『蝶と花と』


 真っ暗な部屋に、一筋の光が差し込む。

「―――あらあら、こんな処にも人がおりますこと」

 伸ばしっ放しの前髪の所為で、人型であることくらいしか分からない。……よく見れば、人型ではあるが"人"ではない。

 "彼女"の背中で畳まれた二対の巨大な翅を見てしまったのだ。

「……」

「ああ、翅が気になりますこと? 見せてあげたいけれど、この模様を見たら並大抵の人間は狂ってしまいますの。だからお前には見せられませんわ」

 狂ってしまうから見せられない? おかしなことを言う化物だ。さっさと狂わせて、さっさと殺して欲しいのに。

「……これ以上私が狂ったとして、貴女に何か問題でも」

「お前はせっかちな娘ですことね……。お前、よもや死にたいなどとは思ってはおりませんこと?」

「無駄話などいいので、早く、殺してください。"外の人達と同じ様に"、早く」

 翅付きの彼女は額を抑えて呻く。

「ああ……なんと悲しいこと。悲し過ぎて涙が出ます」

「……?」

「まず妾はお前を殺しに来たのではありません。そして、お前の様な美しい"花"に殺せなどと言わせてしまった、この現実が悲しい」

「何故……貴女が悲しむのですか。貴女は人では無いのでしょう?」

「人でなければ悲しんではいけないと?」

「……貴女は何をしに来たのですか」


 ―――やっと、彼女が笑った。


 自分にとっても同様に死をもたらす毒蛾であって欲しかったのに、彼女は慈愛に満ちた笑みで語り掛けた。


「麗しき花、お前は妾と共に生きよ」


――――


「あらあら、漸くお目覚めですこと」

 部屋に電気は無く、行燈の光だけが淡く彼女達を照らしていた。

「……寝込みを襲う気だったのですか」

 相変わらず伸ばしっ放しの髪に、アルシナは浸っていた。

「襲う気、などという言葉は些か遅いことよ」

「……」

 寝ていたにしては着物が綺麗過ぎる。既に散々玩ばれ、丁寧に着物を戻されていたと云う事になる。

「私は何時間寝ていたのですか」

「ざっと十時間程度ですことよ。昨夜お前が音を上げそのまま寝てからずうっと見ていましたけれど、その間一度も目を覚ましませんでした。ああ見ていただけではありませんでしたことね、失礼」

 まあいい、今に始まった事では無いと言い聞かせておく。

「ところで忍? 妾は十時間もお預けを喰らってとても暇ですことよ?」

「大変でしたね」

 今日はやや暑い、と薄手の着物を取り出す。流石にいつまでも同じ服を着てはいない。

「そう、大変。大変でした。寝ているお前は何をしても何の反応も無くてつまらないにも程がある」

「でも人の身体にまた幾つも痕を残したと」

「それはお前が起きないのがいけないだけのこと」

「……どうせ見る人も貴女以外居ないからいいですけれど」

 会話を続けながら着替えていく。露わになった肌には幾つもの痕。その殆どが丁度人間の構造上、自分では見れない部位にある。

 そんな彼女の肢体を見てアルシナは昂る。

「―――っ!」

 不意に身体が敷布団の上に引き戻され、天井と自分との間にアルシナの顔を見る。

「言ったであろう、妾はお預けを喰らっていたと」

「……着替えが済んでいないのですが。あと朝食も」

「着替えならあとでゆっくりすればよい。栄養分なら妾が供給してやろう。さあ後何が問題か言ってみよ、くくく」

 完全に熱で浮かされて狂気じみた笑みを浮かべている。こうなってしまった彼女を止められた例は無い。

「……先に朝食を頂きたいのですが。貴女はどうか知りませんが、人間の女は満腹の方が良いのです」

「そう言うのなら仕方ない。……が、忍よ」

「何ですか」

 やや言いにくそうに、アルシナは告げる。

「最早朝と呼べる時間でも無いぞ」

「其処は問題ではありません」


――――


 あの日屋敷を襲い、何故か自分と二人だけの生活を始めたこの魔物は人の事を"花"と呼び、彼女にとっての"蜜"としてだけ存在していれば良い……そんな横暴な理論を展開しては居るものの、やけに面倒見が良い。

 何年もの間幽閉されて過ごしてきた為に、今更外を歩く気にもならない自分に栄養価の高い果実を生成してくれたり、絹糸を生成して着物を織ってくれたり、生活にはこと困らなかった。

 彼女は自身を蝶だと言い張る癖に、都合よく絹糸を使うところは狡い様な、よく出来ている様な、不思議な感覚を覚えた。

「しかし忍、お前は妾の花である自覚はまだ持っておりませんこと?」

 自前の絹糸でまた一着、着物を織っている。派手な桃色。アルシナの好きな色であることは知っているが自分はまず着ない。だがそれでも良い、いつの間にか着物作りが彼女の趣味になってきているからだ。

「私にとっては死に損なった余生を過ごさせられているだけに過ぎませんから」

 忍は掃除用からくり人形を十体同時に操作し、屋敷中を掃除して回らせている。

「お前がもっと心を開いてさえくれれば、今よりもずっと楽しく淫靡に妾と過ごせると云うのに……」

 全く冗談ではない様で、至極残念そうにしている。

「そんな淫靡にせずとも補給は可能なのでしょう? 出来れば手早く済ませて欲しいと常日頃から思っているのですが」

「お前は全く分かっておりませんことね……よいこと? ただお前から力を"補給"するだけでは機械と同じ。妾が生物として存在する為にはこう……それに伴う愛とか快楽とかが……」

