#1 エスケープ、フロム... Act.1

―――街を白く染め上げていた雪もいい加減溶けきった頃。


まだ生きていた残雪が逃げ出してきた。


△▼△▼


World End Protocol #1

『エスケープ、フロム...』


△▼△▼


 四月某日、午前十時。

「なぁ、瞬…」準が応接用のテーブルに突っ伏しながら呻く。

 彼のすぐ傍には来客用に買っておいた筈の一口チョコを包んでいたビニールが二十枚近く積み上げられている。ストックも、もう殆ど残っていない。

「何だよ。鼻血でも出たか?」携帯ゲーム機で遊びながら、瞬は答えた。画面には悠然と『QUEST CLEAR』の表示が。

「馬鹿野郎そりゃ迷信だ。とっくに分かってたろ。そうじゃねえよ」

 残り少ないストックから更に一つ摘み、チョコを口に放り込む。

「もう此処に入って二年目になるけどよ…ここんとこ仕事ちょっと少な過ぎねえか? 最近バグも少ねえし、稼ぐに稼げねえよ……」

「『セーフティ』外して出歩いてれば良いんじゃないか? お前もバグとお散歩出来ると思うぜ」

 『セーフティ』、正式名称『セーフティ・ウォーク』とは、オープンソース―――誰でも使える魔法、云わば店売りの武器の様な物だ―――の保護魔法である。

 通常であれば強い魔法使いであればあるほどその魔力からバグを呼び寄せてしまうが、魔力の放出を抑える事でバグの発生を防ぎ、戦闘時にも魔力を温存しておくことが出来るというただの保護にとどまらない魔法だ。

「いや…俺の魔法だとデバッグにはあんまり向いて無いって知ってるだろ?」またチョコを口へ運ぶ。

「頑張れ。自分で頑張るって言ってたろ? 俺はフランと合算すれば全然有り余ってるから困ってないし」クエスト出発のラッパが鳴った。

「お前少しは真面目に俺の話を聞けよ…」そう言っている間にもチョコは減っていく。

「お互い様だろ」


「今日も仲良しねえ、アンタ達」


 男くさい空間に華が咲いた。

 弥生がヘッドフォンを外し、自分のデスクを立っていた。

「おお弥生、これ終わったら一緒にやる?」

「遊びたいとこだけど、ちょっとココア切らしちゃってさ。買い出し行こうと思って。アンタ達も何か欲しいのあれば買って来るけど?」

「チョコ無くなっちまった」遂に一口チョコも底をついた。

「…後でお金返して頂戴ね。瞬は?」

「適当に炭酸買っといてくれ」

「りょーかい」

 気怠そうに弥生が出入り口へと向かうと、何やらいつもと違う事に気付いた。

 十匹程度のバグを引き連れ、少女が金色のポニーテールをはためかせながら息も絶え絶えに走って来ているではないか。

(まーた厄介なもん連れて来てくれちゃったものねえ……)

 短刀を精製しようとした処で、弥生はふと思いつく。

「…ねえアンタ達ー。女の子がご丁寧にバグ連れて逃げ込んで来てくれたわよー? しかも割と美少女よー」

「おい準、チョコ代チャラにするチャンスだぜ」瞬は立ち上がりながら二挺拳銃〈ブラックストーム〉を精製。

「おめーもたまにはフランさんに何か買ってやれよ」準も続いて両手にオープンソース・ナイフを精製。

「んじゃ、」

「行くか!」

 気を利かせて弥生が開けておいたドアから、疾風の如く二人が飛び出した!

「お嬢ちゃん、事務所ン中入ってな!」向かってくる少女に、準が叫ぶ。

「は…はい…っ!」

「さーて敵は…なんだ、"名無し"ばっかじゃねえか」至極つまらなさそうに呟く瞬。

 本来バグにも姿形や性質に応じた名前が付けられているのだが、それに満たない弱いバグはただ形状の名前だけで呼ばれる。名付けられるに至らないバグ、通称"名無し"だ。

「ウルフ三つ、バード四つ、ゴブリン四つか。マジで小遣い稼ぎだなぁ、こりゃ」

「ま、ちょっと運動するか―――電光石火フラッシュ・ステップ!!」

 瞬の両足が淡い緑の光を帯びる。両足のキック時に生ずる力=衝撃を増加させる事により、彼なりの高速移動を可能とする魔法だ。空中でも推力を発することが出来、戦場を縦横無尽に駆け巡ることが出来る。

