第15話 壊れた君は……


 雪花シュエホアは今は機嫌の悪い上司の後ろに付いて執務室に行った。

 二人は卓子に差し向かいに座り、トクトアが手ずから茶を入れて、シュエホアにすすめた。

 ここは礼を尽くす意味で一口含む。

 茶は目の前の気難しい御仁とは正反対の、甘露の如き優しい味わいだった。

 

この強烈な威圧感。絶美の仏頂面。


 「高麗の王子はえらくお前のことを気に入ってるな…… 顔付きが以前にくらべて穏やかになっている」

 

 「王子をご存知だったのですね」

 

 「宮中に出れば嫌でも出会うことがある。早く高麗に帰れと願っていた。奴だってそれを望んでいたはずだ。なのに、戦に駆り出されるかも知れぬというのに…… 何故、ああも穏やか顔なんだろうな?」

 

 「……私のお守りをしている金さんと銀さんから何かお聞きになっているのでは?」

 

 (……二人は私の護衛だけど、この人の部下。聞かれたら話すしかないでしょうね)

 

二人の視線は交じりあった。

トクトアは探るかの様に、シュエホアの目をじっと見つめた。

 

 「……ああ。だいたいの報告は受けている。だが、あいつの様子からして、お前と何かあったんじゃないのか?」

 

 口の端を歪めた様に見えた。彼は笑っているのだ。

 

 (え?怖!何故笑顔で?揺さぶり?こ、ここはポーカーフェイスで)

 

 「別に何もありません。王子は良き仲間ですから……」

 

「……そうか。あいつは俺のシュエホア、と言ったから私はそれ以上の何かがあったのかと思ってな」

 

 シュエホアは王子に無理やり口づけをされたことを思い出していた。

 

(私、顔が紅くなってないかしら?もしも気付かれたら……)

 

 「何かがあった……そんなことはありえません」

 

 シュエホアも笑顔で返した。

 

 「本当にそうか?奴は手が早そうだ……」

 

 「……何がおっしゃりたいのですか?」

 

 「……例えば」

 

 茶器を脇にどけた。

 

 「この様に手を握るとか」

 

 ごく自然にシュエホアの手を握った。

 

 「……あ」

 

「あの粗野で、品性の欠片もない王子が、こんなことくらいで満足するとは到底思えんが…… 奴が街で何をやってたか、おおよその見当はつくだろ?奴を変えたのはお前か?」

 

 「……正直わかりません。そのきっかけになっただけだと思っています。本当は、彼自身も変わりたかったのでは?今は兵士達に文字を教え、真面目に軍事訓練に参加しております。信頼しても良いと思いますが」

 

 トクトアはシュエホアの手を撫で、甲に唇を寄せる。思わず身体がビクッとなった。

 予想通りの反応を見て、彼は笑った。

 

 「フッどうだか…… 今は心の支え。つまりお前の存在があるからだ。お前への想い。それが遂げられなかったなら…… 奴は再び、己を制することは出来ないだろう」

 

 「……王子はそんな弱い心の持ち主ではありません。私は信じています」


 「果たしてそうかな? ……人は、そう簡単には変われぬ。人の心など宇宙の如く果てしないものだ。本心は何を考えているのか誰もわからぬ…… 奴の心は弱い。脆い。見てるがいい。いずれ奴は破滅する」


 「あなたはどうして…… そんな穿うがった見方を?やきもちを妬いてるんじゃあるまいし」

 

 「……穿った見方だと?違うだろ。本質を見抜いたと言って欲しいものだ。ああ、そうかもな!私は妬いているのかもな」

 

 トクトアは目線を外したのが意外だった。

 

  「え?」

 

 「いや…… それに近い。いや違うな」

 

トクトアは片頬を指でポリポリっと掻きながら答えた。

 

 「…… お前は、私の大事な部下なんだからな。害虫達から身を守ってやるのが上司として当然の務めだ!」

 

