#2.5 インコンペテント・ウルブズ Act.5

『あー……加減間違えたなぁ。おチビどっか行っちまった』

 紅い鋼のバグの隣で、半透明の思念体が呟く。

『其処らのバグに喰わせてもそれはそれでいいんだけどよぉ。やっぱ自分で喰いたいよなぁ、準?』

 肯定も否定も返って来ない。今の彼に会話する程の意識は残っていないのだ。

『決まりだな。行こうぜ、ヘヘ』

 悪霊に唆され、怪物は進む。大切なものを喰らいに。


 △▼△▼


 普段まるで大声という物を出さない相棒の叫びを聞き、尋常ならざる事態であると察知したヴィーネは急いで葵の下へと駆け付ける。

「葵ッ! どうした!!」

「ヴィーネ……ぁ…燈が……っ!!」

 目の前で起きた信じたくない光景に、葵の手が震えている。

「燈? ……居ねえ、ぞ……?」

「最後に頭を凍らせようと跳んで……其処を……」

「ッ………成程、大体分かった」

 燈を撥ねた触手が戻ろうとしている処を見たヴィーネ。

「凍ってんのもありゃそう持たねえな……。しかも変態野郎のスライムもまた増えてやがる。葵、奴らには声掛けてあるんだよな?」

「ええ……でも異界化している上に距離が距離ですわ……彼らでもすぐには…」

「くそッ……。異界止めねえ限りどうしようもねえな、こりゃあ。そんな奴、身近に―――」

 異界化を局地的にでも止められそうな魔法使いを知り合いから順に思い浮かべて行く。


 そして―――一人、或いは二人。思い付く。


「……悠…と、もしかしたら幽も」

「ええ。わたくしも同じことを考えていましたわ。悠の転移ならもしかしたら異界の中でも自由に使えるかも…」

 何としても、この状況は打開しなければならない。打てる手は打ち、耐える処は耐える。

「んじゃあ根競べと行こうじゃねえか、ええ? 連絡は任せるぞ、葵。ついでにちょっと休憩しとけ。お前の"黒"はオレと違って燃費悪いんだからよ」

「体調管理までしてくれるなんて、流石わたくしの相棒ですわ。…貴女も、飛ばし過ぎない様に」

「大丈夫だよ、一番省エネだからな」

 お互いの拳を軽く小突き、それぞれの行動に移る。


 △△△


 周辺を包囲する管理局の部隊に合流しようと、織希は森の外側に向けて進んでいた。

(結局……俺は、何も)

 為すべきと思った事を為せなかった無力感、そもそも為すべきと思った事と上の意向が違ったことのやるせなさとで、織希はもやもやとした気持ちを抱えていた。

 同期の魔導士との模擬戦では無敗、実戦に於いても個人での活躍が続いていた織希にとって今回は手痛い敗戦となった。尤も、敗れたと言っても死ななかっただけまだ救いがあるとも取れるが。

(……あんなになった人間を救うなんてこと、本当に出来るのか……?)

 バグ化した人間は自然発生のバグよりも凶悪になることが多く、殆どの場合討伐が優先される事になっている。

 今回のあの個体も、あれだけの殺傷力を持っていれば普段ならまず討伐とされる処だが、そうならなかったのは誰かの依頼か、それともあの管理官の私情か―――。

 思考を巡らせていると、突如遠くの方で悲鳴が聞こえ、少し先の地点に高速で金色の尾を引く何かが落下した。

「今度は何だ……?」

 恐る恐る確認しに行くと―――

「っ……!?」

 ―――この場に到底似つかわしくない、金髪の小柄な少女がボロボロになって落ちていた。

 織希は考えるよりも先に彼女の方へ駆け寄っていた。

「大丈夫か! おい!!」

 返事は無いが体温はある様で、気を失っているだけらしいことは分かった。しかし、封鎖されている筈のこの場で、この状態になっていると云うことは。

(こんな子が…さっきのバグを助けに……?)

 状況が飲み込めず困惑していると、今度は今自分が来た方から嫌な気配が近付いて来るのを感じた。

(この感じ……あのバグ…?でも……妙に禍々しい―――)

 少しずつ増していく背筋のぞわぞわとした不快感。織希は急いで金髪の少女を起こす!

「起きてくれ!! 何か知らないけどヤバいのが来てるんだって―――!!」

 茂みからの物音。見れば、此処にまで赤黒いドロドロとした人型が。その数、三体。

「何だこの気持ち悪い連中……」

 何とかして少女を守らなければ。起きてくれればもう少し楽だったのに―――そう思いながら長剣と銃の複合武装〈フォトンサファイア〉を構える。

 そして、人型スライムが動き出そうとしたその時。

(………!?)

 背筋を苛んでいた悪寒が急速に強くなる。

「おいおいおい勘弁してくれ……何でそんなに急いでこっち来るんだよ……!!」

 夜闇の向こうから、紅い光が木々を縫う様に中空で跳ねる。―――そして!

「グルァァァァ――――ッ!!」

 怒号と共に先程交戦した紅い鋼のバグが飛来し、爪による荒々しく暴力的な一撃を以て三体のスライムを爆砕!

『怒んなよ準、悪かったって! 今のは俺の監督不行き届きって奴だ、悪かったよ』

 先程聞いた声とは別の男の声が聞こえた。見れば、全体が半透明のピンク髪の男がバグの隣に立っていた。

『まあでもこれでゆっくり喰えるんだから落ち着いて―――っておい!』

 バグは半透明の男の言葉を待つことなく少女の方へ踏み込んだ!

「―――人喰いになりたくないんじゃなかったのかよ、お前!!」

 フォトンサファイアの刃とバグの爪が競り合う!

『邪魔……ダ……! サッサト……帰レ……!!』

 聞き取りにくくなってしまった、ノイズ混じりの覚束無い声が聞こえた。

「意識があるんだか無いんだか……はっきりしろッ!」

 織希は刃に魔力を込めて押し返す!

「この子の名前すら知らないけどな……喰わせちゃいけない事だけは分かる。殺すなって命令だからな、何としても止めてやる」

『一人で十分……だよな。分かってるよ、大人しく見ててやる』

 半透明の男はどう見ても独り言を言っている様にしか見えなかった。

 そして織希とバグ―――それぞれの刃が火花を散らす!


 ▽▽▽


 ―――崩壊した廃墟に、白い雪が積もる。遠景はただ蒼く暗く、見上げれば空は水面の様に揺らめいていた。

(……なんだろう、ここ)

 身体が重い。一歩踏み出すのもやっとだ。

(なんだか、テレビで見た深海みたい)

 踏んだ感触は雪の様であったが、よく見ると何らかの骨が所々混ざっている。

 無機質なひんやりとした感覚。しかしながら居心地は良い。

(……やっぱりわたしには、こういう場所しかないのかな…)