 一歩蹴る度時速百キロ以上まで加速する。原初の大規模魔法『世界』による身体への補正から、今の瞬には敵がゆっくりとして見えている。

 亀よりも遅く見える狼の眉間に、左手で銃口を押し当て一発。頭が爆発。

 後ろで慌てて攻撃に入ろうとしている鳥に右手で一発、胴体から粉砕。

 同胞の爆死を目の前にして動きが止まった二体目の狼を踏み台に――この狼も爆発四散――宙へ舞う!

 空中からゴブリンに向けてフルオート射撃。三体が蜂の巣に、そして消散。

 此処で準の取り分を思い出して着地。瞬以外からしてみれば、ほんの数秒の内に六体のバグが爆死した。

「あとは―――まあ、もう動いてるよな」

 瞬が『電光石火』を発動した時点で大体どうなるか察していた準。彼もまた立ち止まって眺める様な真似はしておらず、ナイフを構えて駆けていた。

「そらよッ!!」

 両手のナイフを投げ、魔法による補正無しで狼と鳥の眉間を射抜く。同時に即死!

 新たな敵の到来に、残りのバグは準の方を一斉に向き、すぐさま鳥が連続で襲い掛かって来る。

「馬鹿だなァ、こいつらもよ」

 新たにナイフを精製しながら先に来た一羽を蹴り返し、後続の一羽と衝突させ、

「ダブルプレーだ―――閃空殺センクウサツ!!」

 ナイフに真空の刃を纏わせ、突きに乗せて放つ! 二羽の鳥を貫通!

 鳥に潜んで飛び掛かって来ていたゴブリンの攻撃を避けながら顔面にナイフを突き刺し、デバッグ終了!

「ふー、お疲れさん」

 瞬は一仕事終えたブラックストームをくるくると回して遊んだ後、魔力の光と共に霧散させる。

「おい瞬…これじゃマジで俺の分、おやつ代にしかならねえぞ…」

 ひと暴れ出来た準であったが、戦果を思い返して肩を落とす。

「まあほら、一体あたり五百円にはなるだろ。一口チョコぐらい余裕で買えるさ」

 身体を伸ばし、事務所へと歩く。

「こんだけあったらもっと良いもん買うわ!」


――――


 先程準が俯せていた応接用スペースがやっと仕事をした。向かい合わせにソファに座る、少女と瞬・準・弥生。更に都合の良いことに、フランシスが起きて来た。元々癖のついた白金色の長い髪が荒ぶっている。

