#2.5 インコンペテント・ウルブズ Act.4

 異形の獣は月下の森を走る。これ以上、悲劇を起こさぬ様に―――。


 △▼△▼


「―――居なくなったァ!?」

 夜の研究所。準が居た筈の部屋で力なく座り込んでいた燈から、遅れて駆け付けたヴィーネ以下メイガスの面々は現在の状況を聞いた。

「……僅かですが、よろしくない魔力の残滓を感じますわ」

 葵はよろしくない魔力―――バグと同様の魔力を感じ取っていた。それはつまり―――

「本格的に発症してしまったか……見立てが甘かったな」

 苦渋の表情で紫月は呟く。そして彼女の一言で大方察する燈。

「準さん……バグになった…って、事ですか」

「……端的に言えばそうなる。管理局に先を越されてはまずい、ヴィーネ!」

 絶望しかけている燈に対して、紫月は包み隠さずに答える。だが、それぞれ手は打ち始めていた。

「もう掛けてるよ。―――あー零時? 忙しそうだなぁヘヘッ。……そうそう、その反応なんだがな? オレ達で対処するから、お前は周辺の封鎖だけ頼むわ。精々上手くやってくれよ、"瞬に喧嘩売りたくなけりゃあ"な。そんじゃ」

 電話の向こうで零時が禿げ上がりそうになっているのを思い浮かべつつ、ヴィーネは連絡を終える。

「さ、オレ達も急ごうぜ。あいつが通ったとこに結構強めのバグまで呼ばれちまってるらしくてな、もたもたしてると余計面倒になっちまう」

 早速身支度を整え、臨戦態勢に入るヴィーネ。他の面々も支度を済ませる中、燈だけは未だ立ち上がれずにいた。

「絶望している暇はありませんわよ、燈。貴女も瞬やフランシスの仲間だと言うのなら、こんな時こそ戦い抜いて見せなさい」

 彼らはどんな状況であろうと、諦めずに敢然と立ち向かっていた―――と言うとかなり美化されているが、それでも"ストレイキャッツの雪道燈"に対して葵なりに叱咤する。

「まだ……何とかなるんですか?」

「昔誰かが言っていましたわ。魔法は想いの力、と。武器としてばかり使われていますけれど、その本質は想像の具現。貴女が強く願うなら、きっと準も元通りに出来ますわ。………なんて、柄でも無いですけれど」

 言っていて恥ずかしくなったか、言い終わってから目を逸らす葵。その言葉は、しっかりと燈に届いていた。

「……そう、ですよね。わたしが此処で諦めてたら……駄目ですよね」

 言いながら立ち上がると、〈シルバーウルフ〉を一本精製する燈。祈る様に、或いは誓う様に刃を暫し見つめ、魔力へ還す。

(―――いい加減……殺すだけの力じゃない事を証明しよう)

「今度は、わたしが準さんを助ける番だ」

「お、何か覚悟決まった感じか?」

 横からヴィーネが茶化すのに対し、燈はふっと笑って返す。

「ええ、大丈夫です。やって見せます」

「よく言った。そんじゃあ、さっさと行こうぜ!」

「はい!」

 戦うことを決めた彼女は、凛々しい顔をしていた。


 △△△


 研究所から十数キロメートル離れた地点。異様な反応を察知した管理局の魔導士が単独で先行していた。

(あんな反応、放っておいたら必ずまた人が死ぬ)

 一つ結った深い青の髪をたなびかせ、海の様に澄んだ蒼い目の青年は走る。

 携えられているのは幅広で片刃の長剣に発砲機構を付けた特殊な複合武装。宝石めいた青い刀身が、夜闇の中でも美しく光る。

 先程まで高速で移動していた反応は今の処停止しており、間もなく辿り着く―――と思われたが。

「……」

 眼前に広がる光景に彼は思わず足を止める。―――森が、紅く染まっていたのだ。

 赤黒く変色した地面と木々。更にそれらから紅い金属の刃が所々に生えており、さながら地獄の剣山とでも云える様な有様だった。

(異界化が進んでる……急がないと)

 バグから漏れ出した魔力が、辺りの環境を変えてしまうことがある。それが俗に"異界化"と呼ばれている現象だ。低級のバグではまず起こらない為、この現象が見られていると云う事は相応の力を持ってしまっている証明に他ならない。

