第22話 誰が運命の人か? 其の四 〈雪花、拐われる〉

……」

 

 雪花は、その言葉にドキッとした。

 

 「さ、おいで……」

 

 トクトアは、長い指を扉に引っ掛けたままこちらを見た。

 金のかったはしばみ色の瞳が、この上なく優しい光りを宿している様に見えるが決して目が笑っているという訳でもなく、懸命にというか、賢明に怒りを堪えているのが身体全体から醸し出す不穏なオーラからわかった。

いつ癇癪玉かんしゃくだまが破裂するかわからない危険な状態である。

  

 「ひっ……」

 

 頭の中は〈必殺〉という文字で埋め尽くされた。

 

  (激おこだ……)

 

そう思ってこっちが馬車から降りようと行動を起こした時、兄ボアルの横に座っていたはずのベルケが勢いよく動いたせいで身体が弾かれ、情けなくよろめき転びかけたが、ジョチが咄嗟に腕を引いてくれたお陰で、あわよくばとを狙って待ち構えるシバンの腕の中に倒れ込まずに済んだ。

 

 「ちぇっ、もう少しだったのにぃ~せめてチュウくらいは。ジョチは本当いい性格してるぜ…… ブツブツ……」

 

 「シバン、心の声がダダ漏れだよ……」

 

 悔しがるシバンを横目に見ながらオルダは呆れた。

 

 「こっちのお兄ちゃん大好き~!」

 

嬉々と自分に抱き付いて来たベルケをトクトアは抱き上げた。


 「お前がベルケか?大きくなったな」

 

 もう最悪ぅ、と兄ボアルは掌で顔を覆った。

 

 「安心しろ。私から見てベルケは可愛い弟、雪花シュエホアは我が家の宝だ。さあ、互いに交換といこうか」

 

 勝ち誇った顔でトクトアは微笑んだ。

 ジョチも負けていなかった。

 

 「こっちの条件に応じてくれるならね!」

 

  トクトアの片眉がピクリと動いた。

 

 「今さら命乞いか?」


 「相変わらず冗談が過ぎるな君は……」

 

 「それはお前こそ。私の目の前で女を、それも家族を略奪するとは。 よっぽど死にたいとしか思えん……」

 

 まあまあ、とシバンが二人の間に入った。

 

 「俺たちからすりゃ略奪なんて、軽い冗談みたいなもんだろ?」

 

 「軽い冗談だと?冗談なんかで毎度大事な家族が連れ去られてたまるか!」

 

「そんな目を吊り上げた怖い顔するなって。太古の昔から幾度となく繰り返された伝統の狩?みたいなもんだろ?イイ女がいたら迷わず連れ去る!男に備わった厄介な狩猟本能がそうさせるさ。わかるだろ?」


「…………理解は出来る。が、草原を離れた我らは文明人だ。この国の食・経済・文化・産業に影響を与えた。そう、印刷技術は格段に進歩を遂げ、高価であった綿布を庶民に普及させるほどにな。今さら太古からの伝統か…… お前、北京原人以下とさげすまれたいか?」

 

 「ぺ、北京原人?野人ってことか!?」

 

 シバンは目しばたたかせた。

雪花や他の者達もプッと吹き出した。

 

 「もう…… シバンがしゃべるとなんてゆうか、余計面倒になってこっちの立場が悪くなるよ!」

 

 オルダがトクトアの前に立った。

 

 「僕らはね、馬鹿王子の魔手から、雪ちゃんを救い出したかっただけだよ!」

 

 「……ほう、随分と親切なことだな。ではジョチ、条件と言うのは?」

 

 「彼女を叱らないで欲しい。仕置きもしないこと。それだけを望む!」

 

「……無論。雪花はお前にそそのかされただけ、女とはそんなもの。寛大な心で許すとしよう。お前は良い奴だ」

 

 とろけそうに優しい笑みを浮かべ、トクトアは剣を鞘に戻した。

 

 「お仕置きか…… されるとしたらに限るな。女は天にも昇る心地らしい」

 

 「シバン……」

 

 シバンの意味深な発言に苦笑いする一同だった。


 「おーい!!」

 

 今度は何!?、と一同が声のする方を見た。

 

 「え?」

 

 雪花は二度見した。

 ド派手ピンクの肚兜ハラかけを身に付けた高麗王子が息せき切ってこちらに向かって走って来るのが見えたからだ。

 