 準と居る暖かなあの部屋よりも、孤独で冷たいこの空間の方がお似合いとでも言われている様で少し悲しくなる。

『疲れたでしょう? この世界に身を委ねて、眠りましょう?』

 聞き慣れた声が、甘い言葉で誘う。

『此処はあなたの為の世界。此処ならば何も失わない。何もあなたを傷付けない。ねえ? 休みましょう?』

「眠ってなんか……居られない」

『何故? 目を覚ませば、あなたはきっとすぐに死んでしまう。それでも目覚めたいのですか?』

「わたしがこうしている間にも、準さんが……!」

『ふうん……』

 燈の進もうとした先に一筋の光が差す。

 光差す地点。ふわり、と何も無かった空間から燈の姿をした何かが現れる。

『随分と頑張るんですねえ』

 他人事であると言わんばかりに淡々と言う。

「…当たり前でしょう……準さんはわたしの、大切な人なんですから…!」

『大切、ですかあ…』

 ゆっくりと、燈の横まで歩いてくる。

『でも……もう駄目なんじゃないですかねえ。バグ化し切った人間を救うなんて、普通は無理。分かってますよねえ?』

「あくまで普通は、の話でしょう。今回は普通じゃない。相手が準さんで、やろうとしているのはこのわたしなんだ。……出来ます、必ず」

 ヴィーネ達から聞いたたったひとつの方法。あまりに条件が限られ過ぎる上、成功率も低いと云う。上手く出来ればそれは正しく奇跡と呼べるものである。

 それでも、奇跡に縋るしか無いのだ。

『……分かりませんねえ。失敗したらどうなるかも分かってる筈なのに、どうしてそうまでしてあの人を助けようとするんですかあ?』

 虚像は続ける。

『わたし、まだ生きてたいんですよねえ。生きて生きて、死ぬまで殺したいんですよお。それこそがわたしの生まれた理由であり、存在させられている理由ですからねえ。殺して殺して力尽きて死ぬなら納得も行きますけどお……自殺だけは御免なんですよねえ』

 途中で聞こえた気味の悪い表現に、燈は問い掛ける。

「存在……させられている? ……あなたは、何なんですか」

『あれ、この期に及んでまだ理解してなかったんですかあ? ちょぉぉぉっと信じられないですねえ……信じがたい……』

 至極心外と云った様子で虚像は嘆き、呆れる。

『わたしは言うなればただの"防衛機構"。あなたが目を背けようとしている殺意、衝動、凶暴性。それらをまとめて別人格として押し付けて演じようとしたもの。あなたが恐れていた―――殺してしまうこと、傷つけられること、そして殺しに悦びを覚える自分を認めてしまうこと。全部わたしの所為にしておけば、それから逃げられる―――と、思った』

「わたしは…そんな……!!」

『否定はさせませんよお? だって愉しかったでしょう、気持ち良かったでしょう? 家を追われる切っ掛けになったあの時も、無様に這い蹲る追っ手を始末した時も! 人の肉を裂き、抉る感覚! 最初は恐怖からの隠れ蓑であっても、次第に殺しの正当化にわたしを使っていく! まぁお陰様でわたしは愉しく殺せる訳ですよお! これからも大人しくそうしていれば、あなたは自分が傷つくことなく自分の欲を満たしていける! それでいいじゃないですかあ! 卑怯に! 臆病に! 愉しく! 気持ちよく!! 人の皮を被りながら本能のままに生きていける!! 最高じゃないですかあ!!』

「違う……違う違う違う!!」

『いいえ何一つ違わない。そんな人ならざる獣が、何を勘違いしたのか今更他人を救おうなんて! ―――赦される訳が無いでしょうッ!!』

「ち…が………っ」

『他人を殺したわたしはいずれ同じ様に惨たらしく死ぬ定め。だったら今更幸せになろうなんて考えず、殺して殺して生き延びていた方が、何も失わずに済む! 悲しまずに済む!あなただって感じたでしょう? あの人が居なくなった時の痛みを! 大切なものなんか作るから痛い思いをする! 余計なものを増やさないで! お願いだから……これ以上、わたしの痛みを増やさないで…!!』

 ……虚像の声はいつしか悲痛な叫びへと変わっていた。それに対し、燈は。

「……許されようなんて、思ってませんよ。いずれ死ぬ事だって分かってます。それでも。わたしは自分の力を、殺しではなく、他人を救う為に使えるのなら……そうしてみたいと思うんです。今はもう、殺しよりも、準さんと居る方が、ずっとずっと楽しいんです。わたし達の感じる事が一緒なら、あなただって感じている筈。…ごめんなさい、ずっと辛い思いさせて。わたしが殺したくないと思えば思うほど、あなたはそれを愉しいと思い込んで圧し殺すしかなかったんでしょう。だからせめて…今度は、もっともっと、心から楽しいと思える事の為に、力を貸して…!」

『……わたしの役目は、もう終わりなんでしょうね。復讐が…終わりなら』

「あなたのお陰で、力の使い方を理解出来たのには感謝しています。―――これからは、わたしが、準さんとわたし自身の為に戦います。だから……あなたは、休んでいて」

『やっと、戦う理由が出来ましたね。殺すのでなく、戦う理由が』

「そうですね。……ありがとう」

『自分に礼を言ってどうするんですか。…そんな無意味な事をしている暇があったら、さっさと行ってください』

 虚像は少しずつ光となって消えて行き、水底の廃墟に光が差し始める。


『わたしは傍で見ていますよ。あなたが精々後悔しないよう、"自分"に嘘を吐かないよう―――』


 意識が、急速に浮上する――――!


 △△△


 ―――息も絶え絶えに、織希は紅い鋼のバグに対して必死に喰らい付いていた。

『しぶてえなぁ。おい準、さっさとやっちまえよこんな奴』

 ピンク髪の男が退屈そうに野次を飛ばす。しかし、最早そんなものに感情を割いていられるほどの余裕も織希には残っていなかった。

(あと何発撃てば、あと何回斬れば、こいつは……!!)

 意識が途切れ始める。無我夢中に魔力を使い過ぎていた。隙を見せれば奴は仕留めに来る。せめて意識だけは、奴から逸らすな―――

「ッ……!!」

 そんな彼の踏ん張りも虚しく、一瞬の眩暈に襲われる。勿論敵はそれを見逃さない―――!


「―――フローズン・ファング!!」


 三本まとめて握り込まれた銀の刃が、青い残光を引いてバグの刃とぶつかり合う!

『なッ…クソチビ……!!』

 織希の前に現れた"彼女"の姿に、ピンク髪は唸る。

「準さん、ですよね。ううん、何処からどう見ても準さんです…」

 接点から凍り付いていく準の刃。

 眠りから覚めた燈は、目の前の悪夢に涙を滲ませる。

「…でも…此処まで追いついた。待っててください……絶対、元に戻しますから……!」

 しかし、彼女に返ってきた言葉は余りにも無情なものであった。


「……シ……オ…リ……」


 準はバグと化した身体で、ノイズ交じりの声を絞り出す。

「……っ」

 思わず動きが止まる燈に、東馬の耳障りな声が響く。

『へへ…ハハハハハ!! こいつは傑作だぁ! 準はもうお前の事なんか覚えてねえってよぉ!』

「ウ…ウウ……ウウウオオオオオ――――――ッ!!」

 根底より沸き立つ衝動に任せ、準は空いたもう片方の手で掴みに掛かる―――!

「クリスタル・バレットッ!!」

 魔力光を帯びた結晶の弾丸が二発準に命中し、よろめく。

 その隙に燈は飛び退き、両刃ナイフ〈シルバーウルフ〉を両手に三本ずつ握り込むいつもの戦闘態勢を取る。

「だ……大丈夫なのか?」

 一連の流れを見ていた織希は、取り敢えず声を掛ける。

「…結構…苦しいですけど、大丈夫です。…あなたがわたしを守っていてくれたんですね。ありがとうございます。わたしは雪道燈、あなたは?」

「石河織希。好きな風に呼んでくれ」

「では織希さん。もう少しだけ、手伝って頂けませんか?」

 汗を滲ませながらもテキパキと話を進める燈に織希は驚いていた。心身共に、最早満身創痍の筈なのに。

「わたし、準さん―――ああえっと、あのバグに触れないといけないんです」

「触れる!? ……其処まで道を拓けって言いたいのか?」

「はい」

「……流石、民間の凄腕サマは言うことが違うらしい」

 上官から聞いていた表現で毒づく織希。

「織希さんもダメージは少なくなさそうですし、まあ、大分きついですけど、無理そうであればわたし一人でもどうにか……」

「出来ないだろ。どのみちこいつを止めなければ俺達も死ぬし、町の人も喰われる。選択肢なんて最初から無いだろうが」

「ありがとうございます。…ふふ」

「何だよ」

「なんだか苦労しそうな方だなあ、と。―――それでは。よろしくお願いします」

「勝手に喰らって死ぬなよ」

「勿論」

 話している二人を狙い、準は刃付きの鎖を放つ!

