#2.5 インコンペテント・ウルブズ Act.2

 先の傷も癒えきらないまま、準と燈はヴィーネと相対していた。

「まあそれくらいの方が良いんだよ、死に物狂いの本気を見るにはな。半殺しにする手間が省けるってもんだぜ」

 大変な処に来てしまった、と二人の直感が叫ぶ。

 だが、それでもやらなければいけない。そう思うだけの理由が二人にはあるのだ。

「燈ちゃん」

「……やりましょう、準さん」

 二人の目に、迷いはない。


 △△△


 ヴィーネに連れられてやってきたのは、星海町の商店街から離れた森にあるフラットな建物だった。此処は彼女曰く"元"研究所で、"博士"と呼ばれる人物がバグに関連する研究を行っていたらしいが、今では彼女達のチーム"メイガス"の拠点となっている。

 研究所前は広くスペースが取られていて、此処でヴィーネは仲間とよく模擬戦をしているとのこと。だが今はいつもの仲間ではなく、ストレイキャッツからやってきた二人が立っていた。


「飛空殺!」

「アイシクル・シュート!」

 散開しながら同時に投刃と氷弾の中距離魔法を発動。互いを互いの射線上に入れない様に動きながら、距離を詰めていく。

「ヘッ、セオリー通りだな」

 ヴィーネは鼻で笑うと、自分を狙って真っ直ぐに飛んでくるそれぞれを両手の忍刀で次々叩き落とす。

「だけどな―――ガキの遊びに付き合う気はねえぞ」

 彼女が一瞬風を纏ったかと思えば、右の刀の一振りで飛び道具を一掃したうえに準と燈の動きを止める!

「オラァッ!!」

 準を狙ってヴィーネが急加速! 左の刀が襲い掛かる!

「くッ!!」

 何とか風圧を耐え凌ぎ、両手のナイフでこれを防ぐ。しかし防御に両手を割く準に対し、ヴィーネにはまだもう一本刀がある!

「アイシクル・バレット!」

 燈は避けられても準に当たらない様、ヴィーネの真横から高速の氷弾を右手目掛けて発射!

「おっと!」

 ヴィーネは準への攻撃を切り上げ、早々に回避する。

「へえ……思ったより早かったなァ」にやりと口元を歪める。

「大丈夫ですか、準さん」

「ああ、助かったよ」

「相手が人なら……わたしが動きを止められれば、準さんは決められますか」

 問う様な言葉だが、内に宿した思いは確認のそれだ。あんな負け方をした自分を、この子は尚も信頼の目で見ているのだ。

(人相手だってこっ酷く負けたのにな)

 燈と出会った一件での戦いが脳裏をよぎる。桔梗はともかく、牡丹への敗北は今でも思い出したくない。―――それでも。

「……ああ。やってやる」

(―――そうだ。俺は無力さを知る為に戦ってんじゃねえ。"そうならない"為に戦ってんだ!)

「おう考えろ考えろ! そんじょそこらの策じゃオレは止まんないぜ!?」

 殺す為でなく鍛える為に戦っているヴィーネもまた彼等を焚き付ける。

 目の前の敵は余りに暴力的な力を有しており、機動力まで持っている分それこそ"鉄喰い"よりも質が悪い。

 だが耐久面に関しては恐らく人間の範疇を越えない筈。その点では準にも勝ち目はある。問題はどの様にして一撃を当てるかだ。

(ああは言ったけど……わたしが上手くやれないと、準さんに繋げない……!)

