第10話 忍び寄る闇


 永世の闇の宮殿の内装のほとんどが、黒を基調としていた。

 ここの主の拘りか―― あるいは、積年の恨みつらみを忘れぬ為に、敢えてその身を常闇に投じているのかも知れない。

 主は、黒曜石と銀で作られた御榻いすで寛いでいた。

 

 「雪花シュエホアが紅線の主――女が主、男が従か。なんとも痛快だな……」

 

  生ある者が見たら、さだめしゾッとする様な笑みを浮かべた主はくくく、と笑った。

 

 「紅線とは厄介だが…… これを利用する他ない。それには、あと幾ばくかのが要るがな」


 グチャグチャ……

 グチャグチャ……

 

 気味の悪い粘着音を辺りに響かせ〈黒い地を這うモノ〉が不気味なその姿を現した。

 見た目は鰻に似ており、体はツルツルとした光沢を放っていた。

 

 「キュイキュイ…… キキ……」

 

 まるで河海豚カワイルカが甘える様な声を出し、常闇の主の足元にすり寄る。

 

 「お前達、あんまり雪花を怖がらせるなよ。こっちは命懸けであれを連れて来たんだからな。相当手こずらされたが……」

 

 使い魔達はつぶらな黒い目で主の顔をじっと見て頷いていた。

 

 「美しい魂。生の輝きに満ち溢れていた。早く手に入れたい……」

 

 その時に出来たであろう掌に残った火傷の痕。早く治さねば、と。それでも主は存外嬉しそうな表情をしていた。

 

 「キュピピ……」

 

主の膝下に頭をスリスリ。


 「フフフ、よしよし。こそこそと嗅ぎ回る死神達に気を付けるのだぞ」

 

 幾多の深い闇の層が取り巻いている、この宮殿を見つけ出すことは無きに等しい。

 

 「キュゥゥゥ……」

 

 主人に頭を撫でられて心地良さそうに目を閉じる使い魔。

 

 「……戦となれば、雪花も屋敷の守り神からも。大都を設計した劉秉忠りゅうへいちゅうが城門に施した、あの忌々しい結界―― " 軍神・那吒なた冥護みょうご " の外へと出るだろう。必ず、隙が生まれる」

 

 金のかった榛色の瞳が怪しく光った。

 

 「この機会を逃すまい……」

 


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 

 その道を良く知る者には知られ、その道から外れると、全く知る者もいない?幻し過ぎる?刀匠―― 尭舜ぎょうしゅん

 今日は自作の中華包丁を金物市場へ納めに行く日。

 尭舜の作る包丁は切れ味が抜群。遠く杭州からもわざわざ注文が入る程の人気だった。


 「良かった。正午になる前に着きそうじゃわい」

 

 当時の記録によれば、正午近くを回ると、大都の市場への道は人通りの激しさを増し、大勢の人が波のように押し寄せて、にっちもさっちも前に進めなくなるらしい。

 

 「老爺おやっさん!」

 

 白いカフタンを着た小太りの色目人の男が後ろから追っかけて来た。

 

 「しつっこいな!お前さんも!」

 

 一度食い付いたら雷が鳴るまで離れない、とまで言われた " カミナリスッポン " みたいな野郎だと尭舜は男のしつこさに舌を巻いた。

 あの高麗王子もそうだったが、この男に一位の座を明け渡すことになりそうだ。

 これで、" 尭舜脳内しつこい王ランキング " で栄誉ある一位に輝くカフタン男。

 因みに、二位 高麗王子(はりつく熱帯雨林型)、三位 丞相の息子達(鬱陶しいコバンザメ型) 、らしい。

 

 「あの素晴らしい芸術品を売って欲しいんだ!老爺おやっさんの言い値で買わせてもらうから!」


 この男は尭舜の家にちょくちょく顔を出している武器商人で、壁に掛かっている槍を一目見て気に入ってしまったのだろう。

 

 「断る!あれは売り物ではないと何度も言っとるだろう!物干しにしとるんじゃから!」

 

 「物干しを壁に飾ってるのか!?