「おはよう…あら、何だか美少女が見えるわ…寝ぼけているのかしら…」

 青いショートジャケットの下にキャミソール、そして黒いロングスカート……奇跡的に着替えだけは済ませていたが、まだ眠いのか半目だ。

「今起きたのか…。俺達もこれから話を聞くところだからさっさと顔洗って来てくれ」

「そうするわ…あうっ」洗面所の扉に激突。

「……寝起きはいつもあんな感じだから気にしないでくれ」

「は、はい…?」次から次へ、流石に少女も段々考えるのを諦める。


 戻って来たフランシスは何喰わぬ顔で仕切り直した。

「私はフランシス・オルベール。この何でも屋『ストレイキャッツ』を取り仕切っている者よ。訊きたい事は色々あるけど……取り敢えず名前を教えて貰えるかしら?」

 出された紅茶を一口啜ってから、少女は答えた。

「わたし……雪道ユキミチアカリと言います」

 "雪道"の単語が出て来た時点で、この場に居た四人が表情を変えた。

「雪道…って事は天宮の分家…"五景ごけい"の一人か。かく云う俺もだけど、まさか他の五景に会うとはな……」

 瞬の生まれた家でもある天宮にはいくつか分家があり、その中でも魔法使いとして特殊な能力を持った五つの家系がある。

 医療系の能力を持つ"晴風ハルカゼ"。

 暗器などを用いた奇術を扱う"雲隠クモガクレ"。

 自然を操る能力を持つ"雨森"。

 超高速移動、幻覚など撹乱系の能力を持つ"雪道"。

 武器作成能力に長けた"星凪ホシナギ"。

 それらは"天の下に在る五つの景色"として"五景"と呼ばれているのである。

「貴方も五景なんですか…?」

「俺は雨森。雨森準。よろしくな、燈ちゃん」

「天宮瞬。瞬で良いよ。…しかし、その雪道さんが態々こんな処まで来たって事は、何か目的があると見て良さそうだけど?」

 瞬は出来るだけ柔らかく言った心算だったが、若干燈の顔が強張った。

「え、えっと…あのっ、助けて欲しいんです! わたし、追われてて…!」

 追っ手を想起してしまったのか、彼女の顔は恐怖でいっぱいになっていた。フランシスはそんな彼女の隣に座り、優しく撫でてあげた。

「大丈夫、安心して。此処なら私達が守ってあげられるわ」

「…ありがとうございます…」

 仄かに安堵の表情を浮かべる燈だった。


 暫く燈が落ち着くまで待ってから、瞬が話を切り出した。

「さっき追われてるって言ってたけど、誰に追われてるんだ?」

「…それは……」

「…答えにくい?」

「……わたし、家から逃げて来たんです。あそこに居たら…その、死んじゃうから…」

 年端も行かぬ少女の口から出た言葉は、余りにもそぐわないものだった。

「参考までに訊いても良いかしら…燈ちゃん、貴女…幾つ?」表情を曇らせたフランシスが訊く。

「今年の二月で十五になりました…」

「…その歳で家から追われるってのも大変だな」

「「………」」

 瞬の呟きに、燈以外の三人は揃って無言で彼を見た。

「…あの、皆さん、どうしたんですか…?」

「こいつな、十二で家出してきたっつーんだよ。妹連れて」

「あいつはついて来ただけだ、連れ出した心算はねえよ。面倒は見てるけど」

 嘗ては某格安アパートで妹二人と暮らしていた瞬である。今ではその部屋は妹二人だけで使っているものの、瞬は稼いだ分を少しずつ仕送りする形で妹達の生活を支えてあげている。

「変わんねーだろシスコン野郎。でそのままふてぶてしくこうやって生きてるから、まあ燈ちゃんも安心してくれ」

「あん…しん…?」どう安心しろと云うのか。

「それはそうと、だ。何でまた家に居て殺される様な事になってるんだ?」

 瞬が本題に戻す。

「二週間前、お父様のお客さんが屋敷に来てたんです。で、お父様と話が終わったのか、屋敷を歩いていたみたいなんですが…その、お父様が目を離した隙に妹に手を出していたんです。嫌がってるのに、何度も話しかけて」

「…また大層な変態さんだな。それで?」

「わたしが止めに入ったんです。そうしたらその人、今度はいきなり怒り出してわたしを殴ろうとして来て……その…」

「…その?」


「刺しちゃったんです、反射的に」


「「………」」

 ストレイキャッツの面々も散々やらかしてきてはいるが、彼女も何やら厄介事の香りを漂わせていた。


△△△


 某所、屋敷内。

 病的なまでに白い部屋、其処に一人の少女と、少女よりずっと年上と思われる男が居た。

 少女の特徴としては眼帯と後ろで二つ結わえた金髪、絵草の物ではない学生服。何処かのお嬢様学校の物の様だ。

 男は黒い装束に身を包み、黒い短髪が整えられている。

「…あまりにもバグが群がってたが故に取り逃がしたって事?」少女は眼帯を押さえ、言う。

「はい。申し訳ありません」

 高圧的な少女に対し、男は恭しくかしずいている。

「情けないわ…。良い? 何としても見つけて、あの女を雪道の歴史から消すのよ。あの女は…あの狂人は、存在してはいけないの!」

 少女の声は鋭く、言葉には怒りか怨恨か、強い感情が詰め込まれていた。

「我ら一同、必ず見つけ出し始末致します」

「…いや、貴方達は殺しては駄目。捕まえて、私の下に連れて来て」

「畏まりました。それでは、失礼致します」

 黒装束の男は静かにその姿を消した。

「―――お父様…必ずや、私がお父様の跡を継いで見せます」

少女は、口元を歪め呟いた。


▼▼▼


 その後の燈の話によると、燈は客を刺したことで謹慎とは名ばかりの軟禁に遭ったと云う。そして数日経ったある日、どういう訳か、どういう経緯があってか、自身が殺されるという話を耳にした。人を刺したのだから自分も刺されたとしても文句は言えない…とはこの時ばかりは思わなかった。

