#2.5 インコンペテント・ウルブズ Act.3

 ―――西道東馬。ずっと忘れていたかった名を、顔を、今になって見せ付けられる事になろうとは。


 △▼△▼


 風もなくどんよりとやや暑い、空気の淀んだ昼下がり。町外れの研究所前で、刃のぶつかる音が響く。

「今更お呼びじゃねえんだよ、手前は!!」

 準は的確に殺す為の一撃を繰り出すも、容易く弾かれてしまう。怒りに呑まれまいとしながらも、やはりその太刀筋は荒い。

「つれねえ事言うなよ……折角俺がはるばる会いに来たってのによぉ」

 ぬるりと軽妙な足取りで躱す東馬の姿は、傍から見ても不気味であった。

「俺はてっきり上手いこと撒けたか、或いは手前が死んでくれたもんかと願ってたさ……!だが手前の粘着具合はそんな楽観出来るレベルじゃねえのも分かってる……だからこそ分かんねえんだ、手前が何故今になって来やがったのか!」

 一応として疑問は晴らしておきたい思いと、早く殺したい思いが混ざり合いながら準は力の入りきらない突きを繰り出す。

「素直に教えてくれって言えよなぁ? 全くよぉ」

 ぐにゃりと身体をくねらせる様に回避しながら、東馬は準の目と鼻の先まで迫る。

「お前の疑問は正しいぜ、準……流石、良く俺の事を分かってくれてる。……まぁ端的に言うとな? 一遍死んでんだよ俺。お前に逃げられた、あの後にさぁ」

「何……言って」

 至近距離まで詰められた挙句、頭の理解が追い付かずに動けない。

「そんで最近やっと満足に動けるレベルまで蘇らせて貰った訳よ。ま、その分ちょっとしたバイトを強いられては居るけどな」

「……どうせ碌な仕事じゃねえんだろ」

「最高の仕事さ、天職と言って良い。適当に人殺して心臓ぶっこ抜きゃ良いんだからよぉ」

 淡々と語る東馬に、準は恐れと怒りを同時に抱く。

「……手前、この町でも殺したのか」

「おぉ? 殺して欲しかったのか? 残念だったなぁ、まだ殺してねえよ。だってお前の"匂い"にどんどん近付いていくんだぜ? その辺の人間共なんてどぉぉーだっていいさ!」

 テンションを上げていく東馬に対して、一つ安堵を得た準の思考は冷静に研ぎ澄まされて行く。

「成程、そいつは安心したぜ。別に他所だから殺して良い道理もねえが、取り敢えず身近な奴等は無事らしい」

「お前を殺れたら後はそいつらになるけどな?」

「ハッ、後なんてねえよ。今度こそ此処で……殺す!!」

「!!」

 準が振りかぶると同時に東馬が飛び退く!

「疾風殺!!」

 東馬の視界から準の姿が消え、紅い風と銀色の閃光が奔る!

「……こんなもんじゃねえぞ、皆が受けた痛みは」

「ッ……!?」

 東馬を通り抜け、彼の三メートル先で準は呟く。

 そしてそれから一秒。東馬は立ったまま全身から盛大に血を噴き出した。

「カ……ッ」

 準はナイフを一振りして血を払う。

「つっても死体蹴りは趣味じゃねえからよ。そのまま失血で―――」

 言い終わる直前、準は違和感を覚える。

 人間、血を噴き出すと言ってもそう長い間続くものではない。多々見てきた準にとってそれは常識である。

 東馬の場合―――それがあまりにも長過ぎた。

 彼の周囲に溜まった大量の血液。新たに出た血が落ちて波紋が起こる。其処までは理解出来る。だがその波紋もやけに大きく、激しく、まるで意志を持って波打っている様な―――!


「準!! 下がれ!!」


 轟く紫月の声に従い飛び退く準。だがそれをも読んで放たれた赤黒い触手が準の左腕を掠める!