あれは至宝だぞ!人に見てもらってこそ価値がある!!」

 

 カフタン男は興奮の余り口泡を飛ばしながらしゃべった。

 

「けっ!何が至宝だ!あれは…… 紅線は災厄。正統な使い手でない者が触れるのを酷く嫌い、必ずやその者に災いを呼ぶのじゃ!悪いことは言わない!諦めろ!」

 

 「そんな怖がらせようとして!じゃあ聞くが、どうして老爺おやっさんは何ともないんだ?」 

 

 「ワシはただの繋ぎ役さ。次の使い手が現れる前の、橋渡しに選ばれたに過ぎん。紅線は、主がまだ未熟故にワシの所に留まっておるのだ!」

 

 「その主っているのか?」

 

 「ああ、十三人目がな。可愛い娘さんじゃよ。紅線は代々女とその半身のみ扱える」

 

 商人は目を丸くしていた。

 

 「て、ことは…… お、男が女に準ずるだと!?……太陽が沈んじまうよ!」

 

 商人は空を見上げて嘆いていた。

 この商人の国は、女は男の所有物。女は男に固く付く、という考え方だ。

 

 「お前さん、紅線に嫌われるな!お前さんみたいな考え方をしとる者がいるから紅線が生み出されてしまったんじゃ!」


 「え!?」

 

 肩をすくめて意味がわからないのジェスチャーをする商人だった。

  伝説の呪われた槍、紅線。

  それは戦が生んだ悲劇の産物―― 引き裂かれた恋人達の悲しみと復讐。

 

 

 「このガキめ!!」

 

 突如、通りに響き渡る、男の怒号と人々の驚きの喚声。

 

「こやつ!!許さぬ!!」

 

 いったい何事か、と尭舜とカフタンは騒ぎの方へ足を運んだ。

 

 「ええ~ん!ごめんなさい~!!」

 

 十歳くらいだろうか。漢人の男の子がモンゴル人の男二人に締め上げられていた。

 人々のひそひそ話が聞こえた。

 

 「まずいぞ。あれは達魯花赤ダルガチ階級だ」

 

 「何やったんだ?」

 

 「さあ?ぶつかったんだろ」

 

 「あの坊主、可哀想に。間違いなく殺されるな……」

 

 波打つ様な、豊かな黒髪の男は憤った。

 

 「兄上!こやつは子供と言えど漢人です!見せしめに骨を断ち、肉を切り刻んでやりましょう!」

 

 「よし。このガキは罪を犯したのだから当然だな!」

 

 後ろの髪がフィッシュボーン編み、頭の両サイドが刈り上げ個性的ヘアスタイルの強面長身の男が、男の子を放り投げ転倒させた。

 

 「うわぁぁ!!」

 

 男の子はガタガタ震えており、恐ろしさの余り地面に水溜まりを作った。

 尭舜とカフタンは男達の顔を知っていた。

 

 「老爺おやっさん、あれは……」

 

 「そう。丞相のせがれ。兄の唐其勢タンギスと弟の塔剌海タラハイ。時々、ワシんとこにも来るんだが、茶を出すのが面倒でな、いつも桶の水を飲ませとる」

 

 カフタンは呆れたが、そんな尭舜の飾り気のない在るがままの姿に感嘆した。

  

 「老爺おやっさん、客に対してそれはないだろう。店が潰れるぜ」

 

これはカフタン流、最上級の誉め言葉。


 「フン!ワシは無駄に権力を振りかざす奴は嫌いでな。どれ、目の前で見ちまったから助けてやるとするか。ったく!とんだ厄日だわい!」

 

 尭舜は人の垣根の中に入った。

 

 「ちょいと通してくれ!」

 

 彼は一度もぶつかることなくすいすいと進んだ。

 

 

 

 

 眠眠の豆知識(=^ェ^=)

お久しぶりニャン。時路宮姫ときじくひめの使い、昼寝好きの猫、眠眠ミンミンだニャン。

 達魯花赤ダルガチとは?

征服者、束縛する者って意味ニャ。

征服地の行政、税金の徴収、戸口調査、ジャムチ(駅)の業務、治安など。

 バヤンとトクトアもこれに属します。

 

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