 同種の魔法を連発する場合であれば、魔力の充填時間などを除けばほぼタイムラグ無しで繰り出す事が出来る。しかし異なる魔法を連続して発動する場合、魔力を上手くコントロール出来ないと直前の魔法と混ざってしまい機能しなくなるか、逆に暴発してしまうなど不具合が生じる事になる。

(―――仮に暴発して、準さんに何かあったら……)

 独りで戦っていた頃には感じ得なかった不安に、思考が止まる。

「……大丈夫だよ、燈ちゃん」

 隣で聞こえた声に、燈ははっとする。

「燈ちゃんがどんな心配してるか、まあ正直分かってないんだけど……でも、燈ちゃんの事は俺なんかよりずっと信頼出来る魔法使いだと思ってる。別に俺、燈ちゃんが多少失敗しても気にしないからさ。だから……燈ちゃんの作戦、教えてくれよ」

「準、さん……」

(わたしはきっと。こんなひとだから、準さんの為に戦いたいと思ったんだろう)

「……分かりました。では―――」

 眼を閉じ、『音響脳波ノイジー・ウェーブ』で思念通話の回線を開く。これにより思考の速度で作戦内容を受け取った準は小さく頷く。

「では、始めましょう―――アイシクル・ビット!」

 駆け出す準の周囲に六個の氷塊が浮かび上がる。

「考えた末に一直線とは……自棄にでもなったか―――!?」

 迎撃しようとしたヴィーネだったが、準の背後から白く煌めくもやの塊が四つほど飛び出すのを見て一旦様子を窺う。

(―――ありゃあ冷気か……?)

 もやの塊はよく見ると氷の粒を含んでおり、どうやらそれがきらきらと光っているらしい。それら四つがヴィーネの一メートルほど上の四方に位置取り、氷の礫を連射する!

「成程、そう来たか!」

 ステップめいた足取りで回避していくヴィーネ。しかし砲台と化したもやもまた彼女の動きに連動して移動する!

「うっわうぜえなこいつら!」

『アイシクル・ウィスプ』―――それがこの魔法の名である。実体を持たない冷気の塊が相手に取り付き、氷の礫を撃ち込んでいく。

 威力的にはこれも牽制に過ぎないが、近付ければ高火力を誇る準が無事に接近している。この状況を作るのがまず一つ。

「ちッ……ウィンディ―――バーストッ!!」

 自分を中心として周囲三六〇度に爆風を巻き起こす!

「此処だな!」

 準は『ビット』の氷塊を踏み、風を受けてヴィーネの上空まで翔び上がる!

「アイシクル・ロック!」

 爆風が起こる瞬間、大地に手をつき燈も魔法を発動する。―――術者を除く、"地表に立っている全員の足を凍結させる"魔法を!

 今、地に足が着いているのはヴィーネだけ。上手く準を避けて、彼女だけを拘束することに成功する!

「こいつ……ッ!?」

「そういう魔法、使うと思ってましたから!」

 油断した、と焦りを見せるヴィーネに対し、燈は不敵に微笑む。

「これで決まりだ……!」

 空中でナイフと身体の両方を強化する準!

「斬空―――飛燕殺!!」

 両足で氷塊を蹴り、ヴィーネ目掛けて急降下! 真空の刃を纏ったナイフで、獲物を狩る燕の如く襲い掛かる!

「足が動かねえ程度でッ!!」

 ヴィーネも黙ってやられはしない! 荒れ狂う風の魔力を刀に纏わせ、迎撃する!

「こン……のォッ!!」

 二人の刃がぶつかり合った瞬間、途徹もない爆風が起こり―――


 内側からざわつく様な感覚と共に、準の視界が揺らいだ。


(―――何……!?)

「オラァッ!!」

 準の見せた一瞬の隙を逃さず、気合と根性の一撃が準を殴り飛ばす!

「うおっ!!」

 辛うじて衝撃を殺す程度の受け身を取るものの、背中から落ちる準。

「準さん!?」

「俺は良い! 行け!!」

 戸惑いながらも準は吼える。折角の機会を逃す訳には行かないのだ。

「っ……アイシクル―――」

「ウィンディ・スラッシュ!!」

 忍刀の一振りに乗せて、風の刃が燈を襲う!

「きゃあっ!」

 燈が弾き飛ばされた事で氷の拘束が解け、自由になると同時にヴィーネは駆ける!