「づ……ッ!!」

 火傷めいた痛みに左腕を押さえる。防ごうと構えたナイフに至っては刃が溶けた様に消失している。

(ただの血かと思ったが……こいつは……)

 服は燃えた時とも違う焦げ方をしていた。だが事態は考えている余裕を与えてはくれなかった。

「カ、ハ、ハハ、ハハハ!」

 東馬が斬られたままの体勢からカタカタと動き出し、だらりと前屈みになって準を捉えた!

(やべえ、次が来る―――!)

 直後、準目掛けて第二波が襲う!

「はッ!!」

 準の前に躍り出た紫月が、それを紅い光の刃で断ち斬る!

「準さん! 大丈夫ですか!」

 燈が駆け寄る。救援としてメイガスと玉堂姉弟も駆け付けた。

「ありがとう、燈ちゃん……危うく皆の後を追う処だったぜ……」

「もう、冗談でもやめてください……」

 取り敢えず一安心、と思いたい処であったが。

「―――おいオい……俺達の間ニさぁ……他ノ奴呼ぶトかさァ……ちョっと無いんじゃねエの……? しかモ女ばっかリとかよぉ……」

 処々聞き取りにくい声で、東馬の様な"何か"は怨めしげに言う。

「貴様は何だ、化物」

 紅い光剣の切っ先を向け、紫月は問う。

「化物ォ? 俺は俺ダよ……魔法使い、西道東馬サンさ……アー……久々だかラ、血の加減が……難しイんだ……」

 身体から際限無く溢れ続け、うねる血液。血を操る魔法使いであることはこの場に居る誰の目から見ても確かであった。だが、おおよそ魔法を使う人間の様子ではないこと、そして準の聞いた"一度死んでいる"という証言が確かなのであれば―――

「魔法使いってのは人間に対して使う言葉だろ。今のお前はどう見たって、人の形したバグだろうが!」

「まァ俺が人間だロうがバグだろウが……やる事ァ変わんネえさ……ヘヘ」

 東馬の声が徐々に鮮明になる。

「―――ああそうだァ、面白エもん見せてやろうか」

 大概碌なものではない―――そう思った準の予想を、東馬は遥かに越えてきた。

「あん時は今ほどの力は無かっタがな……これが今の俺の力さぁ…!」

 東馬の周囲で、血溜まりから赤黒い人の姿が浮かび上がった。四十人近く居るそれらは、一様に少年少女の姿を取っており―――。

「……ッ…!? ―――あ、ぐ……ッ!!」

 閉じ込めていた記憶が一気に蘇り、過去の惨劇がフラッシュバックする!

「止めろ……やめろやめろやめろォォッ!!」

 ナイフを取り落とし、両手で顔を覆いながら叫ぶ。

「へへハハハハ! 久々の再会ダぜぇ? もう少し喜んだラどうだよ」

「準さん、あれって……?」

 話に付いていけないが、発狂寸前の準を見て尋常でない事だけは燈にも分かっていた。

「"お友達"だよ。なぁ準?」

「ッ………!!」

『アマモリクン……』

『ジュン……』

 掠れ、くぐもった聞き取りにくい声で赤黒い人影が彼の名を呼ぶ。だが其処に嘗ての面影はまるでなく、準以外の面々からしてみればただ姿を模しただけの人形にしか見えなかった。しかしそんな出来の代物でも、準を苦しめるには十分だった。

「―――全く、至極悪趣味な輩だ」

 我慢ならなくなった紫月が、怒りを湛えた声で言い切る。

「紫月……?」

 準は自分より怒っている様にすら見える彼女に驚く。

「準。これは君の仇なのかも知れないが……個人的に私は、奴を斬りたい。君もその身体だ。私…いや、私達に任せてくれないか」

 良いだろう? と云う様に紫月はメイガスの面々を見遣る。

「同感ですわね。わたくしも喜んで殺らせて貰いますわ。ヴィーネ風に言うなら、"胸糞悪い"ですもの」

「ほら見ろ葵に汚え言葉吐かせちまったじゃねえか! こいつ殺さねえと!」

「真面目にやってくださいよヴィーネさん…」

 若干一名緊張感の欠片もない人間がいるが、それすらも準には頼もしく見えた。

「……悪い。任せちまって、いいか」

 嫌な汗を滲ませながら、準は呻く様な声で頼む。

「君がそう言える様になるのを待っていた。…悪いが付き合って貰うぞ、皆!」

 紫月の声に合わせて、それぞれ構える!

