第23話 誰が運命の人か? 其の五 〈龍を見に行こう〉
白馬は宮城の掘りに沿って北へと移動した。
「ったく彼奴めが、な~にが手元が狂いました~じゃっ、本気でワシを狙いおって…… ブツブツ……」
男は誰にともなしという感じに呟いた。
雪花はジタバタせず、ただ黙って男の呟きを聞くともなしに聞いていた。
男はそっと娘の顔を覗き込んだ。
まるで母猫に首根っこを咥えられた子猫の如く大人しくじっとしている。
過度の緊張のせいか目が真ん円だ。
「……お前様、トクトアの妹なんじゃろう?たくっ、アイツはロクな兄貴にならんわ!」
そう文句をタレながらも男はどこか楽しげであった。
男を見上げる
「はい。でも…… 義兄妹なんです。あの失礼ですけど、兄のお知り合いの方ですか?」
「ハハハ、知り合いってなもんじゃないぞ。ワシはアイツがまだ
「…… す、すみません」
(トクトア様、お世話になった方に向かって、なんて大それた事を……)
「お主が謝ることはない」
男から優しい言葉を掛けられたお陰で気持ちに余裕が出てくると、目に入る物から情報を収集していく。 まず男の手綱さばき。
これは見事と言うほかなかった。
次に身に付けている物、全て高級品だ。
真新しい白絹の織りに金。
男は、鎮南王テムル・ブカと名乗った。
(王族か…… 道理でね。容貌もなかなかだし、バヤン伯父様と張れるわよ。それにかなりの財力があると見た、これはポイント高いぞ~)
王宮での暮らし――オリエンタルムードに包まれた左団扇の生活を想像してみた。
ひくひくする様な喜びに顔がニヤける。
「ウフ、ウフフフ…フ?……あれ?」
ふと、こちらを見る誰かの視線を感じた。
ピィ―――ッ
猛禽類特有の鋭い鳴き声と共に、大きな影が地上に落ちた。
「あれは…… 鷹?」
鷹の動きを目で追うと、城壁の隅に建つ三層の角楼にてひとり佇む男の姿があった。
あの香扇子の男。
いつもの官服とは違って淡い水色の漢服を着ていた。
「おっ!マー坊ではないか!」
馬上の男の呼び掛けに対し、香扇子の男は軽く会釈で返した。
「は?マ、マー坊?」
(あの人、マー坊って呼ばれてるのか…… なんでマー坊なんだろ?)
鷹は香扇子の男の側の止まり木に着いた。
美男子と雄々しい鷹の組み合わせは絵になる。
(うっ、胸キュンだぁ)
雪花、ここに敗れたり。
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*
「何だって!?さっきのおじさんが皇孫殿下!?そんな相手に向かって弓を引くなんて…… まったく、君はどうかしてるよ!」
「うるさいな。手元が狂った、と言ったろう。ほら、返すぞ」
トクトアは、驚き呆れ返るシバンに
冴えわたるような響きは、街のすみずみまではっきりと行き渡るくらいだった。
ほどなくして栗色の毛並みが美しい彼の愛馬サルヒが、たてがみを上下に揺らして真っ直ぐこちらに向かって走って来るのが見えた。
タンタンタン、と小気味良い舌鼓で愛馬を引き寄せる。
「トクトア!」
彼は呼び止めるジョチの声も耳に入らないといった感じで、主に会えた喜びにはしゃぐ馬をいなした。
「因果は巡るものだな。テムジンの一族とメルキトの。だがもう、負ける訳にはいかん」
そう言い捨てて軽々と愛馬に跨がると、唖然とする貴公子達やうっとりしている宮女達を尻目に掛け、颯爽と走り去った。
「こうしちゃいられない!こっちも追いかけるぞ!」
我に返った貴公子達も後を追うことにしたが、行く手に宮女達が邪魔をしてなかなか動けない。
そこへ、宮女達が持ち場から離れた、と宦官達から知らせを聞いて飛んで来た近衛兵も、この騒ぎに加わった。
宮女達vs近衛兵。
ここに戦いの火蓋は切られた。
抜け目のない貴公子達は、両陣営から同時に突き出されるチリハタキとホウキ、警棒と杖の間をくぐり抜け、あるいはかわし跨ぎながら、まんまと脱出に成功する。
いざ行かん、と全力疾走。
「…………って、誰も、行き場所知らないんだろ?」
そう――ものの一分もしないうちに立ち止まった。
別に当てがあるワケでもなく、皆が皆、羊の如く同じ方向に向かって突っ走っているだけの、全くの当てずっぽうだったことに気付いた。
途方に暮れていると、一羽の鷹が貴公子達の目の前をすっと横切った。
「見て兄上!あんな高いとこ、
ベルケが指差す方向には香扇子の男がいた。
男は優しい笑みを浮かべ、扇を北に向けた。
「
貴公子達は男に向かって手を振った。
この香扇子の男、人によって呼び名が違うらしい。
「ゲッ!!あの男、トクトアにめちゃ似てないか?」
高麗王子と従者二人は、狐につままれたような顔をしていた。
「あんなのが、この世に二人もいるのかよ……」
似た者って、この世に三人いるらしい。
途端、待てぇ、と後ろから誰かに呼び止められ、高麗三人組は振り返った。
「!?」
「ゼェ……ハア…… ま、待て……待てぇ……」
あの乱闘騒ぎの中、いったいどうやってすり抜けて来たのだろうか。
あの
王子は首を傾げた。
「おい、アレ知ってるか?」
タスルも首を右に傾け、
「そうですね…… 見たことあったような……」
ナギルは左に首を傾げた。
「なかったような……」
気の毒に、誰の記憶にもなかった。
「あぁ~!!」
