第8話 藤崎町第一ビル

 いよいよ「異界探検ツアー」当日がやってきた。

 僕たちはナルに言われたとおり、駅前の商店街の入り口に集合した。午後12時50分、僕が早めに待ち合わせ場所に行くと、10分前なのにもう大友さんが小さな女の子を連れて立っていた。

「竜野くーん」

 僕の姿を見つけて手を振る大友さんは、いつもは垂らしている髪をポニーテールにして、キャンバス地のバッグを肩から斜めにかけている。半袖のロングTシャツに足首まで裾をまくったデニムにスニーカーという、めちゃくちゃシンプルな服装だけど、美人は何を着ても美人だ。僕は何だかむずがゆい気分で、待ち合わせ場所に駆け寄った。今日は早めに来てよかった、と思った。

「これ、私の妹の桜。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 桜ちゃんは僕に丁寧にあいさつしてくれた。髪をおさげにして、ピンクのTシャツの上に薄い長袖のパーカーを着ている。今日は天気がよく、6月にしては気温が高い。この子は長袖で暑くないのかな、と僕は少しだけ思った。

 桜ちゃんは、大友さんに似てきれいな顔立ちの子だった。でも恥ずかしがりやらしく、あいさつを終えると、彼女はお姉さんの後ろにさっと隠れてしまった。

「ごめんね、人見知りだから。今日、親が留守でさ」

「そうなんだ」

 大友さんの家も、大人はお母さんだけだ。僕の母さんは今日は仕事が休みで、僕が出かけるときには家にいた。でも、土曜日や日曜日に仕事に行くこともあるし、夜勤だってある。大友さんのお母さんも、今日は仕事なのかもしれない。

「仕事?」と何の気なしに尋ねると、大友さんはすぐ、

「ママ? デートだよ」

 と返してきた。

 うわ、聞いたらまずかったかな。僕は後悔したが、大友さんは相変わらず平気そうな顔だ。

「ははは、全然気にしなくていいよ。隠すと後からチクチク言う人いるからさ。もう私から言っちゃうことにしたの。彼氏と出かけるってさ」

「あ、そうなんだ……へぇ~」

 こんな返事しかできない自分が情けない。

 それにしても、僕と大友姉妹だけだと話すネタがないんだよな……と、ふがいなくもモジモジしていたら、そこにアキがやってきた。僕はほっとした。

「大友さんの妹、めちゃくちゃかわいいじゃん! 美人姉妹だね!」

 お姉さんたちにしごかれているアキは、とにかく女の子を褒める。

「ありがと。秋元くんって世渡り上手だよね~」

「なにそれ、どういうこと?」

「まさにお前のことだよ」

 アキをダシにして楽しく会話していると、最後に集合時間から5分ほど遅れてナルが到着した。他の皆は軽装備なのに、ひとりだけ登山にいくみたいな、ごついリュックサックを背負っている。

「なんで言い出しっぺが遅刻してるんだよ」

「悪い悪い! 色々準備してたもんで。これ鍵」

 ナルは僕の鼻先に、キーリングに通した鍵を2本突き出した。

「例のビルの鍵?」

「俺んちの鍵でどうするよ」

「それもそうだ」

 ナルに案内されて、僕たちはくだんのビルに向かった。


 そのビルは商店街から少し外れたところにあった。縦に細長く、古びて壁の色がくすんだ、何の変哲もないビルだ。隣に広い空き地があって、「売地」と書かれた看板が立ててある。

 ナルが戦隊ものの変身シーンみたいなポーズをとり、ズバッとそのビルを示して言った。

「ここが今日の異界ポイントだ!」

「異界ポイントって何だよ」

 僕が突っ込むと、思いがけず桜ちゃんがクスッと笑った。僕はちょっと嬉しくなった。

「縦に細長いビルだね。玄関のところに、『藤崎町第一ビル』って書いてあるけど……」

 大友さんが、玄関の横にある案内板を指さした。一番上の金属板には、大きめの文字で「藤崎町第一ビル」と書かれているが、下の欄はすべて空白になっている。

「おう。雑居ビルで色んな会社が入ってたらしいぜ」

 ナルが鍵を振り回しながら言った。

「1階にビルの管理室があって、2階から9階までは貸し事務所だったらしい。昔は全部埋まってたんだけど、建物が古くなっちゃってさ。耐震基準がどーのこーので、取り壊すことになったんだって」