「フォトン・ディバイド!」

 織希は魔力でフォトンサファイアの切れ味を高め、鎖をまとめて薙ぎ払う! 更に振りに合わせて青い斬撃を飛ばす!

 準はそれを地面から数本の刃を生やして防ぐと跳躍し、木を蹴って織希目掛けて飛び掛かる!

「邪魔な方から消しに来たか……!」

 腕から生えた刃と鍔迫り合いになる織希!

「グウウウ……オオオ―――ッ!!」

「こんな処で……やられるかッ!!」

 痛ましい有様に嫌悪感を覚えた織希は弾き返そうと力を込める―――だが!

「っ―――!?」

 押し返されたのは寧ろ織希の方で、準は身体を捻り―――先端に片刃剣の付いた様な"尻尾"を叩き付けた!

「織希さんッ!!」

 バランスを崩した処に尻尾の一撃を受けて真後ろに吹っ飛ぶ! 茂みの枝を何本も折って止まった織希は、朦朧とした意識で呻く。

 そんな彼を目掛けて、準は止めを刺さんと跳ぶ!

「させない!」

 同時に燈も駆け出し―――

「―――アイシクル・ウォール!!」

 多少ながら魔法を反射するコーティングを施した氷の壁を発生させる!

 しかしそれも反射コーティング諸共粉砕され、氷の破片が燈の方へと降り注ぐ!

(目を閉じちゃ駄目……来る……!)

 本来であれば魔力に還せば被害を抑えられるものを、敢えて燈はそのまま受ける。

 自分の周囲に多数の氷のつぶて織希の方には行っていないことをすぐに確認し、準が向かってくる動作を半ば読みながら燈は飛び退く!

「アイシクル・ボム!!」

 辺りに散らばる氷の礫が一斉に爆発し、氷の粒が散弾めいて準に牙を剥く!

「ウウオオオオ――――ッ!!」

 身体中に氷が刺さるのを気にも留めず、準は地面から無数の刃を生やす!

「っ……! ―――アイシクル・ビット!」

 足元から刃が生えてくるその寸前、燈は浮遊する氷の塊を生成して飛び乗る。そして垂直に伸びる刃の力を使い、己の足でも氷を蹴り、燈は宙に舞う!

(殺すのではなく、近付けるまで"弱らせる"こと―――!)

 空中から地上の準へ向け、両手をかざす!

「アイシクル・ダストッ!!」

 微細な氷の嵐を放つ! 一つひとつは小さくとも―――否、小さいからこそ"弱らせる"調整が利く!

『……ったくチビチビとうっぜえなあ…いい加減殺っちまえ、準!』

 痺れを切らした東馬が苛立たしげに呼び掛けると、準は氷の嵐に晒されながら強引に背中から四本の鎖を放つ!

「く……ッ!」

 燈は身体を可能な限り縮めて防御態勢を取る。氷で多少ブレたとは言え、四肢を赤黒い刃が掠める。

 このまま落ちれば剣山めいた赤黒い刃に全身を貫かれて死ぬだろう。しかし傷から広がる焼ける様な痛みによって、上手く氷を作ることも叶わない。

(嫌だ……わたし、準さんに何も……返せていないのに―――!!)

 痛みか悔しさか、涙が溢れる。


 ―――出会って間もないわたしの為に、死に掛けてまで戦ってくれたあの人に。


 ―――楽しいことを知らなかったわたしに、多くの楽しさを教えてくれたあの人に。


 ―――初めて心から此処に居たいと思える場所を、作ってくれたあの人に。


「うう……あぁぁ……っ!!」


 ―――何も、返せていないのに!!


 彼女を照らしていた月光すら見えなくなり、本当に終わってしまうのだと直感する。

 しかし涙で滲んだ視界では、"それ"が正しく認識出来ていなかった。

 月光を呑み込む程の黒き翼を広げた―――その姿を!!


「―――まだ終わるには早いぜ、燈!」


 一秒。身体を包んだのは、剣山に貫かれるどころか、浮遊感と優しく温かい感触。そして限りなく頼もしい、彼の声。

「……ぁ……あぁ……!!」

 燈は涙を拭い、力強い笑みを浮かべた彼の―――天宮瞬の、その顔を見る。

「悪いな、ちょっと遅れちまった。だが……よく此処まで持ち堪えてくれた。頑張ったな」

「瞬さん……わたし……!!」

 今にも再び泣き出しそうになっている燈を瞬は制す。

「おっと、長話はちゃんと降りてから、な?あいつもそうそう待っちゃくれなさそうだから―――なッ!」

 右腕で燈を抱えながら、左腕で"黒"の剣〈幻想ファンタズム〉を精製して鎖を防ぐ!

「つってもこれじゃまともに降りれねえな……」

 瞬は下を見てぼやく。未だ地面は剣山のままなのだ。ならば、と幻想を戻し愛用の銃〈ブラックストーム〉を一挺精製する。

「ブラック・インパクト!」

 五発。黒い魔力の弾丸を地表に向けて放ち、剣山めいた刃を一掃する!

 何事もなかったかの様にふわりと着地する瞬と、優しく降ろされる燈。

『おい……おいおいおい何なんだこいつはァ!? こりゃあ全力で行かねえと―――』

 想定外な怪物の登場にいよいよ焦るピンク髪。口から漏れていた思考に、瞬は追い討ちを掛ける。

「おっ?そりゃあもしかして、分散してた魔力を戻そうって話かい?」

『ッ……!?』

 東馬は準の魔力をコントロールし赤黒いスライムとしてヴィーネと葵、そして人もバグも無く森に踏み入る全てを喰らって力にしようとしていた。それは即ち本体が全力を出せていないと云う事にもなるのだが。

「ヴィーネ達のとこも寄って来たからな。お前を見た瞬間すぐピンと来た。だが残念だったなぁ……くくく。お前の目論見は、今頃俺の優秀な妹達が粉々にしてくれてるぜ」

 獣めいた笑みを浮かべ、瞬は告げる。


 △△△


 中~大型バグを引き付けていた玉堂姉弟であったが、いつからか赤黒い人型スライムも混ざる様になっていた。

「キリが無いな……こいつアレだろう、あの気に入らん男の……」

 『スカーレット・フェザー』で遠隔操作の剣と手持ちの剣で敵の群れを捌いていく紫月。しかしエネルギー体の刀身と云う魔力を消費し続けてしまう性質上、長期戦はあまり得意ではない。

「西道東馬、でしょ。僕もあの男の魔力を感じてた」

 一方の紅月は剣での攻撃時か矢を生成する時にのみ魔力を要する為燃費は姉に比べて良い―――が、一体ずつ 仕留める戦法から対多数戦は若干不得手なのである。

 互いに苦しい部分を抱えながらも、二人は三十分近く戦い続けていた。

「紅月、そろそろ腹を括るべきだと思わないか?」

「駄目だよ姉さん、こういう時こそ自棄は控えないと」

 魔力を解放して一気に片付けようと逸る姉を抑える紅月。今日の時点で既に三回目である。

(とは言っても……姉さんの気持ちも、分かるなあ)