「準さん……っ!」

 視界が急に陰り、首筋にひやりとした感覚が走る。気付けば、準の首すれすれの処に彼女の忍刀が刺さっていた。

「……お手上げ、っすかね」

 冷や汗を垂らしながら、準は恐る恐る言った。

「まあ、オレも最後のはちょっと大人げなかったと思ったよ」

 両手の忍刀が緑色の魔力光と共に消え、併せて模擬戦用の結界も消滅する。準の手を引いて起き上がらせると、二人で燈の方へ向かう。

「うう……」

 至極残念そうに呻き、燈も起き上がる。

「おう雪道の嬢ちゃん。お前の魔法、中々だったぜ。何てったってオレをキレさせた上に足止めまでやってのけたんだ。テクいコンボと良い読みだったな」

「あ、ありがとうございます……」

 出来れば二人で彼女に勝ち、準が無力でないことを証明したかったが、残念ながらそうは行かなかった。

「すみません、準さん……勝ちに持っていけませんでした」

「燈ちゃんの所為じゃないさ。俺としては、二人でちゃんと連携出来て良かったと思うよ。……最後だけミスっちまったけどさ」

 燈のぽんと頭を撫で、励ます準。

「それに関しちゃオレも同感だな。雨森が身体強化しか出来ないとは言え、それならそれでちゃんとこいつを活かせる魔法を的確に使って行ってたからな。まー結果としちゃオレが勝っちまったが、二人で戦うって点ではよく意識出来てたんじゃねえかな」

 "鉄喰い"戦での敗北から一晩置いただけでこの連携という事にヴィーネは内心驚いていた。しかしただ驚くだけでなく、対バグと対人の両面を見たことで二人の欠けている点を見出だしていた。

「色々反省点はあるだろうが……流石に草臥れただろうし、お茶の後にしようか」

 ヴィーネに促され研究所に目を移すと、玄関先でパーマの効いた赤紫髪の、眼鏡を掛けた女性が待っていた。

「葵がお待ちかねだ」

 彼女は霧嶋キリシマアオイ。ヴィーネの"相棒"だ。


 ――――


 研究所内の一室、明らかに"研究所"などという呼称からは程遠く改装されたお洒落な部屋で、準達はお茶を振る舞われていた。

「なんだお前ら、こういう部屋は落ち着かねえか?」

 内装や家具を見渡す準と燈を見て、ヴィーネはけらけらと笑う。

「お前らも良いとこの生まれだってんなら、こういうのも見慣れてるモンだと思ってたけどな」

 粗雑な口調とは裏腹に、上品に紅茶を啜る。

「別にうちは普通の家だったからなあ……。親父があくまで普通の一軒家に拘ったもんだから」

 準は嘗て住んでいた家を思い浮かべながら語る。

「わたしも、こういう部屋は初めて見ます」

 燈とて元が純和風の屋敷だった為に、新鮮な感覚を覚えていた。

「ヴィーネはこんなでも一応名家の生まれですからね、こんなでも」

 そう言って葵は準と燈にお茶請けとして箱入りのケーキやクッキーを勧める。

「こんなでもは傷付いちゃうぜ、事実だけどよ。ハハッ」

 でしょう、と葵も笑う。準も燈も、二人の仲には深く、確かなものを感じた。

「あの、お二人はいつからチームを組んでるんですか?」

「んーと……いつからだっけ? 五、六年くらい?」

「八年ですわ。わたくしとヴィーネだけで言えば、ですけれど」

 適当なヴィーネに葵が正確な答えを返す。

「おー、そんなに経ってたか。いやあこんなのとよくそんなに付き合ってくれたなぁ」

「別れるタイミングを逃し続けているだけですわ」

「はは、じゃあそのまま地獄まで相乗りして貰うかな」

「貴女と出会ってしまったのが本当に運の尽きでしたわね」

 軽口を叩き合う二人を見て、燈は自然と微笑んでいた。

(これだけ信頼し合える相手って、いいなあ)