 「ギャハハハ!だっせぇカッコ!趣味悪っ!!」

 

 シバン達は笑い転げた。

 

 「ちょっといいかも……」

 

 ベルケの顔が輝く。

ボアルと雪花は、到着したての王子に詰め寄った。

 

 「おい!弟の成長に悪影響を及ぼすような事しないでくれよ!そんな姿で恥ずかしくないのか?」


 「お前の弟なんて知るかっ!好きでこんなカッコしとらんわ!」

 

 王子よ、早く脱げ。

 

 「王子様…… 正味の話、全~然イケてません。ひょっとして、病が頭までいったのでは?……そうだ!家にクソニンジンなる薬草あるんですよ!もしよかったら分けて差し上げますけど?」

 

 「ク、クソニンジン!?そんなのホントに効くのかよ!お前のことだ、どうせ適当に言ったんだろ?あ――っ顔笑ってる!!お前……俺を実験材料と思ってないか?この悪魔!!……まっ、惚れてるから許すけど」

 

 「うっせぇわ!この変態ドラネコ王子!」

 

 オルダが怒鳴った。

 

「君なんか、市場の隅っこで店構えたせいで、全然儲からない魚屋の軒先にぶら下がってるみたいな?カラッカラに乾燥した硬そうで不味そうな干しダラでも口に咥えてりゃいいんだよ!マスがもったいない!」

 

 「オルダ様!今のは言葉が過ぎますわ!ってまだ鱒にこだわるのは何故……」

 

 「雪ちゃん、こいつの肩持つんだ…… よし、致し方ない!僕に胸キュンしてもらうぞ!」

 

 オルダは、必殺〈寄るべない子犬のウルウル目光線〉を雪花に向けて照射した。

 

 「うう…… オルダ様も、なかなかやりますね!私だって負けませんからね!」

 

 雪花も、必殺〈哀しそうな子猫の超・ウルウル目光線〉をオルダに向けて照射した。

 

 「あ……あれ?効かないや。な、なんだかクラクラっとするぅ…… 目で殺されちゃうってこうなんだぁ」

 

 オルダは呆気なく陥落した。

 

 「フッ、勝った。けれど、討てど虚しいのは何故かしら……」

 

 「……もういいから。雪花、退いてろ!」

 

トクトアは再び剣を抜いた。

 

 「この変態めが…… やはり貴様は、ここで息の音を止めてやる!」

 

 「んだと!いったい誰のお陰でこんなカッコになったと思ってやがんだ?責任逃れしやがって!」

 

 ならいい加減早く、それを脱ぐのだ。

 

 「安心しろ。だから責任を持って解体してからすぐに塩漬けだ。鮮度が大切だからな。行き先は高麗宛て、水産加工場で、間違いないな?」

 

 「てめぇ、笑いもせず平然とした顔して、よくも言いやがったな!カマボコにしてやる!」

 

 「トクトア、なんなら手伝おうか?僕もこいつが気に入らない。彼女に近付く悪い虫は退治しないと」

 

 「フっ、そう言って人を信用させといて。私も、片付けるつもりなんだろ?その手は食わんぞ」

 

 「汚ねぇぞジョチ!てめぇからぶっ殺す!」

 

 三人は剣を構えた。

 

 「あ、あの…… 皆さん、喧嘩はやめましょう!真剣なんか使うのはちょっと…… ね?ね?」

 

 (私、モテ期!?ウソ~マジ?でも怪我人が出るのはダメ!どうしよう……)

 

 「おおっと!こりゃ面白くなってきたぞ!いいぞ~殺れ!!」

 

 「シバン様…… あなたは、なんてことを!止めて下さい!」

 

 「あはっ、そりゃ無理だな。互いに誇りを懸けた戦いだからね。三人は、たとえ君を抜きにしたって戦ってただろうさ」

 

雪花は言葉も出ず、呆然と立ち尽くした。

 三人は剣を構えたまま、それぞれが二人の相手を交互に狙いつつ、攻撃する隙をうかがっていた。

 トクトアはジョチを警戒しつつ、王子を睨み、ジョチもトクトアを警戒しつつ、王子を睨む。

 王子はジョチを挑発するかの様に見返しつつ、トクトアを睨み付けた。

 そんな調子でそれぞれが、慌ただしく視線を動かしていた。

 やがて、三人は同時に剣を振り上げる。

 三つの剣は激しくぶつかり合った。

 その反動のせいか、三人は同時に呻き声をあげ、上体も大きい傾いた。

 雪花は悲鳴をあげた。

 