 姉が自棄を起こさない様口にしなかったものの、紅月も消耗から集中が切れ掛けていた。

「―――紅月ッ!!」

「えっ……?」

 前方は今片付けた。敵は―――背後。振り向いた時にはもう、飛竜型の顎が目前に―――


「オラァァッ!!」


 黒い列車が全速力で目と鼻の先を通り過ぎた。そう錯覚する程の風圧が紅月を襲う。それ以上に、列車よりも激しい衝撃が飛竜の頭部を粉砕していった。

「……相変わらず無茶苦茶だなあ、君は」

 こんな"暴力"を自分の為に扱ってくれるのは、これまでの人生で一人しか知らない。

「紅月、大丈夫!?」

 黒く巨大な異形の右腕。明るい青髪に、星の飾りが付いたリボン。煌々と輝く金色の目が、好意的に此方を捉える。

「うん。ありがとう、悠」

「間に合って良かった……! 久し振り、紅月!」

 悠の右腕が人のものに戻る。

 しかしながら握手するでもなく、抱き合うでもなく、ただ二人笑い合う。

「まさか悠が来るとは思わなかった。どうして此処に?」

「ヴィーネちゃんに言われて異界ぶっ壊しに来たんだけど……広いね、また」

 赤黒くなった森を見渡して、悠は苦笑する。

「ふふ、そうだね。でも、少しずつでも壊して行ければあいつを弱らせられるし、準さんを助けられる」

「そうだ雨兄ぃ! そっか……じゃあ頑張らなきゃね!」

 目を閉じて深呼吸し、両手に魔力を集中する。

「行くよ……《ブースト・ルージュ》!」

 両腕が異界のそれとはまた違った色合いの赤黒に変色し、緑に光る線が走る。

「紅月、紫月さん! "全部消す"から備えて!」

 両手を上げ、発動準備をしながら二人に呼び掛ける。

「うん!」

「了解、やってくれ!」

「よーし、行くぞぉ……!!」

 二人の了解を得た処で、両手を地面につき。

「―――ゾーン・コラプション!!」

 持ち得る全ての力を解放して繰り出す、最大級の魔法分解! 悠を中心として光の波動が広がり―――森を染めていた紅が、空を埋めていた飛竜が、地に蠢いていたスライムが、悉く粉々に砕け散って行く!

(可能な限り、広く! お兄ちゃんに届くまで―――!!)

 異界を破壊する為に此処まで来たのだ。限界まで魔力を注ぎ込み、効果範囲を広げる!

「ううううおおぉぉぉぉぉぉぉぉ――――ッ!!」

 壊れろ、壊れろ、壊れろ! ―――ただそれだけに意識を集中する!

 持続時間、九十秒。それだけの時間で使えるだけの魔力を全て使い切る。半径四キロ圏内の異界化を解き、バグを破壊及び弱体化させた。

「ふう……これで、仕事は出来たかな……っ」

 極大魔法クラスの発動による急激な魔力消費にふらつく悠。

 彼女の身体を受け止めながら、紅月は優しく言う。

「全く……無茶苦茶だよ、悠は」

 紅月と紫月の武器もまた、悠の魔法で強制的に魔力へと還されていた。

「てへ……ヴィーネちゃんの頼みなのもあったけどさ…お兄ちゃんも来てたみたいだから。役に立ちたいな、って」

 紅月の腕に身体を預けながら、悠は息を整える。

「きっと……いや、間違いなく役に立ったと思うよ。だから休もう。僕達も少し疲れた」

「うん。後は幽ちゃんとお兄ちゃん達が……何とかしてくれるよね」


 ――――


 ほぼ同時刻。分裂と増殖、そして融合を重ねて二体に増えた巨人スライムにジリ貧の戦いを強いられていたヴィーネと葵の下にも救援が到着していた。

 突如として黒い手が地面から大量に生え、巨人スライムにまとわり付き拘束する!

「ヘッ……遅えじゃねえかよ、幽ァ!」

「すみません。悠が今日の部活で使った魔力を回復していたもので」

 何もない処から魔力の光と共に幽が現れ、ふわりと降り立つ。

「成程な。で、お前だけこっちに来たって事は……」

「ええ、悠には彼の方へ行って貰いました」

「粋な計らいは結構だけどよ、お前一人で大丈夫か?」

「その点は問題ありません。何せ私達、作り物であっても姉妹ですから。悠が動けば私も動く。そうなっていますので。―――ほら、そう言っている内に」

「ん……?」

 紫月達の居る方から、魔力の波が此方に向かってくるのを察知する三人。

「おいおい、こいつは……!」

 起動していた《プロトブラック》の黒い風と手持ちの刀にノイズが走る。

「余波でこれですからね。元は私の残滓とは云え、恐ろしいものです。さて、私も仕事をしましょうか」

「……博士の最高傑作が、こんなところで呑まれたら承知しませんわよ」

 悠々と己の務めに向かおうとする幽に、葵なりの檄を飛ばす。

「貴女も、心配してくださるんですね」

「貴女の為ではありませんわ。博士の為です」

「そういう事にしておきましょう」

 ふ、と笑うと幽は再び『世界』にダイブした。

「……本当気に入りませんわ、あの顔」

「お前ら割と似てるもんな。同族嫌悪じゃね」

「…あの作り物だけは、どうにも好きになれませんわ」

「生まれはそうかもしれないけどさ、あいつはもう立派な人間だよ。もう少し認めてやったらどうだ? 博士だってその方が喜ぶさ」

「……考えておきますわ」

 幽の魔法で高さ二メートル程度まで萎んだ元巨人スライムを前にひとしきり話し終えると、再び戦いに戻る。この戦いの終わりが近いことを感じながら。


 ――――


 普段の青と白ではなく、赤黒く染まった『世界』。禍々しく赤い森が広がり、浮遊するキューブは黒く染まり所々崩れている。

(悠が作ってくれた"穴"……敵はその修復にリソースを割く筈)

 両腕を広げ、異界を構成する魔力にハッキングを仕掛けようとする―――瞬間!

「うぐ……ッ!?」

 突如、途轍もない重圧が幽に掛かる!

「な…に……!?」

『…………』

 立っているのもやっとな重圧の中、何かが語り掛けて来ている。

『……!……!』

 声の様なものが強くなると同時に重圧も強くなり、いよいよ幽は膝をつく。

「誰か知りませんが…ッ、話す心算なら……もう少し、手加減を……っ!!」

『…!? ………なさい! …で…聞こえるかしら! どう?』

「うう……聞こえました…」

 やっと重圧が消え、脱力して座り込む幽。聞こえてきたのは今まで聞いたことのない、それでいて現実感のない美しい声。例えるならそれは―――女神の様な。

『良かった。ごめんなさいね、永い事他人に干渉して無かったから、加減が掴めなくて』

「……? …あの、貴女は……」

『味方よ、安心して? 私は―――あー…そうね。『世界』の管理者、とでも認識して貰えるかしら』

 名乗りにくそうにした結果、彼女は役職で名乗った。

「管理者…? 存在は少しだけ聞いたことがありましたが…」

『あら本当? 嬉しいわ。おっと本題ね。貴女今、『世界』に…いえ、異界にハッキング仕掛けようとしたじゃない? それ、本来は私の仕事なの。でも目的のある貴女がやってくれるなら手助けしてあげようと思って』

