学園生徒用マンション。その上層にある一部屋。

「……ふう」

 彼女は一息つくとブレザーを脱ぎ捨て、リボンを取る。

 一日に何人斬れば良いのか。先程の剣道部員も、大人しくこれで引いてくれれば良いが恐らくそうは行くまい。

 元は人助けの筈だった。

 過ぎた力で虐げられる弱者を放っておけず、ならば此方もと剣を取る。だがその行為の示す処は結局、"敵"と何ら変わらない。魔法は所詮暴力でしかなく、世界は以前より混沌としている様に思えて仕方がない。

 大事なものを守る為の剣で在りたかった、筈なのに。

 そう思う様になったのは余り昔の話ではない。自分がまだ中等部に居た頃、黒い炎を纏い、漆黒の剣と二挺の銃で多くの人間を守り戦い抜いた彼の姿を間近で目の当たりにして、強く憧れを抱いた。自分も彼の様になりたい、と。

 高等部に上がってからは彼の戦いを見て取り入れ、彼の理念を学び、そして自分なりに考えて実行に移した。

 欲を言えば彼ともっと近付きたかったが、それは叶わなかった。

「先輩……私は…」

 彼の居る領域にまで辿り着きたい。そう思って戦っていた筈が、どうだろう。今の自分は…ただの人斬りでは無いのか?

 確かに自分の戦いで、あくまで"結果的に"他人を助けているだけになっては居ないか?

 図体の大きく体格のいい相手を斬り伏せる感覚。ふとした拍子にそれがフラッシュバックし、それを欲している自分に気付く。

 そして我に返ると自己嫌悪に陥り、こうして独り思い悩む。

 携帯を手に取り、電話帳を開く。名前順でもかなり上にある彼の名前に触れ、番号とアドレスが表示された処でやはり手が止まる。

 彼は既に同棲中の身。自分はその相手を知っているが、恐らく相手は自分を知らない。要らぬトラブルを起こすよりは、きっと此処で自分が抑えた方がいい。

 ―――一緒に学校に通えたのは一年間だけだったが、その後も相談に乗って貰っていた先輩がもう一人居た。

「………すみません、こんな時間に」

『おー瑠璃ルリじゃん、どうしたの?』

 帰ってきた声は相変わらず軽く、それでいて頼れるあの人のそれだった。

「その……少し…疲れてしまって」

『ふーん?何、また戦う理由がどうの考えてんの?』

「…分かりますか」

『アンタは必ずどっかで悩むんだろうな、って初めて会った頃から思ってたわよ』

「………」

 この人は妙に目敏い処がある。まして自分の様に真っ直ぐ不器用に生きていては筒抜けか。

『悪い奴を斬って人助けってのは確かに高尚な話だと思うけどね。アンタ、"アイツ"に憧れてるって言ってたじゃない?』

「ええ、今でも…変わりません」

『実はねえ、アイツ別に人助けって心算じゃ全く戦ってないのよね』

「えっ…?」

『ふふ、やっぱりアンタのはただの盲信だったわね。いやいや人助けは良いことよ?でもアイツに憧れて戦うって言うのなら、もうちょっと思い出してみることね』

 ただの盲信。その一言が深々と刺さる。

 ―――盲信なんて物ではない、狂信だ。

「思い出す…とは」

『アイツの常日頃言ってた戦う理由よ。まさかあんだけ分かり易かったこと、覚えてないとか言わないわよね?』

「…"先輩の為"」

『そ。つってもアンタ、好きな先輩はアレだしどーせ彼氏も作ってないんでしょ?』

「……居ませんし、あんな連中のなかから作る気も」

『本当男嫌いねぇアンタ……まあそうね、せめて友達作りなさい。同じくらいの腕の子が良いでしょうね』

 同じくらいの腕? そんなの…居たらとっくに。

『アタシから紹介してやっても良いけど?』

「…私の、友達」

『興味湧いた?』

「…自分で探してみます。近い腕で、話せそうな人」

『ふふん、まー精々頑張ることね』

 友達作りなど。そう思ってやって来なかったのが今更仇になるとは。

 ―――ところで。

 見付けたとして、どう話し掛ければ良いのか。先輩は何も教えてくれなかった。


――――


 通話画面を閉じた"先輩"は一人呟く。

「……駄目よ、アイツの真似なんかしちゃ。アイツは姉御だけじゃない、手が届く範囲はなるべく守ろうとしてる。そんなの、アンタじゃ絶対いつか折れるわよ…」

 だからこそ彼女には、仲間を、友達を見つけて欲しいのだ。きっと自分のよく知る後輩達なら受け入れてくれるだろう。それだけの確信があった。


▽▽▽


 深夜零時。

 幽は自分より先に寝付いており、ベッドですやすやと寝息を立てている。

 だが油断してはいけない。彼女自身が割と夜中でも戦っている癖に悠の動向は逐一監視、寝ている間のログもしっかり確認すると云う有り難迷惑も甚だしい妹なのだから。

(―――流石に今から行くのもね)