 苦渋の表情で紅い森を睨みつけ、一歩足を踏み入れた。

(入った瞬間お陀仏と云う事は無さそうだな……行こう)

 一先ず進入出来る事を確認すると、彼は警戒しながらも駆けて行く。


 ▽▽▽


 準の痕跡を辿り、メイガスと燈は研究所の外に広がる森を進む。

「森が……ざわついてやがる……」

「何それらしいこと言っているんですの」

 急に立ち止まり、芝居掛かった様子で呟いたヴィーネにすかさず葵の痛烈な突っ込みが入る。

「いやぁ、辛気臭えとこだとどうにもふざけたくなっちまってさ。瑞葉が居ねえと皆シリアスになっちまっていけねえよ」

「貴女が不真面目すぎるのですわ」

「オレぁ至って真面目だよ? 真面目に馬鹿やってんのさ」

「救い様のない馬鹿ってことではありませんの」

「葵は手厳しいなぁ」

 二人のやり取りを聞いていた燈が、小さく笑った。

「…ふふ。お二人の話を聞いてたら、ちょっと元気になりました」

「おっ、そうかそうか。そりゃあ良かったぜ。こんな時こそ笑い飛ばす余裕が必要だからな!」

 燈は敢えて緊張感を感じさせないヴィーネの振る舞いに、瞬と近いものを感じていた。

(きっとこの人はこうだから、瞬さんの戦友足り得たんだろうなあ。其処までの余裕はわたしには無いけれど、それでも―――)

 不意に紫月が一歩先に踏み出し、険しい顔で前方を睨んだ。

「まさか貴女まで森が何だのとは言いませんわよね?」

「いや……ヴィーネの言うことは強ち間違っても居ない様だ。私達以外も”向こう”を目指して動いているのに気付かないか?」

 彼女の端末上ではバグを示す点が多数表示されていた。それらは自分達の近くにも居る筈なのに、目もくれずある地点へと直進している。

「流石に"色"の魔法使いともなれば感覚も優秀ですわね」

 葵がそう言っている間にも、飛行型バグが彼女達の真上を通り過ぎて行った。鳥類に限らず飛竜型も見受けられる辺り、引き寄せている元のレベルは相当のものになっていると予測出来る。

「……なるべく減らした方が良いのではなくて?」

「ならば進みながら削るとしよう。―――〈オクターヴソード〉!」

 普段着兼戦闘着のコート、そのおよそ腰の位置に巻かれたベルトが八本の”剣”を装備したユニットに変わる。剣と云っても先の戦いで見た紅いグリップ部分のみで、背中側の円盤状のユニットに六本、両サイドに一対。その小規模な"変身"の光景に、燈は息を呑む。

「おや、意外だな。君はこういうのが好きだったのか」

「えっ!? ええ……まあ…」

 少し照れくさい燈に紫月は上機嫌に続ける。

「ではもっといいものを見せようか。―――スカーレット・フェザー!」

 両脇の二本を残して、六本の"剣"がユニットより射出! 紅い光の矢となって、それぞれが索敵し強襲する自律型兵装となるのだ。

 木々を掻い潜って複雑に、或いは夜空を流星の如く直線に、光の粒子を煌めかせながら残光を描いて飛んで行く姿は幻想的にすら見えた。

「凄い……!」

「だろう? ただ、一つ難点を挙げるとするならば―――」

 紫月が言い終わる前に鳥型バグが飛来する!

「この様に、私の存在感が猛烈にアピールされてしまう処かな」

 左腰から"抜刀"、紅い光の刃を生じさせながら真横に一閃! 一刀の下に斬り伏せる!

「………」

 余裕綽々と云った紫月であったが、そんな彼女を紅月は眉をひそめて見ていた。

 そんな彼の様子を知ってか知らずか、ヴィーネが苦言を呈す。

「おめーそうやってしょっちゅう敵集め過ぎてんだから加減しろよな」

「大丈夫さ。自ら死にに行く様な真似はもうしない。―――また"彼"に怒られてしまうからな」

 フ、と自嘲する様に笑う紫月。

 彼? と首を傾げる燈だったが、ヴィーネの顔を見て何となく察する。

「まー瞬の嫌いそうな振る舞いだったもんなァお前。あいつ死にたがりは嫌いだからな。機嫌悪い時は自分で止め刺そうとするぐらいだし」

「"黒"の魔法使いとやり合ういい機会になったよ。もう勘弁願いたいがね」

 思い出話に耽りながらも次々とバグを駆除している。燈には戦う時に喋る余裕など無く、瞬やフランシスを含めた彼等との経験の差を感じていた。

(この人達は、戦いが日常になる程場数を踏んで来たんだ……)

 燈にとって戦いは未だ日常とまでは行かず、特別なことの範疇にあった。戦う本能を秘めながら経験に乏しい彼女は、言い換えればまだまだ成長出来ると云う事でもある。

(―――瞬さんもフランさんも、わたしに経験を積ませようと……?)

