第24話 誰が運命の人か? 其の六 〈完結 白馬の貴公子登場〉

 トクトアは義妹の部屋に入ると、明かりを灯さないまま寝台まで歩き、すぐさま横になった。

 枕から漂う薫衣草ラベンダーの香りに気持ちが安らいだ。

お陰でイライラ感が減少した。

 

 「あの男、謀りおった……」

 

 よりによってに頼ったとは。

 自分はまだまだ修行が足りないということ。

 自分よりもずっと上をいく大きな存在。

 トクトアは舌打ちした。

 

「容姿が似てるだけでも厭わしいというのに……」

 

 

 

 白馬の姿は何処にも見当たらなかった。

 

 (くっ、平地や草原のように何も遮る物がなければで探すことも出来るのだが…… 蹄の音を辿るにしても、他の物音まで混じってどうにもいかん。いったいどうしたものか……)

 

 「うん?」

 

 上空から鷹の声がした。

 

 「あれは通信用の鷹、鳥の様に羽ばたけたら良いのに……」

 

 目で鷹の動きを追えば、あの男の視線と交じり合った。

 自分と似た容姿の男。

 宮城の角楼にいた香扇子の男だ。


 「しまった……」

 

 思わず口から出てしまった。

 その瞬間、魔術にでもかかったみたいになり、男から目線が外せなくなった。

 

 (まるで怪しの類いだな……)

 

 そんなこっちの窮状を知ってか知らずか、男はただただ美しい笑みを浮かべ、手にした扇子を東に向けた。

 正直それが癪に触ったが、今はぐっとこらえ、ありがたく誠意まごころに従うことにした。

 謀られたとわかったのは何故か?というと、他の誰も追って来ないからだ。

 

 「クソ親父…… 今度こっそり家に行って、庭の木の実をごっそりもいで帰ってやる!」

 

 気が付けば、もう日暮れ近くになっており、しょぼくれカラスがカアッと鳴いた。

 

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 「こんな夜遅うまで姫さんを借りてしもうて、ほんに悪かった」

 

 テムル・ブカに屋敷まで送り届けてもらい、その上帰りが遅くなってしまった理由を説明した。

 携帯端末がないこの時代は、こういうところが不便で面倒だ。

 バヤンは、テムル・ブカの来訪をとても喜び、歓待しようと室内に招き入れようとするが、テムル・ブカは夜も遅いこともあって、丁寧にその申し出を断った。

 雪花はトクトアの姿がないことに気を揉んでいた。

 察したバヤンが言った。

 

 「トクトアならもう帰ってるぞ。なんか酷く疲れたような顔してな、飯もそこそこに済ませて部屋に行った。多分、もう寝ちまったんじゃないか?」

 

 それを聞いた雪花はホッとした。

 

「ではまた。によろしゅう」

 

 慌てて引き留めようとするも、もうすでに遅く、テムル・ブカは馬に跨がって歩き出していた。

 しかし数歩進んだ後、急に何かを思い出したようで、こちらを振り返った。

 

 「そうそう。この一張羅いっちょうら…… じゃった、と伝えてくりゃれ。流石、勇猛で知られるメルキト部族の末裔、先祖同士の因縁対決もこれでチャラになったんじゃないか?」

 

 ニッコリと笑うその顔には、なんの邪見もなかった。

 

 ♪傾国の相を持つ女子おなごに~会うた~らなんとしよ~い♪と陽気に鼻歌を口ずさみながら去って行くテムル・ブカを見送り、その背中が闇に消えた頃、バヤンの顔には、この暗がりの中でもはっきりとわかるくらいの精神的ショックを示す、いくつもの縦線が現れていた。

 

 「おい、なんか含みのある言い方だったよな?背中がどうのこうの、先祖の因縁がなんとかって。まさか…… トクトアの奴、何かやらかしたんじゃないだろうな!?」

 