 恐らく遊びに行けば、兄は起きている。銃のメンテナンスなりゲームなり、或いはフランシスとのんびりティータイムでもしていることだろう。

 昼間感じた、"引っ掛かる"感覚。

 嫉妬しているのか。それも妹…いや、自分自身だったものに。

 幾ら自分の片割れと言っても、生まれて三年も経てば随分と変わるものだ。今や顔も完全同一とは言えない程度に成長・変化を見せている。具体的に言えば、悠よりも美人に。

 何処を取っても幽は自分より優秀だ。と言うのも、幽が悠の中で人格を得たのは悠を守ろうとする意思からであり、その為に魔法的存在であると云う特性を余すこと無く活かした結果このオーバースペックが出来上がってしまったのだ。

 これでも日頃は其処まで目立ち過ぎない様に成績や身体能力などかなり絞っている心算だが、それでも常人よりは遥かに強い。

 悠が勝っている点と言えば明るさと分け隔てないコミュニケーション能力…と思いきや、幽はそれを行く社交性を持ち合わせており正直な処歯が立たないと云うのが現実。

 相手に悪意がないのは一番質の悪いパターンで、下手なことをすれば自分が悪になる。嫌なジレンマだ。

 自分だって兄の事が好きで、幽の感情は元はと言えば自分のもので、彼女は名前を貰い姿を貰い瞬によって生を受けた様なものと幽は語るが悠自身は小さな頃からずっと瞬に守られ助けられ、ずっと言葉を交わし共に過ごして来た。

 でも。

 幾ら自分達が兄を好こうと彼は既にフランシスと共に暮らしている。瞬にとって一番はフランシスで、自分達は―――

「ごめん幽ちゃん、ちょっと外出てくるだけだから」

 そう言ってアパート二階の通路に出る。


「はぁー……」

 手摺に寄り掛かり、深々と溜め息。

「あたしって本当…めんどくさ……」

 くしゃくしゃと髪を掻き、ただひたすら溜め息と共に夜風に当たる。

 バグにでも八つ当たりしたい。奴等なら幾らぶっ壊しても金になるだけでデメリットは無い。でも寝ないと明日がつらい。

 ……。

「ええい知るかそんなもんッ!」

 魔法で寝間着から軽装に瞬間変身。通路からいきなり飛び降り、夜の闇に消える。

 そんな彼女の姿を見ていたコンビニ帰りの紅コートが一人呟く。

「…青春だねえ」


 双剣〈レイウィング〉を精製、出て来い掛かって来いと言わんばかりに魔力を放ちながら夜の町を走る。

 悠ほどの力ならそう待たずにバグの方から寄ってくる。現れた傍から首でも斬り落としてやれば手軽にお小遣いゲット、と云う寸法だ。

 …しかし。

「…全然……出ないんだけど…っ」

 息だけ無駄に上がる。これだけ走り回って一匹も遭遇してないと言うことは誰かが既に狩っている所為であるとしか考えられない。

 こんな時間帯に狩りに勤しむ馬鹿が自分以外に居るなど。

 だが。だがもし、居るとすれば自分の知っている限りでは―――

「やぁー悠ちゃん! こんな時間に何やってんのっ?」

 グレーのパーカー、闇に溶け込む黒髪から覗く深紅の瞳。柊瑞葉、彼女以外思い付かない。

「瑞葉ちゃん……あの、あたしのサンドバッグ減らさないで頂けると嬉しいかなって…」

「いやいや、ストレス溜まってんのが自分だけだと思ってちゃ駄目だよ?」

「瑞葉ちゃん、ストレスとかあったの?」

 あれほど爛漫な普段の姿を見ていると、却ってそれがストレス発散になっていそうなものだけど、と悠は思う。

「失礼だねぇ悠ちゃん。私だって仕事に恋に忙しい乙女ちゃんですよ?」

「乙女ちゃん……」

「大体悠ちゃんだって似たようなもんでしょ?ブラコン拗らせると大変だねっ」

「ねえそれ喧嘩売ってる?」

「いやいやぁ、とんでもない! 悠ちゃんと喧嘩したら流石に身が持たないよ」

 嘘だ。目の前の彼女が本気を出せば、幾ら自分が本気で以て向かおうとも経験の差で負ける。パワーでは間違いなく此方が上、しかし戦い方……否、"殺し方"で彼女に敵わない。