 都合のいい話。だが、先程の重圧を起こすほどの魔力は信用に値する。

「……その力、私が扱って大丈夫なんでしょうか。例えば何処か変容してしまったりとか…」

『心配性なのね。慎重と言うべきかしら。―――大丈夫、何も影響は無いわ。私を信じてくれるなら、ね』

「…分かりました。きっと自力でやるよりも、貴女の力を借りた方が安全なのでしょう」

『よく分かったわね。こんな悪意に満ちた異界、貴女の身体で接続したらすぐに呑まれてしまうわ。―――さあ、立って』

 立てなくしたのは貴女だろうに、とは思っても言えなかった。少なくとも今は、彼女を信じるしかないのだ。

『力を抜いて……そう、それでいいわ。使用回数を一度に制限、インストールを始めるわね』

 目を閉じ、深呼吸を一つ。これまで感じたことの無い不思議な力が流れ込んでくるのを感じる。

『……はい、これで完了。さあ起動してみて。きっと驚くわ』

「…これですね。……ハッキング開始―――コード・エルザイン!」

 青と緑の光の輪が幽の周囲に展開され、ハッキングが開始される。十秒で汚染区域の全域を把握、自分の地点から魔力を染み渡らせていく。足元から基盤めいたパターンの光が広がり、地面に、木に走って行き、石ころ一つに至るまで全てを掌握する。

(凄い……二、三分でこの周辺が終われば十分と思っていたのに…もう難なく兄さんまで届いた…!)

 思いもよらない威力に、幽は感動する。

「これなら行ける……範囲、全域! 正常化―――開始!!」

 見開いた幽の目が、青緑に光る!


 ▽▽▽


『俺の…俺達の世界が……壊れて行きやがる……』

 想定など最早不可能。規格外の反攻に、東馬は慄くほか無かった。

「凄い……悠さんと幽さんまで……!」

「それだけじゃないぜ。燈、今日はお前達の為に総動員さ。―――ほら、来るぜ……!」

 瞬の傍に、蒼い光のゲートが開く。


「はぁい、もっとヤバい魔法使いのお出ましよ!」

「アンタ随分テンション高いわね…」


 元気に現れたのは白金色の髪で異様にスタイルの良い女性、アンニュイに現れたのはサイドテールの茶髪にブラウスの前を大きく開いた女性。

 妙に活き活きとしたフランシスといつも通りの弥生が駆け付けたのである!

『俺達の世界に、こんなにも易々とォ……ッ!』

「あらあら、こんな粗末な"空間"で私と瞬を隔てられるとでも?」

 フランシスはニコニコと言い放つ。瞬は知っている―――この顔は、敵を蹂躙する時に見せる顔だと。

「ねぇ瞬。あのピンク、消せるかしら」

 〈フェアリーライト〉の剣先を真っ直ぐ東馬に向けて構える。

「さあなぁ。まあ一応魔力で出来てるんだろうし、」

「やってみましょう」

 瞬が言い終わる前に、白い閃光を放つ!

『なッ……』

 余りにも呆気なく、幻が掻き消える!―――だが、次の瞬間にはその姿が再び現れていた。

「やっぱり準をどうにかしないと駄目そうね。手応えも無くてつまらなかったわ」

「はは、そんな気はしてたさ。燈、そろそろ行けるか?」

「えっ、あ、は、はい!」

 フランシス達が現れてからの一連の行動に呆気に取られていた燈。ポケットからひとつ残っていた魔力石を砕き、戦えるだけの魔力を回復する。

『こうなりゃ今あるだけでも全部回収して……ッ!!』

 四方八方から紅い魔力が準の下へと集束し、力が増大していくのを瞬達は感知する。

「グウウォォォォォォ―――――ッ!!」

 漲る力に、空を仰いで咆哮する準。そんな彼を前にして、瞬とフランシスは挑戦的に笑むのであった!

「どうしよう……テンション上がって来ちゃったわ……! やるわよ、瞬」

「ああ同感だ。踊ろう、フラン」

 高揚しきった様子で並び立つ二人は短くキスを交わすと、それぞれブラックストーム二挺とフェアリーライトを構えて臨戦態勢を取る。

(うわぁやってるやってる……)

 目を逸らしながら弥生は心の内で呟く。

「あ……あの……!?」

「ああいいのよ燈、コイツらの儀式みたいなもんだから」

「そうなんですか……?」

「さ、巻き込まれたら嫌だし下がるわよ。アンタは大事なとこだけ動ければ十分」

「は…はあ……?」

 何が起こるのか想像もつかず、ただ弥生の言う通りに二人から距離を取る。―――思えば、雪道での戦いから瞬には自分の予想を超える破天荒さを見せつけられていた。

『殺れぇ、準!!』

 東馬の怒号と共に、準は無数の赤黒い弾を壁の様に生成し―――弾幕として放つ!

「瞬」

「ああ」

 お互いに一歩ずつ寄り、フランシスが瞬の前に出る。そしてそれを見た弥生は燈の手を引き、瞬の更に後ろへ来る様に位置取る。

遮断防壁セーバー・ウォール!」

 半ドーム状に淡く光るバリアを展開し、飛来するあらゆる物を遮断する! 同じ防御魔法である『逆転防壁インバース・ウォール』と異なるのは、彼方が"あらゆる魔法"を破綻させ無効化するのに対して此方は物質魔法問わず全ての物を通さない絶対防御という点である!

 三度展開された弾幕を難なく防ぎ切ると、今度は黒い翼を展開した瞬がフランシスを飛び越えて準に強襲を掛ける!

「ブラック・ショック!」

 不規則に準の周囲を飛び回り、全方位から黒い衝撃弾を連射する!

「グウアアアア―――ッ!!」

「おや、怒ったか―――おわッ!?」

 準の怒りに任せて振り回す鎖に足が引っ掛かり、瞬は地面に引き摺り落とされる!

「ッてえな……」

 起き上がる頃には既に、刃を振り上げた準が!

『ハハァ! 手前から御陀仏だァ!』

 五月蝿く響く東馬の声に、瞬は尚も獣めいて笑う。

「そいつはどうかな」

 黒い翼は落ちた今でも展開されている。―――刃を振り下ろす準に向け、瞬は翼を黒い炎の奔流へと変えて放つ!

「ガアアッ!!」

「こういう使い方はお前にも見せたこと無かったからな、驚いたろ」

 地面を転がる準に向けて瞬は言う。

『くそッ、こうなりゃ……』

 東馬の幻が消え、準がゆらりと立ち上がる。

『一人でも殺して行かねえと割に合わねえからなぁ……!』

 一瞬にして準は瞬とフランシスを通り抜け、弥生の方へと向かっていた!

「弥生さん……!!」

「あぁアタシ? アタシただの付き添い事務員だから放っといて欲しいんだけどなー……」

 この期に及んであんまりな言い分である。しかし口調とは裏腹に、その目は冷徹に敵を捉えていた。

 ―――弥生は燈の背に軽く触れ、小声で準備するよう伝える。

『"弱そうな"女の方から殺してやらァ!!』

 飛び掛かった準の刃が、弥生に迫る―――!

「……放っとけって、言ってんの」

 ドスの利いた声。目映く光る何かに"掴まれた"刃が、ぐにゃりと曲がって溶断される!