「随分ケダモノくさい魔物ですね、本当」

 面倒見が良いのは結構なことだが、如何せんこの魔物はやたらと性欲が強いのだ。毎晩毎晩あの手この手で仕掛けて来るくらいならいっそのことさっさと魔力だけ持っていって欲しいと言うのが本音である。

 何としてもこの万年発情期に屈してはならない、と忍の中の最後の誇りが告げていた。

「……では忍には、そういう欲はありませんこと?」

「そういう欲とは……私から貴女になにかしたいとか?」

「そうではなくて……あまり言いたくは無いけれど……その、男と子を成したり、そういう……」

 口に出すのにかなり困ったアルシナとは対照に、忍は答えにそう困らなかった。

「ありませんね」

 露骨にアルシナの表情が晴れ、忍が眉をひそめる。

「何故其処で喜ぶんでしょうね……。まあ、今更出会いもありませんし、男性と言うのはあまり好みません。まあ女性も駄目ですが男性よりはマシでしょうか」

「そうか……妾も駄目か……」

「同性専門押し掛け強姦魔をどう好きになれと」

「おまッ……流石にそれは我慢なりませんことよ! 人をまるでケダモノの様に扱って!」

 織り掛けの着物を放り捨てて激昂するアルシナ。しかし忍は相変わらず何処吹く風で。

「違いがあるなら教えて欲しいものですね」

 涼しい顔で操作に集中する忍はアルシナがすぐ後ろまで迫っていることに気付かない。

「おのれ……やはりお前には徹底的に分からせる必要がありそうですことね……?」

「えっ―――?」

 ……からくり人形の動きが、一斉に止まった。


――――


 私は幼少の頃から、人形を動かすことに長けていた。それが私の持つ〝奇術〟だった。小さな私が触れた人形は少しの間独りでに踊り出し、そしてくたりと倒れた。最初は家族も喜んでくれていたらしい。

 人形の踊りに夢中になっていた私は急速に力を発達させて行き、小学校に入れる頃には一体だけなら自在に操ることが出来るようになっていた。

 それは余りにも楽しい技術で、これがあれば友達も要らない、私が傷付く事も無い。世の中で騒がれているよく分からないこと全てから離れることが出来る。

 でも、周りの人間までもそう思ってはくれなかった。

 ずっとすぐそばで人形が踊っていて、それを見て一人で笑っている人間を誰が受け入れようとしてくれるだろうか? 当然、そんなものは居ない。

 実際、私自身に他人を受け入れる必要も、受け入れて貰いたい欲求も無かったのだ。

 放っておいてくれれば勝手に人形と踊っているだけの私を、雲隠の人々は暗く深い部屋に押し込めた。

 暫くは然程変わらない生活に退屈しなかった。割と人としての生活も送れる環境だった。しかし今度は全く別の不満が生じる。

 小さい頃からずっと使っている人形では、段々私の力について来れなくなってきていたのだ。可動範囲も子供向け玩具のそれ、人間らしい動きなど到底不可能。ならば新たな人形を用意しなくては。でもどうやって?

 ……最初は要らない家具を貰って解体し、手作業で人形を作っていた。小さな人形でも増えてくればそれなりに役立つ様になり、作れる人形にも幅が出てきた。中学生頃の歳になると、そろそろ大きなものも作ってみたくなった。ギリギリまで廃材を使い尽くすことで成人男性クラスの丈の人形を一体作ることに成功、此処で遂に廃材が尽きる。"木"や"鋼"系の魔法に長けていれば自分で材料を精製することが出来ると知り、再び小さなものから始めた。暫くは小さな材料しか精製出来ず、しかし小人は飽きたのでそれ以外の動物などを作って無理矢理浪費。高校生程度の歳になって漸く大きな、等身大の人形ひとがたを作るに至った。

 量はともかく食事は出るし、本なども比較的簡単に手に入る。それでいて他人の干渉は受けず、人形作りに勤しむことが出来る生活。時々自分が何故生きているのか考えてしまう事もあったが、どうせ人らしい生を送って来れなかったので生きても死んでも一緒、まあ人形と共にその内死ぬのを待つ。そんな心持ちで毎日を繰り返し、気付いたら成人していたことには流石に驚いたが、寿命により近付いたと思えば特に何でもない。気にする世間も私には無い。

 ……だが二十歳を迎えたまさにその頃、"彼女"が私の世界を変えた。


――――

 折角着替えたのに汗だくにされて最早何をする気にもならなかった。

重い身体を引き摺ってシャワーを浴びて戻れば、あの淫乱毒蛾は目を輝かせて此方を見ている。

「シャワー中に来なかった事は褒めますが、流石にもう限界です。寝ます」

「散々寝ていたではありませんの」

「誰かの所為で一気に消耗したのです。貴女はする側だから全く疲れないのでしょうが私はとても疲れました。分からないとは言わせませんよ」

 一気に捲し立て、反論を許さない。

「どうせ寝込みを襲う気なのでしょうからせめて寝付くまで待っていてください。いいですね?」

「……!  そうです忍! 妾の果実を食べればその程度の疲労―――」

 忍は既に寝付いていた。

「…………」

 仕方ありません、と織り掛けの着物を拾い上げ作業を再開。彼女の寝息の中で作業するのも悪くないと思った。

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