 ふと見れば、準も同じ様にくすりと笑って彼女達を見ていた。

 "同じタイミングで笑えるって大事よ"―――以前、フランシスからそう聞いたことがあった。

(大体の人が笑う処なんでしょうけど、それでも)

 少しずつ、この先が楽しみになる燈であった。


 ――――


 ひとしきり休憩し終えると、今度は無機質な研究室へと場所を移した。

「ああ、お前ら此処に居たのか」

 "先客"に声を掛けるヴィーネ。見ると、其処には鮮やかな赤髪の男女が。

「済まない、武器の調整に少し部屋を借りていた」

 長身の、赤髪をおさげにした女性が凛とした声で答えた。

「その人達は……ああそうか、言っていた瞬の仲間か!」

 彼女は雰囲気で"何となく"察した。前情報のお陰で、一目で瞬やフランシスと共に戦う人間だと気付く。

「ども、雨森準です」

「雪道燈です」

「私は玉堂ギョクドウ紫月シヅキ。色々あって弟共々メイガスに混ぜて貰っている身だ。宜しく頼む」

 気さくな様子で準達と握手を済ませると、調整に没頭している弟に声を掛ける。

「ほら、お前も挨拶ぐらいしないか!」

「……ん、ごめん。姉さん」

 今になってやっと気付いた様で、駆け足で此方に来た。並ぶと紫月よりもやや背が低く、彼女からおさげを取った様な髪型の為一見すると妹ではないかとすら思える風貌だった。

「弟の紅月クゲツです。あまり話すこと無いかも知れないけど……宜しくお願いします」

 紅月は一礼すると、元の作業スペースまで戻っていった。

「済まんな……紅月は少し人見知りな処があってな」

「まあ悪い奴じゃねーから、暇な時にでも普通に話し掛けてやってくれよ。ああ見えて意外とノリの良い奴だから」

 紅月の簡潔な対応に額を押さえる紫月の傍で、ヴィーネがフォローに入る。

「さて、と……そんじゃ反省会をしようと思うが、どっからしようかね?」

「あの……じゃあ俺から良いかな」

 恐る恐る、準が小さく手を上げる。

「最後のぶつかり合いの瞬間、何か妙な感覚がした……気がするんだけど、原因分かったりしない?」

「あ? あぁ、それで途中力緩んでたのか。妙な感覚、ねぇ……もうちょっと具体的に言えねえか?」

「何つーか……ざわつくって言うか、血が沸くような、何かそんな感じ?」

 曖昧な表現ではあったが、ヴィーネは思い当たるものがある様だった。

「……ふむ。どうやら、お前を風使いとして目覚めさせてやれそうだな」

「本当か!?」

「おうよ。お前のそのざわつきは恐らく、オレの風の魔法にお前の魔力が反応してるんだ。だから、オレ達で魔力を共振させてお前の魔力を解放してやるんだ」

「……詳しいことはよく分かんねえけど、強くなれるなら!」

 ぐっ、と準は拳を強く握り締める。

「別に難しいこたぁねえよ。ただ時間掛かるかも知れねえから、そうだな……葵、お前は燈と遊んでやっててくれ」

「承りましたわ。わたくしも少し気になっていましたし」

 未知の魔法使いとの連戦を前に緊張する燈を、葵が彼女なりにほぐす。

「強張る必要はありませんわ。どうせ死ぬこともありませんし、勝ち負けに拘る必要もありません」

「……はい!」

 二人が部屋を出るのを見届け、ヴィーネと準は本題に入る。

「で、共振ってどうやるんだ……?」

「……まあ、普通はそんなんやらないしな。知らねえのも無理はねえか。やるこたぁ簡単だよ。同時に魔力を放つ。それだけだ」

「その"それだけ"が分かんないんだわ……」

「あァ!? 手前よくそんなんで生きて来れたな! ……つってもナイフと強化だけだったんだもんな……うーん」

 ただでさえ気の長い方ではないヴィーネ。予想以上の困難さに唸る。

「よし。じゃあまずお前、ナイフ出してみろ」

「ん? ……これか?」

