第18話 喧嘩をやめて!


  宮城の西に位置する、満々と水をたたえる太液池たいえきちの畔に建つ亭に憩えば、蓮華に睡蓮が咲き誇る、極楽浄土さながらの景色を望むこと出来た。

 トクトアは池の蓮華を見つめ、遥か上都にいる想い人――女官長スレンの姿絵を手に、二人の思い出の場所、夕陽が見える丘を心に思い描いていた。

 背後から手が伸び、絵を掠め取られた。


 「……トクトア、君って呑気だね。上都の現地妻に思いを馳せるのは結構だけど、何も今、大事な宝が他の男の所に行ってるって時にねぇ……」

 

ふり向けばジョチが爽やかな笑みを浮かべて立っていた。

 

「ジョチ、いったい何のことを言っている?」

 

 「……王禎ワン・ジョンの従者達が君の屋敷に行ったよ。君の大事な大事な〈喜びの宝物〉が出て行くのを見かけてね」

 

 トクトアの顔色が変わった。

 

 「早く行った方がいい」

 

 へーかなりの美人だな、とジョチは姿絵を返した。

 

 「言われなくともわかっている!」

 

 トクトアは姿絵を懐にしまい、愛刀をひっ掴むと足早に去った。

 

 

 高麗宮に着くと、刃向かって来る従者二人を目線だけで制した。

そして寝所に入り、王子がシュエホアに覆い被さっている現場を目撃する。

 トクトアは躊躇うことなくを剣を抜き放った。


 「トクトア様ぁぁ――!!」

 

 シュエホアの悲鳴にも似た叫び声のお陰で、王子の首と胴体はおさらばせずに済んだ。

 

 「ひぇ~おっかないぃ!」

 

 切り裂かれた寝具の中から羽が飛び散った。

 

 「貴様……」

 

 王子はズボンだけの姿。

 しかもそれがだらしなくズレ落ちそうになっているのを見たトクトアは、まるでシベリアから到来した冬将軍のような、目の前にいる者の魂まで凍てつかせる氷雪の眼差しを二人に向けた。

 流石のペンギンと白熊も凍える光景が思い浮かぶ。

 

 「雪花シュエホア…… お前、もう寝床に男を引き入れたのか!?」

 

 「ええ!?」

 

 (ちょっと!これじゃ " 間男との浮気現場を夫に目撃されてしまった妻の図 " みたいじゃないの!?違うっちゅうのに!)

 

「お、落ちついて下さい!実はその逆なんです!!誤解です!!お菓子の義理で……」

 

 「……問答無用だ。私の手にかかればお前も本望だろう?」

 

光る切っ先がシュエホアに向いた。


 (ヒェ~私、この時代で生命theエンド?ちょっとちょっと!私まだ青春エンジョイしてないのにぃぃ!!あれもこれもしたいのにぃ!現代に戻ったら好きな物お腹いっぱい食べたかったのに!か、かくなる上は…… 王子様、ごめんなさい!)

 

 「そ……そんな酷い。見たままだけで判断するなんて酷いわ!真実って目には見えない物だけに……こんな惨いことって許されてもいいのかしら?」

 

 私は被害者です、という感じに涙で目を潤ませて、子猫のように身を震わせながら答えた。

 

 「それに、なんで…… なんで私も一緒に死ななければならないんですか?何のとがのない私なのに……」

 

 勿論、これは演技だ。


 (よし、ここで一気に!)

 

 「お義父上ちちうえバヤンが名付けて下された、この、〈バヤルびの宝物エルデネ〉を殺す、とおっしゃるの?えーん、義父上様ちちうえさま。死ぬ前に今一度お会いしたかった……」

  

 当人は、アカデミー賞級と思ってるようだが、実は小学園の学芸会以下。

 これでは余計怪しく思われるだろうに。

 

 「雪花シュエホア憐れな……」

 

 何と意外や意外。トクトア、騙されてます?

 

 「おい、シュエホア!あんまりだぞ!そんな猿芝居をしてまで助かりたいか!?」

 

 「キィ――ッ!なんてことを!」

 

 余計なこと言いやがって、と歯を剥き出すシュエホアに、王子は熱帯雨林のような蒸し暑くじっとりとした眼差しを向けた。

 密林に生息する猛獣が暑さで伸びている様子が目に浮かぶ。

 シュエホアは思わず呻き声を発した。


 「うぇ……だって、だって、私はまだ死にたくないもん!お菓子に釣られて来ただけだもん!」


 「は?お菓子?誰が渡したんだそれ!?あいつらか……」

 

 そういえば、先ほどから姿が見えない従者達。

トクトアは幾分顔を和らげた。

 

 「フッ、所詮は貴様の独り相撲だったか…… 聞いたか王子よ?死ぬのは貴様だけで充分だとよ」

 

 言い終わるやいなや、トクトアは斬りかかった。

 王子は、咄嗟に掴んだ茶瓶の蓋を投げつけた。

 

 「小癪なっ!」

 

 トクトアが真っ直ぐ飛んで来る蓋を剣で叩き割るのと、その隙を見て王子が愛用の環刀を掴かんだのが同時だった。

 粉々に砕け散った陶器の音が暫く、耳の奥底にとどまった。

 