「ンだよ……女と女みてえな男だけかよ……邪魔だなあおい」

 テンションの下がった声音で愚痴をこぼす東馬。しかしそれが、紅月の地雷を踏み抜いて行く!

「あっ……」

 声を漏らすヴィーネ。そして。

「―――姉さん」

「フフ、やはりもうちょっと髪を切れという事ではないかな」

 瞬時に静かな怒りを滾らせる紅月に思わず笑う紫月。だが中性的な顔立ちも、艶のある赤髪も彼にとって大切なものであると理解している。

 ―――"彼女"が認めてくれた、この外見を笑うということは。

「たった今、僕にとっても抹殺対象になった。僕はお前を―――"破壊"する!」

 紅月は一対の剣を柄で繋いだ真紅の両剣〈ハイドラ〉を精製して言い放つ!

「ほお…? やってみろよ……精々楽しませてくれよなァ!!」

 無数の血の触手が紅月を目掛け、高速で伸びる! それを視認すると同時に動き出す葵と紫月!

「〈デュアル・スコア〉!」

「スカーレット・フェザー!!」

 葵は両手の指から青い魔力のワイヤーを展開、紫月は腰に装備したユニットから六本の短い棒状ビットを射出! ワイヤーはそれ自体が刃となり、ビットはそれぞれが紅い光の刃を発生させることで血の触手を斬り刻む!

「ほらほらぁ! まだまだあるぜぇ!?」

 血の触手は斬れどもまるで減らず、それどころか徐々に増えている!

「おやおや、お前らだけじゃ厳しそうか?」

 黒塗りの忍刀、〈時雨〉と〈夜桜〉を精製したヴィーネが軽い語調で茶化す。

「見れば分かりますわよね?」

「無駄口叩いてないで手伝ってくれないか」

 自分だけならともかく、後に四人も居るのでは余計に神経を使う。葵と紫月はとてもヴィーネの相手をしていられる状態ではなかった。

「紅月、準備しとけよ。お膳立てはしてやっからよ」

「はい!」

 ヴィーネと紅月は短く会話を済ませると、ヴィーネが葵と紫月の間を抜けて突貫し、紅月がハイドラに魔力を充填し始めた!

 直線のスプリントからアクロバティックに飛び跳ね、ヴィーネは一陣の風となって血の触手を掻い潜り駆ける!


「紅月さん、わたしも……!」

 動きたくて仕方がない燈を、紅月が制す。

「此処は僕達に任せて。姉さんじゃないけどね、僕としてもあいつは消し飛ばしてやらないと気が済まない」

「……初動で分かったよ。俺達出る幕ねえなって」

 準は半分溶けたナイフを見せながら、如何にも様子を見ようといった態度であった。

「っ……」

「君は準さんの傍に居てあげて。心でも身体でも、辛い時には誰かが居てあげるべきだから」

「……分かりました」

 紅月の言葉に大人しく引き下がるが、敵を前にして共に戦えないことが燈としては悔しくて堪らなかった。

「……悪いな、燈ちゃん。また、足引っ張っちまった」

 脂汗を滲ませながら、力なく笑う準。

「いえ…準さんの所為じゃ無いですから」

「ありがとな。……まあ、そう悲観したもんでもないぜ、燈ちゃん。俺達は今、凄く貴重なもんを見せて貰えそうなんだから」

 準としても下手に動けない事が悔しいと思わない訳ではない。しかし、それ以上に準は彼女達の戦いを見たいと思ったのだ。

「……確かに、そうですね」

 師匠達の戦う姿。それを見ることで得られるものが必ずあると踏んだ。

「この際あの野郎がくたばってくれれば何でも良いからな……可能な限り早く消えて欲しいんだわ、俺としては」

「あの……何かこう、執念とか誇りとかそういうのは……」

「死んだと思ってた…思いたかった奴が生きてる時点でこちとらパニックなんだ。んで相手が生理的に嫌な奴で、ナイフの刺さる距離まで近付くのは燈ちゃんだって嫌だろ? ましてあいつの血じゃ何が起こるか分かったもんじゃねえ。大体ナイフもこの様だしな」