 正直なところ、魔力の覚醒と云う分かりやすい目的を持つ準に対して燈は漠然としか今回の修行の意義を捉えていなかった。尤も、当の瞬達でさえこの様な状況で見出だすとは思ってもみなかっただろうが。

(……必ず準さんを救って、もっともっと、色々な事を経験したい)

 燈は一人頷くと、先を行く彼女等に続いて森の奥深くへと進む。


 △△△


 大幅に身体強化がされているとは云え、十キロメートル以上を走り抜けた準は手近な木に寄り掛かって休んでいた。頭を上げて一息吐くと、なるべくならもう会わない方が良い彼女達に思いを馳せてしまう。

(燈ちゃんは―――いや…皆、追ってくるんだろうなぁ……)

 研究所を抜け出したのは、今の力なら燈のみならずメイガスの面々ですら殺せてしまいそうな気がしたからと云うのが主な理由ではあるものの。そう思ったことと、半ばバグと化した今の姿を見られたくなかったことでパニックになったから取り敢えず闇雲に走り出していたと云う面もあった。

 見れば両腕は既に紫に変色、形状もごつごつと硬く無骨なものに変化し、紅く光る線が走っている。手から肘にかけては紅い金属の装甲に覆われており、此処から刃を生やして使うらしいと本能的に理解する。脚も似た様な状態で、腰には着ていたはずのコートに似た紅い布が纏われており、胴体は恐らくインナーだった黒いボロ服だけが残っている。

(すっかり人としてはもう駄目な感じかなぁ……頭とかどうなってんだろう。見えねえや)

 人で居たかったと願う彼を嘲笑う様に、彼の足元から地面や草木が赤黒く色を変えて行く。変色したものからは所々紅い金属の刃が生え、嫌悪感こそ覚えるが居心地は悪くないと云う不可思議な空間が形成されて行くのであった。

(はは……いよいよ居るだけで迷惑な存在ってか。勘弁して欲しいぜ、俺だって好きでこんなんなってんじゃねえんだからよ……)

 歪な魔力が呼び寄せてしまったか、はたまた住処を侵食してしまったか。不用意に狼めいたバグが現れる。

(……お前みたいな//オ前程度ノ//奴に喰われるのはちょっと嫌だな)

 一瞬思考にノイズが走ったことに違和感を持つことすらなく、次の瞬間には狼の頭を鷲掴みにしていた。掴んだまま掌から瞬時に刃を生やし、暴れようとする狼の頭を貫いて一撃の下に消滅させる。

(無駄に快適だなぁこの身体……普段からこんだけ動ければ良かったのによ)

 掴んでいた部分から僅かに魔力を吸収しながら、体の変化を喜び嘆く。そんな感慨に浸りながら辺りに魔力反応を感知する。どうやら他にも寄って来ていたバグが居た様で、然したる知性も持たない獣型バグが何匹か、こちらを包囲する様に位置取っていた。

(こんな俺でも死に方ぐらいは選ばせてくれや……。死骸貪られる様に死ぬくらいなら、やっぱ派手に爆死する方が良いんだわ。例えば…そうだな……)

 自分を取り巻く獲物共を見て無意識に舌なめずりすると、両腕から刃を生やして動き出す。

(フランさんとかなら、綺麗に殺してくれそうだよな―――)


 △△▲


 森の奥へ進むにつれ、赤黒さが深くおぞましい色合いになって行く。この空間の主の強さ―――と云うよりも、どうしても準の進行度合いの方に意識が行ってしまい胸が痛くなる。

(準さん……わたしが行くまで、どうか)

