第16話 何かが起きている
少しの間、誰も口を開かなかった。
僕たちは黙って、お互いの顔を見ていた。誰かがプッと吹き出して、種明かしを始めるのを待っている顔だった。
やがて、突然アキが笑い始めた。
「ははは、やり過ぎだよコレ! すげーな」
ゲラゲラ笑いながらナルの背中をバンバン叩く。ナルが荒っぽくその手を振り払った。
「おい、何だよ!」
「何だよってお前、これナルが仕込んだんじゃねーの? 凝ったことするよなぁマジ。よく用意したよなぁ、刺繍とかさ」
「俺がやったんじゃねーよ!」
僕はナルの顔を見た。とても嘘をついているようには見えない。アキも僕と同じくらいナルとは付き合いが長いのだから、それはわかっているはずだけど……。
「いやいや、お前じゃなきゃ何だよ?」
「はぁ!? 俺じゃなきゃ……」
ナルの顔から、怒りの表情が一瞬ですっと抜けた。「誰だ?」と言うと、ぽかーんとした顔から血の気が引いていくのが、傍から見ている僕にもわかった。
「いやいや、誰だ? って……」
アキの顔には、まだわざとらしい笑顔が貼りついている。そこに、大友さんのよく通る声が割って入った。
「成沢くんは、この服には心当たりはないんだよね?」
ナルが操り人形みたいに何度もうなずいた。
「私たちを驚かそうとして、前もってここに置いておいたわけじゃないってことだね?」
またナルがうなずく。大友さんは今度はアキに向かって、「秋吉くんも知らないんだよね?」と尋ねた。
「う、うん……でもさ、ナルが」
「成沢くんは知らないって言ってるから、とりあえずそれを信じようよ。今追求したって意味ないし、けんかになるだけだよ」
アキの言葉をさえぎって、大友さんは言った。穏やかだけど、何となく有無を言わせない迫力があった。まるで、ちゃんとした大人に叱られたときのような気分だ。
「で、竜野くんは?」
今度は僕の方を向く。もちろん僕だって知らないし、このビルに入るのは初めてだ。
「知らない。本当だよ」
「わかった。不公平だから言っとくけど、私も全然心当たりないよ。桜もないよね」
「うん」
桜ちゃんが、大友さんのTシャツの裾を握ったまま答えた。
「じゃあ、俺たち以外の誰かが、この服をこの部屋に置いたってことだ」
少しだけいつもの調子を取り戻したナルが言った。「今日、ここに俺たちが来ることを知ってるのは……」
僕はなるべく漏れがないように考えた。クラスメイトたちはポスターを見ているから、日時は知っている。『アドゥネイア呪文集』の一部を見ていた人だっている。でも……。
「クラスの皆は、場所までは知らないよね」
「そうだな。知ってるのは俺の父ちゃんくらいか。鍵を貸してくれたからな」
僕はナルのお父さんに会ったことがある。いかにも「豪放」という感じの人で、冗談を言うのが好きだけど、仕事や地域の活動のために、いつも忙しくしている。
「ナルのお父さんがこんなイタズラするかなぁ」
「うーん……そんなヒマないと思うんだよなぁ」
ナルも同じように考えたようだ。
「ワンチャン俺の弟がイタズラしたって線はあるかもだけど……」
「でもこの服を置いた人は、私たちがこのビルに来ることだけじゃなくって、『アドゥネイア呪文集』と、アメリカの行方不明事件のことも知ってたってことだよね」
大友さんがナルの方を向いて言った。
「そっか。じゃあ、俺の弟って線も薄いかな。あいつ本とか読まないし……あ、タツノの従兄は?」
「亮ちゃん?」
突然亮ちゃんが話に出てきたので、僕は驚いた。確かに今日『アドゥネイア呪文集』の魔法陣を使うことを知っているのは、僕たち5人の他には亮ちゃんしかいない。彼ならアレックス・アーヴィング事件のことも知っているだろう。でも、やっぱり無理がある。
「亮ちゃんはこの場所を知らないよ。それに、東京にいるはずだし」
「そうかぁ……うーん」
ナルが唸る。「お手上げだぜ」
「だね。それに、さっき成沢くんと秋吉くんが見たっていう何か? のこともわかんないし」
大友さんも細い首を傾げている。
僕は内心、彼女に対して驚きを感じていた。異界探検についてくるというくらいだから、大友さんって結構ロマンチストなんだなと思っていたのだ。でも今の話し合いを聞いている限りでは、ロマンチストというよりむしろリアリストだし、それにすごく冷静だ。少なくとも動揺している僕たちの中では、桜ちゃんの肩を抱いている彼女が、一番落ち着いているように見えた。
「竜野くん。そのカメラ、さっきからずっと撮ってるよね?」
大友さんに言われて、僕はカメラのことを思い出した。
「うん。階段のところから撮ってる」
「それ見せて。この服が置かれたところ、映ってるかも」
一旦動画撮影を止めると、僕は撮影したばかりの動画を再生した。小さなデジカメの画面を、5人が一度に覗き込む。
ナルがガラス戸を開けて怒鳴る。話し声の後、ガクガクと画面が揺れて、僕たちがガラス戸の向こうの部屋に入る。カメラがぐるりと向きを変え、何もない部屋を映し出す。服が落ちていたはずのところには何もない。トイレを確認して外に出る。ふたたび部屋の隅が映るが、やっぱり何もない。非常ドアの前に移動し、鍵が回らないことを確認したあとで、桜ちゃんの声がした。
『なんか落ちてる』
カメラが激しく動く。部屋の隅に赤いものが見える。
あの服だ。
さっきまで何もなかったはずの場所に、服が置かれている。
「なぁ……やっぱり途中までは何もなかったよな……」
アキが気味悪そうな声を出した。
「いくらなんでもさ、途中で誰かが部屋に入ってきて、あそこに服を置いたら……5人もいるし、誰か気づくんじゃないかと思うんだけど……」
そこまで言って、アキは急に黙った。言いにくそうに唇を噛んでいる。
ありえない、と思いながらも、僕はこう続けた。沈黙が嫌だったのだ。
「じゃあ、誰もいないのに服だけが突然出現したってこと?」
おいおいそんなわけないだろ! って誰かがツッコむかな、と思ったけど、誰もそんなことはしなかった。
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