「気持ちは分からなくもないですけどね……」

 燈もこれまでの東馬の言動を見て、これが自分に向いていたらと思うと準の気持ちも少しは理解出来ていた。

「でも自分で殺さないと駄目だって、わたしなら思います」

「燈ちゃんは強いな。……まあ確かに、俺の手で殺した方が詩織も、母さんや親父も、少しは浮かばれてくれるかも知れねえな」

 ナイフを握り締め、覚悟を固める。

 正直な処、封じ込めておきたかった過去の後悔と遺恨。いよいよそれらと向き合い、終わらせる時が来たらしい。

「僕の魔法なら一発でコアを剥き出しに出来ます。其処を突いてくれれば大丈夫かと」

 黙って話を聞きながら、充填を八割方終わらせた紅月が提案する。

「ありがとう。……良いとこだけ貰う様でちょっとアレだけどな」

「良いんです。あれが消えてくれるなら何でも良いってのは、僕達も同じですからね」

 そう言って、紅月は煌々と眩しく光るハイドラを構える。

「さあ、終わらせましょう」

「そうだな……!」

 狙うは一瞬。一撃で斬り伏せるべく、準は可能な限りの魔力をたぎらせる!


 前方よりうねりくねった赤い奔流となって襲い掛かる血の触手。ヴィーネはそれを叩き斬り、潜り抜けて東馬の眼前へと迫る!

「女に用は無いんだよなぁ!」

 大振りの逆刃ナイフを振り上げるが、遅い!

「ウィンディ・スラッシュ!!」

 一瞬の内に風が通り抜け、東馬の腕が宙を舞う!

「手前―――」

「もう一丁ォ!!」

 東馬が言葉を発する前に両手を断ち斬る!

「やっちまえ紅月!!」

 そしてヴィーネは叫ぶと共に射線を開ける!

「はいッ!」

 紅月はハイドラを中間で捻り、長弓形態に変えて光の弦を引く!

「レッド・バニッシュ!!」

 射る動作と共に、巨大な赤い光線が迸る! それは名の表す通り、跡形も無く消滅させんとする一撃!

 高速で迫る死の赤い壁に、手足の再構成が間に合わない東馬は為す術無く叫ぶ!

「う……うおおおおお―――っ!!!」

 ―――直撃と共に、残っていた胴体諸共声も掻き消された。後にはただ、禍々しく光を放つ紫色の結晶―――バグのコアだけが残った。

「さあ準、早いとこやっちまいな。ほっといたらまた再生しちまうからよ」

 ヴィーネに促され、準は進む。

「これで―――終わりだッ!!」

 銀色に輝く風を纏った一振りが、コアを叩き割る―――!


 寸前、準の動きが止まる。


「こいつ……ッ!?」

 先程ヴィーネが切り落とした左手が準の手首を掴み、右手が胸元を掴んでいた!

 そしてそれらは小刻みに震え、膨張を始める!

「くそッ、取れねえ……!!」

 限界まで膨張した東馬の両手は遂に爆発し、紅い飛沫を撒き散らした!

「ぐぁぁぁぁ―――ッ!!」

 全身を襲う焼ける様な痛み。そして何かが流れ込んで来る気持ち悪い感覚。立っている事すらままならなくなり、その場に倒れ伏す。

「準さんッ!!」

「いかん、待―――」

 燈は考えるより先に走っていた。止めようとした紫月の手が虚しく空を掴む。

(この状況でそれは―――!)

『へへ……分かり易くて助かるぜ、おチビちゃんよ』

 東馬の声が響き、四方八方の地面から血の触手が生え燈を飲み込もうと襲い掛かる!