 そして、敵の数も気の所為では済まない程に増えて来ていた。

「おい紫月、そろそろフェザー切っても良いんじゃねえか? お前微妙に捌き切れてねえぞさっきから」

 紫月の取りこぼしに刀を突き刺しながら、ヴィーネが苦言を呈する。

「む…そうか、済まない。もっと気合い入れなくてはな」

 紫月は手を緩める素振りを見せない。それどころか、ヴィーネには焦っている様にすら見えた。

「こんな道中から八本フルに使って後で持つ訳ねえだろ。ちったァ冷静になれってんだよ」

「冷静、か。そうだな……同胞になり得る者の危機だ。私も気が逸っているらしい」

「其処まで分かってんなら―――」

「だが此処で私が手を緩めれば、その分準の方に行ってしまうだろう。彼が喰われるのも、彼に喰わせるのも防がねばならないだろう?」

 全く譲ろうとしない紫月に、ヴィーネ苛立ちが頂点に達した。

「だーかーらー! 分ッかんねえ野郎だなァ!! そういうのを! 一人でやろうとすんじゃねえって言ってんだよオレはァ!!」

「私のこれが一番適した武装だろう! 私にしか出来ないんだよこれは! だから私がやらなければならないんだ!」

(喧嘩しながら別々の敵と戦ってるこの人達……)

 止めるべき処なのか、或いは笑う処なのか計りかねて戸惑う燈。そんな彼女に紅月がそっと耳打ちする。

「いつものことだから気にしなくていいよ」

「あ、そうですか……」

「いつも戦術的にはヴィーネさんの方がまともなこと言ってるんだけどね…姉さん変に頑固なとこあるから」

 慣れた様子で、紅月は二人に聞こえない様に言う。

「準さんの為に懸命になってくれてるのは、感謝すべき処だと思うんですけど……」

「他人の為っていうのはさ。一見綺麗な理由だけど、正当化するにも便利な理由なんだよね。誰かの為って言っておけば良いことしてる風に聞こえるでしょ」

「それは……そう、ですね」

 姉の事であっても淡々と切ってみせる紅月に、燈はただ肯定しか出来なかった。

「僕達姉弟、ずっと仲間ってものが居なかったからね。その裏返しかな。仲間の為に戦うのが好き……って言うか、其処に変に使命感持っちゃってるんだ。姉さんは」

「でも……嬉しいです」

「そう言って貰えればきっと姉さんも喜ぶだろうね。でもそれはこういう戦況でやって良いことじゃない。そしてその皺寄せはほら―――」

 すっかりヒートアップした二人の魔力に引き寄せられ、大型の飛竜型バグが飛来する。

「あァァもうあの馬鹿……!! おい見てねえで手伝え紅月ッ!」

 一人で突撃する紫月に頭痛を覚えながらヴィーネは怒鳴る。

「ね、僕に来るんだよ」

 苦笑する紅月。その顔は最早諦めを越えて悟っていた。

「皆は先に行ってください。此処で五人使うだけの時間は無いでしょう?」

「お、おう……お前はお前で淡白だよな」

「まあ、あの姉ですからね。……燈ちゃんも、頑張ってね」

「えっ。は、はい…!」

 急に柔らかいトーンで応援され驚く燈。

(良い人……なんだろうか…?)

「って、これじゃ通れないですよね。道ぐらい開いてみましょうか。―――姉さん、避けてね!」

 精製していた合体双剣〈ハイドラ〉の柄を繋ぎ、弓形態にして紅い光の矢をつがえる。

「―――レッド・コメット!」

 発射された瞬間矢が彗星めいて激しく輝き、巨大にして高速の光弾と化して射線上にあったものを一掃する!!

 回避の遅れた飛竜の左翼が射抜かれ、バランスを崩す!

「さ、今の内に」

「お前も無理すんなよ」

「大丈夫です。必ず合流しますから」

 短く済ませると、ヴィーネ達三人はダウンしている飛竜の脇を通り抜ける。

「ふう。……"いつ合流するか"までは言ってないんだよね、僕」

 飛竜以外にもバグが居るのを感知しながら、紅月は一人呟く。

「まあ、明日くらいは昼まで寝てても良いよね」

 矢をつがえ、第二射を構える。


 △△△


 深い青髪の彼は次第に増えてきたバグを軒並み斬り伏せ、赤黒い森を一人進んでいた。進むにつれて、地面や木々から生えている刃の数が段々と増えている。根源の反応が近い。

(歪で禍々しい感覚……どんな化物が居るんだか)

 ウニかハリネズミか、そんな勢いで体中から刃が生えているのではないかと想像を膨らませていると、複数の中型バグの咆哮が聞こえた。否、これは咆哮と云うよりも―――悲鳴である。

(…考えるまでも無さそうだ。もうすぐ近くに居る―――)

 その時、刃の付いた鎖が高速で彼目掛けて伸びる!