 「野郎覚悟しろ!」


  ぶつかる金属音。

 

 「怖い……」


 直ぐ目の前で真剣を使った戦い。

 TVドラマ、映画なんかじゃない。

 どちらかが倒れる――つまり死ぬまでということだ。

 

 「止めなくちゃ……でも……」

 

 (でも、嗚呼ああ……)

 

 目の前に――美しい貴公子二人、自分を争って!?激しいバトルを展開しているのである。

ひと昔前の少女漫画に出て来る、あの鉄板のフレーズが頭に浮かんだ。

 

 『二人共、喧嘩をやめてぇぇ!お願いぃぃ!私の為に争わないでぇぇぇ~!!』

 

 一瞬後――間を置いて吹き出してしまった。

 いや、そんな余裕こいた思考をしてる場合ではない。

 本当は――恐怖で足腰が立たなかったのだ。

 まるで足がグミキャンディーにでもなった感じ。

 仕方なく、這うようにして隣りの部屋に移動し、二人の従者に助けを求めるが、いったい、この二人の身に何が起こったというのか!?その姿は雪まつりの彫像みたいになっていた。

 

 「ぎゃーっ何でぇ!?ま、魔法か何かにかけられてるの!?」

 

 あわわわ、とひとり狼狽している時だ。

 鼻先に香ばしく甘い香りが漂って来たと思ったらお腹のセンサーがグーと反応した。

 こんな緊迫した時分に空腹を感じる、自分の空気を読めないお腹が憎くらしくなった。

 今度は背後から爽やかな菖蒲の香りがした。

 

 「大丈夫かい?さあこっちへおいで」

 

 「ジョチ様!」

 

 まさに地獄に仏。

 いや、目の前は麗しの貴公子様だ。

 ましてやこんな状況下なら、相手が益々魅力的に映るのは当然だろう。

 二人は手に手を取って駆け出した。

 あとはジョチに導かれるままに。

 

 「ジョチ!」

 

 「あの野郎~!!」

 

 目の前で " 鳶に油揚げをさらわれました " 状態の二人は怒り狂った。

 遂に、トクトアの怒り方は常軌を逸したものになった。

 

「おのれジョチ…… 殺して切り刻んでくれる!」

 

 トクトアは八つ当たりの斬撃を王子に食らわそうとしたが、惜しくも避けられたうえ、床の敷物が無残にも身代わりとなって裂けただけだった。

 トクトアは悪態をついた。

 

 「俺はジョチじゃないぞ!」

 

 「……貴様もあの世に送ってやるつもりだ。早いか遅いかの違いだけ」

  

 その美しい顔には狂気が宿り、目は見る者が恐怖を抱くほどに爛々らんらんとしていた。

 

 「…………?」

 

 はらり――何か白いモノが上から舞い降りて、トクトアの足もとに落ちた。

 全ての者を夢見心地にする悪魔の三文字、我愛你あいしてるが書かれた紙だ。

 

 「……この筆跡……」

 

 トクトアは憂いを含んだ目で懐かしむように微笑んだ。

 ほう愛か、と呟いた。

 

 「愛とは――もっと崇高なものだ。そうみだりに口には出来ぬものなのに……」

 

 それは王子に対して、ではなく独り言の様に。

 

 「は?何言ってるんだお前? ……やっぱりお前も、シュエホアを愛してるんだな!」

 

トクトアはチラと王子を見た。


 「愛しているかと?さあ、そう呼べるのかどうか…… 好きと愛は、私は、別物と思っているが」

 

 彼はしばらく食い入るようにそれを眺めていだが、また直ぐに険しい顔付きに戻ると、腹立ち紛れに部屋の扉を蹴破って逃げた二人を追った。

 

 「おい!こら待てぇ!弁償しろ!!この情緒不安定野郎が!!」

 

 上半身裸の王子は衣桁いこうに掛かっている衣を鷲掴みにし、着て行く時間さえも惜しいのか、そのまま小脇に抱えた。

 寝所から出ると、カチカチに凍結している従者二人を解凍し、共に捜索に向かわせた。

 途中三人は廊下で、くりやからこちらに向かって歩いて来るチャンディが持っている盆から、各々茶菓子を摘まんで口にポイと放り込んだ。

 高麗餅こうらいぴん(薬菓?と思われる)。王子の好物だ。

 シュエホアが嗅いだ甘い香りは、この高麗餅であった。


 「ち、ちょっと!いったい何があったんで!?」

 

 王子が上半身裸でいることに酷く仰天している様子だった。


 「お前は部屋の片付けでもして待ってろ!」

 

 「へ?ちょ、ちょっと!!何処に行くんですかい!?」

 

 三人はひとり状況を飲み込めないでいるチャンディを放ったままにして駆け出した。

 寝室の方向からチャンディの、ワッなんじゃこりゃ~、の叫び声がこだました。

 





 チャンディが作っていたお菓子


 王子の好物!?高麗餅(薬菓か?)

 小麦粉ともち米粉をふるいにかけ、酒、蜂蜜、胡麻油を加えて練り上げ、その生地を型で押して取り、油で揚げる。あとは表面に蜂蜜を塗り、松の実や棗などのドライフルーツで飾れば出来上がり。柔らかい感触とあっさり味で美味しい。


 

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