「……邪魔なんですよお!」

 燈はおおよそ十五歳女子のそれではない、獣の眼つきで睨む。―――燈を中心に地面が凍結し、血の触手を全て凍り付かせる!

『おいおい……このチビの何処にこんな―――!』

 予想外の反撃に東馬も驚いていた。

「消えてください、ゴミ屑」

 ぐっ、と右手を握り締める。凍った血の触手が軒並み粉砕され、一切合切が魔力の光の粒子となって消える。

「準さあん…さっきはああ言っちゃいましたけどお、取っておく余裕は無さそうですねえ」

「燈、ちゃん……」

 準は朦朧とする意識の中で、彼女を視界に入れるのが精一杯だった。

「……大丈夫です、準さん。貴方は、休んでいてください」

(―――いやいやいややっべえぞぉこれは……まとめて喰ってやる予定が見事に狂っちまったぜ……?)

 コアの状態で焦る東馬。最早使える血は何処にも無い。

「…貴方に近付くと何されるか分かりませんからねえ……こうやって、眠らせてあげましょう!」

 両手を広げ、東馬のコアの周囲に多数の氷塊を生じさせる。

「アイシクル・コフィン!!」

 ―――胸の前でぱん、と手を合わせたのが合図となり、全ての氷塊がコア目掛けて集中する! それらは一つの大きな氷塊を形成し、急速にコアの活動を停止へと向かわせる!

『……へへ』

「…今更命乞いの心算ですかあ?」

『いやぁ? 別に殺してもいいけどよぉ、俺が死んだら準のとぉーっても知りたいであろう情報が道連れになっちまうなぁと思い出してよぉ、へへへ』

「……」

「耳を、貸すな…!」

「ええ、最初からその心算です」

『本当に良いのかぁ?


 ―――詩織ちゃんの"その後"、知りたくねえのかぁ?』


「ッ…!?」

 痛みを一瞬忘れる程の衝撃に目を見開く。

「詩織、って……準さんの」

『あぁー……段々頭回んなくなって来ちまったなぁ…。まぁ、今更どうでもいい情報だよなぁ? 今のお前には代わりが居るもんな!』

 燈は手を緩めず、順調に東馬の凍結が進む。

(詩織……? まさか、詩織が生きて……いやこいつのことだ…どんな事になってるか……さっぱり分からねえ)

 なるべく理性を保とうとはしているが、最早思考など纏まらない。

(―――準さん、迷ってるんだろうな……。)

 準の為に手心を加えてやろうかとも考えたが、燈にとっても気に入らない言葉を使ってしまった東馬に対して掛ける情けは微塵も無かった。

(……今更あんなこと言われても気にならないと思ってましたけど……ああ。やっぱり力、抜けないですね)

 内より沸々と沸き立つ衝動に身を任せ、両手を強く握り合わせる。

「ごめん、なさい…準さん……こいつは―――殺します!!」

(やべえやべえやべえおい助けろよ神様! 見てんだろォ!? まだまだ喰い足りねぇんだよ俺はァ!!)


 彼の命乞いが神に届いたか―――光の雨が準と燈の元へ降り注いだ!


 燈は直感的に凍結を中止、全ての魔力を防御に回して自分と準を守る氷の防壁を形成する。

「くう……っ!!」

「殺されちゃ困るんだよねえ……彼にはまだまだ働いて貰わないといけないんだ」

 司祭めいた格好の男―――ネビュリスが準の前にふわりと降り立ち、コアを回収する。

 光の雨が止むと同時に防壁も消滅。二人は土煙の向こうにネビュリスの姿だけを捉えた。

「貴方は…何なんですか」

 収まらない衝動に声を震わせながらも、本能で彼我の力量差を感じ取る燈。

「私かい? 私は―――」

「フェザー!」

 ネビュリスが名乗る前に紫月がビットを飛ばし、葵も続いてワイヤーを放ち拘束しようとする―――が、金色の結界によって弾かれてしまう!