「ッ!!」

 彼は間一髪で回避すると、武器を構えて追撃に備える。

「―――来たッ!」

 続け様に三発、鎖が伸びる!

「付いてきてくれよ―――〈フォトンサファイア〉!」

 青い刀身が光を放ち、彼の手によって美しい青の剣閃が繰り出される! 鎖を全て叩き落とすと、彼は一直線に駆ける!

(こいつを起動した時点で隠れるという選択肢はない―――真っ直ぐ、突っ切る!)

 向こうも鎖が落とされたと見るや否や、今度は彼の進路上のあらゆる場所から紅い刃を生やして阻む!

「邪魔だッ!!」

 目の前に生えた刃数本をまとめて薙ぎ払おうと両手で思い切り振る―――が、大振りになったその瞬間を狙ったか、高速で飛来した紅い鋼の弾丸によって弾き返されてしまう!

「ッ!?」

 刀身の中ほどが砕かれ、衝撃によろめく彼の背を地面から刃が狙う! 彼は死に物狂いでそれを半身で躱すと一旦距離を取り、フォトンサファイアのフォアグリップを引き出し射撃モードにして構える!

「クリスタル・バレットッ!!」

 内部弾倉に予め装填された結晶の弾丸に魔力を充填させ、魔力を帯びた実弾として放つ魔法! 一回当たりの装弾数は五発と少ないが、ただの実弾にはない強度と破壊力を持つ!

 フォトンサファイアの発砲機構には長距離狙撃すら可能にする高精度センサーが付いており、彼の目の前にホロディスプレイを展開し遠景を映す。元の人間を思わせるボロ服、紫に変色した肌、肌と接合した紅い装甲。そして目を隠す様に付けられた紅い鋼の仮面。彼は自分が相対している敵のおぞましい姿を確認すると共に、引鉄を引く!

 流星めいて光の尾を引いて飛んで行く青い結晶の弾丸。敵はそれを避け―――こちらに向けて駆け出した!!

(元を直接叩こうって魂胆か、丁度いい)

 計算では接敵までの間に刀身の再構成がギリギリで完了する。彼もまた地面から生える刃を避けながら、走る!

 敵の姿を目視! 接触まで、三、二―――

「フォトン・ストライク!!」

 再構成が完了した刀身が眩く蒼く光り、威力を高める! 彼は敵を叩き斬らんと、一気に振り抜く!!

 次の瞬間、同時に振り被っていた敵の刃とフォトンサファイアの刃がぶつかり合い、衝撃が爆発的に拡散する!

「この……ッ!!」

 魔法とは想いの力―――バグは絶対に殺すと云う意志の下、彼は魔力を最大限に注ぎ込み敵を弾き返す!