『ハ……?』

『なぁ弥生……もうちょっと防御態勢ってもんを取ってくれや……。俺がヒヤッとしちまうよ……』

「悪かったわよ。やんのかコラの精神で行かないとアンタ上手く使えないのよ。……うっかり森まで燃やしたら流石に怒られるし」

 弥生の使役する最大の力であり焔の鬼神、『ヒノカグツチ』。取り急ぎ腕だけ召喚し、後から太陽めいて光る筋骨隆々の男の上半身が現れる!

『何だ……何なんだどいつもこいつもォ……!! 聞いてねえぞネビュリスの野郎ォ! 人外魔境じゃねえか此処はよォ!?』

 いよいよ焦りが丸見えになった東馬の声が響く。

「ははは、人外魔境か!」

 更に追い討ちを掛ける心算で、瞬は高らかに笑う!

「そうだ、そうなんだよ亡霊さん。お前も中々やらかしてきたんだろうが、此処じゃあそうは行かねえ。お前はちょっと調子に乗り過ぎちまった、その結果地獄の扉を自分で開けちまったんだぜ。悪い方に力を付けちまったお前は、もぉっと強い俺達によって裂かれ、砕かれ、叩き潰されるんだ! さぁ悔やめ、絶望しろ! 仲間に手ェ出された俺らの怒りは、手前が泣き叫ぶ事でしか晴れねえからなァ!」

 黒い翼を大きく広げ、迫真の芝居掛かった口調で可能な限り煽る。

『ふざけんじゃねぇ……俺は死なねぇ! 準も渡さねぇ! 準は俺のモン―――』

「いいえ、」

 彼等に気を取られている内に、東馬は燈の接近を許していた!


「わたしのです!!」


 燈の出来得る魔力供給の―――否、魔力"接続"の最も効率の良い方法。

 葵の言っていた、たった一つの方法―――!

 燈は準の頭を両手で捉え、唇を重ねる!

「んうぅぅぅ―――!!」

 ―――無論、人間がバグと魔力を接続しようものならただでは済まない。

 意識が飛びそうになる程脳が痺れ、今にも離れてしまいそうになる。それでも―――それでもと、燈は意識を紙一重で繋ぎ止め、準の深層までダイブする!


 ―――


 赤黒い空から、暗い暗い闇の底へと落ちて行く。

 所々に浮いている何かの混ざった音が聞こえる赤い靄に手を伸ばすと、準の記憶と思しき映像が脳内に流れ込んで来た。

 両親からのプレゼント。

 妹との大切な思い出。

 クラスの女子に恋した時の感情。

 男友達とのどうしようもない日常。

 それら全てを奪い去っていった東馬の凶行―――。

 凄惨な場面に吐き気を催しながらも、燈は意識を強く保って更に深部へと進む。

 余りにも多くのものを失いながらも独り戦い、生き延びてきた彼の苦悩。

 そんな彼の救いとなった瞬達との邂逅。

 そして燈との出会いと死に掛けてまで自分を守ってくれた時の思い。

(……準さんは、やっぱり詩織さんを助けられなかったこと、後悔してたんだ)

 今度こそ守る。彼の心の叫びが痛い程響いた。

 次に見た記憶では、檻の中で誰かと話していた。

(あれは……牡丹?)

 陽に付き従っていた、筋骨隆々で柄の悪い男。しかしそれはあくまでも燈を憎む陽の為の演技であり、実際は品行方正とは行かないまでも悪人では無かった。準も、どうやらその一面を垣間見ていたらしい。

 彼等の会話の中で、燈は牡丹があの状況下でも自分の事を気に掛けていてくれたこと、そして―――準がひとつの誓いを立てていたことを知った。

(…………)

 心が熱を持つ。高まる感情に涙が溢れる。

(……うん、わたしは、準さんを助ける…!)

 涙を拭い、燈は進む。

 後の記憶は殆どが自分と過ごしていた時間のものだった。ゲームセンターを始め星海町で遊んだこと。工業地帯での戦い。ヴィーネ達との修行、そして東馬との再会。

(そう長くない間だったけど、色々な事があった。楽しい思いも、辛い思いもした。でもそれは、準さんなしでは何一つ味わえない感情だった。だからわたしは―――!)

 準の深層、その最奥と思われる地点に彼は居た。赤黒い空も見えない真っ暗闇の中で、準は透明な"殻"に包まれて胎児めいた眠りについていた。

「……準さん、迎えに来ましたよ」

『……ぅ…』

 僅かでも反応があったことに希望を持ち、燈は再度呼び掛ける。

「帰りましょう、準さん。皆待ってますよ」

『……ぁ……か…』

「聞こえてるんですよね? わたしです、燈ですよ!」

『あ…か……り……』

 準の言葉が少しずつ明確になる。

「そう、そうです。燈が来ましたよ」

『あかり……ちゃん……?』

「はい…!」

『あかり……燈ちゃん……?』

 殻の中の準が薄く目を開く。

「おはようございます、準さん。そろそろ起きる時間ですよ」

 慈母めいて燈は呼び掛け続ける。―――だが。


『―――其処までにして貰おうかぁ、おチビ!』


 東馬の姿が現れる。外で見た時よりもはっきりと見えることから、此処に居るこの東馬が準に取り憑いた大元なのだろうと察した。

「あなたを消せば、準さんも気持ちよく起きられそうですね」

 今の燈には恐怖心も、ましてや無力感も無かった。

『ハッ、言うじゃねえか。一人じゃ何も出来なかった癖によぉ?』

「あら、忘れたんですか? 最初にあなたを殺す処まで行ったのはわたしなんですけど」

『あァ…? 調子乗ってんじゃねえぞクソチビ。此処は"俺の"世界なんだよぉ……此処で俺が負ける訳ねえだろォ!?』

 燈は東馬が言い回しを違えた事を聞き逃さなかった。

「ふ、遂に本性が出ましたね。さっき見た通りです―――やはりあなたは最初から準さんと云う人間を正しく見てなど居ない! そんな輩に、準さんは渡さない!!」

『燈、ちゃん……!』

 準の声がより明確に聞こえる。確かな手応えを感じる、ただそれだけで力が漲る。

『俺のモンだって……言ってんだろうがァァァ!!』

 東馬の怒りに呼応し、空間が震える。ボタボタと赤黒い液体が落ちて来たかと思えば、それぞれが人型を取り無限の軍勢を形成する!

「ねえ、準さん。わたし、あなたにまだ、何一つ、返せていないんです」

 両手にシルバーウルフを精製し、即座に氷の刃を纏わせる。


「だから……だから! 今度はわたしが、あなたを救います!!」


 前傾姿勢から目にも止まらぬ速度で燈は駆け出す! 襲い来る人型スライムをかわしては刺し、また躱しては刺す! 刺したナイフに魔力を込めて一瞬にして凍結させると、今度は破裂させて氷をばら撒く爆弾として利用する!

『そらァもう見たっつーのォ!』

 スライムに紛れ、東馬が大振りの逆刃ナイフで斬り掛かる!

「アイシクル・フラッシュ!」

 それに対し燈は一瞬の白い光を放ち、東馬の腕諸共ナイフを凍結させる!

『無駄だァ!』

 紅い蒸気と共に氷がすぐさま溶かされ、刃先が燈を捉えた! 燈はそれを防御するも、予想以上の力に弾き飛ばされる!

「ッ……!」

 受け身を取って着地する頃にはスライムの群れが自分を囲む様にして迫っていた。此処でこれらを凍結させてしまえば、却って身動きが取れなくなる―――ならば!

「アイシクル・スピア!」

 姿勢を可能な限り低くし、半球状の全方位に向けて氷の槍を射出! ハリネズミめいた反撃にスライム達は為す術なく串刺しになって消える!

