第17話 お菓子の義理


 

 箱の中には黄金色の菓子が入っていた。

 

 「嘘!?ダリオル!」

 

 ダリオルとは、型に生地を敷き、卵と牛乳でつくったクリームを入れて窯で焼いた菓子。エッグタルトのようなもの。

 思わず手が伸び、口に運んだ。

 柔らかく、優しい味わいに、サクッとした生地の食感が嬉しい。

 

 「美味しい……とても!」

 

 不意に涙がこぼれた。

 このお菓子の魔力は絶大だ。

 現代でもよく好んで食べていたから懐かしかった。

 

 「えへへ。喜んでもらえて嬉しいぜ!」

 

 チャンディはお菓子を作るのが趣味で、西方から来た大商人のお抱え菓子職人から、この菓子の製法を教わったらしい。

 これ程までに頼まれると、馬鹿らしいと思いながらもなんだか気の毒になってきた。

 

 「……わかりました。ですが直ぐに帰りますよ。私も命懸けなんですから」

 

 (もう!あなた達が甘やかすから。

将来国王となる人なのに。ってお菓子の誘惑に勝てなかった……)

 

 結局は、この三人の主人を思う忠義の心にほだされたというより、お菓子の義理を果たす為、か。

 タダより高い物はない。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 大都宮城内に高麗王子が住む離宮がある。

 そこは誰が名付けたのやら、高麗宮と呼ばれていた。

 

 「あれ?履き物は脱がなくていいんですね」

 

遠く故郷を偲び、高麗様、高麗風と呼ばれる生活様式と思いきや、意外なことに中華様式だった。

 ナギルは声を潜めて答えた。

 

 「ここは元だぞ。そんなことやったら叱られるじゃないか」

 

 「高麗の宮廷でも胡服なんだぞ」

 

 そうタスルは言い、チャンディに茶を用意するよう伝えた。

 また人使いが荒い、とチャンディは言い、シュエホアに向かって、いつもこうなんだぜ、と愚痴をこぼした。

 

 「待ってろよ。茶を入れて来てやるからな。全く!下っ端はいつもブツブツ……」

 

 チャンディは、まるでナメクジが這うような、恐るべきスピードでくりやへと歩き出した。

 

 (小さな抵抗って感じね……)

 

 その背中に無言のエールを送る。

 

 ドタン、ガシャン……

 

何やら物騒な物音が。

 誰ぞおらぬのか、と奥の方の部屋から怒声がする。

 従者二人は顔を強ばらせ、はいあなたの出番ですよ、と言わんばかりに、揃って掌を奥の部屋に向けた。

 

 「はいはい…… 行けばいいんでしょ?ったく!」

 

 雪花も、先ほどのチャンディと負けず劣らずのスピードで、奥の部屋へと向かって歩いた。

 入室してぎょっとした。

 割れた陶磁器の破片が部屋のあちこちに散乱しており、よく見れば青花模様の磁器の湯飲みと茶瓶。

 有名な景徳鎮である。

 

 「シュエ……」

 

王子の顔は青ざめ、唇はカラカラにひび割れていた。


 「まあ!なんとお可哀想にっ!」

 

 「嗚呼ああ…… 会いたかった。雪花シュエホア!」

 

 こちらに向かって駆け出す愛しい人―― 腕を広げて受け止める用意万全の王子。

 ところが、愛しい女人は王子の床榻しんだいの、あと数歩手前の所で急にしゃがみ込み、割れた花瓶を手に取って涙していた。 

 

 「おお…… これが現在なら高い値で売れたのに…… グスン」

 

 「そんな……」

 

 ドテッと王子は頭から床に落下する。

 ガシャンと割れる陶磁器の音と、シュエホアの悲鳴がほぼ同時だった。

 

 「いやぁ―――!!ちょっとぉ!大丈夫ですか!?」

 

 精一杯両腕を伸ばす王子だった。

 

 「うっ…… シュエホア……」

 

 ところがまたしても相手は、王子を押し退け、割れた青磁の水差しの残骸を手に涙していた。

 

 「グスン…… これって磁器で嵌め込み模様を描いてるし。高麗の象篏青磁ぞうがんせいじは高価なのに……」

 

 憐れ王子、完全無視の状態。

 

 「シュエホア!!俺の頭の心配は!?」

 

 「は?」

 

 シュエホアは、ややぞんざいに王子の頭に付いている小さな欠片をパパっと手で払い、額にフーっと一息。

 

 「うーん。こっちは全くの無傷か……ちぇっ!全治一秒か。まあ、寝てればいいんじゃないですか?」

 

 「なんだよ、ちぇっ!って。全治一秒って診断変だろ!」

 

 「陶磁器は割れたのに、もの凄い石頭ですね!って意味を込めてです。多少フラフラするでしょうが、気合いで大丈夫でしょう?」

 

 そう言って無邪気に笑うシュエホア。

 絹の露草色の襦裙じゅくんが、白い肌を際立たせ、くつは同系色の繻子しゅす織り。

 王子は幸せな表情で見ていた。

 

 「でも、物にあたり散らすだなんて!片付ける人の身にもなって考えて欲しいわ!だいたい……クドクドクドクド」

 

 くどくど説教されていても王子は幸せな気分に浸っていた。 

 変態だ。

 ヘラヘラしていた。

 

 「本当にわかってるんですか?」

 

 「わかってるよ。もうそんなことはしないから…… 約束する!」

 

 「約束ねぇ……」


 さあもう横に、と王子を寝床に促した。

 枕の側には、麗しの香扇子の君の見事な筆跡、我愛你あいしてると書かれている紙があった。

 

 (後生大事に持っていたか……)

 

 顔に苦笑いを浮かべる。

 

 「シュエホア、あれ何だ?」

 

 横になった王子が、入り口の方を指差した。

 

 「ほら!あれだ」

 

 「え?何かあるんですか?」

 

 王子に布団を被せながら入り口の方を振り返った。

 

 「うん?何も…ないけれど…… え!?」

 

突然の出来事に足を踏ん張る暇などなかった。

 王子が、腕を引っ張って寝床に引きずり込んだ。


 「キャ~!な、何をするんですかぁ!?」

 

 王子が上に覆い被さった。

 

「ちょっと!嫌ァ~!!」

 

 「ふっふっふ。嫌よ嫌よも好きの内ってな!」

 

流石、王子あんたが言うと違和感ない。

 

 そこへ、音もなく忍び寄る何者かの影……

 物凄い殺気、見覚えのある弯刀わんとう――シュエホアは息を飲んだ。

その刃が二人に向かって振り下ろさる――!?

 

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