 彼は肩で息をしながら砂煙に消えた敵の方を睨む。

「少しは効いたか……―――!?」

 砂煙の向こうで、敵は何食わぬ様子で立っていた。―――襲ってくる素振りも見せず、前屈みの姿勢で本当にただ静止していた。

「うん……?」

 そして、あろうことか声帯ではなく直接脳で認識する音で語り掛けてきたのである。

『おい……あんた、人間か?』

「こんなに進行しているバグが……まだ喋るのか…?」

『何故か姿がよく見えなくてよ…。まあとにかく聞こえてんならさっさと逃げてくれ…!人喰いにはなりたくねえんだ…!』

 懇願する様な男の声。最早自分の変異も認識出来て居ないらしい。しかし青髪の彼はバグへの固定観念からまるで聞く耳を持たない。

「人喰いになりたくない? ……信じられるか。どのみち、この先お前は人を襲う。ならばその時消されても、今消しても同じだ。だから此処で―――お前を消す!!」

『あーもうどうして管理局ってのは融通が――あッくそ時間切』

 人間臭い苦言を全て言い切る前に身体の制御が利かなくなったらしく、バグとしての彼が咆哮を上げる。

「結局こうなるんだよ。害獣は殺す。それだけだ。……分かってるだろ、あんただって」

 やや苦い顔をしながら、彼は"敵"に相対する。


 ――――


 各々が戦っている頃、管理局星海支部では夜にも関わらず大騒ぎになっていた。

 情報を扱いオペレーターや調査・捜査を担う管理員。魔法戦闘を担う魔導士。そしてそれらの指揮を担う管理官である零時は、とある民間からのたれ込みに頭を抱えていた。

「ったくヴィーネの奴…妙な脅し方しやがって……」

 敵に回すと非常に面倒な親友の名前を出して、要約すれば"この件には手を出すな"とも取れる内容を叩き付けてきたのだ。

「倒したら天宮君が怒るバグだなんて、もう尋常な話じゃないわね」

 公私共にパートナーである仙那は隣で飄々としていた。

「そうなんだよなぁ……挙げ句の果てに異界化とまで来やがった。異界見たのなんて数えるくらいしかねーっつの……」

「異界なんて普通はこの歳じゃ見ないものよ?」

「とっくに普通じゃねえだろ? もっと平々凡々と生きたかったさ俺も……」

 ぼろぼろと愚痴をこぼしていると、慌てた様子の管理員が報告に来た。

「あ、あの……斑さん……」

「何だ?」

「それが……例のバグ反応の近くに魔導士の反応が……」

「は? 何勝手な事してやがんだ。うちにそんな馬鹿が居たのか?」

 時間魔法を扱う零時を怒らせて、それでも尚勝てる者は少なくとも此処には居ない。勿論零時自身の人柄等もあるが、それ故に統率が取れている部分はやはり少なからずある。

「それが……明日付けで此所に配属になる魔導士の様で…」

「……あー……理解した。そういうことか……。石河イシカワ、だっけ」

「はい。石河織希シキ元々月見支部で入職したものの、研修の後星海支部への異動になったとか……」

「俺の一個下じゃなかったっけ? ってことはお前らと同い年か。うわー、ひと月で異動でしかもそれが通るとか完全に厄介払いじゃねえかよ勘弁してくれえ……! うちだって暇じゃねえし寧ろ月見より忙しいわ! 今度向こうの支部長にボロクソ言ってやる畜生!」

 天然パーマの頭を掻く零時。地味に髪が指に絡まる。

「それであの、どうしますか……?」

「回線繋げ…。強制回線だ」

「了解です!」

 胃薬を買い足しておこうと思う零時であった。


 ――――


 青髪の彼―――織希は、元人間のバグに容赦なく攻撃を加えていく。だが本能で戦うバグの力は尋常ではなく、次第に織希の方が押され始める。

(負けられない…此処で俺が退いたら……ッ!)

 彼の額に嫌な汗が流れる。そんな中、携帯端末の着信音が鳴り―――


『聞こえるな石河! 石河織希!』


 配属先の上官になる男の声が響く。バグも中の人格が制御を取り戻したか、動きを止める。

「斑……管理官」

『おう俺だ。こんな夜分に仕事熱心なところ悪いがな、命令だ。さっさと撤退しろ』

「そんなの―――」

『認められないってか? 安心しろ、じきにそいつを助けに凄腕の連中が来るから。管理局では周辺の封鎖が任務になってんだ、さっさとそっちに行け。いいな?』

 有無を言わさぬ勢いで零時は告げる。

 すぐに動けずに居る織希をよそに、零時は通じるか分からないながら"彼"に語り掛ける。

『それと、だ。―――聞こえてるか、雨森! もう少しで皆が来るから、それまで持ち堪えろよ!』

 織希は、零時の言葉を聞いた目の前のバグが人間らしく微笑むのを見た様な気がした。

 通信は終了し、織希は撤退しなければならない―――だが。

「くそッ……こんなの……」

『……ほら、行けよ。あいつも怒らせると厄介なんだぜ』

「あんたは―――いや…そうだな」

 織希はある程度距離を取ると、異界化した森の外側に向けて走って行った。

『……皆、か。……あれ。みん、な……?』

 どうやら時間は、そう残されて居ないらしい。


 ▽▽▽


 紅い森を進みながら、燈は別れてきた二人を思う。

「紫月さん達…大丈夫でしょうか……」

「紅月が居れば大丈夫ですわ。あの子は姉の扱いを心得ていますもの」

 葵が何の心配も無いといった様子で答える。

「それよりもヴィーネ、気付いていまして?」

「おうよ。野郎、コア抜きにして此処までやるとはちょっと予想外だぜ」

「或いは別の魔力源を……―――! 成程、合点が行きましたわ」

 二人の会話について行けない燈だったが、すぐに己の目で理解することになる。

「立派な寄生虫野郎だったって訳だな。ッたく吐き気がするぜ……」

「それって……!!」

 燈が確信に至ると同時に、百体近い数の赤黒い人型スライムがどろりと現れる!

