第7話 亮ちゃんからのメール

 部屋に戻ると、僕はベッドの上にさっき印刷した紙を広げた。

 何も書かれていない方は、僕が以前カメラで撮ったものとほとんど同じだ。もう一枚の方を取り出して、最初のものは端によせた。

 魔法陣を中心にした一部分が赤ペンで囲まれており、「この中異界関連」と書き添えてある。その中には、やっぱりほぼ異界に行くための方法しか書かれておらず、肝心の異界がどんなところなのかは記述が乏しいようだ。ただ、少し細部が追加されており、僕の目に「形のない王の治める世界」という言葉が飛び込んできた。ダークファンタジーの匂いがする単語だ。

 それから、赤い枠の中に目を閉じた女性の絵が入っていた。きれいな人だけど、右向きの横顔と左向きの横顔がくっついて、ひとつの首の上に乗っかっている。その横に「Bride of the gate」と書かれており、赤ペンで「門の花嫁? 詳細不明」と書かれていた。異界人ってこんな感じなのだろうか? 仲良くなれるかどうか、かなり不安だ。

 僕は一旦紙を片付けて電気を消し、布団に入った。そしてまた考え事をした。

 もしも異界から戻ってくる方法がなかったら――もちろん、異界に行けたとしての話だけど――一体どうなってしまうんだろう。

 母さんや亮ちゃんの顔が、僕の頭の中に浮かんできた。

 泣くかな、ふたりとも。それは嫌だな。案外平気だったりしないかな。それもやだな。

 そんなことを考えているうちに、僕は眠りについた。

 

 後から考えると、『アドゥネイア呪文集』に異界から戻ってくる方法が書かれていなかったことには、意味があったんだと僕は思う。

 ただこのときの僕はまだ、その意味に気づくどころか、考えてみることすらしなかった。


 金曜日、僕は亮ちゃんの注釈入りのプリントを学校に持っていった。

 とりあえずナルに見せると、ナルが「ふおぉー!」と大きな声を上げたので、教室内にいた人の半分くらいがこちらを見た。あとの半分は「また成沢か」とでも思っているのだろう。

「でっかい声出すなよ」

「いやいや、これは重要な資料だろ! すげー! 今度亮ちゃんって人に会わせてよ!」

 ふたりが出会ったら、なんだか大変なことが起きそうだな……楽しそうだけど。

「でもよ、異界の情報ってこんだけ?」

 と、ナルが赤く囲んだ部分を指でなぞる。

「そんだけ」

「情報少なすぎじゃね? 次のページとかは?」

「ない」

「はー! 行ってからのお楽しみだな! おーい、アキ! ちょっと来いよ! 大友さん……は、いないな」

 ナルは教室をぐるぐる見回したが、確かに大友さんの姿はなかった。

「また相談室かな」

「まーいないもんはしゃーない。あとで見せとこ」

「何なに!? 異界の話!?」

 途中の机にガタガタ引っかかりながら、アキがこっちにやってきた。僕は以前、近所で飼われていた犬のことを思い出した。その犬は「散歩」と言われると周囲が見えなくなる奴で、よく庭木にぶつかったりしていたものだ。

 僕の後ろで、「異界って何なん?」とか「秋吉、見た目はいいのにね……」とか呟く女子の声がした。アキ自身は、女子に残念がられていることなどおかまいなしに、僕とナルのあいだに顔を突っ込んできた。

「おーっ! すげー! 英語じゃん! 読めなくね!?」

「日本語も書いてあるよ」

「タツノのイトコが書いてくれたんだってよ!」

「すげー! 超頭いいじゃん!」

 こっちも負けず劣らず楽しそうだ。ナルと亮ちゃんの対面が実現した暁には、アキにも声をかけてやらないと怒られるな、と僕は思った。

 赤ペンで書かれた「異界に行く方法」は、以前亮ちゃんがさらっと教えてくれ、僕がつたない英語力で解読した内容とさほど変わらない。細部が付け足されているくらいだ。亮ちゃんの意訳らしいが、次のように書かれていた。

『高さ100フィートの誰もいない塔を用意し、てっぺんに右の魔法陣を描く。それから魔法陣の中に入り、異界に行きたいと強く念じる。すると形のない王の治める世界が、祈りに応えて地底から地上へと上ってくる。塔の階段を下りていけば、いずれその世界と交わるだろう』

 僕たちは各々その部分を黙読した。

「形のない王ってのがいるのか。知らんけどかっけーな」

「なんかわからんけど強そう」

 頭の悪そうな感想しか出てこないが、情報が少なすぎるから仕方ない。

「この妖怪みたいな女も、名前しかわかんないんだよな」

 ナルが「門の花嫁」をトントンとつつく。

「うん。なんか悪いね、めぼしい情報がなくって」

「何言ってんだタツノ、それでこそ探検のしがいがあるってもんだろ!」

 ナルがガタガタとイスを鳴らして立ち上がる。その時、大友さんが教室に戻ってきた。

「あっ、大友さん! これこれ! 明日行く異界のやつ!」

 ナルがでかい声で呼ばわったため、クラス中がざわついた。

「おいバカ、大友さんが変な奴扱いされたらどーすんだよ」

 僕はナルの襟の後ろを引っ張った。キョトンとしている大友さんに、女子が声をかける。

「春菜、異界ツアー行くの? 正気?」

「マジで! 何で行くの!? 成沢に何かされた!?」

 ひどい言われようだが、まぁ仕方なくもなくもない……そう思って見守っていると、大友さんはニッと笑った。そして、よく通る声でこう言った。

「行くよぉ。だってなんか楽しそうじゃん!」

 僕は何だか、ちょっと胸が熱くなった。そして、いつの間にか異界探検に肩入れしていた自分に気付いた。


 この後大友さんにもプリントを見せ、それを「何これ」とか言いながら覗き込む女子もいたりして、ちょっとだけ異界探検ツアーは盛り上がった。だが結局、探検の仲間はこれ以上増えなかった。

 大友さん効果で誰か来るかな? と、嬉しいようなめんどくさいような気持ちで待っていたのだが、やはり「異界探検」というわけのわからない内容が響いたのだろう。おまけにナルが企画したときている。

 帰り際、ポスターを剥がしながらナルは、

「いいか隊員たち! 絶対来いよ! 万全の準備をしておくからな!」

 と、僕たち3人に言い渡した。

 こうして、あとは明日を待つのみとなった。

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