「…無粋な連中だよ、全く。生憎君達とやり合う気は無いよ。私が其処の彼を殺してしまったら、東馬の手綱がいよいよ握れなくなってしまうからね」

「成程、貴様があの怪物を蘇らせたと云う訳か」

 碌でもないことをしてくれた。吐き捨てる様に紫月は言う。

「そういうことになるね。まあ、君達のお陰でまた修復し直しな訳だけどね」

「つまりは貴様を消せばもう奴の顔を見なくて済むという事だな」

 紫月の手に握られたグリップから紅い光の刃が迸る。

「最近の人間は血気盛んで困るよ。別に殺してあげても良いけど、其処の彼は放っておいて良いのかな? 放っておけば彼も東馬と同じ道を辿る事になると思うな」

 やれやれと肩を竦め、ネビュリスは準を指差す。見れば、東馬の血を受けた箇所から赤黒い靄が生じていた。

「俺は……いい、から……そいつを……」

「……くッ」

「じゃあ、精々足掻いておいてね。絶望を味わった"魂"の方が価値がある」

 そう言ってネビュリスは消えていった。

 後に残された魔法使い達は、やり場のない感情を処理するよりも先に準の介抱へと当たった。

「……準さん……」


(……いい加減、真面目に向き合わねえといけねえか)

 準は消え行く意識の中、半ば諦める様にそう感じていた。


 ――――


 ―――べったりと、赤い、部屋。

 呼吸こそまともに出来ているが、心拍は早まり身体に上手く力が入らない。

 此処が何だったのか、その辺に転がっているのは何だったものなのか。何故そうなっているのか―――脳が処理を拒んでいる。

 歪んでいるが、あれは多分机だ。あの辺はあいつの席だった気がする。土曜には家で遊ぶ約束をしてる。

 千切れているが、あれは確か鞄だ。あのストラップ。ああそうだ、先週の分、今日は俺が廊下掃除だったな。

 沈みかけているが、あれは恐らくノートだ。あの辺だから…ああ。あの子の絵、好きなんだよな。

 ―――あ。あの、髪飾り。忘れる訳無いじゃないか。駄目だろ、そんなとこに落としてちゃ。届けてやらないと。今頃また無い無いって騒いで

「おいおいどうしたんだよ準、ふらふらじゃねえか。ええ?」

 教卓から、居ない筈の奴の声。……お前は、最初に死んだ筈だ。

「推理ものでよくあるだろ? 最初に死んどけば容疑者からは外れるってな。ま、結局全員喰っちまったから関係無いけどな!」

 喰った? お前が?

「そうさ。お陰でほら、こォんなに力が!」

 部屋を……教室を浸していた赤が奴の処へ全て集まる。床には何も残らなかった。皆の思い出を、綺麗さっぱり飲み込んで行った。

「なぁ準。此処まですりゃあ、お前を喰えるかな?」

 何、言って。

「俺はよ、お前を永遠にしたいのさ。お前が眩しかった。お前が羨ましかった。だから俺の憧れを、希望を―――永遠に俺の中に留めたいんだよ!」

 訳、分からねえ。なあ。皆は何処だよ。此処はこんな空っぽじゃなかっただろ。なあ。なあ!

「ちょっとやりすぎちまったかなぁ……壊れかけちゃってんじゃん……可哀想になぁ……でも安心してくれ準……皆も一緒だからな。ずーっと一緒に生きるんだぜ、準!!」

「――――ふざけんなッ!!」

 錯乱していた頭が、"こいつを殺す"ただ一点に集中する。

 身体さえ動かしてくれれば、あとは何でもいい! 理屈も御託も要らねえ。此処でこいつを殺さなきゃ、もっと殺されちまうんだ!!

「絶対……許さねえ……!!」

 全身が熱くなる様な感覚と、巻き起こる風。何かよく知らないが、こうなった時は必ず勝つ時だ!

「ウウオオォォォォォ――――!!!」

 叫び、無心で殴り掛かる。こっちに向かってくる血の塊を殴り付けると、液状であるにも拘らず穴が開く。

「そうだ……それでこそ俺の準だぁ!!」

「東馬ァァァ――――ッ!!!」

 風を一身に受けて、一発で消し飛ばしてやろうと全力を込める!