『ヘヘハハハハ! お前らに来られちまうとよぉ、色々都合が悪いんでなぁ! 此処で果てて貰うぜぇ!!』

 忘れたくても数日は焼き付いているであろう、無性に腹が立つあの声だ。

「西道東馬…ッ!!」

 瞬時に戦闘モードの、獣の眼つきに変わる燈。

『やっぱり来やがったなぁおチビぃ! 手前から喰ってやるよぉ!!』

 人型スライムが一斉に燈を狙って動き出す!

「液体で来るなんて、何も学習していないんですね」

 燈は両手を前にかざし、怒りに任せて魔力を開放する!

「はぁぁぁ――――アイシクル・フラッシュ!!」

 最前面に居るスライム群が瞬時に凍結! そして凍った個体に触れたものはおろか、近いだけのものまでも連鎖的に凍らせて行く!

 ―――隣で準のパズルゲームを見ていて良かったと、涙ぐみながら思う。

「おおう……やるじゃねえか燈…」感心するヴィーネ。

「…わたしに一発でこれを破壊する力は無いので、ヴィーネさんにお願いしてもいいですか」

「おうよ!やってやんぜ!」

 乗り気のヴィーネの前に、葵が進み出る。

「貴女がちまちまやっても非効率ですわ、此処はわたくしが」

「お? ……やる気か、葵」

「ええ。わたくしもたまには使っておかないと、鈍りそうで。―――《イマジンブラック》、開演ですわ」

 葵の両手から黒い液体が滴り、たちまち彼女の周囲に広がって行った。

「これは……!?」

 これまでと違う、敵よりも清々しく禍々しい魔法に燈は目を見張る。

「オレ達メイガスが実験体だって云う証。そんでもって"博士"の子供達である証でもある―――"黒"の魔法だ。まあ、人の手で作ろうとした紛い物だけどな」

 言葉こそ自嘲気味であったが、語るヴィーネの顔は何処か誇らしげであった。

 燈も実際に見た訳ではないが"黒"の魔法については使い手を知っている。しかしその紛い物とは。―――考えても答えが出るものでも無く、ただ自分達の為に、頼もしい人がそれを振るおうとしていると云う事実だけで今は十分だった。

「さぁ、わたくしの独壇場と相成りましょう! ―――ミゼラブル・カプリチオ!!」

 葵は高揚した様子で両手を振り上げ、曲の指揮を執る様に舞う! 彼女の動きに合わせて、黒い液体が無数の鞭となって凍ったスライム達を打ち、破砕していく!

「―――誤解のねえ様に言っておくとな、"黒"の魔法って人それぞれ形が違うんだよ」

 宣言通り葵の独壇場になってしまい、かと言って先にも進めず手持ち無沙汰なヴィーネは与太話に興じる。

「形…ですか」

「皆が皆こんなドロドロ使う訳じゃねえ。例えば瞬は黒い炎だし、オレは黒い風。葵の場合は黒い水ってとこだな」

「…なんだか、その流れで行くと黒い雷とかもありそうですね」

「察しが良いねえ、準の影響か? …黒い雷の使い手ってのが"博士"の最高傑作であり、オレ達メイガスの末っ子に当たる女だ。まぁあんまり他人に言うなって言われてるから一応名前は伏せるけどよ」

 自由奔放で若干不安定な彼女を思い浮かべながら、ヴィーネは語る。

 一方、葵はスライムの連鎖凍結を上回る速度で粉砕してしまい、ゲル状のままのスライム群を相手にしていた。

「困りましたわね……これは思い切り行くしか無さそうですわ」

「間違ってもこっちまで呑み込むなよ!?」

 察したヴィーネは冷や汗と共に念を押す。

「分かっていますわ―――ミゼラブル・レクイエム!!」

 前方、スライム群が居る全域に黒い沼が広がり―――うねりを起こし、全てのスライムを呑み込む!

