第19話 誰が運命の人か? 其の一 〈おばあちゃんの占い〉


  ジョチと雪花シュエホアは後宮の華美な殿舎を横目に走った。

 

 「……も、もう走れない…… ゼエ……ハァ」

 

 シュエホアは地面にへたり込んだ。

 

 「……大丈夫かい?」

 

 ジョチはいたわるかの様に優しく雪花の手を取った。

 

 (あれ?なんかこの状況は……)

 

 「思い出した……」

 

 屋敷から抜け出した日―― 塀を乗り越えようとしている一部始終を目撃していた人。

 

 「あ……あなたはあの時!白い馬に乗った貴公子様!?」

 

 「やっと思い出してくれたんだ。まあ、毎日あんな美男を見てたら、僕のことなんてすぐ忘れちゃうだろうけど……」

 

 未来へ帰る手掛かりを見つける為だった。

がしかし、そんな方法は見つけられず、それどころか黙って屋敷を出たということで、トクトアにお尻をしこたまぶたれて思い出すどころではなかった。


 「いえそんな……その後いろいろありまして……」

 

蘇州のお祖母ちゃんの言葉が心に甦った。

 

 『雪花シュエホア、大きくなったらね、が、あんたを迎えに来るよ』

 

 白馬に乗った貴公子――それは女性達の憧れ、イケメンで幸せに導いてくれる理想の男性像。

 それはただの比喩的な意味ではなかったか?

 

  (……この人が?)

 

 と、今はそんな考えに囚われている場合ではない。

 遠く離れていても自分を呼ぶトクトアの声が聞こえた気がした。

 

 「さあ行こう」

 

 ジョチはこっちの無理も構わず勢い良く腕を引いた。

 

 「あの……」

 

 「もう少しだけ…… もう少しだけでいいから付き合ってよ。トクトアの焦る顔って、そう滅多に見れないからさ」

 

 それは確かに。

 いたずらっぽく笑う、美しい横顔に引き込まれた。


  (この人、中身ワルだろな……)

 

 「でも、宮城の外までかなりの距離ありますけど……」

 

 「庭園の隅に物置小屋があるんだけど、後宮と外内裏の間に位置してるんだ。鍵がかかってないからそこを通り道に使う。すると反対側にある衣滌房せんたくばに出られるんだ」


 この衣滌房せんたくばから、外内裏(皇城)に通じる往路に出れるとか。


 「へぇ~そんな便利な道があるのなら、是非とも通ってみたいです」

 

(その近道とやら、覚えとけば後々役に立ちそう!)


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 「おお!コンチェク兄上!!」

 

 「おお!我が弟テムルよ!!」

 

 威順王コンチェク・ブカと鎮南王テムル・ブカ。二人は兄弟である。

  大都宮城で感動の再会をした二人はハグして互いの頬の匂いを嗅ぎ合った。

 これってモンゴルの風習、親しき人限定御挨拶?らしい。

 その直後、おぇっ、とお互い嘔吐反射えずいたみたいになった。

 

 「……兄上。オッサン整髪料の匂いがキツいぞ」

 

 「ななっ、テムルこそ。正真正銘オッサン臭がする様になったな…… 香料で上手く誤魔化したつもりか知らんがムダじゃぞ」

 

 「うう……まさかそんな。衝撃ショックじゃ!」

 

 「それは我輩とて!」

 

 「そう心配しなさんな、御二人共」

 

 爺やが不安を煽るかのように続けた。

 

 「その内、ワシの様なジジイ臭がするようになりますからな!」

 

 イヒヒ、と爺やダムディンが意地悪く笑った。

 二人は苦笑いを浮かべ、互いを慰め合うかのように視線を合わせた。

 

 「……………ま、夏が来るしのう」


 「……………そうじゃ。もうかなり不快指数高いしのう。だから大都はあんまり好きじゃないんじゃ」

 

 モンゴル族は暑さが苦手だそうな。

 本来なら宮廷は、4月頃から避暑の為比較的過ごしやすい上都へ遷し、秋になるとまた大都に戻すのである。

 ※[現在、内乱により、南に大都派、北に上都派と宮廷が別れている。開戦は秋、と記録にある]

 元遊牧民であるし、別に引っ越しだなんて苦にならなかったそうで、その際、大勢の家畜、特に馬も引き連れた賑やかな行幸だったとか。

どうせ草原に行くんだから家畜も一緒に連れて行って草を食わせとけば世話が楽じゃん、という感じだろうか?