 流石はバヤン。

 よくわかっている。

 

 「サ、サア?なんでせう……」


 じーっとバヤンに見つめられたせいで、瞬きの回数が異様なくらい多くなる雪花だった。

 

 

 

 「ふぅ、さっぱりした!」

 

 ちゃっちゃっと湯浴みを済ませ、自室に入った雪花は、早速異変を感じた。

 

 「!?」

 

 誰もいないはずの自室に人の気配を感じる。

 

 「おかえり…… 何処に行ってた?」

 

 その声に雪花は、すわっ、と飛び上がらんばかりに驚いた。

 うっかり、手に持っている燭台を落っことしそうになるほどに。

 

 「なんで明かりも付けずに!?しかも暗がりの中、勝手に人の部屋に入って、独りでいったい何やってたんですか?」


 「うるさいなっ、見ればわかるだろ?こちらが質問してるんだから、まずそれに答えるのが先だ」

 

 と、ぶっきらぼうに布団を目深にかぶった状態で答えた。

 これじゃ拗ねてる子供みたいだ。

 

 「皆さんと一緒に食事に。トクトア様は何処に行かれてたんですか?」

 

 「何処にも行ってないっ、お前は楽しい思いして良かったな、さぞや疲れたろう」 

 

 トクトアは寝台から降り、ツーっと雪花の前まで来ると、行き掛けの駄賃とばかりに、そのクセのある髪を指でグシャグシャと撫で回し、それでやっと気が済んだのか、そのままパタンっと扉を閉めて行った。

  

 「な…… なんなの、あの態度は?言いたいことがあったらはっきり言ってよね。ったく、せっかく櫛で梳いたのにもうボサボサっ、クセっ毛でもちゃんと髪を整えないと、翌朝爆発するんだからっ!」

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 後日、詫び状と豪華な贈り物を携えたテムル・ブカの使者が屋敷を訪れた。

 突然の王族の使者の訪問に、屋敷中が色めきたった。

 二人の侍女、海藍ハイラン柳花ユファは言うまでもなく、執事トゥムルは浮き立ち、いつもは冷静な侍女頭ナルスまでもが喜色満面でそわそわとしていた。

 

 「早く早く!表に出ていらして下さいってばっ!」

 

 二人に急かされて表に向かった。

 

 「お初にお目にかかる!」

 

 雪花の目線の先に、使者とおぼしき老人と白い馬を引いた馬丁がいた。

 老人は鎮南王家の家令ダムディンと名乗り、雪花の顔をまじまじと見つめると、やがて感慨深げに呟いた。


 「何処かで見たことがあると思うたら、命婦みょうぶの若い頃の面差しに似ておる……」

 

 この老人、顔立ちや態度にまで勇ましく鋭い気性が現れている。そのせいか遠慮がない。

 遠慮の字だけに、〈慮〉の字だけ、何処か遠くにポロンと落っことして来たのでは?と思うくらい。

こっちは競売に掛けられる牛か馬になった気分だ。


 「ケイコク……」

 

 ガラス玉の様な色素の薄い目でそう言われた気がした。

 

 「え?」

 

 「これは失礼した。かように歳をとりますとな、これまでに出逢うた人のことが偲ばれて。確かに、殿が申された通りの御方じゃわい。いや~お目通りが叶うて、この爺の寿命もさらに延びることでしょう」

 

 ありがたや、とダムディン老人は雪花に向かって掌を合わせた。

 

 「あの…… 拝まれましても」

 

 馬か牛から、いっぺんに神に祀り上げられた。

 唖然としていると、しびれを切らした白馬が高くいなないた。

 

「おお、そうじゃったそうじゃった!これなるを贈り物として雪花嬢に、と殿が仰せでござった」

 