「……よく言うなあ。ま、横恋慕もそれはそれで大変そーですけども」

「あはは、似た者同士だねぇ私達」

「やめてよ気持ち悪い」

「そだねー私も兄離れ出来ない子と一緒にされるのは嫌かなっ♪」

「は? 調子乗んないでよ意気地無し」

「「…………」」

 殺意の篭った笑顔が交差する。

「まぁ立ち話も何だし座ろっか、私足疲れちゃった」

「あたしも走り疲れたよ……誰かさんが徒労に変えてくれたお陰で」

 コンビニで適当に飲み物だけ買い、店の傍で女子二人座る。管理局のパトロールに見付かったら指導ものだが幸い星海支部はその辺雑なので余り心配無い。

「で、さあ。瑞葉ちゃんって本当に璃玖のこと好きだったの?」

「そうだね。……最初はね、ただの命知らずの馬鹿だと思ってたの。だって悠ちゃんなら分かると思うけど、"私"だよ?」

「はは、でも瑞葉ちゃん言うほど変な人には見えないと思うけどなあ、表向きは」

「そっか…悠ちゃんは結構早くに知ってたから参考にならないね」

「入ってきたその月の間にガチ戦闘だもんね、笑っちゃう」

 瑞葉は元々、"任務"で悠の中に潜んでいたゴースト、つまり後の幽を調査する為に開発者から依頼されて絵草学園に編入して来た。

 だが紆余曲折の末、今もこうして生徒の顔と仕事時の顔を使い分けて生活している。

「りっくんはさ…私のことただのミステリアスな転校生とでも思ってる感じで接して来てたんだけどさ」

「…けど?」

「この間聞いた感じだと、どうも気付いてたらしいんだよね。私の"仕事"のこと」

 シャワー室での出来事は今でも頭に焼き付いている。忘れようとしても忘れられない。

「まーあいつ勘は良いからねえ。"眼"も良いし。璃玖がただの間抜けじゃ説明が付かないのも分かったんじゃない?」

「そうだね。でも最近困ってるのがさ…あいつと遊んでると何か他の人より楽しくて、しかもあれで気配りは出来るじゃん?」

「まあ基本は馬鹿だからね、いい意味で」

「こう言うとすっごく恥ずかしいんだけどさ…あんなに温かくしてくれる人って居なかったんだよね」

 瑞葉は無意識に柔らかい笑みを浮かべていた。だがその笑みにも何処悲しげな色が浮かんでいる。

「……つまりあれか、優しくしないでよ馬鹿、ってツンデレ発動してると云う」

「"仕事"の顔に戻れなくなりそうな気がして、さ……。私、突き詰めちゃうと殺ししか脳の無い人間だから」

「璃玖なら絶対"俺も付き合う"って言いそうだけどね」

「それが嫌なんだって……血塗れの私なんて見せたくないよ。それに、甘えること覚えたら…弱くなっちゃうから」

「でも瑞葉ちゃんの思う強さって結構脆いと思うよ?」

「知ってる。良いんだ、脆くて。さっさと壊れて死んじゃえばそれはそれで楽だしね。殺すだけ殺したら、私も死んで終わり」

 歳の割には妙に厭世的だが、夢も希望も無く十一歳から銃とナイフを手に闇の中を歩いて来た身。今更望むものも無い、筈だった。

「……璃玖はよくないと思うよ」

「…それも、知ってる」

「んじゃあ後は瑞葉ちゃん次第だろうね。その強情を取っ払うかどうか、かな」

「強情か……これよりいい生き方させてくれるなら、りっくんに寄り掛かっても良いかなあ……」

「あたし的に璃玖が幽ちゃんと付き合うのは無理だろうからさっさとモノにしてくれた方が皆幸せだと思うな!」

「あはは、言えてる。本当に人を見る目は無いんだから……」

「いいよいいよー彼女の顔してる! 頑張れ瑞葉ちゃん!」

「…悠ちゃんも、ちゃんと折り合いつけないとね」

「あたし?ああ……そうだね。瑞葉ちゃん見てたら、誰か好きになるのも良いなあって思ったかも」

 急に話を振られて驚いたが、瑞葉と話している内に少しずつ心の靄も晴れて来ていた。

「お、ブラコン卒業?」

「どうだろうね、ふふん」

「まぁ上手くやってちょーだいな。…さて悠ちゃん、手ぶらで帰るのも若干つまらなくない?」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる瑞葉。

「そうだねえ、折角だし儲けて帰りたいね」

「じゃあ決まりだねっ」

「もう横取りしないでよ?」

「さてぇ、それは保証できないかなっ♪」

「いいよ、取られる前にブッ飛ばせば良いんだ」

「そゆことー、さぁ行こっか!」

 二人のちょっとした夜遊びは、その後暫く続く。


――――


 翌朝。案の定寝不足の悠はボケた頭で朝食を詰め込み牛乳で流し込む。

「全く…何をしていたんですか貴女は。今日現文テストですよ?」

 着替えながら幽は問う。

 何をしていたと云うか主にお前の所為だ。とは当然言えない。

「いいんだよあたし文系だから…」

 何故かスカートを被ったりブラウスを前後逆に着てしまったりと無駄に手間が掛かっている悠。

「…ねえ幽ちゃん」

「何ですか改まって」

「人を好きな気持ちにさ、強いとか弱いとか、どっちが優先とかって…あるのかな」

 誰の事とは言わないが、幽も大体察している。

「ありませんよ。まあ、この私が愛を語るほど間抜けた話も無いですが」

「……もう少し時間が要りそうだなぁ、やっぱり」

「好きな人でも出来たんですか」

「出来たらその方が良いんだけどね」

 そっちの方が、余程健全だから。



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