第5話 女の園


 

 トクトアには、もう二~三日はゆっくり休んでもらうことにして、バヤンは雪花だけを伴い出仕することにした。

 

「伯父上、雪花シュエホアをアスト親衛軍に!?正気ですか?」

 

 トクトアは猛反対するが、この父娘は逃げるように屋敷から飛び出した。

 

 「あ…… まあ、その話はまた後でな!おおっ、遅刻する!行くぞ!」

 

 「あわわ、行って来まーす!」

 

 トクトアは雪花をバヤンに預け、自分は上都に行ったことを酷く後悔した。

 

 「……何でまた髭付けてんだ?あいつ……」

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 

 今日の訓練は、〈みんなで城壁を駆け登ろう〉だ。

 やり方はいたってシンプル。

 まず一番先頭の兵士が長梯子を抱えたまま城壁を駆け登り、後方の兵士が腕力で押し上げるという、体力&ど根性が必要とされるものだった。

 梯子の作り方もいたってシンプル。細い木二本組を柱にしたものに、竹製の踏み板を取り付けただけの、見た目が百足みたいでなんともお粗末な、いかにも軽さを重視したものだった。

まあ、これらの手法ではやっぱり城壁に接近するまでに、敵兵の矢で射殺される危険性は否めない。

 しかし、今回はあくまで訓練としてである。

一番体重が軽い者を先頭にし、六~七人で一つの班とした。

 バヤンが訓練所に作った城壁は、あの万里の長城を見立てた高さが6・5mくらい。慣れてもらうのにわざわざ古く作ってある為、城壁に足を掛けやすくなっているが、やはり体力がないのか、上まで登りきった者は誰もいなかった。ただひとりを除けばだが。

 

 「こらっ!もっと頑張れ!!」

 

 コルゲン副官が活を入れるが、半分まで登ったところで、やっぱりみんな落っこちて尻餅をついた。

 

 「怖えよぉぉ~」

 

 「上がれねぇ~」

 

 「わーい!私、登れましたよ~!でも途中から梯子落としちゃった~」

 

 雪花、凄いけど失格。

 

 「こんなの無理だぁ~」

 

情けない声を出す新参兵達。

 バヤンは馬の鞭を放り投げた。

 

 「……駄目だ。脚力が落ちてる!明日から積水潭せきすいたん辺りか宮殿周辺を走る!ちー坊も参加な!」

 

 「ええぇぇ~!」と、城壁の上で今にも泣きそうな顔をする雪花だった。

 


プォォォ~ン、ドンドンドンガラ、ゴォォーーーン

 

 鼓楼と鐘楼から派手なお昼の時報が響く。

 

「おおー!お昼だ!」

 

「やったぞ!昼飯だ!!」


食べることが何よりも楽しみな兵士達だった。


 「よし!本日はこれまで!明日から遠足とおあしだ!今のうちに英気を養っとけ!」

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 バヤンと雪花は宮城(内裏)の真ん中を横断する大路を通った。

 

 「今日は天気がいいから庭園の亭で食べよう」

 

 「はい!」

 

 正殿大明殿と延春閣というきらびやかな高楼の真ん中を走っているこの通路を通れば、左右の建物が同時に眺められる。

雪花は一番気になっている場所があった。

それは後宮――すなわち女の園。

 そこで無理を承知で、ダメ元で聞いてみた。

 

「閣下、後宮を見たいです!やっぱり掖庭宮えきていきゅうって呼ばれてますか?あと冷宮れいぐうとかもあります?」

 

「何?後宮を見たいのか!?掖庭宮とな?冷宮だと?氷室ひむろか何かか?そんなのある訳ないだろ。そんな掖庭宮なんて古風な名で呼ばれてない。後宮は後宮だ。オルドかハレムと呼ばれてるが…… そんな所に興味あるのか?何故だ?まさか、将来お妃になりたいのか!?」

 

 冷宮と氷室。冷宮は罪を犯した妃を幽閉する場所で、氷室は現代で言う冷蔵庫みたいな役割だったが、なんとなくどちらも用途は似ていなくもない?