  「シバン様!!どうかお願い!」

 

 「シバンっ、止めなよ!ベルケもいるし危ない!君、僕らの長だろ!!」

 

 雪花とボアルに非難の目をむけられたシバンは、重い腰を上げるしかなかった。


 「……わかったよ」

 

 シバンは馬車の中から連弩れんど(クロスボウに似た武器)を持って来ると、矢を装填し、キラリと光るやじりを三人に向けた。

 

 「三人共、もう剣を下ろせ!身分、立場を考えるんだ!」

 

途端に剣の音が止み、辺りは墓場か丑三つ時みたいに静まり返った。

今度は息の詰まりそうな濃密な空気が漂い始めた。

 そこへ、やかましい宮女に追われてけつまろびつしながら、王子の二人の従者ナギルとタスルが逃げ帰って来た。


 「キャ~みんな見て!」

 

 「麗しの貴公子様、揃い踏みよ!!」

 

 「で、その赤毛の不細工女は何処!?」


 「見つけ出して血祭りにあげてやるわ!!」

 

 殺到する宮女達は、スペインの闘牛では?と思うくらい鼻息荒くしていた。

 

 (あ、赤毛の女? …………私の事じゃないの。なんで?まさか……)

 

 雪花は、女の真の怖さというものを歴史から学んで知っている。

 パンを出さんかい、とパリ中の女達が武器を手に持ち、贅沢三昧の王妃マリー・アントワネットを引きずり出さん、とヴェルサイユにまでやって来た事を。

 あるフランス女優は、あたしという憐れな女から男という男をみんな奪っていく、と見ず知らずの女性に因縁を付けられうえ、所持していたフォークで襲われた。

 女とは、生まれながらにして優しく慈悲深いが、嫉妬深くかつ残忍。

  多くの女達から尊敬を集める貞女より、多くの男達から愛されて贅沢を極める女は、淫婦と蔑まれて憎まれるのである。

 

 「ひぇ~ヤバい…… い、命の危機が!」

 

 ひとりあたふたして身を隠せる場所を探すが見つからない。

 視線を忙しなく動かしている時、御者からおやつの飼い葉を貰ってモグモグ食べている白馬と目が合った。

 よし、とその飼い葉から、なるべく茶色っぽいのを数本選び出し、それを口元に持っていった。

 髪もわざとクシャクシャに乱した。

 

 「ジャーン…… 即席 "お髭おじさん " これで誤魔化そう。背に腹はかえられぬ」

 

 いや、これではかえって余計に目立ってしまうだろう。

 どう見たってだった。


 「雪花よ…… お前、いったいどうしたんだぁっ!」

 

愛しい女人の変わり果てた姿に王子は涙を流した。

 

 「フッ。私、雪花じゃありませんから。 " お髭おじさん " です……」

 

 と、遠い目をしてニヒルに笑ってみる。

 

 「わぁーい!もいいなぁ!!」

 

 「あ、どうも……」

 

 ベルケが雪花にしがみついた。

 これで自然の摂理に戻ったのか?

 いや、一層酷くなってしまった気がする。

 

 一方で、トクトアをはじめ貴公子達は、宮女達にもみくちゃにされていた。

 その様子はゾンビ映画を思わせた。

 この混乱の最中、戞々かつかつと蹄鉄の音が響き渡る。

 馬だ!端に避けろ、と誰かの声で全員が音のする方へ注意を向けるのと避けるのが同時だった。

 

 「あ、あれ?」

 

 ひとりだけ皆とはぐれた動きをした不運な雪花は、白馬に跨がった男が伸ばす腕にひょいっとすくい取られるようにして前鞍に乗せられ、そのまま連れ去られた。

 

 「えーん、助けてけれぇ~!」

 

皆が動揺している中、ひとり冷静なトクトアは、シバンの手から連弩れんどを引ったくると、男に向かって叫びながら矢を放った。

 

 「テムル・ブカ様っ、手元が狂いました!申し訳ございません!」

 

 既に馬は、射程距離外にいたので矢は届かない。

はたして、連れ去られた雪花シュエホアの運命は如何に――!?

 

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