 ―――瞬間、奴が笑ったような気がした。


 拳が当たった直後、奴の身体が血となって弾けた。

『危ねえ危ねえ……本当に死ぬとこだった……。まだ調子に乗るには早かったみたいだぜ……なので! 手っ取り早くレベルアップしてやろうと思いまぁす! ―――お前の大事なものを、根こそぎ喰ってなぁ!』

 大量の血が、よく知る方角に流れていった。―――やめろ。そっちは。

「詩織……ッ!!」


 ――――


 負傷した準の看病をしている内に、日はすっかり沈み切っていた。

 広範囲に残った赤黒い火傷めいた傷に心を痛めながらも、燈は懸命に当たる。

(……どうしてわたしは、この人が傷付くのを防げないんだろう)

 思えばいつもそうだ。傷付くのは燈ではなく準。それも、大体が彼女を庇って負う傷だ。例え燈に関係が無くとも、彼女の目の前で傷付く姿を何度も晒してきた。その連続を止められない事が、燈は悔しかった。

(準さんが弱いから? ……違う。準さんは強い人だ。助けたいのに助けになれない、わたし自身の弱さだ)

『―――本気で、そう思ってるんですかあ?』

 背筋にぞわりと悪寒が走る。

『戦ってる最中に他人を庇うなんて馬鹿のすることじゃないですかあ。ましてこんな死に損ないで戦いしか取り柄のないただの獣を! 庇うなんて! 愚かだと思いませんかあ!?』

 騒ぐ内なる声に、耳を塞いでうずくまる燈。

(違う! 違う違う違う! どうしてそんな風にしか思えないの!? 準さんはわたしの為に何度も傷付いてまで戦ってくれた! なのに!)

『それが愚かなんですよお! 戦いなんて自分が死ぬか生きるか! それだけなんですよお! そうやって余計な他人の事まで考える人から死んでいく! 違いますかあ!?』

(……そうかもしれない。けれど、それでも尚他人を守ろうとするのが準さんの―――!)

「おーい燈ー。紫月が呼んで……」

 急に部屋の扉が開き、ヴィーネが呼びに来たのだが。

「……おいおい、お前がそんな大汗かいてたらどっちが病人か分かんねえぞ?」

 燈は自分でも気付かない内に嫌な汗を滲ませながら、とても仲間に向けるものでは無い目でヴィーネの首元に〈シルバーウルフ〉を突き付けていた。

「……あ……す、すみません! わたし……!」

 即座にナイフを魔力に還すと、慌てて謝った。

「流石にヒヤッとしたがな……ってか、誰と喋ってたんだ? 何かすげえ剣幕だったぞ…?」

「えっ…あれ、えーっ…と……」

「…まぁ、あんまり抱え込み過ぎんなよ。折角紫月が治す糸口を掴んだみたいなんだ、お前が折れちまっちゃあ堪ったもんじゃねえ」

「治るん……ですか?」

「おうとも。詳しくは本人から聞きな」

「はい!」

 駆けて行く燈を見て、ヴィーネは少し微笑ましく思った。

「あんな"目"を持っちゃ居るが、やっぱまだちびっ子なんだな…」

 ただ、あの年頃は不安定なんだよな―――ヴィーネは嘗て戦友の妹と相対した時のことを思い浮かべていた。


 ―――


「―――"魔障"……ですか」

 燈は紫月から語られた聞きなれない言葉を反芻する。

 メイガスの面々と燈は、準の状態について話し合っていた。

「ああ。左腕と胸に、謂わば呪いの様なものが掛けられている…それも相当根強いものだ。それほどまでに、あの男の準に対する執着が強いという事だろう」

「何かパッと解呪出来る手はねえもんかな」

 傷物にして返す訳にはいかねえ、とヴィーネは考える。

「あればやっていますわ。そうでしょう、紫月?」

「そうだな…。一応二回だけ私の紅の魔力で干渉してみたが、まるで効果が無かった」

「…あの、いっその事切除して再生というのは…痛っ」

 紅月の無神経な提案に紫月が手刀を入れる。

「そもそも患部を切ればいいという物でもないんだ、あれは。準自身の魔力に直接寄生されている状態だからな」

「そんな……それならどうしたら…」

 年相応の不安げな顔を浮かべる燈に、紫月は続ける。

「……大丈夫、など言った処で無責任な言葉になってしまうかもしれない。だが、君が居ることで治る見込みが出てきたんだ。私としても瞬の仲間を、そして新たな同胞の可能性を失いたくはないからな」