 

「…… そんな。ただの好奇心ですよ。 いったいどんな所かな?って思っただけです」

 

強面のバヤンの顔が間近に迫るので、こっちがのけ反る体勢になった。

 

「おかしな奴だな。そんなの決まってるだろ。皇妃(皇后)と后妃に妃嬪と女官達が住まう宮殿だ。まあ、完全な男子禁制でないから入れんこともないが…… あんまりうろちょろしてたら、うるっせえ宦官にごちゃごちゃ言われて追い出されるのがオチだ!お前が未来のお妃候補をめざし、真剣に行儀見習いをやる!ってんなら話は別だが、そんなつもりなんて毛頭ないんだろ!?」

 

「はい…… 勿論、そんなつもりなんてありせんけど……」

 

「とかなんとか言って!でも後宮に興味あるんだろ?ははーん、さてはかなりの野心家だな!でもなあ……モンゴルの後宮は陰険じゃないけど血統にうるさいんだ。お前、苦労するぞ。石の上にも三年だ。認められるまでが辛いぞ…… うちの侍女監督のナルスは凄いぞ!宮中の行儀作法を知ってるからな!是非習いなさい!そうしなさい!」

 

「あ、あの、違うんです。誤解です。 私、ちょっと後宮を覗きたいだけなんですけど……」

 

やっぱり年頃の娘を持つ父親は、後宮と聞けば過剰な反応をするようだ。

 バヤンも例外じゃないらしい。

聞けばわざわざ美しい養女に迎え、必要な教育を受けさせてから後宮に入宮させる人もいるという。

 ある意味時間のかかる投資になるが、その効果は絶大で、外戚ともなれば出世も早く、権力も手中に収められ、そこへめでたく皇子が産まれれば栄耀栄華なんて思いのまま。

 ウハウハ薔薇色人生なんだとか。

 

「なんだ~違うのか。まあ、私は人間が出来ているからな、出世なんて…… そんなこと考えたことすらない!!」


「ハハハ…… そうなんですね。でも目付きが真剣そのものでしたよ……」

 

庭園は後宮に隣接しているので、やたらと妃や女官達が目に付いた。

 

 (元朝はけっこう自由なんだな…… 生涯、宮殿から出れない訳じゃないんだ)

 

薄桃色の襖裙おうくん(上下が別れた衣服)を着た女官達は、ちょっと刺激的な恋愛小説の内容を話しながら忍び笑いをし、優美な絹の紗を重ねた襦裙じゅくん(見た目ワンピースっぽい)を着た妃達は、さらさらと衣づれの音をさせながらおしゃべりを楽しみ、優雅に散歩していた。

 妃達は皆、金銀、真珠でこさえた歩揺ほようという簪を、結い上げた髪に飾っていた。

 その中で、誰ひとり姑姑冠ここかんという奇抜なデザインの丈が高い帽子を被っている女性はいなかった。姑姑冠とは、モンゴルの既婚の貴婦人が被っており、木や針金製の筒状の枠組に絹の布を巻き付け真珠や孔雀の羽を飾っているものだ。これには身長が高く見えるのと全体的にすらりとして見える効果が期待出来る?と思う。

 現代でもモンゴルの女性は、この帽子を被っているのをTVで観る機会があるが、時代のニーズに合わせてか?総ビーズ編みになっているものもあり、大変美しい工芸品みたいな物に進化していた。

 

 美しい妃達――ドラマでしか観たことのない光景を間近に見れたことに、雪花は感動してしばしの間、その艶姿に見とれていた。

 

 

 石の卓子に、副官のコルゲンと金さん銀さんコンビが用意してくれた豪華なお弁当の他、点心や数種類の飲茶が豊富にあった。

 

「いつも用意してもらってすまんな。さあ食べるか!いただきます!」

 

 バヤンは大好きな鶏の唐揚げがあるので超ご機嫌だった。

 雪花も用意してくれた三人に礼を言い、遠慮なく昼食を頂くことにした。

 

「コルゲンさん、金さん、銀さん、このおかず!どれもみんな美味しいです!」

 

「それはようございました!さあ、元気をつけて明日も頑張りましょう!」


「はい!でも、この場所でって…… ご飯食べづらいですね。私が言うのもなんですが、ここはやっぱり、新兵と一緒に食べる方が良いと思います。とても食べきれませんが……」


「ハッハッハ、 確かにお嬢様がおっしゃる通りです。しかし、本日はここで、と閣下が……」

 

 なんだか奥歯にモノが挟まったかの様な物言いになっている。

 コルゲンはしまったという顔をし、それを誤魔化すかの様に、慌てて口の中にご飯をかき込んだ。

 

(なんか怪しい……)

 

 

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