第16話 王子、病気になる
「
庭から薫る、
悲しいくらいに。胸が痛むほど恋々とした。
「これが
いつも側で
この世で自分の命、魂以上に、他の誰かを想い恋慕うなど。
生まれて初めて人を本気で愛する気持ちが芽生えた時、目の前に映る全てのものが光彩を放って見えるのは本当なのだ、と。
望んで召し上げようにも、元での自分の微妙な立場を考えると、直ぐにも答えが出た。
愛する人は、アスト軍閥の長であるバヤンの養女、皇帝の覚えめでたき
考えるだけ無駄だった。
そのトクトアの自分に向けられた敵意は相当なものだった。
あれは
「まさか……今頃、奴に……」
漂う背徳の香り――二人のあらぬ姿を想像してしまった。
厭うべき相手トクトアが、穢れなき乙女シュエホアを無理やり寝床に引きずり込み――そして身体を押し
「嫌っ、お許し下さい!お
「フッ、 嫌よ嫌よも好きの内と言うぞ」
荒らかに衣が脱がされ、艶やかな雪肌の至る所に、赤い吻痕が付けられていく。
「そして…… 奴はシュエホアの豊満な胸をボソボソ……」
豊満な胸――か?王子の逞し過ぎる想像力により、想い人は限りなく美化される。
「奴は自分の足を絡ませて…… 駄目だ!これ以上考えたら気が触れる!ブツブツ……ウォゥ~シュエホア!!」
最前から聞いていた従者三人はむず痒さに身体中を掻き始めた。
今頃、バヤン邸では賑やかな酒盛り真っ最中。
まさか愛しい人が変わり果てた姿で、「♪ジンジンジンギスカ~ン♪」と踊っているとは夢にも思うまい。
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*
「フゥーやっと着いたわい……」
大都の東側の三つある城門の一つ、
「やはり大都は素晴らしき所じゃ。これ程までに立派な帝都は古今東西何処にもあるまい。王の中の王とたたえられしお祖父様は偉大なる御方じゃ……」
彼は、
「よし、
わかっとりますがな、と長年彼に仕える口うるさい爺やが言った。
「やれやれ。殿は相変わらず胆を冷やす冗談ばっかりですな…… もうとっくに白に替えているのをご存知の筈なのに!」
「まあ、緊張をほぐす為じゃ。こうも無駄に身分が高いとな、アホなこと言っとらんとやっとれん時もあるで。仰々しい大名行列は性に合わん。さーてどうしようか…… 屋敷に行く前に就職先に挨拶をしておくか。ひょっとしたらトクトアに出会えるかも知れんしの」
テムル・ブカ一行は宮城に向かった。
この鼻歌混じりに行く陽気な一行とすれ違う一行がいた。
高麗の三人の従者達だ。
この三人、バヤンとトクトアが居ない時を、まるで狙っていたかのように屋敷を訪れた。
応対した執事のトゥムルは高麗王子の使いの者と聞いてほくそ笑んだ。
我が家の〈美しき姫様〉は高麗王子をも虜にしたようだ、と。
この宣伝は使える、と笑うトゥムル。
ぞっこんの王子には、多少の難点?もかえって魅力に映ったに違いない。
惚れた顔は
「ささ、どうぞこちらへ」
金儲けに勤しむ執事は三人を手招きした。
三人の来訪に驚く
「
高麗従者三人衆がこっちに頼み事とは。
不本意ながらも、シュエホアを頼みとするなど、余程切羽つまっているとみた。
「私に王子様のお見舞いをと?それは困ります。今の私には無理です。気難しい上司に仕えている身の上、どうか察して下さい……」
王子の見舞いに行ったとトクトアが知れば、どんなに機嫌を損ねることか。
(一番ややこしい人物なのに……)
シュエホアの口振りは歯切れの悪いものであったが、それでも彼らは諦めずに粘り強く訴えた。
何もせずに放っておけば、不忠者よ、と後でこっぴどく叱られ、そのうえ主君を餓死なせた罪に問われるかも知れない、と。
「まあ、なんと大袈裟な。ご飯を食べないからって。本当にお腹が空いてたら放っといたって食べるでしょうに……」
にこやかに笑って、柳に風とさらっと軽くかわした。
(そこまで一途に人を想えるとは……)
その悲しくも切ない想いに対し、にわかに恐れを抱いた。
なんとか理由を付けて諦めさせて、帰ってもらいたいのが本音だった。
なのに、今や崖っぷちに立たされた三人の従者達は必死で手を合わせて頼んでいる。
もしもここで断ったりでもしようものなら、末代まで呪ってやるぅぅ、と屋敷の前に藁人形を埋めて帰り兼ねない。
(どうしよう……)
ここで腰巾着チャンディが用意した最終秘密兵器登場!?実はこれが決め手となった。
「これ、オイラが作ったんだけどさ、食べみてくれよ」
チャンディが黒い漆塗りの小箱を差し出した。
いつもの追従笑いでも、営業的な薄ら笑いでもなく、カラっと晴れ渡った天気のような洗濯物が乾きそうな笑顔に心が動いてしまった。
そうなったらもう突っ返す勇気はない。
内心は苦々しい気持ちを抑えて箱を受け取り、蓋を開けて中身を見た。
「ええ!?これって!」
思いもよらず驚喜してしまったそれとは!?
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