 白馬は小柄の種――蒙古馬であった。

 それも目が青く、三白眼だ。

 いや、そんなことよりも馬装の方が気になった。

胸がい・頭絡とうらくくらあぶみに至るまで、銀と象牙の鋲が入った上質の鞣し革が使われており、馬布も色鮮やかな草花の刺繍がびっしりと施されていた。

 

 「ほ、本当に?本当にいいんですか!?」

 

 雪花は嬉しさの余り、野兎みたいにその場に三度も跳ねた。

 ダムディン老人は目を細めた。

 

 「ホッホッ、さいな!では、これからも末長うお付き合い下されや!」

 

 チャリーン――お買い上げ頂きありがとうございやす、と感謝する馬か牛の気持ちにまで成り下がる。

 

 「はいっ、もちろんですわ!殿下によろしくお伝え下さいませ!」

 

 (ふっ、笑うがいいわ。これで行動範囲が広がると思えば)

 

 雪花は片方の口角を上げた。

 これまではゲレルの前鞍か、サルヒの前鞍に乗せてもらって出掛けるのが常だった。

 この二頭は西域産の大型種であるから、足が長い分駿足だ。

 因みにテムル・ブカが乗っていた白馬もこの種と同じである。

 

 「わーい!これでピクニッ……いえ、野掛け遊びにだって行けるわ!」

 

「お嬢様、よろしゅうございましたね!」

 

 トゥムルは頭の中の算盤をパチパチと弾いてほくそ笑んだ。

 

 (ウヒヒヒ…… うちのお嬢様は、天からの授かりものです。王族を魅了したのですから、これでまたはうなぎ登り…… 〈姫様製品〉の売り上げ上昇間違いなしですね。全く、切れば黄金があふれ出てくる竹を探し当てた翁の気分ですよ!)


 「ポニーみたいで可愛い!」

 

 白馬の鼻筋を撫でてみた。

 ピルルル、と少々変わった声で鳴いた。

 

 「ウフフ、ピルルルだって。変なの」

 

 小柄ながら蒙古馬だって立派な馬だ。

 小柄ゆえスピードは西域産には劣ると言われているが、それに対抗出来る武器があった。

 ずばり、走る時の持久力の長さ。

 粗食に耐える体を持ち、賢いうえに我慢強く、少々うるさい物音にも動じない穏やかな性質も魅力だ。

 

 「これ、この馬の取り扱い説明書なんじゃが……」

 

 ダムディン老人そっちのけで喜ぶ二人だった。



 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 

「何!?鎮南王からの贈り物の馬だって!?」

 

 どれどれ、とバヤンは白馬を眺めて言った。

 

 「おおっ、イカした馬装じゃんか!ついにお前、になったじゃないかっ!」

 

 「え?私が白馬の王子様ですか?」

 

 意味がわからない、と雪花は首を傾げた。

 

 「鈍いなぁ、名前がバヤルジョノンじゃないか!」

 

 「王子ジョノン………… ああっ!!?」

 

 この時、雪花の頭の中は、山びことなった蘇州のお祖母ちゃんの声がいっぱいに響いていた。

 

 『雪花シュエホア、大きくなったらね、が、あんたを迎えに来るよ。あんたを迎えに来るよ、あんたを迎えに…… 来るよ、くるよ、クルヨ……』

 

 「なんてこと……私自身が、白馬の

 貴公子(公子)だったなんて……」

 

 かくして、占いはここに成就したのであった。

 なんちゃって――


 「じゃ、試しに乗ってみろ!」

 

 「はいっ!」

 

 でも馬の取り扱い説明書なるものを熟読をしていない。

 去り際のダムディン老人から、、と言われていたのだが。

 代わりにバヤンが声に出して読んだ。

 

 「警告!この馬は……」

 

 「ぐぇっ!」

 

 バヤンが手紙の全容を知るのが先なのか?雪花が宙に投げ出されたのが先なのか?ほぼ同時だったからわからない。

 

 「アズラガだ!」

 

 白馬の下腹部を見たバヤンがそう言った。

 

 

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