 いったい何処の世界に、ここまで親切な上司がいるというのであろうか。

 

 「そ…… そうなんですか?」

 

 「当たり前だろ!」

 

 見事に視点の定まらないというか、変に目だけが挙動ってる感じ……

 

「……とにかくだ、これよりお前は私付きとなった。私の身の回りのことは頼んだからな。返事は?」

 

 嫌です、なんて言ったらどうなるか、考えなくてもわかる。

 

 「はい。……承知致しました」

 

 「よろしい」

 

 トクトアは微笑んだ。

 

 「今夜、晩酌に付き合え。旨い梅酒があるんだ。お前も気に入るよ」

 

 「……はい。時間外手当て付くんでしたら」

 

 (所詮は部下、か。なんか期待して損しちゃった……)

 

 もう。シュエホアの鈍感力には参る。

 

 「お前なぁ…… 家なんだから金取るなよ」

 

 

 

 その夜、月を肴に、相酌した。


 「さあ飲め。今宵は壊れたお前を見てみたい……」

 

 シュエホアの杯に並々と梅酒が注がれた。

 一口飲めば、フルーティーな口当たりだ。

 

「本当!美味しい……」


うっすらと紅を刷いたかのような、目の縁までぽわっと赤くなった幸せな表情のシュエホアを見て機嫌を良くしたトクトアは、王翰おうかんの詩、『涼州詞』を口ずさんだ。


 「葡萄の美酒夜光の杯、飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す……」

 

 シュエホアは詩歌そっちのけで梅酒を何杯もおかわりした。


「ぐびぐび……プハァ~!」

 

そして出来上がった。


 「馬上に催す…… っておしっこ!?そんな訳ないか。アハハハ!」

 

「琵琶を奏じるって意味だ!お前なぁ……雰囲気ぶち壊しだぞ!」

 

んなこと知ってますよ、とシュエホアはケラケラと笑った。


 「もう冗談なんだから~ん。雰囲気ねぇ…… じゃ、私も後に続きますよ~い。酔ひて沙場に臥すとも君笑うことな咖哩飯カレーライス!ひぃーっく 。へーい!もっと梅っ酒持ってござれ~!」

 

 臥すってこんな感じ~?とシュエホアはふざけて庭先でゴロンと横になった。

 おまけにこれが絡んできた。


「トクトア様ってちゃんと釣った魚には餌やってるけど、優しさってのがないよね~らめらめ。そんなんじゃ太公望失格!○△□☆×◎&……」


 呂律が怪しい。もはや、何を言ってるのかわからなかった。

ついに――キャハハ、と笑いながら服を脱ぎ始め、あっという間に堂々たる肚兜どぅどう姿に。

 これは胸と腹を覆うもので、背中の部分は大胆に空いている。

 俗に言う〈金太郎の腹巻き〉だ。

 現代でも子供が来ているのを見かける。

 胸に可愛いパンダの刺繍が圧倒的な存在感をアピールしていた。

 チラりと見える下穿き(パンツ?)も、パンダの刺繍がキラリと光る。

 実はこれ、バヤンとお揃いらしい……

 

 「げっ!ちー坊!な、なんちゅうはしたない!それにそれ、何の踊りなんだ!?」

 

 通りかかったバヤンが、シュエホアのぶっ壊れた姿に目を剥いた。

 艶っぽいバーレスクダンスどころか、これってお猿のラインダンス?を踊っていた。

 

 「確かに壊れたお前を見たいと言ったが……」

 

 意味が違う。

 これじゃ色気なんてあったもんじゃない。

 

 「こうなってしまった責任を取ってもらうぞ…… ちー坊の未来をお前に託すからな!」

 

 バヤンはトクトアの肩をガシッと掴んだ。

 彼の心は――淡い期待と不安が半々だった。

 いややっぱり、と彼はそっと呟いて人知れず悔いた。

 

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