 光と共に、一瞬の内に精製される普段のナイフ。

「……なあ、それ本当にオープンソースのナイフで良いんだよな?」

 オープンソースの魔法とは、無料で誰でも自由に使う事が出来るものを指している。

「そうだけど、何で?」

「いや……」

 試しにとヴィーネも精製する―――が。

「お前……ナイフの精製時間に関してはオレより上なのな……」

 一秒以内の差ではあったが、見て分かる程度にはヴィーネの方が若干遅かった。

「まあいい。じゃあ次、ナイフを精製し切る寸前で維持しろ」

「そんなこと出来るのか?」

「不可能なら言わねえよ。ほら早く」

「む……」

 一瞬で完了してしまうナイフの精製を途中で止めると言うのは、さながらストップウォッチでわざとコンマ以下の数字を狙う様なもどかしい動作であった。

「…………んあーッ出来ねえ!!」

 何度やってもナイフが出来上がってしまう。精製しては魔力に戻しの繰り返しに段々準も苛立ってくる。

「だったらイメージを変えるか。滅茶苦茶すげえナイフを作る心算で、精製に時間を掛け続けろ」

「お、おう……? やってみる」

 目を閉じて深呼吸し、気合を入れて右手に力を込める。イメージするのは、自分の思う最強のナイフ。それ一本で最期まで戦い抜ける、全てを殺す一振り!

 突如、準の周囲に銀色の風が巻き起こる! そしてその手には、誰も見たことの無い、準自身すら知らない深紅の一振りが―――!

「―――ハァッ!?」

 無意識の内にずっと息を止めていたらしく、いよいよ酸欠になりかけた処で大きく息を吸ってしまい銀色の風も深紅の一振りも霧散してしまう。

「ハァ……ハァ……死ぬかと思った……」

「いやはやすげえよお前……やりゃあ出来んじゃねえか!」

「え……マジ? 出来てた……?」

 息も絶え絶えに確認する。

「出来てた出来てた。今のが魔力を集中させる感覚だ、覚えとけよ」

「毎回酸欠になんのも勘弁だわ……しかもすげえ疲れるぞこれ……!?」

「そりゃお前の効率が悪いからだよ。安心しな、その辺も改善して帰してやっからよ。まあ取り敢えず息整えな。続きはその後だ」

「おう……そうする……」


 ――――


 研究所前の広場では再び模擬戦用の結界が張られ、葵と燈が熾烈な戦いを繰り広げていた。

「よく今のを避けられましたわね!」

「わたし、身軽さが売りなので!」

 投刃と氷の魔法を主体とする燈は、基本的に近距離でないと有効打を与えることが出来ない。それに対して、葵は両手の指から青い魔力のワイヤーを伸ばして拘束や切断を狙う中距離のスタイルだ。

 今、このフィールド内では十本のワイヤーが縦横無尽に入り交じり、燈の動きを大きく制限していた。

(―――何箇所か穴はあるけれど……其処を突いてもすぐに防がれる……! やるなら同時に攻めるしか……!)

 葵はスタート位置からほぼ動いていない。ナイフか氷という何らかの物質である攻撃しか放って来ない燈に対しては全てワイヤーで対処出来る為動く必要が無いのである。

 そして燈が思考する間にもワイヤーは空中の一点で屈折して彼女を狙う!

(この"点"で折れ曲がって来るのずるい……!)

 この挙動により、ワイヤーでありレーザーでもある兵器と化しているのだ。

「さあ、時間が経てば経つほど不利になって行きますわ! どうなさるお心算かしら?」

「くっ……!」

 一分前とは比較にならない"網"の密度。確かに彼女の言う通り、時間を掛けてはいけなかったらしい。

(手も足も出ないまま終わるのは御免です……! せめて一矢報いておかないと気が済まない!)

 燈は浮かんだアイデアの力業ぶりに、にやりと笑う。

「―――アイシクル・ビット!」

 自分に追従する六つの氷塊。その内の一つを蹴り、跳び上がる!