「凄い……こんな規模の魔法が……!」

「な? すげえだろ、オレの相棒」

「全く、貴女の功績ではありませんわよ?」

 嬉々として語るヴィーネに溜息混じりに言う葵。その顔は満更でもない様子。

 ―――だが。


『いやぁご苦労様だなぁ! だが残念でしたぁ! まだまだ居るぜぇ!?』


 葵が粉砕し呑み込んだ数、その倍の数の人型スライムが新たに出現する!最早全方位、何処にも逃げ場はない!

『今度は趣向を変えてぇ、こぉんなのもくれてやるぜ! ヘヘハハハハ!!』

 進路上の遠くの方で何やらスライムが集合している。次第にそれは大きなひとつの影となりながら、此方に迫る―――!

「いやはやすげえなァ……此処までお約束な感じの悪役ぶりだと逆に感心しちまうよ」

 こんな状況ですら緊張感を手放しているヴィーネ。彼女達の目に映ったのは―――ドロドロとした赤黒い、巨人だった。全力で見上げてやっと頭らしき部分が見える程の大きさで、おおよそ人が生身で挑むスケールを越えていた。

『此処は俺達の世界だからよぉ、この自然が持つ魔力、そして寄ってくるバカなバグ共の魔力を喰って! 無限にこいつらを作れるって訳だ!! お前らに勝ち目なんか最初からねぇんだよぉ!!』

 騒ぐ東馬の声を重要な点以外は聞き流しつつ、葵は最小限に抑えていた《イマジンブラック》を再展開する。

「あの大きいのをわたくしが縛りますわ。燈はその内に凍結、そしてヴィーネが止めを」

「んじゃあお前らがそれやってる内に雑魚はブッ飛ばしてやる―――《プロトブラック》、起動!」

 ヴィーネの両腕から黒い風が渦巻き、やがて彼女の周囲を取り巻いて吹き荒ぶ!

「準備が出来たら呼んでくれ。暫くノンストップで行くからよ! ―――デッドリィ・ストーム!!」

 爆発的な速度で駆け出すと、黒い風を纏った斬撃で人型スライムの群れを次々弾き飛ばして行く!

 普段の風の魔法であれば撃ち抜いた先から再生してしまうが、"黒"の魔法であることにより構成している魔力を損傷させ、再生を許す事無く破壊することが可能となる!

「この物量…『フラッシュ』が一番良いんでしょうけど……」

 自分達も役目を果たそうと思ったものの、敵の数に対し燈は使う魔法に悩む。

「魔力量の問題?」

「…はい」

「それなら、これを使いなさい」

 葵がポケットから小型の魔力石を二つ渡す。燈が試しに一つ砕いてみると、先程使った分よりも多くの魔力が補充された事に驚く。

「凄い……これなら!」

「やれますわね?」

「はい! ―――アイシクル……フラッシュ!!」

 等身大の人型スライム群を逃がす間もなく連鎖凍結させ、巨人スライムの足元までを凍らせる!

「上出来ですわ。―――リピート・カプリチオ!」

 先程と同じ様にまず人型から砕き、続いて巨人に鞭を絡みつかせて拘束する! そして身悶えする巨人に向かって走り出す燈!

「アイシクル・ビット!」

 空中に氷塊を発生させ、それを蹴って縦横無尽に飛びながら巨人の凍結箇所を増やしていく!

 殆ど"氷を発生させる"魔法しか持っていなかった燈が"凍結"の魔法を扱える様になったのは葵の指導の賜物だ。今、その師匠と肩を並べて戦えているのが誇らしく思えていた。

 脚を、腰を、腹を、腕を、背を―――下から順番に、前後は不規則に凍結させる! そして巨人の頭上まで跳び上がり―――!

「これで凍らせれば、後は―――!」

 頭部を凍らせて仕上げとしよう。ヴィーネを呼んで終わりだ。


 ―――完全に勝った気でいた燈。そんな彼女に現実を突き付けるかの様に、まだ凍り切って居なかった鎖骨部分の隙間から、触手が伸びる。


「えっ……」


 そしてそれは無慈悲な速度で、真横に、宙に居る燈を薙ぎ払った。


 葵は目を見開き、届かない手を伸ばす。それも力なく下りて行く。

「あ…ぁぁ………燈――――ッ!!」

 慟哭が、魔境と化した森に響く。

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