「じゃあ、9階で儀式をやるってこと?」

「いや、その上に屋上があるからそこで。普通のビルよりちょっと天井が高いらしいから、ちゃんと100フィートあるぞ! たぶん! 大丈夫!」

「結構高いなぁ」

 アキがビルのてっぺんを見上げて言った。ナルも「だよなぁ」と言いながら上を見る。

「中の会社はもう全部引っ越しちゃって、あとは取り壊すだけだからエレベーターとか動いてないんだ。つーわけで、徒歩でがんばって上るぞ!」

「おー!」

 大友さんが無邪気な声と共にこぶしを振り上げた。いわゆる「高嶺の花」の彼女とは、今まであんまり話す機会がなかったけれど、思ったよりも気さくでいい子だな、と僕は思っていた。

 でも、大友さんにオカルト趣味があったなんて意外だ。彼女が異界ツアーに参加するってわかったとき、女子たちがあんなに驚いたくらいだし、皆にとって意外なことだったはずだ。もっとも、人は見た目によらないものだから、大友さんももしかすると、こっそり『ほんとうにあった学校の怖い話』とか、『宇宙人はいる!』みたいな本を読んだりしていたのかもしれない。

「裏口から入れって言われてるんだ。こっち」

 僕たちはナルに従って、ビルの裏手に回った。雨ざらしで塗装が剥げ、見た目がボロボロになった非常階段が壁にくっついている。ナルが鍵を取り出し、裏口のドアを開けた。

 外よりも熱い空気が、むわっと漂ってきた。誰も出入りする人がいないから、外よりも太陽の熱がこもっているのかもしれない。

 僕は少しドキドキしながら、最初の一歩を踏み出した。つるつるした灰色の床の上には、砂粒のようなものが落ちていて、靴の下でザリッと音をたてた。

 全員が入るとナルがドアノブのツマミを回して内鍵をかけ、念のためドアノブをガチャガチャと回して、開かないことを確かめた。

 ビルの中には人工の明かりはなく、電灯などもすべて外されてしまったらしい。でも窓から外の光が入ってくるので、思っていたほどは暗くなかった。僕はナップザックに入れてきた懐中電灯のことを思い出し、出番はないかもな、と少しがっかりした。

 あまり広いビルではなく、ロビーにはどこかに通じるドアがふたつと、受付らしいカウンターが備えられている。僕は、このビルに色んな会社が入っていた頃は、このカウンターの中にどんな人がいたんだろう……などと想像した。

 エレベーターが1基あり、それと対比するかのように、真正面に上階に続く階段が伸びていた。僕はなんとなく、非常階段みたいに狭くて、廊下とはドアで隔てられているようなものを想像していたけれど、実物は思ったよりも幅があるし、廊下とも隔てられていない。なんというか堂々としていて、「エレベーターが使えないときは私を使ってくださいね」という感じではなかった。

 ふと思い立って、僕はナップザックのポケットからデジカメを取り出すと、誰もいないロビーの写真を撮った。行動記録を作って、後で亮ちゃんに見せてやろうと思ったのだ。

「私、人がいないビルに入ったの初めて。何だかワクワクするね」

 大友さんが笑みを含んだような声で言った。アキが調子よく「そうそう! 俺も今そう思ってたんだよ」と続ける。

「お姉ちゃん、手つないで」

 桜ちゃんが小さな声で言って、大友さんの右手を握り締めた。

「はいはい」

「ナル、あんまり一人で先行くなよ」

「わりー! 1年生いるの忘れてた!」

 こうして僕たちは、藤崎町第一ビルの階段を上り始めた。

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