(本体に凍結が効いてない辺り、やはりこの空間の主導権をあの人が握っているのは間違いなさそう……)

 空間の主導権を握る―――つまり、この空間で起こる魔法は全て東馬の思うままに書き換えられてしまう可能性があると云う事である。しかし、東馬の損耗具合からすれば精々自分に起きた傷や異常の回復が限度だろうが―――それにしても埒が明かない。

『オラオラどうしたァ!』

「―――フローズン・ファング!」

 刺した箇所から全体に向けて凍結させる―――筈が、東馬の身体に刺さった瞬間氷も刃も赤黒く浸食されて崩壊した。

『これで分かったよなァ!? 此処じゃあお前に勝ち目はねえって事がよォ!』

 東馬に対するあらゆる攻撃が無効化されるのがいよいよ実証されてしまった。

「持久戦でじわじわと追い詰めるのが余程好きみたいですね……やっぱり悪趣味です」

『持久戦だァ?ンなことしねえよ……手前はさっさと喰ってやる!!』

 東馬から直接伸びる大量の赤黒い液体の触手が燈を包み込む様に襲い掛かる!

「く…ッ!」

 短距離の高速移動を繰り返して距離を取るも、移動した先に触手が生えてくる所為でいつまでも魔力の消費だけが嵩み―――遂にはその足を、そして全身を捕らえられてしまう。

「うぐぅぅ……っ!!」

 息が出来ず、全身が熱と圧力に苛まれる。

『ヘヘハハハハハ! 死ね! 死ねぇ!!』

 このままでは本当に死んでしまう。なりふり構っていられない燈は、切り札に走る。

「―――準……さん……覚えて、ますか……!」

 締め上げられながら、声を絞り出す。

『…何…を……?』

「牡丹に……誓っ、た、こと………っ!!」

『牡丹……誓った……?』

 牡丹。うっすらと浮かび上がるのは大柄な体躯。斧。森、そして―――檻。

『俺は……あいつに……』

『余計な事言ってんじゃねぇ! とっとと死ねってんだよ!!』

「ぐ………ぁ…」

 何か大事な事を、大事な感情を忘れている。思い出せ。思い出せ。



 ―――こうなってみりゃァ、燈ちゃんの男にこうやって伝えられただけマシだと思うぜ。


 ―――俺みてェな人間には勿体ねェよ、あの子は。


 ―――俺よりも色々と近いお前だからこそ、あの子を頼む。



『分かった。俺は…あの子と生きるよ』



「その子を………放せぇぇぇぇぇぇ―――ッ!!」

 準を覆っていた殻が一気に砕け散り、燈を呑み込んだ触手にノイズが走る!

『そんな……嘘だろ……』

 準本人からの反撃に東馬の動きが止まる。空間を埋め尽くしていた暗闇にも亀裂が入り、光が差し込み始めた!

「準……さん……」

 苦しい中で見た景色に、燈は口元だけ笑んだ。

『くそッくそックソクソクソクソ……せめてこいつだけでも―――』

「させる訳ねえだろ…!!」

 空間全域に準の魔力が広がり、東馬の赤黒い魔法が全て掻き消される! 暗闇は崩れて行き、準の内面世界はまっさらな青空とそれを映す水面と化していた。燈に感謝しつつその身体を受け止めると、準は彼女をゆっくりと降ろした。

 一方で最早手の打ち様が無くなった東馬は退避の準備を始めていた。そんな東馬に準は威圧的に歩み寄る。

『た…助けてくれ準……俺達…友だ……』

「この期に及んでまだそんな寝言が言えんのか、手前…」

 準の右手は限界まで込められた力で震えていた。その心に呼応して紅い魔力の光を放ち始め―――

「この際だからはっきり言ってやろうか―――くたばれクソ野郎ッ!!!」

 準は限界を超える程の力で―――東馬の顔面を、全身全霊で殴りつける!!

 瞬間、燈の視界は強く暖かな光でいっぱいになり、その意識は遠のいていった――――。


 △△△


 人型スライムが、引き寄せられていたバグが、一斉に消えて行く。

 赤黒く変色していた森が光の粒子を放ち、煌めきながら元の姿へと戻る幻想的な光景に包まれながら、各々は武装を解いていた。

「やったみてえだな……燈……!」

「その様ですわね……」

 "黒"の魔法を解除し、ヴィーネと葵は寄り添って座り込む。

「しっかし疲れたなァ……無限に出てくるってのはやっぱ精神的にキツい……」

「普段ならすぐに元を絶っていましたのにね……」

 二人とも元々気の長い方では無く、持久戦はあまり好みではない。それでも誰かを信じて戦うというのは中々出来る経験ではなく、ましてそれに勝利するともなれば相応の達成感がある。

「……異界からの夜明け。あの戦いを思い出しますわね」

「そうだなぁ……」

 博士に別れを告げた戦いであり、メイガスや瞬達の居た魔法部が『世界』を救った戦いでもある。その時は今回よりも悪質で大規模な異界であったが―――

「おや、こんな処でくつろいでいたのか」

 物思いに耽って居ると、茂みから玉堂姉弟と悠が現れた。

「何だ生きてやがったか、紫月」

「何だとは何だ。ヴィーネこそ酷いなりではないか」

「そっくりそのまま返してやるよ」

 顔を合わせるなり罵り合いを始めたヴィーネと紫月を見て悠はおろおろと困惑する。

「えっあの、ねえ紅月……この二人ってこんなだったっけ…?」

「まあ、それなりに付き合いが続けばこうもなるよ。僕はちょっと予想してた」

「そうなんだ……」

 涼しい顔で返す紅月に納得せざるを得ない。そして悠は、片割れが帰って来ていない事に気付く。

「あれ、幽ちゃんは? こっちに来てた筈なんだけど……」

「お? そういや帰ってきてねえな」

 噂をすれば影が差すとでも云う様に、魔力光と共に幽の姿が現れた。

「すみません、少し話し込んで居まして」


 ――――


 ハッキングを終えた幽を、"管理者"は讃えた。

『お疲れ様。見事な働きぶりだったわ!』

「…ありがとうございます。しかし…この魔力量は……」

『これが私を管理者たらしめる力。凄いでしょう?』

 他人と話すのが余程楽しいのか、彼女の声は上機嫌だった。

「ええ……余りにもあっさり終わって驚きました」

『ふふっ。貴女の想いと力もあってこそなのよ?』

「……さては」

 幽は彼女の物言いからある程度、或いは全て見られていると予想する。

『御免なさいね、貴女の個体データを見させて貰ったわ。―――友達になれるかと思って、ね』

「友達……?」

『そう、友達。純粋な人でもバグでもない、作られた存在。それでいて誰かを―――貴女の場合お兄さんを想い、その想いを力に変える……。素敵だわ。貴女とっても素敵! だから私は、役割を越えて貴女と友達になりたいと思ったの』

「……」

 幽は悩んでいた。彼女が信頼までに値するか否か、顔も見えない現状では測りかねる。しかし彼女の好意も恐らく本物であろうと云う事も感じられていた。

『駄目、かしら…』

「……ひとつ、お願いしても宜しいですか」

『何かしら!』

「顔を、見せて頂きたいのです」

『…なるほど…。確かにそうよね、こんな声だけじゃ貴女の人間性ならきっと警戒するわよね。本当は私から貴女に会いに行くのが筋なんでしょうけど……私、"此処"から出られないの。だから、私の処まで案内してあげるわ。それでどう?』

