第18話 ごめん
耳鳴りのしそうな沈黙が、少しの間僕たちの間に流れた。あんな大声を出したアキでさえ、その後何を言ったらいいのかわからないみたいだった。
僕たちの向かっている「異界」が、想像していたほど楽しそうなものでも、美しいものでもなさそうなことを、僕はとっくに悟っていた。異常な寒さと血の臭い。切り裂かれたような衣服。それらは不吉な予感を掻き立てるだけだった。
確か亮ちゃんは、「アドゥネイアは砂漠の中の美しい豊かな国だ」って言ってなかっただろうか? 僕はそのイメージに引っ張られていたけれど、異界はそのアドゥネイアから見たって異界なんだもんな。全然違う場所なんだ。
こんな状況で、僕はあえて異界のことを考えまいとした。悪いことや、怖いことしかイメージできそうになかったからだ。
「なぁ、どういうことだよタツノ。戻る方法がないって?」
ナルが気を取り直したように、もう一度僕に尋ねた。
「本当に知らないんだ。本に書いてあるのはあれだけだ。ほかには何もない」
「マジかよ! なんでそんな方法やらせてんだよ!?」
アキがひっくり返ったような声をあげて、僕に詰め寄った。
「はぁ?」
僕もつい頭に血が上った。後で考えると、このときは本当に心に余裕がなかったのだ。
「それって僕が悪いのか!? アキだって異界に行きたいからついてきたんだろ!? だったら自己責任だよ! 僕だけ責めるのはおかしいだろ!」
アキがぎゅっとこぶしを握るのが見えた。そのとき、
「ごめん!」
突然ナルがそう叫び、床にべたっと座って両手をついた。それに驚いた拍子に、僕の口から出そうとしていたはずの言葉が、喉の奥で溶けてしまった。
「みんな、ごめん! 言い出しっぺは俺だから、俺が悪いんだ! 変なことに巻き込んじゃって、本当にごめん!」
ナルは土下座のままそう言った。こんな時におかしいかもしれないけれど、僕は張りつめていた緊張の糸がスーッと細くなって、プツンと切れたような気がした。さっきまで頭がパンパンになるくらい熱くなって膨らんでいた怒りの感情は、もう跡形もないほどしぼんでいた。
「いや、俺もホイホイついてきたから……でかい声だしてごめんな」
アキが気まずそうに言う。きっとアキも、僕と同じように怒りがどこかに行ってしまったのだろう。
「ホラー映画だったら、仲間割れはマズい事が起こるフラグだもんな。ほんと、俺もゴメン」
そう言って頭を下げる。こんなときにホラー映画の話かよ……と思いながらも、僕はちょっと笑ってしまった。アキらしい言い方だと思った。
「僕もごめん。戻ってくる方法がないこと、もっとちゃんと説明しておけばよかった……」
僕が頭を下げると、ナルとアキは、
「いや、それで『じゃあやめようか』ってなるとか、多分ないから」
「それな」
と口々に言った。
「じゃあ、どうやって元の世界に帰るかは、私たちが自分で考えるしかないね」
大友さんの顔にも、少しだけ笑顔が戻っている。「それか、異界で何とか生きていくか」
「アグレッシブだなぁ、大友さん」
さすがに「ナイフとかいるかな」なんて言っていた女の子は、肝の座り方が違う。というか、まだカナヅチを右手に持っているじゃないか。
「こういうときって、どうすればいいんだろう?」
僕が皆に問いかけると、大友さんがカナヅチをブラブラさせながら「魔法陣を消す、とか?」と応じた。
「魔法陣なら、俺が畳んで持ってるんだけど……」
ナルが背中のリュックを揺らしてみせた。どうやら魔法陣を消す、の線はなさそうだ。
「じゃあ魔法陣が光ってるとかは? その間は魔法の効力が続いてて戻れない、みたいな」
アキの意見は荒唐無稽でマンガみたいだったが、何でも確かめてみるしかない。ナルがバッグから魔法陣を取り出してみたが、やっぱり見た目には何の変化もなかった。
「これはもう、あんまり関係なさそうだなぁ……」
がっかりした様子で、ナルが魔法陣を元通りにしまった。
「まったく、シモンズって人もいー加減だぜ」
僕もナルと同じ意見だったが、とっくに亡くなった人を責めても仕方がない。その時ふと、亮ちゃんと電話で話したことを思い出した。
(どうやって帰るか、異界で聞けばいいんじゃない?)
「異界で聞く?」
僕が半分ひとりごとのように呟くと、皆がぱっとこっちを振り向いた。
「なにを?」
「いや、亮ちゃんと電話で話したときにさ、『どうやって帰るか異界で聞いたら?』みたいなこと言ってたなと思って」
「お前、ナルみたいなこと言うな……」
アキが呆れ顔でぼやいた。
「異界でそんなこと教えてくれるのかよ?」
「だよなぁ」と、ナルがアキに同意する。
「つーかさ、そもそも話通じる奴がいるのかよ。顔がふたつある人間にどうやって話しかけるんだ? どっちの顔で話すんだ?」
「僕に言われても……」
僕がしどろもどろになっているところに、「私はそれ賛成かな」と、大友さんの声がした。
「とにかく下に下りるのがいいと思う」
僕たちは驚いて彼女の顔を見た。
「今のところだけど、下に行くごとに違和感っていうか、普通じゃない感じが強くなってるでしょ? 寒くなったり、変な臭いがしたり、変なものが落ちてたりさ。だから何か手がかりがあるんだったら、やっぱり下じゃないかなって思って」
僕たち3人は顔を見合わせた。ナルもアキも、顔に「いやだ」と書いてあったし、僕もたぶん同じことになっていただろう。でも、他に思いつくことは何もない。仮に上に戻ったとしても、下からどんどん異界が上がってくるんだったら……いっそ自ら下に向かった方が、マシかもしれない。
「今までのところは、危険なことは何にもなかったしな……腹くくって下りるか」
ナルが腕組みをして、唸るように言った。
「でも、なんか危ないことがあったら……」
アキがそう言いかけたが、ナルの難しい顔を見ると考えが変わったのか、
「……そのときはそのときか。ここで足踏みしてられないもんな」
と続けた。僕も2人の顔を見ながらうなずいた。
「よし! 下に行こう!」ナルがこぶしを握る。
「大友さんと桜ちゃんはどうする? ここで待っててもらってもいいよ?」
僕が尋ねると、大友さんは勢いよく首を横に振った。
「私たちも行くよ。はぐれる方が怖いもん。ね、桜」
「うん」
桜ちゃんも、思いのほか力強くうなずいた。
「よーし、じゃあ行くか!」ナルが大きな声をあげる。
「その前におい、アキ!」
「な、なんだ?」
アキがビクッとして、ナルの方を振り返った。
「俺と一緒にトイレ行こう。この先トイレに行けるかどうか怪しい」
「あ? うん……まぁそうか……」
アキはぽかんとしながらも同意した。僕と大友さんと桜ちゃんは、このやりとりに少しだけ笑わされた。
ナルとアキがトイレから戻り、各自水分補給をして、僕たちはふたたび出発した。
下へ。
ガラス戸を開けて廊下に出ると、冷えた空気が僕たちの頬を撫でた。まるで、エアコンの効いた部屋に入ったみたいだ。
「やっぱり寒いね」
「でも行くしかないな」
僕の鼻先を、生臭い厭な臭いが通り過ぎる。下に行くともっと臭くなるのかな……と心配していると、桜ちゃんが突然大友さんの服を引っ張った。
「なんか音がした」
泣きそうな声で彼女はそう言った。
「下から音がするよぉ」
そのとき僕もかすかに、ズルッ、ドスッ、という音がするのに気づいた。
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