「成程、ヴィーネの時と同じ手で来ましたわね」

 ヴィーネ戦で使った戦法ではあったが、一直線に急降下するだけであった前回とは違い、今度は燈が不規則且つ三次元的に、"網"の穴を縫う様に飛んでいる!

 迫り来るワイヤーを回避し、振り切り、葵まで三メートル程度の位置に着地すると同時に勢いを殺さないまま駆け出し!

「アイシクル―――」

 小振りの両刃ナイフ〈シルバーウルフ〉を両手に三本ずつ握り込み、氷の刃を纏わせ左右同時に大きく振りかぶる!

「―――ファング!!」

 喰らい付く獣の如く、挟み斬りを繰り出す!

「ふふっ」

 葵はワイヤーを一旦全て魔力に戻し、再展開!

 燈の攻撃は葵に当たる寸前でワイヤーに阻まれ、怯んだ隙にあえなく吊し上げられてしまう。

「あうー……」

 宙吊りの状態で、無様な声を上げる燈。

「見事でしたけれど、惜しかったですわね」

 葵は気取った様子でくいっと眼鏡を押し上げ、満足げに笑う。

「ところで、貴女の魔法は"氷"ですの? それとも"冷気"?」

「"氷"……の筈です」

 拘束を解除され、降ろして貰いながら答える。

「それは残念でしたわね。微妙な差ではありますけれど、"冷気"であればすぐさまわたくしの手を凍らせる事も出来たでしょうに」

「凍結魔法も無くはないんですけど……」

「足元を凍り付かせる魔法でしょう? わたくしにはあまり効果ありませんわ」

「だから使えなかったんですよね……」

「折角ですし、この機会に少し新しい魔法を開発してみても良いかも知れませんわね。お手伝いしますわ」

「良いんですか?」

「貴女が強くなればわたくしももっと楽しめますからね」

「が、頑張ります……」

 こうして、燈の強化計画も始まりを告げた。


 ――――


 同じ部屋で訓練している男が余りにも繰り返し酸欠で倒れそうになっている為、流石に紅月としても無関心を貫けなくなってきていた。

(どうしてあの人は、あのレベルからああまでして這い上がろうとしているのだろう……)

 それは決して見下す訳ではなく、客観的に力量差を考慮しての純粋な疑問だった。

「どうした紅月。彼が気になるのか?」

 姉の声で我に返る。

「気になるって言うか……何であそこまで頑張るのかな、って。こう言うとあれだけど……諦めた方が明らかに早いレベルなのに」

「ふっ、悠が居たら今頃殴られてるな」

 基本的に表情の薄い紅月が、悠の名を聞いただけで分かりやすく困った顔を見せた。

「いやその……うん、言い方が悪かったよ」

「お前は強い魔法使いしか周りに居なかったからな。お前自身も魔法に関してそう苦労した事もないだろう。だから彼が理解出来ないのも分からんでもない。だが、目的は至って簡単なものさ」