いきなり王子が大声を出した。
「そう!そうだったぁっ!」
にわかに従者らも察し、男の方も期待して言葉の続きを待っていた。
「このド派手な桃色を脱がないと、雪花に嫌われてしまう!」
見当外れの答えに従者と男はずっこけた。
今頃照れ笑いを浮かべた王子は、腹かけを脱いで男に手渡した。
しかし、それを見た従者らの心境は複雑だった。
なら、一生腹かけを着ていても良いんじゃないか、と。
小憎らしいあの娘に関わると、全くロクなことがないからだ。
「ううっ。やっと、やっと……」
王子からド派手ピンクの腹かけを返された男は、嬉しさの余りその場で咽び泣いた。
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽
「これも故人が引き寄せた
テムル・ブカが娘の名を聞いた時、急に懐かしさがこみ上げた。
もう一月になるだろうか、トクトアが上都宮城から脱出した夜、皆に黙って勝手に逝ってしまったお
上都の名物老女官――
祖父に仕え、その傍らにいながら、結局后妃の座に着かなかった女人。
ごく一部のくちさがない者達から、〈大都宮の影の女王〉と言われ、大ハーンは、彼女の為に倭国侵攻を始めたのでは?とまことしやかに囁かれた。
(お婆に〈大都宮の影の女王〉ってのは似合わん。〈純真無垢な傾国〉多分、あの天真爛漫さのせいだろな。不思議と誰からも好かれていたから)
雪花のほうは、テムル・ブカの中に、初めて宮城を訪れた日に現れた、不思議な " 白い好好爺 " の面影を見出だしていた。
まるで矢を射るかの様な厳しい眼差しが印象的だったが、にっこり笑った顔はなんとも言えず柔らかい。
万人を魅力する笑顔の持ち主だった。
「そうじゃ!このまま〈龍〉を見に行かぬか?」
「え!?龍って…… あの大きな?本当に龍がいるんですか!?」
聞き違いかと思っていたのだが。
「ああ、勿論実在する。大地をクネクネと這うとるぞ」
「それは知りませんでした。はい、是非ともお願いします!」
ファンタジーの世界の超が付く人気生物だ。
見たいに決まってる。
「よしきた!この白馬はな、空を翔ぶように駆けるぞ!振り落とされんようにな!」
二人を乗せた白馬は風に乗るかの如く駆け出した。
(龍って本当かな?まさか、巨大なトカゲのオブジェ?モニュメントとか?)
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*
「あのぉ、これって長城ですが……」
テムル・ブカが言う龍とは、万里の長城のことだった。
「そう、あの遠くの山の稜線を見やれ、まるで巨大な龍が如しじゃ!びょーんと寝そべっとるようにも見えるじゃろう?」
「はい、まさにびょーんと……」
宇宙からも見える建造物と言われ、教科書にも掲載されていたが、宇宙飛行士の「残念ながら長城は見えませんでした……」の一言で削除されてしまったとか。
「ふふふ、これを長い年月をかけてこさえた漢民族の執念には感服するが、これをいとも容易く突破する、我らモンゴル族も凄いじゃろう?」
「はい。確かに……」
「かつて
「……!」
それ以上言わなくともわかる。
大都側は、上都側との戦に使うのだ。
「さ、家まで送り届けるから、夕飯に付き合っておくれでないか?連れ回した詫びじゃ」
「詫びなどと。喜んでお供します!」
白馬は陽気に街に戻った。
貴公子達とは、宮城から北の方角にある、大都のメインストリートにあたる十字街でばったりと出会った。
時計台の役割を担う鐘楼と鼓楼が、恋人同士の様に向き合って建つ場所である。
最初は、テムル・ブカのことを敵視していた貴公子達だったが、晩飯を奢るぞ、と言われた瞬間、これまでのことをまるで嘘みたいに忘れ、牙を引っ込めてクゥンと尻尾を振った。
美味いと大都で評判の酒楼に行く。
勿論代金はテムル・ブカの懐からだ。
かなり気前が良い人である。
ただ、トクトアひとりだけを除いて。
当然王子は喜んだ。
病なんかどこぞにふっ飛ばしたらしい。
ここぞとばかりに独占欲を発揮し、案の定貴公子達からひんしゅくを買ってしまうのだった。
楽しく和やかな雰囲気の中、美しい貴公子達は、先を争うようにして料理を小皿に取り分けて雪花の前に置いた。
「ボクね、テムル・ブカ様大好き!」
ベルケはテムル・ブカの膝の上でご満悦のご様子。
雪花は礼を言い、皆の心遣いに報いるため、置かれたその全て小皿に箸を付けた。
(上都より戻った日からいつも一緒だったのに。トクトア様、どこに行っちゃったの?)
トクトアのことが心配だった。
今朝は、自ら櫛を手に取り、上都での出来事を話しながらパチパチと音がするくらいまで雪花の髪を梳いて、
「お前は醜いアヒルの雛よ」
と、ふざけながら食べ物を口に入れた。
(憎まれ口を叩くけど、本当は優しくて、本当は思いやりがあって、本当は本当は…… 寂しがり屋な人かな)
その頃、トクトアは――?
「疲れた…… 」
彼は義妹の部屋に入り、寝台に沈む様に倒れ込んだ。
そして苦虫を噛み潰したような顔をして呟いた。
「あの男のせいだ。
トクトア、いったい何があった!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます