第20話 誰が運命の人か? 其の二 〈白馬のが……〉

抜き身の剣を手にしたまま、トクトアは宮城の往路を駆けていた。

 当然、これを目にした幾人かは眉をひそめるが、彼の身の毛もよだつほどの凄まじい気迫を前にすると、誰も彼を恐れて注意する者はいなかった。

 皆こう思った。

 そんな常識が通用する相手ではないから黙っていた方が身のためだ、と。

 口は災いのもと、と。

 

 「ジョチめ。始めから漁夫の利を狙いおったか……」

 

 高麗王子と自分――この際、二人の内どちらがハマグリとシギか?などどつまらないことは考えたくなかった。

 

 (あの馬鹿王子と同じ土俵にいることさえも屈辱!)

 

 「こら!!待ちやがれぇぇ!」

 

 振り返ると、後方から王子とその従者が追いかけて来るのが見えた。

何の冗談か?王子は、ド派手なピンク地に眼鏡蛇コブラの刺繍の入った、肚兜ハラかけを着ている。

 これ実は、庭園の隅に建てられた小屋にいたバカップルの女の方が着ていた物だ。なんとも悪趣味である。

 二人はここでも剣を交えた。

 その時、偶然にもトクトアの剣にそれが引っ掛かかり、イラッと振り回した勢いで飛んだ肚兜ハラかけは、上手い具合にすっぽりと、そのまま綺麗に王子の首から胴に収まった。

 

 「トクトアァァ!!」

 

 「フッ。もう馬鹿が来た……」

 

待てと言われて待つ奴がいったい何処にいるというのだろう。

 言うまでもなくトクトアは走る速度を上げた。

 そして……

 

 「待てぃ~!この下着泥棒~!」

 

 もう一足遅れてやって来る、バカップルの男の方も。

愛しの彼女の名誉の為、彼は走った。

 ド派手なピンク地に眼鏡蛇コブラの刺繍の入った、下履パンツき一丁のままで。

 この奇人・変人達を見て、皆こう思った。

 もはや常人ではない者に良識的なことを解くことは如何に難しいことか、と。

もう、見ざる、聞かざる、言わざる、でござる。


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 

 「ほう…… 何処からか涼風が吹いて来たの」

 

 大都城を囲む色鮮やかな紅牆ついじは、時には眩しいくらい目の刺激となるが、聖柳タマリスクの緑が補色の効果となっているのか、幾分そのどぎつさを軽減させた様である。


 (はて?何で世祖お祖父様はこんな派手な色を塗ったのやら……)

 

 人間気に入らないことがあると、何でもかんでもいちゃもん付けたくなるのだそうな。

 鎮南王テムル・ブカは、げんなりしながら丞相一行に付いて歩いていたが、これから遭遇する不意の出来事のおかげか、気分もすっかり元通りになるのである。

 

 「……うん?今のはなんじゃ?」

 

若者と赤毛の少女がチラと視界に入った。

 不意に、紅牆ついじの陰から飛び出したと思えば、今度は聖柳タマリスクの間を駆け抜けて行く。

 少女はこちらをチラと見た。 

 

 「美しい……」

 

 赤の髪色と、露草色の青の対比が見事で、肌の色はまるで淡雪の様だ。


 「可愛い……」

 

隣を歩く兄もため息を漏らしていた。

 

 「ほんに!……うん?あの娘御は……ブツブツ」

 

 ダムディン爺は首を傾げた。

 

 「美しい?可愛いですと!?何がですかな?」

 

エル丞相はキョロキョロしていた。

 その時、クワーと鳴き声が聞こえ、宮城の上空を飛ぶ朱鷺トキの群れが見えた。

 

 「確かに。美しいですな………」

 

 エル丞相は目を細め、額に手をかざして眺めていた。

 と、そのすぐ側を、抜き身の剣を手にした

トクトアが、夜叉の形相で疾風の如く駆けて行った。


 「トクトア!」


 テムル・ブカは声を掛けるも、相手は全く気付いていなかった。

 

 「このぉ~待ちやがれぇぇ!!」

 

 間もなく、おかしな連中がとんきょうな声を上げながら、行列のまん前、空を見上げているエル丞相の真後ろを、つむじ風の如くドドドと駆けて行った。


 「キャ~!」

 

 「いやーん!」

 

 「風がぁ~!」

 

 「裾がめくれちゃうぅぅ!」

 

 遊撃姑娘隊ゆうげきクーニャンたい長衫ちょうさんの裾が大きくまくれ上がった。

 

 「あれ~!この爺の裾までめくれましたわい!」

 

これは見たくない。


 「……ハア……ハア……ま…待て……下着泥棒……」

 

 一足遅れてド派手なピンクの下履パンツき一丁の男が現れ、ふらつきながらも必死で後を追いかけている。


「お?今のは何!?」


 丞相は振り向き様に驚いていた。

 

