第9話 復帰


  バヤンはトクトアを執務室に呼んだ。

 

 「これが軍令だ」

 

 トクトアは赤い巻物を受け取り、目を通した。

軍令はモンゴル人と色目人には有利になっており、漢人達は設営などの労役が課せられていた。軍からの支給品と軍糧についても、モンゴル人と色目人の両精鋭兵と漢民族からなる兵士の配給は異なる。

また、軍律を犯した者や脱走を試みた者はその場で処刑とあった。

 

 「なお、戦闘にあっては南人出身者(江南地方に住む漢人)は英雄的献身をもって敵の矢面に立つ…… 伯父上!これは?」

 

 トクトアは愕然とした。


 「そう。漢人とは差を付けている」

 

 バヤンは顔色一つ変えなかった。

 

 「兵士を使い捨てにするとおっしゃるのですか!?」

 

 「これ、口を慎まぬか」

 

 いつもの陽気な伯父ではなく、代わりに冷酷無慈悲な武人がいた。

 

 「フッ、何を今さら驚く。当然ではないか?中華全土にいる奴らの方が、我々より数が多いのだからな。あと二ヶ月と少し……訓練で良い結果を出せねば、兵はそれに記してあるように使い捨てとなる。流石にそれは伝えていない…… だがな」

 

 バヤンの言葉は続く。

けれど厳しい顔に浮かんだのは、諦めたかの様な自嘲的な笑みだった。

 

 「私は、自分の心血の全て注ぎ、あのグズで役立たずな者らを立派な兵士に仕立て上げるつもりだ。情にほだされたのではないぞ。私は自分の指揮官としての実力を試したいのだ。出来なきゃ、私もそれまでだってことだ…… お前には司令官ネケルになって欲しい」

 

 「伯父上」

 

 また悪い癖が始まった、とトクトアは苦笑しながらも、伯父の考えに異存はなかった。

 バヤンはどうせ望みを掛けるなら、誰もが到底無理だと思う方に賭ける性格だった。

  

 (……しかし、どうも引っ掛かる。何故時間のかかる素人をわざわざ採用したのか? )

 

 役に立つどころか逆にこちらの動きを封じる様な者達を採用した丞相の意図に――

 

 「……承知致しました。では一つ、お願いがございます」

 

 「よし!何だ?」

 

 「を私にくださいませ」

 

 「え?」

 

 バヤンは一瞬戸惑ったが、すぐに意味を解し、あっさり承諾した。

 

 「……いいけど。 大事にしてくれよ」


 トクトアは得意のアルカイックスマイルを見せた。


 

 トクトアは久しぶりに宮城に参内した。

 彼が歩けばにわかに宮廷中が色めき立つ。そして彼を一目見た新米女官が失神して――

 

 バタッバタバタバタバターーン。

 

 将棋倒しのような、周りを巻き込む事故が起こることが珍しくなかった。

 

 「うん?また誰か倒れたのか…… 危ないな。最近の若い娘は減量のし過ぎか知らぬが、よくぶっ倒れる」

 

 などと、原因が自分にあるのに首を傾げていた。

 実際の彼は、〈その姿、岐嶷いこよか(長身で堂々)にして、風雅〉と称された。

 まるで災禍の如く傍迷惑な美貌である。

 

 

 黄釉瑠璃瓦こうゆうるりかわらが輝く正殿大明殿にて皇帝皇后両陛下に謁見した後、その足で今度はエル丞相の政務室を訪れた。

 丞相のこと、てっきり上都の様子を聞かれるかと思いきや、そうではないようで単にこっちの浮いた噂話に耳を傾け、さも楽しそうに笑っているだけだった。

 丞相は上都に間者を忍ばせている。わざわざ自分から情報提供をする必要もなかった。

 二人は古狸と若狐。

 

 「敵の宮廷だからと言って、派手に女官達と戯れるとはの。メルキト部族は獰猛、美女には目がない。昔っから略奪がお得意だからな」

 

 「フフ。キプチャク部族には遠く及びません。……冗談はさておき、上都と戦になれば多くの宮女・奴婢達を戦利品として連れ帰れますが、元々大ハーンに仕える者達です。興奮の余り狼藉を働くことがなきよう、常日頃から兵士らを啓発する必要があります」


 「そうだの。其方の申す通りじゃ。しかし…… よう帰って来てくれた。やはり其方は利口者じゃわい。 アストの力を倍増しよう。軍備の事も案ずるな、とバヤンに伝えよ。此度の褒美じゃ」

 

 (そうか、私が上都にいる間、一時的にこちらの兵力を弱める為だったんだ。味方とは言え伯父上が裏切らないとも限らないと?伯父上に迷惑を掛けてしまった……)

 

 こちらの心の内を読んだのか、丞相は目を細め、口元をほころばせた。

 これが丞相のまつりごと

 トクトアは食えぬ狸だと思った。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 

 「違う!違~う!!誰じゃ~へっぴり腰で槍を持っとる奴は!?もっとどっしり構えろ!!」

 

 「ワ、ワイのことですか?す、すいません……」

 

 「なぁんじゃと!?お前さんかぁ!」

 

 うりゃ~この王八蛋アンポンタン!と師匠の持つ鞭が唸り、尻は打撃を受けた。

 

 「ヒィ~!!!」

 

馬鹿正直に名乗り出る者は、即刻罰を受ける羽目になるのである。

 尭舜は石突部分で石畳をガツンガツンと突いた。

 皆、注目する。

 

