異界探検
尾八原ジュージ
第1話 週末、異界に行こう
それは6月の木曜日、ムシムシと暑い朝のことだった。
僕がいつものように登校すると、我らが6年2組の後ろの黒板に、画用紙に油性マジックで書いたらしい雑なポスターが貼られていた。
「異界探検ツアー 13日(土)午後1時集合 参加したい人は成沢か滝野まで」
とある。
僕はメガネを外してレンズをTシャツの端で拭いた(本当は服で拭くのはよくないのだが)。それからもう一度かけてみた。読み間違えたわけでも、メガネにゴミがついていたわけでもなかった。
(これは問題だぞ)
僕はそう思った。何が問題って、まずポスターに、右肩上がりのひどいくせ字で「滝野」と書いてあるところだ。このクラスどころか同じ学年に、滝野というやつはひとりもいない。
僕はランドセルを机の上に置くと、中身も出さずにナルこと
ナルは保育園からの幼なじみだ。名前だけならかわいいが、その実態は坊主頭にガチムチ体型の元気過ぎる男子小学生。僕と並ぶと、見た目はさながら「のび太とジャイアン」だ。そいつがさっきからポスターと、僕の方をチラチラ気にしている。
「おいナル」
「お、おはようタツノ。元気?」
やけに楽しそうに挨拶してきたナルに、僕はポスターを指さしながら「あれ何だよ」と尋ねた。
「何なのか聞きたいことは色々あるんだけど、まず滝野って誰だよ。僕は竜野。ドラゴンの竜に野原の野。さんずいはいらないの」
ナルは口の形だけで「あっ」と言った。
「ゴメンゴメン! また間違えたわ」
「お前僕のことタツノって呼ぶくせに、漢字はいつもタキノじゃん。いい加減に覚えてよ。ていうか、そろそろわざとだよな?」
「いやいや、マジでうっかりしちゃうんだって!」
「マジかなぁ……あ、あと異界探検ツアーって何だよ」
僕の名前を書き間違えられることは今に始まったことではないから、こちらを先に問い詰めるべきだったかもしれない。なぜ僕が、一言も相談を受けていない「異界探検ツアー」とやらのポスターに名前を連ねているんだ? そのイベント自体まったく知らないのに、僕が参加者どころか責任者みたいになっているのは困る。
ところがナルは、いかにも驚いたと言わんばかりに目を見開いてこう言った。
「はっ? あれ、お前が教えてくれたやつじゃん!」
「え? 僕がいつそんな話した?」
「しただろ! お前忘れちゃったの? アドなんとか呪文のシャボンがどーのこーので、魔法陣の画像くれたじゃん。俺に」
少なすぎる情報を基に、僕は記憶を探った。
「アド……ああ、
「もう~しっかりしてくれよ! タツノは俺のオカルト顧問なんだから」
「そんな役職に就いた覚えないよ!」
ナルを牽制しつつ、僕は「亮ちゃん」のいつもニコニコしている、僕よりもずっと度のきつい眼鏡をかけた顔を思い浮かべた。彼は僕の母方の従兄で、東京の大学に通っているオカルトオタクだ。
そうか、亮ちゃんが持っていた古い本に載ってた魔法陣か。たぶんナルが話しているのは、「『アドゥネイア呪文集』のエディンバラ写本」のことだ。
確かに亮ちゃんはその本を見ながら、「異界に行く方法」について僕に説明してくれた。そして僕は、それに必要な魔法陣の写真を撮り、ナルにそれを見せた。でもあれは、そう簡単に実行できるような方法ではなかったはずだ。
そう言うと、ナルは「いや、できるようになったんだよ!」と、興奮で頬を赤くしながら言った。
「俺んちの管理してるビルを、今度取り壊すことになったんだ。来週の月曜から工事を始めるから、この週末は空っぽだぜ」
「ビルだと? 30メートル?」
「9階建てだけど、若干天井高めらしいから大体30メートルってとこかな。電気は止まってるけど、水道は13日中は使えるから、探検の途中でトイレに行ける絶好のコンディションだ。やるしかないよな!」
ナルはそう言って、ビシッと親指を立ててみせた。相当楽しみにしている様子だ。
そういえば、この辺の地主である成沢家は、繁華街の近くにビルをいくつか持っていると聞いたことがある。実際、ナルの家はお金持ちだ。
とは言っても、ナルにお坊ちゃま的な雰囲気はまるでない。毎週お母さんにバリカンで刈ってもらっているという坊主頭で、いつも体のどこかにスリ傷を作っている。おまけにドッジボールで必要のないスライディングをしたり、公園でトカゲを捕って飼育したりしている(もちろん餌の虫も自分で捕まえる)ので、裕福な家庭の子供とは思えないくらいヨレた服を着ている。だから彼のことは、たまに「そういえばこいつん家、金持ちだったな」と思い出すくらいだ。
「はぁー」
僕はナルのやる気と行動力に感心して、変な声を出してしまった。
「何そのやる気ない返事! もとはと言えばタツノの情報だからな!」
ナルはビシッと音のしそうな勢いで、僕のおでこあたりを指さした。「そういうわけで、タツノくんは参加決定ですー。よろしくですー」
「いや、せめて僕の予定を確認してからにしろよ」
そう言ってはみたが、実際明後日は暇だったので、僕の説得力はいまひとつだった。それにしても、もう一度ナルにきちんと言っておかなければならないことがある。それは……
「あの呪文集も魔法陣も、フィクションだぞ?」
僕は改めてそう告げながら呆れた。まさか、ファンタジー小説に書かれた魔法陣の効果を真面目に試そうとする奴が、こんな身近にいようとは……僕はナルに対する理解が足りていなかったらしい。
「いやいや、フィクションかどうかわからないってウワサがあるんだろ!? タツノが言ってたんじゃん! だったら試してみるしかないよな!」
ナルはもう半分以上、「あの魔法陣は本物」と信じているようだ。僕は説得を諦めた。まぁいいか。別に危ないことをするわけじゃないし。
(マジで試してみるって言ったら、亮ちゃんは何て言うかなぁ)
僕ははしゃいでいるナルを見ながら、もう一度亮ちゃんのことを思い出していた。
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