「でもな、大都は美女が多い、と聞いたからワシは楽しみにしとったんじゃ!」

 

 テムル・ブカはムフーと鼻息を荒くした。

 

 「ふん。そんなに大したことないわ。高原にも美女がごちゃまんとおるわい!」

 

「ふむ。この爺もそう思いますな」

 

 「あ~爺やのつむじ曲がり!」

 

 爺やは相変わらず意地悪い笑みを浮かべたまま、すばしこくコンチェク・ブカの後ろに隠れた。

 

 「このクソジジイ…… 三つの隠れ穴を持っとるという性悪兎みたいな奴じゃ。主君をいったいなんじゃと思っとるのか……」

 

 テムル・ブカが歯ぎしりをしていると、艶やかな美女達と屈強な体格の輿丁よていを率いて国のトップ、エル・テムル丞相が再会の喜びを全身に表して登場した。

 

 「大都へようこそ。お待ち致しておりました。鎮南王ちんなんおうテムル・ブカ様、威順王いじゅんおうコンチェク・ブカ様」

 

 「おおエル丞相!会えて嬉しいぞ!この通り、兄にも会わせてもろうたしの」

 

 「ほんに、久方ぶりに弟に再会出来たわい!このコンチェク・ブカ、礼を申すぞ」

 

 この二人の兄弟、満面の笑みで挨拶の口上を述べてはいるが、目線は丞相の背後に控える美女達に注がれた。

 美女達は見事に均整の取れたボディに、太ももまで深い切れ込みが入った、袖無しの揃いの長衫ちょうさんを着て、芭蕉布でこさえた団扇を手に、涼やかな笑みを浮かべて佇んでいた。

 その名も遊撃姑娘隊ゆうげきクーニャンたい

 その主な仕事は、丞相の身辺の事や警護、公の行事に花を添えるお役目、貴賓の接待の他、ねやで有益な情報引き出すなどの、諜報活動もしている。

 いやはや、美女には要注意である。

改めて眺めてると、保険をかけないといけないのでは?と思うほどに、すらりと長く美しい足を惜し気もなく衣からのぞかせている。

 

 「す、素晴らしい!!」

 

 「な、なんと斬新な着こなしで!!」

 

 コンチェク・ブカと爺やは感動に目を潤ませた。

 爺やは、この大胆に開いた切れ込みから、見えそうで見えない暗い潜みが気になる様で、風か何か思いがけないラッキー現象で裾が捲れ上がるか、切れ込みが大きく開くのを期待し、その瞬間を決して見逃すまい、と密かに心に決めた。


 「いかがですかな大都は?もうすぐ梅雨入りしますからな……」

 

 丞相は暑さが苦手らしい。

もう既に、ここに来る前から額に玉の様な汗を幾つも浮かべていた。

 

 「いや~全然平気!我輩は、大都の夏は最高じゃと思っておる!うん!美女も天下一じゃし、世界で一番の夏、イェイ最高~!!」

 

 「この爺もそう思いまする!!」 


 このお調子者の二人は、と内心テムル・ブカは呆れ返った。

 丞相は太陽の如く呵呵かかと笑った。

 

 「……それは重畳の至り!ささ、どうかお輿こしに。さぞかしお疲れでいらっしゃることでしょう。冷えた飲み物を用意させました故、この上はごゆるりとおくつろぎ下されませ」

 

 「おお、それはなんと気の利く」

 

 テムル・ブカは喜んだが、

 コンチェク・ブカと爺やは首を横に振った。

 

 「あ…いや、我輩は歩くぞ!」

 

 「は?でも兄上、せっかく輿が……」

 

 「この爺も歩きますぞ。老化は足から!と言いますからな」

 

 主君が輿に向かって進むのを目の当たりにしながら逆な事を提案する根性悪いジジイ。

 

 「おいおい。普通は主君の意を汲み取るもんじゃろが……」

 

 「ワシは殿の御身体を思うておるのですぞ」

 

 全く、何か腹に一物を抱えているであろうことは明白である。


 「なんと立派な!」

 

 丞相は感じ入った。

 

 「皇族の御方とも思えませぬな!これなら我が大都派の士気も大いに上がりましょう!勝利確実間違いなしです!」

 

 「……いやワシは輿に……」

 

 「では、そうそうに輿丁達は退かせましょう!おい、先に帰って良いぞ!」

 

輿はテムル・ブカの鼻先で大きく向きを変えた。


 「あの……乗せて……」

 

 空の輿を担いだ輿丁達は、それ~気の変わらぬ内に、とそそくさと去って行った。

 それは、無人島の付近に来た船が、漂着民の必死のアピールに気付かず、わざわざその場でUターンをかまして去って行く光景に似ていた。

 この世は無情じゃ、とガックリ項垂れるテムル・ブカを背景に、丞相は配下にあれこれと指示を飛ばした。


 「ささ参りましょうぞ!其の方ら、お客様を退屈させぬようにな」

 

「はい。かしこまりました」


 「精一杯おもてなし致しますわ」

 

「ウフフ。一度おいでになったからには、大都ここを忘れさせませんことよ」


 きゃぴきゃぴ、と美女達の取り巻かれて兄と爺やはニヤニヤしながら歩いていた。

 爺やは美女達の深い切れ込みの、更に奥にある潜みが見たかった。

途中、いくつか石段を登ったが、待ち望んでいた様なハプニングは起こらなかった。

 ではこちらから動くぞ、とわざとらしくよろめいた振りをし、切れ込みに向かって息をフーと吹きかけてみたが悲しいかな、切れ込みは鉄壁の如くびくともなびかなかった。

 

 「ちっ、やっぱりムダじゃったか……その芭蕉扇ばしょうせんであおいだらきっとブツブツ」

 

「このエロジジイめが…… 馬頭観音ダムディンという名が泣くぞ」

 

 テムル・ブカは舌打ちした。

 

 

  *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 

 「あたしのマー様…… お会いしたかったわ!」

 

 「おお、ボクの鹿ルー嬢!!」

 

 二人の若い男女は、もうそれ以上言葉を交わさなかった。

 長椅子に座り、互いに衣服を脱がせ合った。

時を惜しむかのように、深くお互いを求め合う二人。

 

 「さあ、早く…… 時間がないわ」

 

 「わかった…… 頑張るよ」

 

 今まさに、男と女が愛欲の広海に船出せんとするその時であった。

 突然、何の前触れもなく、ガチャガチャガタンと扉が開き――誰かが慌ただしく中に入って来た。

 

 「おわ!!」

 

「キャア――ッ!!」

 

 半裸の二人はガタガタ震えながら互いを抱きしめ合った。

 

 「これはこれは、お楽しみ中にすみませんね」

 

 どんな時も爽やかに言ってのけるジョチだった。

 

 「はは、すみません……」

 

シュエホアは、顔を真っ赤にし俯くようにしながら、二人の前を横切った。

 

でカップルの前を通り過ぎた。

 

 (なんで真っ昼間からこんな所で情事なんて…… 見てるこっちが恥ずかしいわ!)

 

 この庭園の隅にある物置小屋は、時には男女が愛を語り合う場所として使われる、らしい。

 二人は小屋の反対側、衣滌房せんたくばに出た。


 「ハァ。まさか先客がいたとはね……やっぱり房事はあそこじゃね……」

 

 「ジト……あの……まさか」

 

 シュエホアは半目でジョチを見つめた。

 

 「そんな。僕が君を連れ込んで……なんてこと考える訳ないじゃないか!ははは」

 

彼はきらりと光る額の汗をぬぐい、爽やかに笑った。


 「そう……ですよね」

 

(この人、やっぱり中身ワルだな……)

 

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