第2話 亮ちゃん

 従兄の亮ちゃんは、家が近くて話が合うので僕と仲がいい。でも、東京の大学に入学して上京してからは、なかなか会えなくなってしまっている。

 そんな亮ちゃんが、先月のゴールデンウィークに帰省してきたとき、僕はさっそく彼の家に遊びに行った。

 亮ちゃんは僕よりも9歳上だけど、僕のことを同い年の友達みたいに扱ってくれる。というか年齢は関係なく、単なる趣味の合う仲間だと思っているようだ。

一樹かずきぃ~! 待ってたよ! こっち来ると、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも、俺の話全然聞いてくれないんだもん」

 そう言って亮ちゃんは僕を自室に案内する。中身の詰まった本棚と妖怪のポスターに囲まれた部屋は、なんだか年々狭くなっているようだ。

 亮ちゃんはそこで、春に岩手県にカッパを探しに行ったこととか、大学の友達と怪談会を開いた話なんかを、マシンガントークで浴びせてくる。そういえばこの人もナルと同じ坊主頭だ。ひとは興味があること以外にお金と時間を極力使わないようにしていると、髪はバリカンで刈っちゃえばいいか、という結論にたどり着くのかもしれない。

「去年の夏なんか、結構本格的な百物語をやったんだぜ! 先輩ん家の離れを借りてさぁ、すげー楽しかったなぁ」

「へー。じゃ、何か出た?」

「出た出た! 聞いて驚くなよ!」

 亮ちゃんはそれまで座布団に座っていたのに、そのときは興奮して立ち上がった。僕はどんな凄いものが出たんだろうとドキドキした。

「なんと! 誰もいないトイレのドアがひとりでに開いたんだ!」

 亮ちゃんには悪いけど、僕はがっかりしてしまった。だって、トイレのドアが開いたと言われても……あまり怖くない。地味だ。

「他には? 何かこう……もっと怖いもの出なかった?」

「バカお前、十分怖かったっつーの! まぁこうやって話しちゃうとアレだけどさ、その場の雰囲気とかあるわけだよ……」

 尻すぼみになってきた亮ちゃんは、座布団の上にボスンと腰を下ろした。

「ま、ホラー映画みたいなオバケなんか、そうそう出てこないってことだよな」

「白いワンピースで髪の長い女の人とか、血まみれのゾンビみたいなやつとか?」

「そういうやつ。リアルってもっと地味なのよ」

「まぁ、困っちゃうよね。ホラー映画の悪霊みたいなのが本当に出てきたら」

「都合よく霊能力者とかいねーしな。皆やられちゃうよ。そしてその後、彼らの姿を見たものはなかった……」

「出た~! よくあるやつ~」

「彼らの姿を見たものはなかった……って、じゃあお前はその話を誰から聞いたんだよ! ってなっちゃうよな」

 僕と亮ちゃんはそう言って笑いあった。

 確かに派手な話よりも、地味な話の方がリアリティがあって体験談っぽい。実際、本当にトイレのドアが勝手に開いたら、結構怖いだろうし……。

「ま、俺はそんなに嫌いじゃないけどね、ウソっぽい話。ほら」

 そう言いながら、亮ちゃんは僕に1冊の本を渡してきた。漫画の単行本くらいの大きさで、見たところ100ページもなさそうだけど、なんだか埃臭くて表紙が変色している。ぐねぐねとした書体で書かれているのは、崩したアルファベットのようだ。

「なにこれ」

「神保町の古本屋街で買ったんだ。『アドゥネイア呪文集』のエディンバラ写本」

 なんのことやらさっぱりわからない、と僕が言うと、亮ちゃんは楽しそうに笑った。

「だよなぁ。アドゥネイアっていうのは、イギリスのシモンズっていう小説家の作品に出てくる架空の国だよ。砂漠の真ん中にあるんだけど、美しくて豊かな国なんだ。ただ、そこにたどり着けるのは、本当に運のいい人だけ……という設定の国。これはその作品の中でキーになる呪文集の、英語版の写本だよ」

「シャホン?」

「印刷技術がなかった頃は、本は人が手作業で書き写してたんだ。写真のシャに、本棚のホンで写本。この本の場合はアドゥネイア語で書かれた原本を、英語に訳しながら手で書き写したものってことだな」

「へー。じゃあ、結構古い本ってこと?」

 僕が感心していると、亮ちゃんは笑いながらそれを否定した。

「いや、これはガチの古物じゃなくて、シモンズが自分の小説の小道具としてでっち上げたものなんだ。『アドゥネイア探訪記』の初版発売と同時に刷られて、店頭に一緒に並んでたらしい。初回特典のオマケって感じかな。シモンズは20世紀初頭から60年代にかけて生きた人だし、制作年代は20世紀中ごろじゃないかな。そんなに古くないよ」

 20世紀中頃か。僕はまだ産まれていないので、十分古い感じがするけど……ていうか、亮ちゃんだってまだまだ全然産まれていないだろう。本って、なかなか古くならないものらしい。

「じゃあこの本は、ありもしないアドゥネイアって国の、やっぱりありもしない呪文をまとめたものなんだね。シモンズって変わった人なんだなぁ」

「そうだなぁ。それに器用で絵が上手かったんだな」

 亮ちゃんはそう言いながら、『アドゥネイア呪文集』の中身を見せてくれた。中の文字は表紙ほどぐにゃぐにゃしていないが、やっぱり手書きだからか、印刷された文字と比べると格段に読みにくい。僕たちも小学校や塾で英語の勉強はしているけれど、この本を読むのは大変なことだな……と思った。

「亮ちゃん、こんなの読めるの?」

 すごいな、という気持ちを込めて言うと、亮ちゃんは「気合い入れれば読めないこともない」と答えた。それでも読もうとするんだから、やっぱりすごいオタクだ。

 呪文集には、いくつか不思議な絵が載っていた。巨大な虫が大木を貪り食っているところや、大砲を背負ったトカゲの絵などが、細かな陰影で描かれている。

「これは何の絵?」

「ん? これはえーっと、『森に住む巨大ゴキブリを退治する呪文』」

「オエッ」

「ここに書かれた呪文を彫り込んだ鉄球を用意して、大砲でゴキブリに撃ち込むらしい」

「結局大砲で倒してんじゃん。物理じゃん」

 シモンズさんはきっと、冗談が好きな人だったんだな。落ち着いてよく見ていると、ところどころ僕にも意味がわかる文章がある。挿絵も面白い。

 愉快な気分になってきた僕の目に、細かな模様のついた不思議な円が飛び込んできた。

「これ、かっこいいね。何だろ?」

 亮ちゃんは分厚い眼鏡の奥から本を睨み付けた。

「これはえーっと、魔法陣だ。『異界を招く方法』かな」

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