「槍、それは敵との距離を隔てる事が出来る故に恐怖心が減るのは勿論、柄を長くすれば相手の接近を許すことはない。が、そうなると扱いもなかなか難しい。怖いからと言って柄を長くし過ぎると、森林や狭所などの動きを制限される場所に入って戦うには不向きだ。当然のことながら振り回せんし、重さでしなりが生じるし、穂先を支えられん。ワシが教える槍術は全身で支えるものである!戦闘ですぐに疲れてしまうようでは話にならんからな!」

 

 本日は素人兵達の為の槍術。

 刀匠であり、槍の名手でもある尭舜ぎょうしゅんによる〈一撃必殺・槍教室〉だ。

 バヤンはアストの精鋭とケシクを引き連れ都内にある緑地で軍事訓練を行っている。

 

 「良いか、しっかり見ておけ!腕の可動域を最大限に生かし、素早く、敵の急所を一撃で突く!」

 

 尭舜師匠は藁人形の胸を必殺の直刺でこれを貫き破壊。

 それはまさに神速の刃―― 兵士達は驚嘆の声を上げた。

 

 「槍の利点はここにある!お前さん達!翌朝も日輪を拝みたくば必死こいて学べ!!」

 

 「はい!!」

 

 「わかりました!!」

 

 「頑張りますだ!!」

 

 みんな尭舜が怖いので必死だった。

 

 「では、最初は三百回かな…… いや!五百回!突く動作の練習を開始する!」

 

 「ご、五百回ですかい!?」

 

 「ええ~!?」

 

 「う、嘘でしょう……」

 

 再び石畳がガツンガツンと鳴った。

 

 「当ったり前じゃろ!もう日がないんじゃから仕方あるまい!!良いか、しっかりやらんと戦場で死ぬるぞ!!」

 

 こうして尭舜師匠による、苛烈極まりない槍の猛特訓が始まった。

 重い。無理。疲れた。

 などと、弱音を吐こうものなら、たちまち尭舜お手製の、竹の根っこで作った鞭がビシバシと容赦なく尻を直撃する。

 

「ワシがお前さん達に教えるのはチュオ(突く)だけだ!とにかく正確に突く!これが出来る様になれば、たった一撃で壁を突き破ることも可能である!そして非情な攻撃こそ最大の防御である!!」

 

 尭舜の槍術は主に〈攛刺さんし〉と言って、投げる様に突く―― とにかく攻めを重視した。

 敵と対峙すれば死に物狂いでこれと戦って勝つこと。当然、閃賺フェイントも使う。これから幾度あるかもわからない死線上の綱渡りに、卑怯もヘッタクレもないからだ。

 生き残った者こそ強者―― この考えがバヤンと共通しているから二人は気が合うのだろうか。

 

「お師匠、稽古をお願い致します!」


 雪花は先端に韋絮いじょ(綿を入れてなめし革でくるんだもの)が付いた棒を持って現れた。

 

 「……よかろう。ワシが客(防御する側)で嬢ちゃんが主(攻める側)じゃ」

 

 「では参ります!」

 

 シュエホアは真っ直ぐいた―― しかし尭舜はニヤリと笑って、突きを振り払った。

 

 「甘い!ワシを仇怨の敵と思うんじゃ!遠慮なんかしなさんな!本気で突いて来なさい!」

 

 「はい!申し訳ありません!」

 

 シュエホアは棒をしならせると叩くと見せかけて、矢の様な突きを繰り出し頭を狙った。

 しかしすんでの所で、尭舜は棒を縦にし、その中心で突きを受け止める。

 

 「おお!素晴らしい…… だが、まだまだじゃな!それでは紅線がガッカリするぞ!」

 

 「では…… 次からは本気で。お覚悟!」

 

 

 ∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 

 トクトアは練兵所を覗いた。


 「今日は槍の訓練か。兵士達は、亡者か餓鬼の様に痩せ衰えておる、と聞いていたが…… はて?私が見る限りそうは思えぬ」

 

 傍らに控える部下はお馴染み、アルタンスフこと金さんと、ムングスフこと銀さん。先に金さんが答えた。

 

 「仰せの通りにございます。最初の頃、これは悪夢かと思う程に…… ノミやシラミもおりまして、とても見るに堪えない有り様でした」


 次に銀さんが答えた。

 

 「されど、かの者達はバヤン閣下の管理の下、少しずつ肉が付く様になり心なしか面構えも良くなった気が致します」

 

「それは結構。うん?あの者達は……」


 雪花と尭舜――二人は軽やかに、まるで舞っているかの様な、ぴったり息の合う動きをした。

 トクトアは雪花のしなやかな身体の動きに目を留めた。

 仙人指路シィェンレェンヂィールゥーという、古の最上級の舞の様な。

 

 「美しいな…… あいつにあんな才能があったとは」

 

 そして兵士達も。

 突きの練習を止め、そのまま見入っていた。

 

 シュエホアは地を蹴り、宙に躍り上がり渾身の力で棒を真上から尭舜に向かって振り下ろすも、またもや尭舜は棒を横に向け、真正面から受け止めた。

  瞬間、バキッ―― っと音がして尭舜の持つ棒が真っ二つに折れた。

 

 兵士達からどよめきが聞こえた。

 

 「キャ~!すみません!もう古くなってたのかも……」

 

 衝撃で手が痺れたのか、尭舜は左右の手をブラブラさせた。

 

 「……お見事!これが穂先なら、ワシは死んでたかもな」


 尭舜は初めて満足気な顔を見せた。

 


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