(同胞…? 何の話でしょう……)

 紫月の冷静そうに見えて熱の入った語り口に、燈は少しの疑問を持つが。

「勿論わたしも頑張ります。だから……準さんを助ける方法、教えてください…!」

「分かった。―――リスクは伴うが、それでも……いや、愚問だろうな」

 紫月は燈の目に覚悟を感じると、少し間を置いて語り始めた―――。


 ―――


 全身が熱く、意識も覚束無い。

 ただ、何処からか、何者かが叫ぶ。"殺せ"と。"壊せ"と。

 最初に浮かんだのは、結われた綺麗な金色の長髪。

 ―――これを、壊せば、いいのか……?

 次第に他の部位も思い出して行く。

 空の様に蒼く澄んだ目。

 雪の様に白い肌。

 小鳥の歌う様な声で、仔犬の様に名前を呼ぶ―――。

「駄目……だろ……ッ!!」

 声を絞り出し、理性を繋ぎ止める。

 意識して視覚を保つが、どうも世界が紅く見える。

 両手の指が、何だか重い。左腕は特に重く、まるで別物になってしまったかの様だ。

 ふと首を動かすと、窓に人の形をした化物が見えた。

「バグ―――……?」

 窓に映る"それ"は、自分が思う動きと鏡写しの動きをしていた。

 つまり、其処にあるのは窓だけで、敵など何処にもおらず、自分が見ていたのは―――?


「お、れ………?」


 ブレードの生えた腕と肩。鋼の光沢を持ち、恐竜めいて鋭く尖った爪。身体中に回路めいて走る赤い光のライン。

「そんナ……おレ、は……!」

 自分の声の筈なのに、所々ノイズが走った様に聞き取りにくい。

(―――ああ成程。はは、俺はバグになって……何でか分からんが燈を殺そうと……)

 相変わらず危険な時ほど思考が冴え渡る。まだ理性のある今、彼女の為に取れる手段は。

(なるべく遠く……此処から離れないと……!)

 窓を割り、準は何処へともなく走り去る。

 恐らくバグの本能としては、次に燈が看病に来た処で仕留める魂胆だったのだろう。

 動き出してしまえば、自分の意思で身体を止めることは出来そうにない。ならば、可能な限り自分の身体を彼女から遠ざけておこう。こんな出方をすれば、きっとヴィーネ達も異常だとすぐに気付く。後は彼女達が何とかしてくれる―――

 まとまらない頭でそれ以上考えることはせず、遥かに速くなった脚で力の限り夜の森を走り抜けていった。


 ――――


 準に掛かった呪いを解く。

 紫月から語られた内容と、自分の頭で思い付いた手段とを組み合わせると、不思議とその言い回しがマッチしていた。そんなロマンチックな考えに浮かれ掛けながらも気を引き締めて、燈は彼の下へと向かう。

 そんな中―――ガラスが派手に割れる音を聞いた。

「準さんっ!!」

 駆け付け、ドアを開けると部屋は既にもぬけの殻となっていた。ささやかな夜風を受けてカーテンが寂しく揺らめく。こんな光景、あくまでフィクションの中だけだと思っていた。

「……えっ…? 何やってるんですか…準さん……?」

 連れて行かれた? 東馬がすぐに復活していたならそれも頷ける。だがあの状態からその日の内に復活されては堪ったものではない。

 もう、直ぐ、救えると思ったのに。

 燈は、その場に力なくへたり込んでいた。

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