 「間男です」

 

 神妙な顔したダムディン爺が、まことしやかに答えた。

 

 「この爺が思いますに、あれは恋の罠に落ちた憐れな間男の成れの果て……」

 

 「ほお……」

 

 「成れの果てか!」

 

 丞相とコンチェク・ブカは、物珍しそうに、去り行くパンツ一丁男の後ろ姿を見送った。

 

 「あの娘は、純真無垢な乙女の仮面を被った男達を惑わす天性の妖姫。でも……どっかで出会った気もするけど……ブツブツ」

 

 「トクトア…… アイツのあんな顔を初めて見たな。よし!」

 

 「あ!テムルよ、何処へ行くのだ!?」

 

 「は?テムル殿下!何処へ?」

 

 丞相と兄が止める間もなく、テムル・ブカは走り去った。

 

「どうする?テムルは行ってしもうたぞ!」

 

 「おお!殿も恋の罠に……」

 

 「テムルも恋の罠に引っかかったのか?」

 

「さいな……」

 

 「本当に!?さてはお主…… 適当なことを言って、人をタキつけるのが好きなんじゃろ?」

 

 「…………さあ?」

 

 ダムディン爺は肩を肩をすくめた。

 

 


 「くそっ追いつけん……」

 

息を切らせたテムル・ブカは、を散歩をさせている馬丁と出会った。

 

 「おい!馬を借りるぞ!」

 

 と言うが早いか、彼はさっと馬に飛び乗っていた。

 

 「あの……」

 

まごついている馬丁をそのまま、彼は馬を駆けさせた。


  *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 ここは大都宮城、東華門の外。

 

 「あれ?その子は誰!?ボアルさ、子守りの臨時奉公アルバイトでもしてんの?」

 

「もう!オルダったら。弟のベルケだよ!!」

 

「ベルケ!?まだ赤ちゃんかと思ったよ。いつの間にかこんなに大きくなって…… いくつだっけ?」

 

 「五歳!!」

 

 男の子は不満そうに口を尖らせそう答えた

 茶髪の髪、兄に似て美しい顔立ちに、おもちゃの髭を付け、お気に入りの可愛いのプルトーイをお供にしている。

 顔を見合せ苦笑する二人。

 オルダはベルケを意識し、小声でボアルに問うた。

 

 「また夫婦喧嘩だな?」

 

 「うん。母上、実家に帰っちゃったんだ。それも乳母まで連れてさ」

 

 「……マジか」

 

「長期戦になるかもね……子はいつも被害者さ」

 

 「だよね……」

 

ため息をつく二人の前に、甸甸でんでんと車輪の音も盛んな二頭だての、それもに牽かせた、豪奢な馬車が停まった。

 そして御者が恭しくその扉が開ける。

 現れたのは――


 「シバン!!」

 

 「ふっ、待たせたね!……ってなーんだ。お前達だけか……」

 

 「なーんだとはなんだよ!」

 

 と、オルダ。

 

 「随分とご挨拶なこった!」

 

 と、ボアル。

 

「わあ!好き~!!」

 

 と、ベルケはシバンに抱き付いた。

 

 「ええ!?誰なんだ?この危ない嗜好?っていうか、思考?の持ち主は?」

 

 「弟のベルケさ!」

 

 「ベルケだって!? もうこんなに大きくなったのかよ!」

 

 「可愛いだろ?本っ当、ボアルがうらやましいよ。でもこんな危ない趣ってのが……」

 

 「そうなんだ。近所の同い年の女の子にからかわれたとか……それで女の子が嫌いになっちゃって……」


 「ボク、女の子嫌いだけど、〈男が女になってる男〉って好きかも……」


 それを聞いて、オルダとボアルはたまらず吹き出した。

 

 「いや…… 確かに俺は美しい。が、女の格好なんかしてないぞ!」

 

 シバンは黒髪超ストレートのポニーテールが自慢。

 しかも美形であった。

 ただし、中身のアホさは高麗王子に次ぐ。

 

 「あのな、男同士はダメ!俺がムリ!女の子の方が好きなんだから!」


 「えへへ。ボクは好きだよ!」

 

 ベルケはシバンにべったり張り付いてなかなか離れようとしなかった。

 

 「こらこら!」

 

 「男がいい~!」

 

 流石にこれはヤバい、と思った兄ボアルは、大真面目な顔をして諭しにかかった。

 

 「なあ?ベルケ、母上も〈女〉だぞ!」

 

 ベルケ、どう答える?

 

「母上は………… 〈母上〉!!」

 

 ベルケの答えに全員が、

 

 「お、お見事!うんうん。そうですね……」

 

 と、頷くしかなかった。

 三つ子の魂百までというが……

 ここで誰かが話題を変えた。

 

「ところで、ジョチはまだかな?」


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