「……場所は?」

『『世界』の奥底、内側と言っても良いわね。大丈夫、高濃度の魔力に溺死する様な事は絶対にさせないから安心して?』

(……行く前に兄さんに言っておこう……何かあったら復元して貰えるように…)


 ――――


「―――『世界』の管理者、ねえ。そんなのまで力貸してくれてたのか」

 幽がそんな冗談を言うとも思えず、ヴィーネは信じるほか無かった。

「物凄い力でした……。彼女のお陰で無事ハッキングに成功したのは間違いないので、お礼も兼ねて挨拶に行こうかと」

「お土産よろしくね!」

 暢気なことをのたまう悠に額を抑えつつ、しかしそれが悠らしさだとも思い幽は笑う。

「ええ、あればですけどね。…さて、そろそろ兄さん達の処に行きましょうか」


 ▽▽▽


 燈が準に魔力接続を敢行した直後、二人は紅い魔力光に包まれた。その十数秒後には異界が崩壊を始め、瞬達もまた光と共に森が元に戻る様を見ていた。

「……なあ、弥生」

 おもむろに携帯を取り出し適当な方向にカメラを向ける弥生に、瞬は突っ込まざるを得なかった。

「何よ。アイツらにも見せてやろうと思って録画してるだけよ?ああ、さっきのも見せてやりたかったわねー」

「仲間思いなのか何なのか分からねえな」

 苦笑しながら、瞬は燈の帰還を待つ。そう経たない内に二人を包んでいた光は消え、元の姿に戻った準の腕に満身創痍の燈が抱かれていた。

「お帰りなさい、準。具合はどう?」

 フランシスが声を掛ける。

「お陰様で元通りっすよ。まあ……大分身体痛いっすけど」

 準はばつの悪そうな笑みで答える。

「凄かったわよー燈。アンタよっぽど愛されてたのねって感じだったわ」

 弥生なりに今回の功労者の働きを伝える。当の燈は準の腕ですやすやと寝息を立てているのだが。

「ああ。……伝わったよ、燈ちゃんの思い。俺と出会って……救われたって。楽しかった、って」

 準の言葉に、聞いている方が恥ずかしいとでも言う様な笑みを浮かべる三人。

「じゃ、精々大事にしてやるこったな」

「助けた甲斐があったと言うものね、ふふ」

「お幸せに」

「えっあれ、俺何か変なこと言った…!?」

 妙に冷ややかな対応に困惑する準。

「さあな、くくっ」

 久々の事の様に思える、いつもの雰囲気での会話。最悪の悲劇は回避し、今も自分は彼等の仲間であると実感する。

「おーい!」

 聞いている方にまで元気を振り撒く様な明るい声を聞いて振り向けば、手を振る悠とそれに続く幽、そしてメイガスの四人。

(ああ―――やっと、出来たんだ。俺の…帰る場所)

 何事もなかったかの様に煌めく星空の下。準は仲間達に揉まれながら、漸く受け入れられた暖かさを噛み締めていた。


 △△△


 車の揺れで目を覚ます。気付けば織希は、管理局の輸送車に回収されていた。

「おや、意外と早く起きたな」

 通信越しに聞いた声―――零時だ。

「斑……管理官」

 織希は痛む身体を起こそうとして零時に止められる。

「そのままでいい。病院連れてってやるから大人しく寝てろ」

「……すみません。俺……独断で動いた割に…結局最後まで、戦えなかった……」

「まあなぁ。周囲の防衛しろっつってんのに独断で対象のバグ殺しに行くとか普通なら始末書もんだろうが……結果的にお前は燈ちゃんを助けた。ああ、あの金髪の美少女な?」

「名前は、聞きました」

「そうか。まーそんな訳だから、上には良い感じに報告しといてやるよ。お前は管理局の魔導士としてやるべき振る舞いをした。―――ただ今回が特別だったから良いけども、取り敢えず動く前には一報入れる様にしてくれな?」

「…それは……覚えておきます」

「よろしい。…星海町は退屈しねえ町だ。その分仕事も多い。よろしくやってくれんなら、俺達はお前を歓迎しよう」

「…宜しく、お願いします…」

 月見支部の時よりもずっと信頼の置けそうな上官であることを感じつつ、織希は眠りについた。


 ▽▽▽


 翌朝。

 燈は白い部屋のベッドで目を覚ます。

(……あれ、ここは)

 見渡すと、自分と準の荷物と簡素なベッドがもう一つ。研究所に戻ってきていたらしい。窓は綺麗に直っているが、身体の痛みから昨夜の戦いが夢ではなかったと理解する。

「……! 準さん……!?」

 ベッドから飛び起き、扉に向かおうとした処で躓く。

「わっ…!」

 丁度その時部屋の扉が開き、入ってきた者に身体を受け止められる。温かく、大きな手で。

「おっ、と……なんだ、元気そうでよかった」

「準さん…!」

 気恥ずかしくなって慌てて体勢を直すと、すっかり元通りになった準を見て安堵する。

「準さんこそ、もう大丈夫なんですか?」

「お陰さまでな。俺より燈ちゃんの方がよっぽど重傷だったんだぞ?……ありがとな、俺なんかの為に」

「…そんな言い方、しないでください。わたしにとって、準さんはかけがえのない一人なんですから」

「そうだったな。……何か実感湧かないなぁ、そんな風に思われてるのってさ」

 照れ隠しに苦笑する準。

「そうでしょうね。実感してる人の戦い方じゃないですもんっ」

 その身を盾にして守られる事に燈は喜びなど覚えない。それ以上に、準が死に掛けることが嫌なのだ。

「悪かったって! ……だから俺、此処で強くなって、燈ちゃんも自分の身も守れる様になるよ。どうやらもう、いつ死んでもいい命じゃなくなっちゃったみたいだからな」

「最初から今までずっとそんなこと無かったんですよ。準さんが勝手にそう思い違いしてただけですっ」

 露骨にむくれて見せる燈に、準はひたすら困らされる。

「はは、厳しいなぁ……」

「それに、気持ちは嬉しいですけど……自分だけで守ろうだなんて勘違いしないでください。わたしだって守られ続けなきゃいけないほど脆くないし、これだけ戦えるんです」

 燈の毅然とした眼差しに少し気圧される。彼女に此処まで言われるのは初めての事だった。

「う……それは」

「わたしの事もちゃんと頼ってください。わたしも準さんのこと、頼りにしますから。―――二人で生きるって、そういうことでしょう?」

「……ああ、そうだな。本当にそうだ。……そっか…勘違い、か。ごめんな、今やっとはっきり分かったんだ。"君"は詩織じゃない。いや、もしかしたら詩織もきっと……。ずっと、俺の見栄に付き合わせちゃってたんだな」

 もう誰も喪いたくないという恐怖が強迫観念となり、燈を正しく見ずに望まない守り方へと駆り立てていた。今言われるまで、彼女を妹と重ねて見ていた事実を認めようとして来なかった自分が嫌になる。

「何となくそんな気はしてました。でも準さんの好意に甘えて言えなかったわたしもわたしです。だから、今度は、これからは、二人足並み揃えて生きましょう」

 それでも燈は準を責めることなく、手を差し出す。彼女の準への思いは、最早恩義だけでは無くなっていた。

「本当に立派な子だよ、君は…。……改めて、よろしくな、燈ちゃん」

 準は彼女の手を取り、握手する。

「ええ、よろしくお願いします、準さん」

 ―――家族を失い一人になった者たちが、やっと二人の家族になった。




 見ていてくれ、父さん、母さん……当分、そっち行けそうにねえからさ。




 World End Protocol #2.5

「(not) Incompetent Wolves」End.

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