「……?」

「あの燈という娘を守りたい、そして瞬達と並び立てるだけの魔法使いで在りたい。そんな処だ」

「瞬さんやフランさんと並ぶ……か。容易じゃないね」

「それでも現に彼はやろうとしている。それに、可能性はさっきから少しずつ見えているぞ?」


 準が魔力を集中させるのに合わせてヴィーネも風を起こし、共振を図る。

 段々と準も風を起こせる様になってきているが、息を止めてしまう癖は直らないらしい。

「だーかーらー! もっとリラックスで良いんだっつーの!」

「いや……リラックスしたら……力入んねーから……」

「取り敢えず呼吸は止めんなや……もういっそ声出してみるとかどうだ?」

「よし……はぁぁぁぁぁぁ!!!」

 右手の上に僅かではあるがつむじ風が起こった……気がした。

「五月蝿えだけであんまり成果ねえな……。風遣いが酸欠とかギャグにもならねえから何とかしねえとなぁ」


 一見すると漫才とも取れるやり取りを見て、紫月は笑っていた。

「見ているだけで飽きないよ、全く」

「……何だか、ヴィーネさんも楽しそうだね」

「そうだな。手の掛かる弟子ほど可愛いものなのだろう」

「そうなのかも」

「それに紅月。あの準という男……決して見込みが無い訳でもなさそうだ」

 冗談めかして言っていたこれまでから一転して、本気の熱を感じる口振りになった姉に紅月は目をやった。

「どういうこと……?」

「先程準が本気で何かを精製しようとした時、紅い金属が出来掛けていた様に見えた」

「まさか……僕達と同じ」

「まだ可能性の話ではあるがな。だが興味深いだろう? ……もし本当にそうだとしたら、私達も力を貸そうじゃないか

「そうだね。何も知らずに"あれ"を制御するのは恐らく不可能だ」

「ああ」

 同じ力を持つ同志が増えたかもしれない。玉堂姉弟もまた、準に期待を膨らませつつあった。


 ――――


 休憩時間。外の空気を吸おうと外に出た準は、丁度同じ様に休息を取っていた燈と鉢合わせになった。

「あっ、準さん。調子はどうですか?」

「お疲れ、燈ちゃん。俺はまぁ……ぼちぼちって感じかなぁ」

 はは、と苦笑する準。

「魔力集中させる度に毎回酸欠になっちまってさ、ひでえもんだぜ」

「あまり上手く言えないんですけど……でも、準さんならきっと出来る様になる、気がします」

「ああ、頑張るさ。……燈ちゃんの方はどんな感じなんだ?」

「わたしは……そうですね。葵さんと模擬戦して、新しい魔法の開発をしているところです」

 散々吊し上げられた屈辱的な記憶を思い出し、僅かに悔しさが顔に出ていた。

「葵さんの魔法、凄いですよ。もしかしたら準さんの魔法の参考にもなるかも知れません」

「そりゃ気になるな! だったら一層修業しねえとな……!」


 二人が談笑していると、唐突に鳥の群れが悲鳴にも似た声を上げてバサバサと飛び立った。


 無論そういったものに敏感な二人は"普通ではない"事を直感的に察し、構える。

「何だ……?」

「何か来ます。嫌な……感じが」

 燈がそう告げた数秒後、堂々と正面から研究所の敷地内に足を踏み入れる人影が見えた。

「……ッ!?」

 此方に近付いてくる姿を見て、準は嫌な汗と共に目を見開く。

「準さん?」

「……燈ちゃん。ヴィーネと葵さんに伝えてくれ。"やべえ敵が来た"って」

「どうやら詮索は後にした方が良さそうですね……くれぐれも無理はしないでください」

「ああ」

 研究所内へ急ぐ燈。彼女の聞き分けの良さにただただ感謝しながら、準は真っ直ぐに"敵"を見据える。

「よぉ準。探したぜぇ……?」

 正気を疑う程のピンク色に染めた髪。狂気を帯びて煌々と輝く赤紫の眼。様々な暗器の仕込まれたベスト。そして、手に持った大振りの禍々しい逆刃ナイフ。

「やっと逢えたなぁ。ずっとずうっと、ずうぅっと探してたんだよ……なぁ準?」

「俺は二度と遭いたくなかったさ。よくもまあこんなとこまで追い掛けて来やがって」

 星海町に来た程度では逃げ切れなかった。だが、こうなることも心の何処かで分かっていた……筈だった。

「相変わらず冷てえなぁ? 俺はお前が好きで好きでしょうがねぇってのに」

「俺は、お前が憎くて憎くて、しょうがねえよ」

 脳裏に蘇る、血の海と化した教室。血溜まりに臥せる両親、そして、詩織。

「けどもう逃がさないぜぇ……さぁ! 愛し合おうぜェ!!」

「ふざけんな……手前だけは絶対殺してやる! 何度でも!!」

 西道サイドウ東馬トウマ。二年前、全てを奪い去っていった男と準は再び刃を交える。

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