 何故、妹を救った筈なのに殺されなければならないのか。

 必ず何か裏があると踏んだ燈は、普段殆ど使わない雪道の能力を使って食事を持ってきた使用人を惑わし、牢から脱出したという。

 家を出ようとした辺りで妹支持派の魔法使い達に追われ、更にバグにまで追い回されて死に物狂いで逃げていた内にある喫茶店に逃げ込んだ。その喫茶店でストレイキャッツの場所を教えて貰い、途中でまたバグを引き連れ回した挙句今に至る。

「その喫茶店って絶対あそこだよな…」瞬は店員の顔を鮮明に思い出していた。

「ひらがなで『りばてぃ』って看板が立ってた、お洒落なお店でした。マスターが結構不思議な雰囲気の方だったんですけど…」

「やっぱりな…」

 『りばてぃ』。商店街の一角に静かに佇む、そこそこ人気の喫茶店だ。店員は壮年のマスターとゆるい青年の二人。

 二人とも瞬の旧知であり、ストレイキャッツの業績を伸ばそうとしてくれるのかやたらと厄介なトラブルを抱えた人ばかり紹介してくれる。

「あの人には今度コーヒー豆でも買って行ってやるとして…取り敢えず暫く誰か燈を引き取ってやらないとなあ」

「えっ?」燈は驚く。

「だって行くとこ無いんだろ? だったらどうせ此処の連中殆ど独り身だし、引き取れるだろ。なあ?」

 独り身、つまり準と弥生に話を振る。

「ちょっと待ってよ、アタシ猫共の面倒見るので精一杯なんだけど!?」

「俺も生憎…」

 弥生も準も同じアパート住まいだが別々の部屋を借りており、弥生は確かに式神二人が食事だけはきっちり取る為食費が通常の三倍掛かってしまっている―――が、準はというと…

「アンタは完全に一人暮らしでしょ!」

「馬鹿野郎! 年端も行かぬ女の子を若い男と済ませる馬鹿が何処に―――」

「準で決まりだな」

「決まりね」

 瞬とフランシスは準に引き取らせようと画策していた。一人暮らしも寂しかろうと云うささやかな配慮である。

 なお、彼ら二人は事務所の隣に建っている二階建ての家で楽しく同棲している。どうせ大して機密と云う機密も無いが、事務所に何かあった時のことを考えた配置である。

「お前らが一番勝ち組じゃねえか! 稼ぎ手二人も居るんだし余裕じゃ」

「うっわ、アンタも惨い事言うわねー。明るく楽しく同棲中のカップルに子供引き取らせるの? アンタ少しは俺が面倒見てやる!ってくらいの男気見せたらどうなのよ」

「うっせえゲーマーめ…俺の取り分知らないからそんな事言えるんだ…」

「あ、あのっ、お金の話だったらわたし、幾らか持ってますけど…!」

 いい大人達が揉めてるのを見て、燈は何とか声を振り絞る。

「…幾ら?」

「さ…三十万ほど…」

「「!?」」

 少女の口から出るには余りにも多い金額に、一同は驚愕した。

「現金じゃ無くてデータですけど…。元々持ってた分と、逃げる途中でちょっとだけ刺してきたバグの分です」

「…なあ、燈ちゃん。もしかして君…倒せなくて逃げてたんじゃなくて、めんどくさいだけだったのか?」

「あんまりにも湧いてきたんで…やむを得ず?」

 燈の言葉を聞いて、瞬は準の肩にぽんと手を置いた。

「面白い娘じゃないか。金の問題もクリアしたし、これで文句ないな!」凄く明るい笑顔でそう言った。

「………分かったよ。燈ちゃんは俺が面倒を見る」遂に準も折れた。

「宜しくお願いします、準さん!」

「ああ、宜しくな、燈ちゃん」

 やっと安心できる場所を見つけた燈。その顔は晴れやかであった。

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