第5話 学校

 探検のことを色々確認したあと、大友さんは僕たちと別れて階段を上っていった。

 僕は何気なく、彼女が出てきた相談室の方に視線を向けた。誰か先生と話していたのだろうか? まだそこからは誰も出てくる様子がない。職員室とつながっているから、そっちから退室したのかもしれない。

「大友さん、相談室から出てきたよな。まだ去年のことで何かあるのかな」

 アキが言った。「俺、もう落ち着いたと思ってたけど」

「僕はよくわかんないけど……でも怖かったなアレ。うちなんかまるで他人事ってわけでもないし」

 僕は顔をしかめた。

 大友さんの両親は離婚していて、お母さんしかいない。そのお母さんが男性とデートしているのを、別の生徒の父兄に度々目撃されていたらしい。それだけなら別にどうってことないが、その相手がコロコロ変わってたとか、別の生徒のお父さんだったとかいう噂が出てきて、去年はそれが特にひどかった。

 大友さんはイヤな噂を流されたり、怪文書を机に入れられたりしても、平然とした顔をしてスルーしていたけれど、本心はどうだったかわからない。担任の竹内たけうち先生は、正直そういうときにはあまりあてにならないタイプで、それでもたぶん相談くらいは受けていたと思うけど……でも、厳しいので有名な学年主任にまで話が進んだおかげか、いやがらせはなくなったらしい。

 実は、僕も2歳のときに父さんが亡くなって、それからずっと母子家庭だ。総合病院の看護師として忙しく働く母さんに、彼氏ができる兆しはまったく見えないが、それでも僕には大友さんの件がまったくの他人事とは思えず、時々いたたまれない気持ちになっていた。そもそも大友さんのお母さんが誰とデートしていたところで、大友さんが攻撃を受ける理由はないと思うのだが……世の中の理不尽なところを垣間見てしまったな、という気がした。

「まーまー。俺たちみたいな外野があれこれオクソクで言うのはさー。よくねーよな」

 ナルが僕たちの肩をバンバンと叩きながら言った。

「つって、よく父ちゃんが言うから」

「それもそうか。僕らみたいなのが心配しなくても、大友さんは大丈夫って感じがするしね」

「つーかドッジボール入りそこねたな」

 壁の時計を見ながらアキが言った。

「ほんとだ! あと10分しかない!」

「探検の打ち合わせに昼休み使っちゃったな……しかたないか」

 僕たちは仕方なく、教室に戻って土曜日のことを話し合った。大友さんが参加する……予想だにしなかった事件だ。

 この分だと、当日もなにか、予測できないことが起こるんじゃないか。ふとそんな予感がした。


 その日、午後の授業を受けながら僕はまったく別のことを考えていた。中学受験をする予定なのに、こんなことではいけないのだが、異界探検のことが気になって仕方なかったのだ。

 今は木曜日の午後2時。もしもあの魔法陣が本物だとしたら、明後日の今頃は異界にいるのかもしれない。

 もし異界というものがあるとしたら、いったいどんなところなんだろう。

 僕は『アドゥネイア呪文集』に描かれていた、大きな虫のことを思い出した。森に住む巨大ゴキブリか。そんなものに遭遇したら卒倒してしまう。

 僕も大友さんを見習って、武器のひとつも持って行った方がいいのだろうか。ナイフを振り回した経験なんてもちろんないが、いざというとき武器があるのとないのとでは心強さが違うだろう。

(それなら使ったこともないナイフより、リーチの長いものがいいな。とはいっても、長剣や槍なんて持ってないし。あ、スコップはどうかな? 穴も掘れて便利かも……いやどこに掘るんだ。スコップなんか重いし。そういえば、袋に小銭をたくさん入れて振り回すのが、一番手軽な武器だって何かで聞いたっけ)

 そのとき、竹内先生が後ろの黒板に目を留めたらしく、大きな声を出した。

「おーい、成沢、竜野。そういや後ろのポスターは何だ?」

 僕ははっと我に返った。持っていく武器を本気で考えるなんて、僕は自分で思っている以上に、魔法陣の効果に期待してしまっているのかもしれない。隣の女子が、僕の方をちらっと見たのが恥ずかしかった。

「異界探検の仲間を募ってます!」

 ナルがでっかい声で答えた。誤魔化す気がまったくない。クラスのあちこちから笑い声が湧き上がった。

 僕はそれこそ異界にでも隠れたい気分だった。僕の席は一番後ろなので、アキがナルの方を向いて笑っているのが見えた。裏切り者め。お前も異界探検推進派だろうが。一方で、大友さんは澄ました顔をしている。横顔の輪郭がとてもきれいだった。

「そうかー。どこに遊びに行くか知らんが、気をつけていけよ。先生もついていきたいけど、仕事があるんで無理なんだ」

「了解です!」

 竹内先生はあまり真面目に受け止めていないようだった。「よくわからないけど、探検ごっこでもするんだろうな」くらいに思っているんだろう。それが普通だと思う。

 先生は何事もなかったみたいに授業を再開した。僕はノートをとりながら、家に帰ったら亮ちゃんに連絡しよう、と思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る